僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

ギターが教えてくれること

2020-09-04 | Weblog
尊敬する音楽仲間が何人かいる。
そのうちのひとりは、ブルーグラスというジャンルの音楽をしているギタリストだ。
彼はちょくちょくウチに来て酒を飲んだりギターを弾いたりして遊ぶ仲なのだが、とにかく観点・感覚が研ぎ澄まされていて話が面白い。
最近最も共感したのは、「ブルーグラスをしているプロのギタリストにはわざわざ鳴りの良くないギターを選ぶ人がいる」という話だ。
ギターを弾く人なら分かるだろうが、ギターは「良く鳴る=大きい音ではないのだが」ものが良いとされている。新しいうちはあまり鳴らないので、新品を出荷する前には1ヵ月ほど大音量の音を聴かせてから出荷するメーカーもある位で、弾き込めば弾き込むほど良く鳴るようになるから、この状態を好む人が多い。なのにわざわざ鳴らないギターを選ぶとはどういうことかと聞くと「鳴りすぎが嫌だから」とのこと。これには私も全く同感であった。必ずしも皆がこうであるとは言わないが、とある県の知事はやたら元気で声ばかりが大きくて、なんか中身がなさそうに見える(北野武さんも同様のことを言っていたような記憶がある)。これと同じなのである。
歌でも同じだ。大きな声で歌う人が必ずしも魅力的な訳ではなく、こちらから何と歌ってるんだろう?と耳を傾けたくなるような小さな声で歌う人のほうがはるかに魅力的であったりする。ギターは声ではないから、音の大きさは右手でコントロールする。その際、ブルーグラスのようにしっかりとしたピッキングが必要になる音楽では鳴りすぎるギターでは自分の思うような表現ができないということなのだろう。
とにかくギターも人間も同じなのだ。過ぎたるは及ばざるごとし。いやいやいいギターといい仲間は静かに淡々といいことを改めて教えてくれるねぇ。