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コジキジゲン

712年⇔景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年

2019-02-12 22:07:59 | 古事記字源

 名取(なとり)=芸道において一定の技能を修得して師匠より芸名を許されること、許された人。また、その芸名のことを名取名という・・・名取(なとり)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦・・・
 by
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=mcafeess1&p=%E5%90%8D%E5%8F%96
ーーーーー
 宮城県
 名取市・・・宮城県の中央南部の
       太平洋沿岸に位置する都市
       仙台市の南東に隣接
       南に亘理(わたり)・・・・渡り・渡利・渡里・・・蝦夷地
       北緯38度10分17.5秒
       東経140度53分30.5秒
 ↓↑     ↓↑
       4世紀後半の古墳時代前期
       多数の古墳が造営
       愛島丘陵東端に築かれた・・・愛の揣摩=しま=縞
       東北地方最大の
       雷神山古墳
       大型前方後円墳
       多数の中小古墳が作られ
       7~8世紀の横穴墓に続いた
       律令時代前後に
       名取に国造は置かれなかった
          ・・・国造(くに の みやつこ・コクゾウ・コクソウ)
             は       宮っ子・宮遣っこ・見遣っこ・・・?
            「臣(おみ・使主)
             連(むらじ)
             君(きみ・地方豪族)
             公(きみ・皇族)
             直(あたい・費・費直)」
             などの姓を朝廷(大王)から賜った
       国造=律令制以前、地方豪族が朝廷に帰順し国造に任命された
          大化の改新以降は神事、祭祀を司る世襲制の名誉職
          改新以降は国造の軍事、裁判、行政権は
          中央派遣の国司(任期は6年、後に4年)
          現地の郡司(官吏)に交替した
 ↓↑     ↓↑
       宮城県の・・・ナゼ、「宮の城」なのか?
 ↓↑     ↓↑           ↓↑
             「仙台藩」から「仙台県」となり
              県庁所在地であった
              郡名「宮城」が「宮城県」 に改められた
              奈良時代
              陸奥国府の
              多賀城が置かれ
              朝廷の出先機関
             「宮宅(みやけ)」が
             「みやぎ」に変化した・・・
              宮城郷(みやぎごう)
              平安時代の
              陸奥国「宮城」郡にあった郷(和名類聚抄)
 ↓↑     ↓↑     (仙台市宮城野区苦竹)
       働きかけによって
       6町村での合併
       1955年(昭和三十年)に
       名取町が成立
       明治元年十二月七日
      (1869年1月19日)
       陸奥国分割により陸前国に属す
       明治二十一年
      (1888年10月11日)
       日本鉄道(JR東北本線)に
       増田駅(名取駅)が開業
       明治二十二年
      (1889年4月1日)
        町村制施行に伴い
       名取郡に
       増田、東多賀、下増田、館腰、愛島、高舘
       の6村が置かれる
 ↓↑     ↓↑
       昭和十五年
      (1940年)
       下増田村に
       日本陸軍の空港「名取-飛行場」
      (仙台飛行場・仙台空港)が開港
       昭和三十三年
      (1958年10月1日)
       名取町が市制施行し
       名取市・・・?
ーーーーー
 「名取」の地名由来
 古くは
 丹取-郡(にとりのこおり)
 ↓↑  「二トリ」=似鳥昭雄が北海道で創業した家具企業・・・似鳥?
          似鳥=にたどり・にとり・いじま・いとり
          陸奥国二戸郡似鳥(岩手県二戸市似鳥)をルーツ
          似鳥(にたどり)=地名は「陸奥話記」の中に出てくる
                  「仁土呂志」が語源・・・?
          陸奥国二戸郡「似鳥」村が起源
          語源の「丹取」とは硫化水銀(赤紅・丹地)を採取するひと
          アイヌ語で「湿った土地」・・・
 ↓↑             「湿った土地」=湿地帯⇔沼地⇔泥炭地・・・?
