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コジキジゲン

多蒋敷=太安万侶の祖父・豊璋の妻は多蒋敷の妹?

2019-02-26 23:27:23 | 古事記字源

 女帝達の時代・・・女に課せられた義務ではなく、女が序列で得た独裁権利・・・
 則天武后の時代の倭国・高句麗・百済・新羅・・・
 新羅・第二十七代王・善徳女王(在位632~647年)・姓は金、諱は徳曼
 新羅・第二十八代王・真徳女王(在位647~654年)・姓は金、諱は勝曼
 日本・第四十一代 ・持統天皇(在位690年2月14日
               ~697年8月22日)・諱は鸕野讚良
ーーーーー
 則天武后
 在位期間 690年10月16日~705年2月22日
 都    洛陽
 姓・諱  媚娘→武照(武曌)
 諡号   則天大聖皇帝
      則天順聖皇后
 生年   武徳七年1月23日
      (624年2月17日)・・・645年(大化の改新)
 没年   神龍元年11月26日・・・ 660年(百済滅亡)・663年(白村江の戦)
      (705年12月16日)・・ 703年1月13日(大宝二年十二月二十二日
               持統天皇死没・大宝三年・12月17日の火葬?)

                  大宝二年(702年)12月13日に発病
                  12月22日崩御・1年間の殯(もがり)の後
                  大宝三年(703年)
                  火葬され天武天皇陵に合葬
                  天皇の火葬はこれが初
 父    武士彠         
 母    楊夫人
ーーーーー
 景龍四年(710年)・・・・・・・・710年
 干支=庚戌
 日本
 和銅三年
 皇紀1370年
 中国
 唐 景龍四年
 唐 隆元年
   景雲元年
 四月十三日(和銅三年三月十日)
 元明天皇
 藤原京~平城京に遷都
 唐で、安西節度使が設置
 劉知幾、『史通』を撰述
  ↓↑
 死去
 1月28日(和銅2年12月20日)
 下毛野古麻呂、飛鳥時代の貴族
 11月9日(和銅3年10月14日)
 黄書大伴、飛鳥時代の守
 安楽公主、唐の中宗の娘(684年~)
 韋皇后、唐の中宗の皇后
 実叉難陀、唐代の訳経僧(652年~)
 僧伽、唐代の僧(628年~)
 中宗、唐の第4代皇帝(656年~)
 李重福、唐の皇族、中宗の庶長子(680年~)
  ↓↑
 711年
 干支 辛亥
 日本
 和銅四年
 皇紀1371年
 中国
 唐 景雲二年
  ↓↑
 伏見稲荷建立。
 上野国に多胡郡設置
 (日本三大古碑の一・多胡碑建立)
 万廻(マンエ・萬迴)
 632年・貞観六年~711年・景雲二年)
 唐代の神異・風狂の僧
 号は法雲公
 『宋高僧伝』巻十八
 「唐-虢州-閿郷-萬迴伝」の記録
  ↓↑
 712年
 干支 壬子
 日本
 和銅五年
 皇紀1372年
 中国
 唐 景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年
 3月9日(和銅五年一月二十八日)
 「古事記」完成、元明天皇に献上
 出羽国を新たに設置
 誕生
 杜甫、唐の詩人(詩聖)
 (~770年)
 770年
 干支 庚戌
 日本
 神護景雲四年、宝亀元年
 皇紀1430年
 中国
 唐 大暦五年
 8月
 弓削道鏡が失脚、下野に配流
 9月
 和気清麻呂らを召還
 10月23日(神護景雲四年十月一日)
 瑞亀献上により改元
 10月23日(宝亀元年十月一日)
 白壁王即位
 第四十九代
 光仁天皇
  ↓↑
 8月28日(神護景雲四年八月四日)
 正徳・孝謙天皇(阿部皇女)・・・阿部
 第46・48代天皇(718年~)
  ↓↑
 10月31日 (宝亀元年十月九日)
 文室浄三 (693年~)
 阿倍仲麻呂・・・・・・・・・・・阿部
 奈良時代の遣唐留学生(698年~)
 中国名
 朝衡=晁衡
 筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫
 中務大輔・阿倍船守の長男
 弟は阿倍帯麻呂
 唐王朝
 玄宗皇帝の
 図書館長
 秘書監・衛尉卿
 左散騎常侍(従三品)
 鎮南都護・安南節度使(正三品)
 ベトナム総督
