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コジキジゲン

寡言常序・・・古事記序文の加減乗除

2013-09-09 21:35:02 | 古事記字源
 ・・・加減乗除・・・イイ加減にしろ・・・乗って除く・・・嘉元(1303年八月五日~1306年十二月十四日・後二条天皇の年号)・下限(数量枠の最低限)・下弦(下弦の月)・寡言(多言の逆意)・・・こんな溝(どぶ)臭いモンは「嗅げん」・・・
ーー以下、ウイッキペデアより参考参照抜粋、少々改作・・・

 嘉元(かげん)

 乾元の後、徳治の前

 乾元二年八月五日改元

 天変(彗星・日照)の

 凶事、凶兆を避けるため改元

 1303年~1306年

(ユリウス暦

 1303年9月16日

   ~

 1307年1月18日)

 後二条天皇の期間の年号

 鎌倉幕府将軍は久明親王

 執権は北条師時



 嘉元の乱

 鎌倉時代

 嘉元三年(1305年)

 四月二十二日~五月二日の

 鎌倉幕府内の騒乱

 北条宗方の乱とも

 越訴頭人の

 北条宗方らが

 連署の・・・・・連署は執権に次ぐ役位

 北条時村を討つ

 宗方は

 執権の

 北条師時の館で殺される

ー↑

 霜月騒動(しもつきそうどう)

 鎌倉時代後期の

 弘安八年十一月十七日

 (1285年12月14日)

 鎌倉幕府の政変

 八代執権

 北条時宗の死後

ーー↓

 「橘守部」は

 蒙古襲来は朝廷潰しを意図する北条氏と蒙古が結託して行った自作自演であると仮定して時宗を弾劾・・・守部がかような荒唐無稽な珍説を提唱した背景には、守部の本居宣長に対する反感・・・?・・・

 橘守部(たちばな もりべ)

 天明元年四月八日(1781年5月1日)

   ~

 嘉永二年五月二十四日(1849年7月13日)

 江戸時代後期の国学者

 伊勢国朝明郡小向村(朝日町)の庄屋の家に生まれた

 通称は飯田元輔・源助

 号は池庵・椎本・生薬園

 父の飯田元親は

 国学者

 谷川士清の門人

 守部自身は独学で国学を研究

 本居宣長を痛烈に批判し、

 「古事記」よりも

 「日本書紀」を重んじた・・・・?・・・

 神話の伝説的な部分と

 史実の部分の区分の必要性を説く

 晩年は江戸に住んで

 肥前国・・・・西海道に属し、

        佐賀県と長崎(壱岐・対馬を除く)

        にあたる。肥州

        火国、後の肥国の分割で七世紀末に成立

        肥後国が「続日本紀」に初めて見える

        持統天皇十年(696年)までに、

        肥前国と肥後国との分割があった

       「肥前国風土記」は、全国で五つだけの、

        ほぼ完全な形で残る

       「風土記」の1つ

        室町時代末期にポルトガル、スペインの

        宣教師が相次いで来訪

        天正少年使節団を出す

         ↓

        豊臣政権時代の肥前の大名

        寺沢広高=上松浦郡八万三千石

             1600年(関ヶ原の戦い後、唐津藩)

        鍋島直茂(主君は龍造寺政家)

        松浦鎮信

        大村喜前

        有馬晴信

        五島純玄

        豊臣秀吉九州平定後にも本領安堵

        江戸時代の藩としても存続

        波多親は一旦は本領を安堵されたが、

        その後秀吉の不興を買い、

        1593年に所領没収

       「秦(はた)」氏

 平戸藩主・・・・長崎・平戸・出島

 松浦氏の知遇を得

 「死後安心論」にも関心・・・天国、極楽?

 守部独自の国学の説は、

 武蔵国北部から

 上野国にかけての

 機業家などに・・・機織(はたおり)

          養蚕(ヨウサン)・桑葉・扶桑

          絹(きぬ・布)

          綿(わた・棉)・腸(わた)

          秦の河勝・・・デキスギデス・・・

          ↓

          秦氏・姓は造・秦丹照、秦国勝の子

          冠位は「大花上」

          渡来人集団・祖先は秦の始皇帝・・・

          聖徳太子の側近として活躍した・・・

          ↓

          本名は厩戸(うまやど・うまやと)

          別名は豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)

          上宮王(かみつみやおう)

          上宮太子聖徳皇

          厩戸豊聰八耳皇子

         「古事記・和銅五年・712年」では

          上宮之厩戸豊聡耳命

         「日本書紀・養老四年・720年」では

          厩戸皇子

          豊耳聡聖徳

          豊聡耳法大王

          法主王

          東宮聖徳と記録

         「聖徳太子」の記録は

          天平勝宝三年(751年)の

         「懐風藻」が初出

           ↓

          秦氏は、

          平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わった

          聖徳太子より弥勒菩薩半跏思惟像を賜り

          広隆寺を建てそれを安置

          610年

          新羅の使節を迎える任

          644年

          駿河国富士川周辺で、

          大生部多(おおふべのおお)の

         「常世神」を崇める集団(宗教)を、

          河勝が追討

          赤穂の坂越で死没

          坂越浦に面して

          秦河勝を祭神とした大避神社が鎮座

          神域の

          生島には秦河勝の墓

          本拠地とした京都市右京区

          太秦(うずまさ)や、

          墓のある大阪府寝屋川市太秦にその名を残す

          かつて

          川勝寺とよばれる寺があり、

          近隣には

         「秦河勝終焉之地」の碑がある

          この地域は明治の初めまで

          川勝寺村(せんじょうじむら)と呼ばた

          秦氏の後裔は戦国大名の

          土佐国の長宗我部氏

          幕臣川勝氏も河勝の子孫を称す

          金春流

          「大和ノ長谷川党」・・・と

          金春禅竹が「明宿集」で記録

          長谷川党は大和の

          国衆

          十市氏を刀禰とする武士団で

          薩摩国の島津氏の系譜と密接な関係がある

          河勝は猿楽の祖でもあり、

          能楽の

          観阿弥

          世阿弥親子も河勝の子孫を称した

          東儀家は河勝の子孫である

          ・・・らしい・・・?