 和銅六年(713年)に設置(続日本紀)
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
 ↓↑    712年・・・
      古事記編纂上奏・「和銅五年正月二十八日」
     (ユリウス 暦712年3月 9日11~13時)
     (グレゴリオ暦712年3月13日11~13時)
      壬子(壬 癸)正官・正官 絶
      癸卯(甲 乙)偏官・印綬 病
      丁酉(庚 辛)  ・正財 長生
      丙午(丙 丁)劫財・劫財 建禄・・・建の禄(録)?
       辰巳=空亡
       水曜日・仏滅
      中国年号
      唐=唐の「睿宗・李旦」の治世に使用された元号
        710年     ~712年    ~713年
        景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年
 ↓↑    ↓↑    
 ↓↑   「信瑜」の弟子の
     「賢瑜」による・・・建徳一年(1370年)・庚戌年・・・金の兄、犬(狗)
     「古事記」写本・・・建徳二年(1371年)・辛亥年
      最古のもの
     「伊勢本系統」の
      南朝=建徳二年(1371年)辛亥年
      北朝=応安四年(1371年)
      から
      南朝=文中元年(1372年)壬子年
      ・・・文中一年・壬子年・・・水の兄、鼠・ね=音
      北朝=応安五年(1372年)
      にかけて
      真福寺の僧(28~29歳に書写)
         ・・・二十八歳・・・稗田阿礼(禮)=二十八歳
      賢瑜によって写された
      ・・・賢瑜⇔「慈眼寺」の「十七世・賢瑜(ケンユ)」?
      真福寺本『古事記』三帖
      祖本(原本)は
      上・下巻=大中臣定世-本
      中巻=藤原通雅-本
      道果-本
     (上巻の前半のみ
      南朝=弘和元年(1381年)写・・・辛酉・・・金の弟の鳥(鶏・とり)
      北朝=永徳元年(1381年)写)
      道祥本(上巻のみ
      応永三十一年(1424年)写)
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
     「ワット・タイラーの乱」
      イギリスで人頭税に反対する
      暴動、反乱が発生
      1381年6月15日
      ワット・タイラー死亡
     「和通取」・「多比良・多以良」???
      反乱の指導者、農夫
      足利義満
      北朝の「後円融」天皇を招いて園遊会
      1381年
      干支年=辛酉
      南朝=天授七年、弘和元年二月十日~
      北朝=康暦三年、永徳元年二月二十四日~
      中国
      明王朝=洪武十四年
      中国周辺
      北元=天元三年
      朝鮮
      高麗=辛禑七年
 ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑
      ワット・タイラー
     (Wat Tyler、?~1381年6月15日)
      出生時の名前
     「ウォルター(Walter)」
      ・・・水(みず)=ウォータ= water⇔ワタ⇔Wat
         水神=            海神=わたつみ=綿津見・綿摘?
          水天宮(福岡県)
          すいてんぐう・・・水天狗?
          福岡県久留米市瀬下町に鎮座
          天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
          安徳(あんとく)天皇
          高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)
          平二位時子(ときこ)
          を祀(まつ)る
          水の守護神
          安産・水難よけの神」
     「ウォルター(Walter)」
      姓不明
     「Tyler」は
      屋根瓦職人(Roof tiler)
 ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑
     Walter=ウァルター・ウォルター・バルテル
         ワァルター・ワルター・ワルテル
    (wɔ́ːltər・ウォールター)↓↑  ↓↑
         哂(嗤・笑)ってる= ワラッテル?
