他人のことは500万パーセント分からない。いくらその人を知っていようが何だろうが絶対に分からない。これは真実だ。でも自分のことなら100%分かる。これも真実だ―と、思っていた。ところが、である。自分のことでも分からないことがあるんだね。57年間そんなことを思ったことがなかったのに。
それは、人生で初めての苦しみや辛さに遭遇した時に起こった。
60年近くも生きてきたら、生死も恋愛も自然災害も育児も尊敬も憎悪も喜びも苦労もほとんどのことは経験しているから、各々の事象に対する対処には経験が何がしか役に立っていて、未然に苦しさや辛さを予想してそれを迂回する。加えて、もう経験していないことはないであろうという確信めいたものも持ってしまっている。
だから、全く初めての事象に出会うと、まず自分がよく理解できない。どうなるか予想ができない。やがて少し理解し始めたはいいが、それが自分が絶対に我慢できないことだった場合はもうどうにもならない。極めて犯罪者の心理に近くなり、紙一重のところで良識人に留まっているのがやっとという状態になる。自分を理解しようということよりも目の前の事象からどうやって逃げようかということばかりに注力してしまう。
こんな状態が長く続いた(今もまだ少し続いている)。ようやく、事象から逃げることよりも事象に向かう気持ちを奮い起こすことができるようにまではなったが、いつ何時元のもくあみに戻っても不思議ではない状態だ。
歳を取る毎に体力も気力も衰えていく。そこへ持ってきて、初めての辛い経験というのは、倒れた相手を、これでもか、と殴りつけてくる。それでもやっぱり自分以上に自分を理解できる人は絶対にいないことは間違いない。少なくとも次に同じ種類の苦しみが襲ってきた時には、今回の経験を生かすことだけは、忘れてはいけないと思う。
これからは、「自分のことでも分からないことがあるということを分かっている」ということまで含めて、自分のことなら100%分かると言わんとあかんね。
それは、人生で初めての苦しみや辛さに遭遇した時に起こった。
60年近くも生きてきたら、生死も恋愛も自然災害も育児も尊敬も憎悪も喜びも苦労もほとんどのことは経験しているから、各々の事象に対する対処には経験が何がしか役に立っていて、未然に苦しさや辛さを予想してそれを迂回する。加えて、もう経験していないことはないであろうという確信めいたものも持ってしまっている。
だから、全く初めての事象に出会うと、まず自分がよく理解できない。どうなるか予想ができない。やがて少し理解し始めたはいいが、それが自分が絶対に我慢できないことだった場合はもうどうにもならない。極めて犯罪者の心理に近くなり、紙一重のところで良識人に留まっているのがやっとという状態になる。自分を理解しようということよりも目の前の事象からどうやって逃げようかということばかりに注力してしまう。
こんな状態が長く続いた(今もまだ少し続いている)。ようやく、事象から逃げることよりも事象に向かう気持ちを奮い起こすことができるようにまではなったが、いつ何時元のもくあみに戻っても不思議ではない状態だ。
歳を取る毎に体力も気力も衰えていく。そこへ持ってきて、初めての辛い経験というのは、倒れた相手を、これでもか、と殴りつけてくる。それでもやっぱり自分以上に自分を理解できる人は絶対にいないことは間違いない。少なくとも次に同じ種類の苦しみが襲ってきた時には、今回の経験を生かすことだけは、忘れてはいけないと思う。
これからは、「自分のことでも分からないことがあるということを分かっている」ということまで含めて、自分のことなら100%分かると言わんとあかんね。