          厩・・・・ク·キュウ・キウ・うまや・まら

          厩=厂(がけ・カン・ガン)

            +

            既(すでに・キ・ケ)

          がけ、すでに、キ、ケ

               ↓   

          厩戸・・・木戸

          豊聰・・・豊臣

          八耳・・・八字・野次・埜字

          皇子・・・みこ・ミコ

               視拠・みどころ・見処・見所

ーーー↓橘守部は

 門人を広げた

 著書

 「神風問答・伊勢物語箋・待門雑記・山彦冊子・稜威道別

  稜威言別・神代直語・難古事記伝・湖月抄別記」

 などがある。

ーー↓北条時宗

 幕末

 尊王攘夷の中

 北条時宗に対する礼賛は高まる

 明治時代

 元寇受難者への追贈で

 時宗にも

 従一位が追贈

 湯地丈雄によって元寇記念碑が設立

 太平洋戦争の皇国史観で時宗に関する評価があがった

 戦後

 モンゴルの使節を殺害して対日交渉を決裂させ、

 徹底した抗戦の姿勢を

 国際情勢の無知とし、非難が起こった・・・?・・・この時代、戦わずして、どうする・・・

ーー↓嘉元の乱

 有力御家人

 安達泰盛と

 内管領

 平頼綱の対立

 平頼綱に

 安達泰盛とその一族・与党が滅ぼされた

 弘安合戦、

 安達泰盛の乱、

 秋田城介(あきたじょうのすけ)の乱とも

 源頼朝没後に繰り返された

 北条氏と有力御家人との間の最後の抗争

 この騒動の結果、

 幕府創設以来の有力御家人の政治勢力は壊滅

 平頼綱率いる

 得宗家被官(御内人)勢力の覇権が確立

 ・・・ようは、この事件はハッキリしない「曖昧な事件」であるが・・・明治初期の「事件」と重なる・・・「佐賀の乱」・・・



 嘉元百首(嘉元仙洞御百首)

 嘉元元年秋~冬(1303年秋~冬)

 鎌倉時代の宝治期以降、

 勅撰和歌集の撰定に際して、

 その資料とするために当代の人々から

 百首和歌を召すことが慣例

 詠進時の年号により

 宝治百首などと称される

 冷泉家

 「時雨」亭文庫には

 「嘉元百首」以下、

 その詠者による詠進当時の原本が伝存

 嘉元百首は

 「新後撰和歌集」の撰定に際して

 後宇多上皇が召した百首

 正安四年(1302)六月に

 百首詠進の命が下り、

 翌

 嘉元元年(1303)十二月の

 「新後撰集」奏覧までに詠進

 写本等により

 二七名の百首

 勅撰集の詞書等により

 三名の詠歌が知られ、

 実際の出詠者は

 三〇名余と考えられている

 冷泉家時雨亭文庫

 内大臣一条内実

 左中将二条為藤の二名の百首の原本

 「冬日詠百首應 製和謌」(内実)

 「冬日侍 太上皇仙洞同詠百首・應 製倭歌」(為藤)

 本文

 春二十首(十四題)

 夏十首(八題)

 秋二十首(十五題)

 冬十首(八題)

 恋二十首(九題)

 雑二十首(十六題)

 各一首を上句・下句の

 二行に分けて書いている

 内実の百首の中に一箇所後筆の押紙で

 「続千載」とあるほかは書き入れ等はなく、

 内実の巻末には

 墨付のない

 一紙まで当初のままに存している・・・?・・・漢白・巻白・刊白・・・関白・・・

 関白太政大臣の事件・・・豊臣秀吉・豊臣秀次(羽柴秀次)・・・豊臣秀吉の姉(とも・瑞竜院日秀・日秀)の子で、秀吉の養子。通称、「孫七郎」・・・永禄十一年(1568年)~文禄四年七月十五日(1595年8月20日)・・・?

ーー↓

 織田信長の北近江浅井攻めに際し、宮部継潤の養子

 信長四国攻で

 阿波国の三好康長に養子・・・三好信吉と名乗る

 天正十(1582年)六月

 信長の死後、秀吉の縁者として重用

 天正十一年(1583年)

 賤ヶ岳の戦いで武功

 天正十二年(1584年)

 小牧・長久手の戦いで徳川家康軍に惨敗

 天正十三年(1585年)

 紀伊雑賀攻めで千石堀城を落し

 近江国蒲生郡八幡山城(近江八幡市)43万石

 領内の統治で善政

 近江八幡には「水争い裁きの像」が残る

 天正十四年(1586年)

 十一月

 豊臣の本姓を秀吉から授与

 天正十八年(1590年)の小田原征伐で、

 山中城攻撃で城を半日で陥落させた

 改易された

 織田信雄の旧領である

 尾張国・伊勢国北部五郡、百万石の大領を与えられた

 天正十九年(1591年)奥州に出兵

 葛西大崎一揆及び九戸政実の乱を鎮圧

 天正十九年(1591年)八月

 秀吉の嫡男・鶴松が死去後

 十一月に秀吉の養子

 十二月に関白就任

 文禄二年(1593年)

 秀吉に実子・秀頼が生まれ

 文禄四年(1595年)