 天平宝字五年(761年)から
 神護景雲元年(767年)まで6年間
 ハノイの安南都護府に在任
 天平神護二年(766年)
 安南節度使を授けられた
 最後は潞州大都督(従二品)
  ↓↑
 岑参、唐の詩人 (715年~)
 杜甫、唐の詩人、詩聖(712年~)
ーーーーー
 650年2月15日
 孝徳天皇
 白雉改元・・・白雉=しろキジ
          =白 記事・白生地
          =斯盧黄地・新羅木地
 白雉献上の儀式に
 豊璋が出席
 豊璋は日本の百済人質
 太安万侶の一族の
 多蒋敷・・・多蒋敷(おほのこもしき)
  ↓↑   「出自謚神武皇子神八井耳命」
       『古事記』中巻
       『日本書紀』巻第四綏靖天皇即位前紀に
       『和州五郡神社神名帳大略注解』所引の
       久安五年(1149年)の
       「多神社注進状」に
       「蒋敷は太安万侶の祖父」とされている
       『日本書紀』巻第二十七
       天智天皇即位前紀
       斉明天皇七年(661年)
       同母妹を
       百済王族の
       扶余豊璋の妻とした
  ↓↑   豊璋には織冠が授けられた
 の妹を
 豊璋に娶わせていた・・・
 倭兵5000と
 軍船170艘で
 百済へ30年ぶりに帰国
  ↓↑
 663年8月27、28日
 倭国水軍は唐-新羅軍と
 白村江(白江、白馬江)で衝突し
 大敗
 豊璋は数人の従者と共に高句麗に逃亡
 高句麗も
 668年
 に唐に滅ぼされ
 豊璋は高句麗王族らと
 唐都に連行
 高句麗王の
 宝蔵王らは許され唐の官爵を授けられ
 豊璋は嶺南地方に流刑
  ↓↑
 「日本書紀(推古三十五年・627年)」
 「夏五月、蝿有り、聚集れり
  その凝り累なること十丈ばかり
  虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ。
  鳴く音雷の如し。
  すなわち東のかた上野国に至て散りぬ」
 「蝿の群れ」=蜜蜂?
  ↓↑
 「日本書紀(皇極二年・643年)」
 「百済の太子余豊、
  蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う。
  しかれどもついに蕃息(うまわ)らず」
 養蜂の初め
  ↓↑
 奈良時代
 三韓からの蜂蜜献上
 天平十一年(739年)
 渤海国から
 「文王致聖武天皇書」に添え
 「大虫皮、羆皮各七張
  豹皮六張、人参三十斤
  蜜三斤」
 と記録
 天平宝字四年(760年)
 五大寺に使を遺わし
 毎寺雑薬二櫃と
 蜜缶1口とを施す
 と記録
  ↓↑
 平安時代
 「延喜式(905~927年)」
 「蜜、
  甲斐国一升
  相模国一升
  信濃国一升
  能登国一升五合
  越後国一升五合
  備中国一升
  備後国二升」
 別の箇所に
 「摂津国蜂房七両
  伊勢国蜂房一1斤十二両」
 を献上と記録
  ↓↑
 柞=木+乍
   ははそ=コナラの別名
   クヌギ(櫟・国木・歴木・樟・椚木)
   ↓↑  ↓ ↑  ↓  ↑  ↓
   句抜き(櫟=木+楽・國+木・木+章・木+門+木)
   ↓↑    ↓    ↑ ↓   ↑ 
         記紀  記紀 記紀 記紀 記紀
         楽学  古句  章  文 聞
   ↓↑       
   ミズナラ(水楢)などを含めて呼んだ・・・
   観事奈良(名等・あすか=飛鳥・明日香)
   ↓↑
   誤って
   カシワ(柏=記紀+新羅
       栢=記紀+百済
       槲=記紀+斛(コク=國・ゴク=語句)
         斛=角+斗
           ます・ますめ
           桝・舛・枡・升
           斗斛⇔北斗七星
              小熊座⇔大熊座=大隈座
                  大隈重信?
              柄杓(ヒシャク)
           容量の単位・十斗
           斗斛(トコク)・万斛(バンコク)
           訳古句・都國   萬古句・萬國
       神集=神代・記紀上記
          示し申す隹
             (舊とり・旧とり・古とり
              尾短の鳥
              毘胆・尾譚・備譚