         ヴァルター or ワルター
        (Walter    Walther)
         ドイツ語発音: [valtɐ]
         ドイツ系人名
         古高ドイツ語に由来
         姓、名としても使用
         舞台ドイツ語
        「ヴァルテル」(ドイツ語発音[valtər])と発音
         派生形として「Wolter」
         古ドイツ語で
        「支配する」ことを意味する
        「waltan」と
        「軍隊、部隊」を意味する
        「heri」の合成語
         元々は
        「Walthari, Waltheri」と表記
        (by wikipedia.org/wiki/ヴァルター)

        「ワーテルロー(Waterloo)の戦い=Battle of Waterloo」
         1815年6月18日
         エルバ島を脱出しナポレオンが、再起を期し
         イギリス・ プロイセンなどの連合軍に敗北
         ナポレオン(奈破翁・那破崙・拿破崙・拿勃翁・拿破烈翁)
         百日天下の終焉
         Napoleon-Bonaparte
         1769年8月15日~   1815年6月18日~1821年5月5日
         己丑(癸辛己)正財・印綬・冠帯⇔乙亥⇔辛巳
         壬申(戊壬庚)偏印・偏印・ 絶⇔壬午⇔壬辰
         甲午(丙己丁)  ・食神・ 死⇔丙申⇔甲申
          辰巳=空亡
 ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑
      1381年6月15日
      辛酉(庚 辛)偏財・偏財・長生
      癸巳(戊庚丙)偏官・劫財・帝旺
      丁未(丁乙己)  ・食神・冠帯
      丙午(丙 丁)劫財・食神・建禄
 ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑・・・?
      1424年6月15日
      甲辰(乙 癸 戊)
      己巳(戊 庚 丙)
      癸巳(戊 庚 丙)
      戊午(丙   丁)
 ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑
      1424年
      干支=甲辰
      応永三十一年
      中国
      明 永楽二十二年
      朝鮮
      李氏朝鮮 世宗六年
 ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑
      ヤン・ジシュカ
     (Jan Žižka)
      1374年~1424年10月11日・・・1424年
      ボヘミアで
      1419年から起った
      フス戦争の英雄
     「ジシュカ」は
     「ジシカ」とも表記
 ↓↑ ↓↑     ↓↑ ↓↑
      古事記-写本
      春瑜-本(上巻のみ
      応永三十三年(1426年)写)・・・1426年
      の道果-本系三本は
      真福寺-本に近く
      ともに伊勢-本系統
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
     1371年・・・建徳二年・辛亥年・・・1371年
     中国
     明=洪武四年
     夏=開熙五年(旧六月まで)
     中国周辺
     北元=宣光元年
     朝鮮
     高麗=恭愍王二十年
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
     明昇が明軍に降伏・夏王朝滅亡
     明王朝が「海禁令」を発布
       ・・・海禁令=カイキンレイ=解禁令・皆勤令・塊金例
          金槐和歌集(きんかいわかしゅう)
          源実朝の家集(歌集)・略称で『 金槐集』
          「金」とは鎌の偏、「槐」は槐門(右大臣)
          別名「鎌倉右大臣家集」とも
          建保六年(1218年)
              源実朝の
              大納言(亜槐)
              大臣(内大臣、右大臣)
              の叙任
         「金槐和歌集」の成立は
          藤原定家より相伝の『万葉集』を贈られた
          建暦三年(1213 年)十二月十八日頃
 ↓↑ ↓↑      ↓↑ ↓↑
         「金烏玉兎集」・・・阿倍の清明
          三本足の金の烏
          キネ(杵)で
          ウス(臼・碓)搗きの
          ウサギ(兎・兔・卯)
 ↓↑
         「三国(サンゴク)
          相伝(ソウデン)
          陰陽(インヨウ)
          輨轄(カンカツ)
           簠(ホ)・・・「簠({竹甫皿})」
           簋(キ)・・・「簋({竹艮皿})」
                 は、古代中国で用いられた祭器
          内伝(ナイデン)
          金烏(キンウ)・・・太陽
          玉兎(ギョクト)・・太陰(月)
           集」
 ↓↑       『三国相伝宣明暦経註』
         『簠簋(ホキ)内伝』
         『簠簋(ホキ)』
         『金烏玉兎集』
          と略称
 ↓↑ ↓↑
     1371年の
     誕生
     斯波義重、南北朝時代、室町時代の守護大名
          管領・・・織田家の主筋
     伊達氏宗、南北朝時代、室町時代の武将
          奥州伊達氏の第十代当主
     鄭和、明の海軍大将、武将、宦官
 ↓↑
 ・・・「名取」の地名由来
 古くは
 丹取郡(にとりのこおり)・・・「二トリ」
             ・・・「丹=水銀」・「似るを取る」?