 七月八日

 秀吉に高野山に追放され、出家

 出家した元の関白=禅閤となり、

 豊禅閤〈ほうぜんこう〉

 七月十五日に切腹を命じられ

 青巌寺・柳の間で切腹

 享年二十八

 辞世の句

 「磯かげの・・・記掛解之

  松の・・・・・真通之

  あらしや・・・亜等詞埜

  友ちどり・・・渡摸知怒理

  いきて・・・・意記出

  なくねの・・・名句音之

  すみ・・・・・素視

  にしの・・・・似史之

  浦」・・・・・裏

 八月二日(9月5日)

 秀次の首は秀吉によって

 京都の三条河原に曝され

 三条河原において、

 秀次の家族及び女人らも処刑

 遺児(四男一女)

 側室・侍女(三十九名)

 十一番目に処刑されたのは・・・伊達政宗の従妹、駒姫(こまひめ、天正七年(1581年)~文禄四年八月二日(1595年9月5日)は、最上義光と大崎夫人の二女で、羽柴(豊臣)秀次の側室候補。別名、「伊万(いま)」・・・彼女の名は「御駒山」からとられている・・・

 辞世の句は、

 「罪をきる

 弥陀の剣に・・・ 弥陀(ミダ)の「ツルギ」で、

        「阿弥陀」ではない

 かかる・・・・・

 身の

 なにか

 五つの

 障り

 ある

 べき」

 ・・・ウエのカイシャク・・・「何の罪もない私なのですが、こうして斬られてあの世にいくのは、弥陀の慈悲の剣で引導をわたしていただく思いです。なぜって、こうしてこの身の業の深い五障の罪も、いっしょに消えていくのですから」・・「いっしょに消えていくのですから」デハ、ないだろう・・・

 約5時間の処刑

 遺体は一箇所に埋葬

 慶長十六年(1611年)

 角倉了以によって再建された

 秀次に関連した大名は監禁

 聚楽第も破却

 ・・・「この若者(秀次)は伯父(秀吉)とはまったく異なって、万人から愛される性格の持ち主であった。特に禁欲を保ち、野心家ではなかった」、「穏やかで思慮深い性質である(ルイス・フロイス・日本史)」・・・?