              短尾の鳥
             「耽美・嘆美・歎美」
          舊とり=舊字體=舊漢字
          篩(ふるい・sieve)
       郡柏=君阜(岐阜)・紀伯・記紀新羅
       膳=肉(ジク・にく)+善
           字句・似句 羊(筆字)が晋
        =かしわで=柏手=膳部=高橋
       可士和)
   ↓↑      
   をいうこともある・・・
   (季 秋⇔記 安芸・阿記)
   語頭の
   2音が同音(はは・ハハ)で
   母の意にかけて用いる・・・双葉
  ↓↑
 「いかにせん
  結ぶ木の実を・・・・掬ぶ
            記紀の
            實
           (拾・日・昵・暱・字通)
  待たずして・・・・・眞多事史(詞・氏)照(弖・氐))
  秋の・・・・・・・・安芸・亜紀
  ははそ(柞)に・・・母祖・葉把素(蘇・會・措)
  落つる・・・・・・・乙津留
  山風」・・・・・・・纂(サン=簒・篹・籑・算)
            封(附得・符有)          
 ↓↑ 
 海道記=かいどうき・カイダウキ
 鎌倉時代の紀行・一巻・作者未詳・・・時代もんかどうか?
 貞応二年(1223)・・・・・・・帝王(綴負似撚)?
 京都と鎌倉間の
 東海道を往復した際の紀行・・・
 文体は漢文脈の濃い和漢混交文
 仏教思想の影響が強い
  ↓↑
 「膳夫」の長官を「膳臣」
 『日本書紀』・『高橋氏文』によると
 「大彦命の孫
  磐鹿六鴈(いわかむつかり)命が
  景行天皇53年10月の東国巡幸の際に
  供膳の功績で
  膳臣(かしわでのおみ)の姓と
  膳大伴部を賜った・・・」
 「武蔵国造や
  安房国造の名前に
  膳大伴部
  膳大伴直」
 「膳臣」の
  若狭国造も存在した
  これらの集団は
  海産物を掌握する
  安曇連配下の
  海部(あまべ)とともに
  大王(天皇)への食料供給を担当
  養老令制で
  膳部が品部として所属し
  宮内省
  大膳職が160人
  内膳職が40人
  東宮主膳監が60人とある
  このほか
  大神社にも
  膳夫が設置された
  ↓↑
  天武天皇十三年(684年)十一月1日条
  膳氏は「朝臣」の姓を与えられた
  膳朝臣はのちに氏名を
 「高橋」に改めた
  平安時代
  高橋氏
  と
  安曇氏
  が膳部を担当し
  内膳司長官の奉膳職を世襲した
  ↓↑
 貞応二年(1223)・・・1+2+2+3=8
 干支=癸未
 日本
 貞応二年
 皇紀1883年・・・1+8+8+3=20⇔2+0=弐・似・仁
 中国
 南宋  嘉定十六年
 金   元光二年
 大真国 天泰九年
 中国周辺
 西夏   光定13年、乾定元年旧12月~
 モンゴル 太祖(チンギス・ハーン)十八年
 大理国  天開十九年
 朝鮮
 高麗   高宗十年
 ↓↑
 誕生
 一条 実経 は、鎌倉時代の公卿
 従一位、摂政 関白、左大臣
 五摂家の一・一条家の祖
 号に円明寺殿、後一条入道関白
 法名に行雅、行雄、行祚
 通称は円明寺関白
 死没
 宣宗、金の第8代皇帝(~1163年)
 ↓↑
 1222年
 干支 壬午
 日本
 承久四年、貞応元年四月十三日~
 皇紀1882年・・・1+8+8+2=19・・・1+9=10
 中国
 南宋  嘉定十五年
 金   興定六年、元光元年8月9日~
 大真国:天泰八年
 中国周辺
 西夏  光定十二年
 モンゴル帝国
 太祖(チンギス・ハーン)十七年
 大理国 天開十八年
 朝鮮
 高麗  高宗九年
 ↓↑
 誕生
 3月30日(貞応元年二月十六日)
 日蓮
 鎌倉時代の僧
 日蓮宗開祖(~1282年)
 唯円、鎌倉時代の浄土真宗の僧(~1289年)
 ↓↑
 死亡
 6月29日(貞応元年五月十九日)
 河野通信
 平安時代、鎌倉時代の武将(1156年~)
 伊予水軍の将 時宗開祖
 一遍の祖父・・・「自修改組一変」?
ーーーーー
 ・・・???・・・

コメント
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