 和銅六年(713年)に設置(続日本紀)
 ↓↑
 館山市
 犬石・・・犬の石
 真言宗
 智山派
 金剛山
 慈眼寺・・・慈眼太師・・・「字源太史」?
 ↓↑     ↓↑
       天海僧正
       天文五年(1536年)?
       ~
       寛永二十年十月二日(1643年11月13日)
       安土桃山~江戸時代初期
       天台宗の僧
       南光坊天海、智楽院とも・大僧正
       諡号は
       慈眼大師(ジゲンダイシ)
 ↓↑     徳川家康の側近
 金蓮院
 本尊は大日如来
 木造地蔵菩薩像が安置
 開創は不明
 ↓↑
 江戸初期
 「頼忠」が中興・・・頼忠ってダレ?
 ・・・
 頼忠寺
 約400年前
 里見家の大家老
 堀江能登守頼忠
 開基の曹洞宗の寺院
ーー↓↑ーー
 頼忠寺
 千葉県
 館山市
 宮城・・・「宮城」は館山・・・ちばけん たてやまし みやぎ
 にある曹洞宗の寺    ・・・地殻活動観測場
 里見忠義の家臣
 堀江能登守頼忠
 が創設
 ↓↑
 堀江 頼忠
 (ほりえ よりただ)
 ?~元和三年九月十二日
  (1617年10月11日)
 里見氏の家臣・家老
 ↓↑
 堀江氏は元は「堀内」
 天文三年
 里見氏の内訌後、堀内から堀江へと改めた
 足利義明の近臣に「堀江」氏
 足利義明の家臣
 堀江下総守・堀江大蔵丞
 の系統・・・
 天正十五年(1587年)段階
 神野寺棟札銘で
 「堀能」(堀江能登守)が確認
 慶長七年(1602年)正月二十一日
 鶴谷八幡宮棟札銘で
 頼忠の名乗りが確認
 ↓↑
 天正十五年以前に元服
 里見義頼の一字を得て
 頼忠と名乗った
 ↓↑
 里見氏の・・・南總里見八犬傳・・・曲亭馬琴(滝沢馬琴)
               文化十一年(1814年)刊行開始
               28年をかけ
               天保十三年(1842年)全98巻、106冊
               完結
               伏姫と神犬八房の因縁の八犬士の物語
        南総里見八犬伝=ナンソウさとみハッケンデン
               =何 想 里 見発 見 伝
 常陸国
 鹿島領支配で
 重要な役割を果たす・・・
 ↓↑
 慶長十六年(1613年)
 里見忠義
 伯耆国
 倉吉に国替え
  ・・・蒼頡(ソウケツ・倉頡)?
  ・・・艹(くさかんむり)
     倉(くら)
     吉(十一口)
     頁(ページ・大貝)
     蒼頡=漢字を発明した古代中国の人物?
 となり、
 頼忠は同行し
 伯耆(ほうき)で・・・鳥取県西伯郡伯耆町
 里見忠義は
 義頼・義康・忠義
 三代にわたる功績に対して
 頼忠に名字、里見を授与され
 里見能登守頼忠を名乗った
 館山市にある
 頼忠寺は
 彼が再興した寺院である・・・
ーー↓↑ーー
 金剛山慈眼寺のツヅキ・・・
 ↓↑
 安房国
 札観音
 霊場の第29番
 安房国
 88か所
 弘法霊場
 天正十年(1582年)制定の第5番
 文政十一年(1828年)
 本堂が
 ↓↑
 十七世
 賢瑜(ケンユ)・・・賢瑜⇔真福寺
 ↓↑
 よって
 再建された棟札がある・・・再(ふたたび)建(たける)?