ーーーーー

 枕草子

 (一三二段)・・・百二十三・壱百弐拾参・壱弐参・壱百弐拾参

          1+2+3=6=六=陸

          1×2×3=6=六=陸

 關白殿の

 黒戸より出でさせ給ふとて、

 女房の廊に隙なくさぶらふを、

 「あな

  いみじの

  御許

  だちや

  翁をば

  いかに

  をこなりと

  笑ひ

  給ふらん」

 と分け出でさせ給へば、

 戸口に

 人々の、

 色々の袖口して

 御簾を引き上げたるに、

 權

 大

 納

 言

 殿、

 御沓

 取りて

 はかせ

 奉らせ給ふ。

 いと

 ものものしう

 きよげに、

 よそほしげに、

 下襲の

 裾ながく、

 所狹くさぶらひ給ふ。

 まづ

 あな

 め

 でた、

 大

 納

 言

 ばかりの人に

 沓をとらせ

 給ふよと

 見ゆ。

 山井の・・・「やまい・病・

        サンイ・三位・参位・

            賛意・産医・纂意

        サンセイ・賛成・参政・酸性

             三星・三世・三省」之

 大

 納

 言、

 その

 つぎづぎ

 さらぬ

 人々、

 くろきもの・・・黒着物・黒装束→喪服・葬儀服・燕尾服

 を

 ひきちらし

 たる

 やうに、

 藤壺の・・・・・「ふじつぼ・不治都簿

          トウコ・問う拠」之

 へいの

 もとより、

 登華殿の・・・・「トウカデン・問う家伝」之

 前まで

 居竝み

 たるに、

 いと

 ほそやかに

 いみじう

 なまめかしうて、

 御太刀

 など

 引き

 つくろひ

 やすら

 はせ給ふに、

 宮の

 大

 夫

 殿の、

 清涼殿の・・・・セイリョウデンの

        「声量・星陵・青陵・精良」伝之

 前に

 たたせ

 給へれば、

 それは

 居させ給ふ

 まじき

 な

 めり

 と

 見る程に、

 少し歩み出でさせ給へば、

 ふと居させ給ひしこそ、

 猶いかばかりの

 昔の

 御行の

 ほどならんと

 見奉りし

 こそ

 いみじ

 かり

 しか。

 中

 納

 言

 の

 君の・・・「くん・訓・汲む・きみ・紀視」之

 忌の・・・「いむ・異夢・医務・意務」之

 日とて、

 くすし

 がり

 行ひ・・・・おこない・・・お子無い

 給ひしを、

 「たべ、

  その

  珠數・・・たまかず・霊数→死霊

       シュスウ・シュズ・→数珠    

  しばし。

  行ひて

  めでたき身に

  ならんとか」

 とて

 集りて

 笑へど、

 なほ

 いとこ・・・従妹

 そ・・・・・措・曾・蘇

 めでたけれ。

 御前に

 聞しめして、

 「佛になりたらんこそ、

  これよりは

  勝らめ」

 とて

 打ち

 笑ませ給へるに、

 又

 めでたくなりて

 ぞ

 見まゐらする。

 大夫殿の居させ給へるを、

 かへすがえす聞ゆれば、

 「例の思ふ人」

 と笑はせ給ふ。

 ましてこの後の御ありさま、

 見奉らせ給はましかば、

 理と

 おぼしめ

 され

 な

 まし。

ーーーーー

 ・・・

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童夢・アキラ

2013-09-09 11:34:22 | 古事記字源
 ・・・「童夢」の子供たちは育っているのかな・・・「アキラ」も「カネの枠組みの復興」か・・・世の中、毎年自然災害があってもナンのソの ・・・被害甚大でも・・・懲りずに戦争・・・戦争と人災のない時期はない・・・「参・參」・・・如何なる時代も惨状参加に参上で御座る・・・「慘(みじめ・サン・ザン)」=「忄+参」は「心に参」なのに熟語は・・・「惨酷」・・・「惨・慘」=「サン・ザン・ソン・みじめ・むごい・いたましい」である・・・「惨禍・惨苦・惨憺(サンタン)・惨落・悲惨・惨劇・惨烈・陰惨・凄惨(セイサン)」・・・「三」・・・
 数学では「≡」=「合同」で、八卦、易の「≡」=「乾」で「いぬい・ 天・健・父・首・西北・戌亥」である・・・訓で読めば「乾(かわ)く」であり、漢字分解すれば「乾」=「十+早+乞」で、更に分解すれば「十+日+十+乞」である。更に「乞」は「ノ一」+「乙」である。

 「乾く」とは漢字から「乾季・乾期」であろう・・・時期は「雨量が少ない夏」で、年間の「作物状況」ならば「飢饉」である・・・

ーー

 丙寅1986年壬辰4月庚子26日丁丑1時23分

        傷官

 チェルノブイリ原子力発電所事故



 己亥11月己巳21日壬申午後4時15分頃

 劫財

 三原山で噴火・全島民一時島外避難

 ハレー彗星が76年ぶりに大接近

ーー

 丁卯1987年

 壬寅2月癸卯23日

 傷官

 超新星 SN 1987A が観測



 壬子12月庚子17日

 食傷

 千葉県東方沖地震(M6.7)

ーー

 戊辰1988年

 乙卯3月庚午16日

 正財

 イラン・イラク戦争ハラブジャ事件

 サッダーム・フセインが、クルド人住民を化学兵器で

 殺害した

 癸亥12月丙申7日

 偏官

 アルメニア地震・1万5000人以上死亡



 甲子12月乙巳16日

 印綬・偏印

 北海道十勝岳噴火

ーー

 己巳1989年

 丙寅2月庚子9日

 偏官

 手塚治虫が死去



 己巳6月乙未4日

 正財

 北京で天安門事件



 辛未7月甲戌13日

 正財・傷官

 伊東市沖で手石海丘海底噴火



 辛未7月丁丑16日

 沖食

 阿蘇山が噴火。



 甲戌10月庚戌17日

 偏印

 サンフランシスコ大地震(ロマ・プリータ地震)

 死者200人超



 乙亥11月甲戌10日

 沖偏財

 ベルリンの壁崩壊

ーー

 庚午1990年

 丁亥11月丙戌17日

 偏印・偏官

 雲仙普賢岳が噴火

ーー

 戊子12月庚戌11日

 沖食・傷

 千葉県茂原市でF3スケールの竜巻が発生

ーー

 辛未1991年

 癸巳6月甲辰3日

 偏官

 雲仙普賢岳で大火砕流発生・死者行方不明43人



 甲午6月戊申7日

 偏印

 フィリピンのピナトゥボ山が大噴火

ーー

 壬申1992年

ーー

 癸酉1993年

 1月15日

 北海道釧路沖地震



 2月7日

 能登半島沖地震



 7月12日

 北海道南西沖地震、奥尻島で死者176人

 記録的な冷夏の影響で戦後最大の米不作



 12月14日

 米騒動

 日本政府は各国からの米輸入決定

ーー

 甲戌1994年

 1月17日

 ノースリッジ地震

 死者57名、負傷者約5,400人



 7月16日~22日

 シューメーカー・レヴィ

 第9彗星分裂核が木星に衝突



 10月4日

 北海道東方沖地震



 12月28日

 三陸はるか沖地震発生

ーー

 乙亥1995年

 甲戌年

 丁丑1月戊申17日乙卯午前5時46分

 傷官・劫財

 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)

 6434人死亡



 9月5日

 フランス、南太平洋で核実験



 10月11日

 九重山(大分県)噴火

ーー

 丙子1996年

 3月下旬

 百武彗星が地球接近

 8月11日

 秋田県内陸南部・宮城県北部で地震

 11月21日

 雌阿寒岳(北海道)噴火

ーー

 丁丑1997年

 3月下旬~4月上旬

 ヘール・ボップ彗星が観測

 4月1日

 消費税増税実施(3%~5%に)

 8月16日

 秋田焼山(秋田県)噴火

ーー

 戊寅1998年

ーー

 己卯1999年

 1月25日

 コロンビア大地震・死者1000超

 4月1日

 米(コメ)を関税化(市場開放)

 8月17日

 トルコ北西部大地震(イズミット地震)

 1万7000人超死亡

 9月21日

 台湾大地震2000人超死亡

ーー

 庚辰2000年

 3月31日

 有珠山噴火

 7月8日

 三宅島雄山噴火

 7月30日

 三宅島近海で火山噴火の地震

 9月4日

 駒ヶ岳(北海道)噴火

 10月6日

 鳥取県西部地震

 12月

 太陽活動の黒点極大期

ーー

 辛巳2001年

 1月13日

 エルサルバドル大地震

 1月26日

 インド西部地震・約2万人死亡

 3月24日

 芸予地震

 9月11日

 アメリカ同時多発テロ事件

ーー

 壬午2002年

 8月11日

 伊豆鳥島が噴火

 8月29日

 東京電力が原発の損傷隠蔽

 11月3日

 宮城県沖地震

 11月4日

 日向灘地震

ーー

 癸未2003年

 3月19日

 アメリカ・イギリスによるイラクイラク戦争開戦

 5月26日

 宮城県沖で地震

 7月26日

 宮城県北部地震

 8月27日

 火星大接近

 8月29日

 フランス全土の猛暑で死者11000人超

 9月26日

 北海道釧路沖地震(十勝沖地震)

 死者1人、重軽傷者200人以上

ーーー↓ 

 「震=辛卯(2011)」・・・偏官辛卯 東北地震津波

                偏官辛卯3月劫財・比肩

                  乙丑11日

                   沖偏財

                偏印癸未13時

    ↓           ↓

                辛卯1771年4月24日

                明和八年三月十日

                明和の大津波

                沖縄・琉球

                八重山地震発生

                津波により

                12,000人の死者・行方不明

                 ↓

            石垣島の白保村の大地震伝説

            白保の漁師達が漁で人魚を捕獲し

            人魚を放すお礼に人魚から

            大津波が来ることを教えられた。

            信じる人々は於茂登岳に避難し、

            信じない人々は村に残る

            津波は起こり、村は津波に飲み込まれた

            生き残った人々で白保村を再興した・・・

            下地島の通り池にも大地震伝説が残る

ーー以下のウイッキペデアから参照、参考・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29

 地震の年表 (日本) - Wikipedia

地震の年表 (日本) - Wikipedia

ーー

 「巽=壬辰(2012)

   ・癸巳(2013)」・・・・・・・・1773年癸巳

 「離=甲午(2014)」

ーー

 ・・・天明の大飢饉

 「艮=壬寅=1782年(天明二年)」

 「震=癸卯=1783年(天明三年)・・・1773年癸巳

  巽=甲辰=84・乙巳=85

  離=丙午=1786年(天明六年)

  坤=丁未=1787年(天明七年)」

  を経て

 「戊申年・1788年(天明八年)」・・・

 「清国の高宗」は「乾隆帝・五十三年」

ーー↓

 「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」の八。

     南

   巽 離 坤

 東 震 ? 兌 西

   艮 坎 乾

     北

 八卦の順序には

 伏羲八卦次序

 「太極→両儀→四象→八卦」の宇宙、森羅万象成過程

 「乾→兌→離→震→巽→坎→艮→坤」

 と

 文王八卦次序

 陰(母)陽(父)二気を交合して

 長男長女・中男中女・少男少女を生む

 「乾→坤→震→巽→坎→離→艮→兌」

 がある。

ーー↓・・・「辛」、「癸」か?、「卯」か?・・・

 庚申1800年

 辛酉1801年

 壬戌1802年

 癸亥1803年

 甲子1804年

 乙丑1805年

 丙寅1806年

 丁卯1807年

   1807年+12

        ・・・己卯1819

ーー         庚寅1830年七月二日

                  京都大地震

                  死者約280人

                  負傷者約1300人を記録

                  天保元年十二月十日改元

           辛卯1831・11月14日

                  天保二年十月十一日

                  旧十月肥前大地震

           癸卯1843

           乙卯1855

           丁卯1867

           己卯1879

           辛卯1891・明治二十四年

             10月28日濃尾地震発生

                  (死者7,273名)

           癸卯1903・明治三十三年

           乙卯1915・大正四年

             甲寅年

             1月13日イタリア王国

             アヴェッツァーノ大地震(死者約三万人)

           癸亥1923・大正十二年

             9月1日11時58分32秒

             関東大震災

             死者・行方不明者十万五千余

             家屋の全壊十万九千、焼失21万2千

ーー           ↓

 年干支・・・癸 亥(戊・甲・壬)

 年天干変通 偏官・・↓地支蔵干変通    12運

 年蔵干・・・・・亥(傷官・印綬・正官)・・胎

         ↓

 年月支関係・・・害

         ↑

 月干支・・・庚 申(己・壬・庚)

 月天干変通 偏財・・↓地支蔵干変通    12運

 月蔵干・・・・・申(食神・正官・正財)・・沐浴

         ・

 日干支・・・丁 丑(癸・辛・己)申酉←空亡

 日天干変通 比肩・・↓地支蔵干変通    12運

 日蔵干・・・・・丑(偏官・偏財・食神)・・墓

         ↓

 日時支関係・・・害

         ↑

 時干支・・・丙 午(丙・ ・丁)

 時天干変通 劫財・・↓地支蔵干変通    12運

 時蔵干・・・・・午(劫財・  ・比肩)・・建録

ーー

           乙丑1925年大正十二年

             5月23日

             北但馬地震

             兵庫県但馬地方北部で発生

             「北但大震災」とも呼ぶ

           丁卯1927・昭和二年

             3月7日

             北丹後地震

             北近畿を中心に中国・四国地方まで被害

             丹後半島のつけ根

             家屋倒壊率は70%~90%

             地震発生時刻が夕食時と重なり、

             合わせて8,287戸が焼失

             豊岡市城崎町は火災で2,300戸以上が焼失

             死者2,925人(京都府内・2,898人)

             負傷者7,806人、全壊1万2,584棟

             半壊9,443戸、焼失8,287戸、

             全焼6,459戸、半焼96戸

           己卯1939・昭和十四年

             1月24日チリで大地震(死者約8万名)

             5月1日男鹿半島地震

                (死者27名、全壊604戸)

             7月8日・国民徴用令公布

             8月30日阿部内閣成立

             11月6日米穀強制買上げ制公布実施

             12月26日トルコで大地震

ーー                (死者3万3千名)

 戊辰1808年

 己巳1809年

 庚午1810年

 辛未1811年

ーー

           庚辰1940・昭和十五年

             8月2日積丹半島沖地震(神威岬沖地震)