 ↓↑    棟札(むなふだ・むねふだ)=建築物の完成、修繕記念の
      木札・銅札に年月日、施工人の名を記録したモノを
 ↓↑    梁(はり)、棟木(むなぎ)に打ち付ける
        ・・・棟=母屋や桁と平行に取りつけられる屋根の
             一番高い位置にある部材、屋根の分水嶺となる箇所
      ・・・梁書(リョウショ)
         棟(木の東)・楝木=「木を柬(えらぶ・カン・ケン)の記」
      棟札の起源は鎌倉時代
      岩手県の中尊寺の
      保安三年(1122年)のものが現存最古・・・
 ↓↑    ↓↑
 本堂欄間の龍の彫刻は
 「武志伊八郎」・・・・・・武の志、伊の八の郎
         ・・・松浦武四郎
             天武天皇=大海人皇子=天渟中原瀛真人天皇
              武烈王=金春秋=楽浪郡王
              648年
              唐に派遣され
              太宗の厚遇を受け、「特進」(正二品 )の地位
             文武天皇
             文武王(新羅王)
             聖武天皇
             桓武天皇
             α+武+β
 初代信由(1751年~1824年)の作・・・?
 本堂再建と年代は合わない・・・
 二代目
 信常との合作・・・
 ↓↑    ↓↑
 長尾藩の・・・明治維新期の短期間、安房国に存在した藩
        1868年(明治元年)
        駿河(静岡)田中藩主
        本多正訥が
        長尾(白浜町)に移封
        1871年の廃藩置県まで存続
 兵学者で
 後に白浜に残り漢学の教育者
 恩田城山(1838年~1919年)
 の「忍耐」の書額が掲げられ
 元文元年(1736年)
 願主智円(白浜根本)
 施主順礼講中(白浜塩浦)
 が奉納した88か所の
 篇額もある
 山門は
 犬石の語源とかかわる
 本堂裏の
 「飛錫(ヒシャク)塚」と
 旧観音堂を正面にして建てられている
 「犬石伝説」
 文治元年(1185年)
 頼智という高僧が
 行基作の観音菩薩像を携えて
 伊豆から海を渡り
 平砂浦へ着き明けて来た時
 1匹の白犬が現れ
 頼智の法衣を引いて東の方へ導くと
 金剛山のふもとまで来て犬は動かなくなり
 犬は石になった・・・大石内蔵助?
 犬石の地名伝説
 犬石には白石・犬尾という地名もある
 ↓↑ ↓↑
 十一面観音像三体
 救済者、菩薩の能力を
 十一の顔
 菩薩面3
 瞋怒(シンヌ)面3
 狗牙上出(ゲジョウシュツ)面3
 を前部
 大笑面1
 を後部
 仏面1
 を頂上に配され
 3体のうち左立像の台座に
 「犬石 蒲生講中 世話人中」
 と彫られている・・・
-ーーーー
 真福寺
 1320年頃
 木曽川
 と
 長良川
 にはさまれた中須
 尾張国中島郡内に
 北野社が勧進された時、神宮寺として創設
 「古事記」は
 真福寺の僧
 賢瑜
 が
 応安四年~五年(1371年~1372年)
 にかけて写した
ーーーーー
 ・・・「名取」の地名由来・・・
 古くは
 丹取郡(にとりのこおり)・・・「二トリ」・・・漆の赤紅・水銀の丹
 和銅六年(713年)に設置(続日本紀)
  ↓↑ ↓↑
 縄文前期の集落跡群
 日本最大とされる
 今熊野遺跡
 東北最大の
 雷神山古墳
 旧-名取郡-衙は現在の仙台市長町あたり・・・
 名取郡
 岩沼市~仙台市広瀬川までの広域
 承平年間(931~938年)
 「和名抄」には
 『奈止里郡』とある
 熊野三社の勧請は平安時代
 地名由来
 アイヌ語のヌタトリ(湿原)から起こった・・・
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 ・・・以下の原文は
 「古代文化研究所・古代史の謎に迫る」さんのモノを検索
 「名取の地名由来」を知りたくて・・・
 無断に勝手引用、御免なさい・・・
 ↓↑
 「埋もれ木の」と言う枕詞・・・キ(木=十八=拾い捌ける・記紀)の化石
 「名取」と言う地名に関連・・・
 「埋もれ木」
 樹木が長期間、
 水中や土中に埋れ「炭化」し
 石のようになったもの・・・
 ヌタトリ(湿原)
 水中と湖沼・・・天「渟」中原「瀛」真人・・・