           辛巳1941・昭和十六年

             7月15日長野地震

             11月19日日向灘地震

           癸未1943・昭和十八年

             6月13日青森県東方沖で地震

             9月10日鳥取地震

                  死者1,083人

             10月13日長野県北部地震

           甲申1944・昭和十九年

             12月7日東南海地震

                  死者行方不明者1,223人

           乙酉1945・昭和二十年

             甲申年

             1月13日三河地震

                  死者行方不明者2,306人

             2月10日青森県東方沖地震

           丙戌1946・昭和二十一年南海地震

           己子1948・昭和二十三年福井地震

           丁酉1993・平成五年

             7月12日午後10時17分12秒

             奥尻島地震死者202人、行方不明者28人

           乙亥1995・平成七年

             甲戌年

             1月17日

             阪神・淡路大震災

           甲申2004・平成十六年

             9月5日紀伊半島南東沖地震

             10月23日17時56分

             新潟県中越地震死者68人

           戊子2008年・平成二十年

             5月12日

             中国・四川省大地震

             死者は6万人

ーーーーー

 枕草子

 (一三一段)・・・百三十一・壱佰参拾壱・壱参壱・陌参足壱

          1+3+1=5=五=伍

          1×3×1=3=三=参=參

 はしたなきもの

 他人を呼ぶに、我もとてさし出でたるもの。

 まして物とらするをりはいとど。

 おのづから人のうへなどうち言ひ謗りなどもしたるを、

 幼き人の聞き取りて、

 その人のあるまへにいひ出でたる。

 あはれなる事など人のいひてうち泣くに、

 實にいとあはれとは聞きながら、

 涙のふつと出でこぬ、いとはしたなし。

 泣顏つくり、けしきことになせど、いとかひなし。

 めでたき事を聞くには、

 又すずろに唯いできにこそ出でくれ。

 八幡の行幸のかへらせ給ふに、

 女院御棧敷のあなたに御輿を留めて、

 御消息申させ給ひしなど、

 いみじくめでたく、

 さばかりの御有樣にて、

 かしこまり申させ給ふが、

 世に知らずいみじきに、

 誠にこぼるれば、

 化粧したる顏も皆あらはれて、

 いかに見苦しかるらん。

 宣旨の御使にて、

 齋信の宰相中將の御棧敷に參り給ひしこそ、

 いとをかしう見えしか。

 ただ隨身四人、

 いみじうさうぞきたる、

 馬ぞひのほそうしたてたるばかりして、

 二條の大路、

 廣うきよらにめでたきに、

 馬をうちはやして急ぎ參りて、

 少し遠くよりおりて、

 そばの御簾の前に侍ひ給ひし、

 院の別當ぞ申し給ひし。

 御返し承りて、

 又はしらせ歸り參り給ひて、

 御輿のもとにて奏し給ひし程、

 いふも愚なりや。

 さてうち渡らせ給ふを見奉らせ給ふらん女院の御心、

 思ひやりまゐらするは、

 飛び立ちぬべくこそ覺えしか。

 それには長泣をして笑はるるぞかし。

 よろしききはの人だに、

 なほこの世にはめでたきものを、

 かうだに思ひまゐらするもかしこしや。

ーーーーー

 ・・・

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ナマ、ナマしい現実と、白々しい現実、そして、艶めかしい妄想

2013-09-06 14:19:14 | 古事記字源
 生々しい「悲惨なシリア」の現実・・・
 なまめかしい・・・艶めかしい・・・生めかしい・・・
 いやぁ~「文学者・文学研究者」の「学問」って、「なまめかしい」・・・世界の「政治屋」も「生々しい悲惨な現実」は埒外のようだ・・・
 兎に角、「コトバの意味」が解らなければ「ハジマラナイ」からなぁ~・・・
 「形容詞・副詞」の「解釈」は常に「個々人の主観的なモノ」である。
 ヒトは初めて出会う「現実」、「見知らぬコトバ」をドウ理解するのか?・・・「想定外」、「予期しぬ現実」、「予想だにしなかった」・・・「先をヨマナかッタ」・・・「危機感」が無かったのだ・・・コトバとして「危険デス」よりも「安全デス・安心デス」が優先された・・・「比較するモノ」がなかった・・・
 「比較」と言うよりも、既存の知識のコトバでアレやコレや、ソレやで、類似するモノの意味のコトバを掲げて「何々のようなモノ」ではないのか、と、「比喩」、「譬え・喩え・仮令・例え」で思考を始めるより他に方法がないであろう・・・そして「妄想」である・・・
 「抽象概念」は「具象概念の一般理解の共通化」なくしては有り得ないだろう・・・特に「名詞の形容詞」、「動詞の副詞」の「修飾語」は「比喩」である。
 「肉体の痛み」は「本人」のみに属する「感じる感覚」であり、「いたみ」、これは自分自身が肉体的に経験しなければ「未だ知りえないモノ」である・・・その知り得たモノを漢字では「実感・現実感」と言う「コトバ」で、「実感」として「共通理解出きるまで」は「お預け」である・・・
 「他人のイタサ」を観て「感じる」のは「恐怖」であるが、「イタミ」ではない・・・そして「恐怖だけ」とは限らない・・・他人の「イタミ」を観て「感じる内容」は、その人の立場によって「喜怒哀楽」にもなる・・・「他人の不幸を笑う人間」はワンサカいる・・・日本的には「樺美智子の死」を「怒りの共通観念」としたヒトビトの「時代」もあった・・・当時、「ナガシマさん」は逆の危機感で「怒っていた」・・・
 東北津波大地震、原発事故、そして、豪雨、突風、竜巻・・・TVインタヴューでは必ず「初めての経験です」、「まさか、ワタシのトコロがこんなメに遭うなんて」・・・「恐怖の生々しい共通体験」をしても・・・
 「共通体験」からハズレル人も・・・そして、オリンピック誘致で浮かれるヒトも「絶対アンゼンです」の「刳(繰)り返し」・・・
 本人の「ムチ」とは「ダレか」に執っては「ユウキ」と讃えられるモノでもある・・・
 「なまめかしい」・・・イズレも対象を認識する主体の感じる「感情・情感・情緒」の「コトバ」である・・・

ーー↓なまなま

 「艶めかしい」

  なまめかし・なまめく

  姿やしぐさが色っぽい

  あだっぽい

  清新でみずみずしい

  若々しい

  優雅である・優美である

 「なまめかしく、シナをつくってアルく、

  マリリン・モンロー」・・・?

 「なまめかしくない」

ーー↓ブログ記事からの抜粋

 「なまめかし」

 心身一如の風格美

 肉体的感覚美

 理想美

 精神美

ーー

 なよやかさ

 風格美

ーー

 沈潜の美

 たそがれの美

 「うるはし」という

 端正美

 「らうたし」という

 可憐美に対して

 「なまめかし」は滑柔性に富んだ

 「おのづからなる媚態の印象」

 「性的美、官能美」

 色めかしい、あだっぽい

ーー

 性的な官能美

 上品な・女性的な・親愛感にみちた・

 自然な・地味なそして若々しい人間美・・・?

 「柳の枝のしなやかにみずみずしいさま」

 「みずみずしい、しなやかさ」が

 感受し得るような人物の姿態・行動

ーー

 華奢なほっそりとした姿態

 しっとりとした簡素な美

 いみずくしくしっとりとした美・・・?

 「なま」+「めかし」

 「なま何々」という言葉は

 「いずれもそれが本格的でないことを示す

  中途半端に何々だという意味」

ーー↓

 賀茂真淵

 「源氏物語新釈」

 「物まだ熟せぬをナマといふ。

  讐へば、草の成り定まりては、

  こはしき・・・コワシキ?→「壊・請・乞・毀・恋」詞記

        こ+「はしき」

           ↓

          いとおしい・なつかしい・いたわしい

         「はしきよし・はしけやし」とも

  を、

  わか草は

  うるはしうて

  少女などにたとふるが如し」

 「なまめくをなよやかなさま、しめやかなさまと

  解すれば、

  なまの原義をそのままに傳えることになる」

ーーー↓

 ・・・「少女・乙女」の「艶めかしい仕草」ってあるが

 「無自覚」な「媚る仕草?」かも・・・

 ・・・映画「レオン」の少女、「禁じられた遊び」の少女

 ・・・漫画「鉄腕アトムの電光人間」・・・

 ・・・あげ出したら切が無い・・・

 ・・・端で観ていてアブなかッしい「女性」・・・

 ・・・男としては何とかしてやりたい「気持ち」を

 「ソソ(唆・誘・惑)る」・・・

ーーー

 「色っぽい」は「艶っぽい」とも当て字するけれど・・・

 「優雅」+「優美」+「なよやかさ」

 「明るくて、若々しくみずみずしい美しさ」

 「なまのみずみずしさ」が

  可憐美をまして、

  きやしやなかわいらしい美しさ

  美的要素が表面化すると、

  花やかなけばけばしい、・・・年増?

  匂うような美しさ・・・・・・出産後の授乳時期の女性?

  美的要素が内面化し・・・?

  品位をもつてくると、・・・?

  奥ゆかしい優美さ

  沈潜すると、・・・・・・?

  優雅・閑雅・幽雅・高尚な・・・?

  しめやかな美・・・?

ーー

 「ナマは、未熟・不十分の意味に多く使われている」

 「ナマメクのナマは、

  枯木に対する

  生木で、

  生木のしなやかなみずみずしい姿」

 「ナマは、芽ぐんでいて、

  もう少しで成熟に達するという状態」

  みずみずしさをさすのが主

ーー

 「未熟めいている」

 「未熟らしい」

 「色ならば鈍い色」

 「しめやかで、

  何でもないようでいて、・・・?

  しかも

  人をひきつける見事さのあるもの」

ーー

 「めかし」の意義

 「そのもの本来の様子そのままに見える」

 「別のものが何となく本もののように見える」

 二つの意味

 「なまめかし」では後者の意味合いで

 「めかし」が用いられている

 「なまめかし」

 ・・・「めかす」は「装う」だろう。

 そして「女かす」、

    「目化す・目可視」は

     歌舞伎男優の「女形の化粧と眼力」である・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一三〇段)・・・百三十段・壱佰参拾段・壱参拾段・壱陌参足段

          1+3+0=4=四=肆

          1×3×0=0=零

 修法は、・・・

 佛・・・・・仏蘭西・腐乱す

 眼・・・・・め・ガン

       願(原頁)・言・翫(習元)

       贋(真贋・心眼)・頑(元頁)

       含(今口)・岩(山石)=磐(般石)

       巖(巌)・癌(疒品山)