 「渟=氵+亭(とどまる・ぬ・テイ・ジョウ)=水が溜まる・貯水池・沼」
    異体字「汀」
    渟足の柵(ぬたりのサク)
    渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)
    渟名城入姫命(淳名城入姫命)
        ・・・淳=氵+享=あつい・すなお・ジュン
               亭=あづま・とどまる・テイ
               亭主=あるじ・テイシュ
              「亭」=塔や物見矢倉(やぐら・櫓)
    渟名城稚姫命
 「瀛=氵+嬴(みつる・エイ)=大洋・大海・沢・池や沼」
 「東瀛」=「日本・倭・大和・東の瀛」
 ・・・「羸(やせる・つかれる・よわい・よわる・ルイ)」
 ・・・「贏(もうける・あまる・のびる・つつむ・になう・かつ・エイ)」
 ・・・「嬴(みつる・エイ)」=「始皇帝=姓は嬴(エイ)
                     氏は趙(チョウ)・・・趙政
                     諱は政(セイ)」
                 中国を統一し、郡、県、郷、亭を設置
                 父は荘襄王(異人・子楚)
                 ・・・ナゼ、漢字が「異人」?
                 戦国時代の
                 秦の第30代の君主、第5代の王
                 始皇帝の義父?
                 実父は呂不韋
                 ・・・ナゼ、漢字が「呂不韋」?
 「埋もれ木」が
 「樹木が長期間、水中や土中に埋れ炭化」し
 「石のようになったモノ」・・・
  ・・・「化石」・・・樹木の炭化なら「燃える石炭」
 「地層中に埋没している炭化度の低い褐炭

  通常木質部の植物組織が保存されている
  仙台地方(仙台市)の
  新第三系鮮新統産、
  亜炭層から産するものは細工物の材料
  仙台藩の武士山下周吉が加工を始めた
  宮城県広瀬川沿岸のものが著名
  木目が残っており、質は緻密 ・・・
  埋もれ木に花が咲く
  枯れ木に花が咲く
      ・・・草木の炭化なら「燃える泥炭」
 万葉集1385
 埋もれ木の
 「あら」「はる」「まじき」「こと」と・・・真字記?・真事記?
 あらなくに
 枕詞 「埋もれ木」のように
    「人知れぬ」「あらはるましじ」
     などにかかる
    (古今序)
    「埋もれ木の人知れぬこととなりて」
    「むもれぎ」とも
  ↓↑  ↓↑
    「埋もれ木」は
     仙台地方に多く
    「名取川」のものが有名
  ↓↑  ↓↑
    (続千載・恋)
    「埋もれ木の朽ち果てぬとも人に知られじ」
    枕詞
    「下」「あらはるまじ」「知れぬ」
    「埋もれ木の下ゆぞ恋ふる行く方知らずて
    (万・十一・2723)」
    「弓削の河原の
     埋もれ木の
     顕るましじき事に
     あらなくに
    (万・七・1385)」
    「埋もれ木の人知れぬこととなりて
    (古今・仮名序)」
 ↓↑   ↓↑
    「笠島」の「埋もれ木」・・・
    「埋もれ木=化石」が
     この地方の名産・・・
 ↓↑   ↓↑
    「笠島の地名」=「弁財天に関係」・・・
     宮城県名取市「笠島」に
    「宇賀崎」と言う地名・・・
    「宇賀神=宇迦之御魂神
        (うかのみたまのかみ)」・・・?
    「素戔嗚尊の子」(古事記)
    「倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)」は
    「伊弉諾尊と伊弉冉尊の子」(日本書紀)
    「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」
     は
    「稲荷神社の主神」
    「名取市に鎮座する
     腰館神社は
     隣接する
     真言宗
     弘誓寺建立の際
     伏見稲荷を遷座した・・・」
    「岩沼の
     竹駒神社は
     腰館神社を分祀したもの」
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