 眞・・・

 言・・・

 など・・・・等・名度・納土・納賭

 讀み・・・

 たて・・・・他出

 まつり・・・真通理

 たる、・・・他留

 なまめ・・・ナマメ

 かしう・・・可視胡・掛詞得・家集・歌集

 たふ・・・・問う・違う・異なる・答

 とし。・・・歳・年・都市・徒死・賭詞・鳥栖

ーーーーー

 ・・・なまめかしう、たふうとし・・・

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フクシュウ

2013-09-05 19:48:30 | 古事記字源
 ・・・フクシュウ=「復習(おさらい・御浚い・温習・稽古・review・revision・ rehearsal・revise one's lesson)」、フクシュウ=「福州は中国の福州市・福建省の省都・榕城=ヨウジョウ・明清代には琉球館が設置、琉球王国との交易指定港」で、「古くから閩人の領域。戦国時代中期に越が楚に滅ぼされ、越人が多く閩地に流入し、閩越と呼ばれるようになった」・・・「紀元前220年、閩越を征服した秦始皇帝はこの地に閩中郡を設置」・・・秦末、群雄が割拠すると、「閩越王・無諸」が反乱し、後に「劉邦(沛公・ハイコウ・前漢の王)」に属し、「無諸」は漢によって「閩越王」に封じられ、「東冶(福州の古名)」の都となった・・・「魏志倭人伝」の「倭国」は「会稽東冶」の「東に在り」である・・・
 「晋代には建安郡の郡城となり、唐代の725年福州都督府が設置されて、福州の名が定着」・・・「唐末」には「王審知」が「閩国(909年~945年)」を建国。福州を都」にした「五代十国」の一つ・・・「閩(ビン)=門+虫(中ム)」は 門構えの中に「虫」である・・・907年に「朱全忠」が唐から禅譲を受けて「後梁」を立て、「後梁」に入朝して「閩王」に封ぜられた。「王審知」が海外貿易で繁栄させ、「王延鈞」の代に「大閩国」と号し、福州を「長楽府」と改称。925年に「王審知」が死んだ後は内紛・・・が続いた。

 「宋代」に「福州」に復し、「刺史」を設置。

 「元代(1271~1368年)」に「福建行中書省」が設置され、最初は「泉州」、まもなく「福州」に長官が駐在。

 「明代(1368年~1644年)」には福州に「市舶司」が置かれ、「朝貢国」である「琉球王国の指定入港地」となり、「琉球館」を設置された。

 「明末」には南明の都が置かれた

 「明清時代」には福州は「福州府治」として福建の中心となった。

 「アヘン戦争」後の南京条約で福州は対外開港し、茶の輸出などで発展。

 「倉山」には多くの「外国領事館」が設置された。

 「福建」には、「左宗棠」によって「福州船政局・船政学堂」が置かれ、「北洋艦隊・福建艦隊」に人材や艦船を多数送り込んだ。

 「清仏戦争」でフランス海軍の攻撃を受け、後、再建され「馬尾造船」が「近代中国の造船業の発祥地」となった・・・中国海軍ですか・・・

 「福州(フクシュウ)」の「エデンの東」ですか・・・「復讐(フクシュウ)」は、「revenge=リベンジ・retaliate・vengeance・avenge=アベンジ)」・・・シツコイ奴等だな・・・「汎中華民族官僚保身主義者」・・・

 福州の東・・・「エデン・楽園・嘉州」の東が・・・日本なら「喜州」で「紀州・福山・福島・福岡・福井)」・・・だろう・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一二九段)・・・百二十九段・壱佰弐拾九段

          壱弐九段・陌念玖段

          1+2+9=12=十二=壱拾弐

          1×2×9=18=十八=壱拾八=足捌

 むとく・・・無徳

        ↓

       ム徒口・口説・無毒

       無読(讀)・無得・無特 

       武説

       武解く・夢解く

       務解く

        ↓

       徳のないこと・品位のないこと

       地位や財産がないこと・貧しいこと

       見ばえのしないさま

       無安打無得点

       ノーヒットノーラン

       virtueless

       poor

       むとくなり

       無得点

       scoreless

       runless

       shut out the opposing team

       whitewash one's opponents

ーー↓       

 なる・・・名留

 もの・・・

 潮干の・・・しおひの・詞追い之・史負い之

      「潮干のつと」=潮干狩りの土産

       喜多川歌麿の画

 潟・・・・・かた・形・方・片・型・肩

       加太

       掛他・化他・方・過多

 なる・・・・名留・納留・拿留

 大・・・・・「だい・たい・ダイ・ダイ」の音のスベテの文字

 なる・・・

 船。・・・・ふね・セン

       附音・撰・選・潜

 髮・・・・・かみ・ハツ

       加味・捌・揆

 みじか・・・みじか・視事化・視字化・観時掛

       身近

 き・・・・・記・紀・基

 人の、・・・ひとの・比渡之

 かづら・・・かづら

       河図(圖)等

       下図等・数等・和等

       化面・掛面

       鬘・葛・蔓・桂

 とり・・・

 おろして・・・おろして・於賂詞出

         ↓

        颪詞出・・・「颪(おろし)」=下+風

             やまたのおろち

             八岐  大蛇(日本書記)

             素戔嗚 尊・奇稲田姫(日本書記)

               脚摩乳・手摩乳(日本書紀)

             八俣  遠呂智(古事記)

             八俣  遠呂知(古事記)

             須佐之男命・櫛名田比売(古事記)

              足名椎命・手名椎命(古事記)

       「俣(また)」は国字である・・・

       「摩(する・こする・さする・マ・バ)」は

       「な・ナ」とは読まない

        摩訶不思議(まかふしぎ)である、ナッ

       「奇稲田(キドウデン・キトウデン)姫(キ)」と

       「櫛名田(シツメイデン・シチメイデン)比売(ヒバイ)」

       「くしなだひめ」・・・駆使名拿秘め・句詞納拿比目

        これらの漢字表記の相違は・・・?イト的・・・である

         ↓

        オロチョン族(鄂倫春・鄂伦春)族

        アルタイ諸語のツングース系種族で

        アルタイル(Altair)は、

        鷲(わし)座α星・

        わし星座図の恒星で全天21の一等星

        七夕の彦星(牽牛星)である・・・

        オロチョンは

        北東アジア興安嶺山脈周辺の

        中国領内の内モンゴル自治区

        その国境近辺ロシア領内に居住する人々の名称

        おろして

         ↓

        下して・降ろして・卸して

ーー↓ーーーーーー↓

        ロシア

        露西亜

        江戸時代に「オロシャ・をろしや」

        中国語の

       「俄羅斯」・・・「俄(にわかに・ガ)」=イ+我

        日本の江戸時代から戦前

       「魯西亜」

        1855年に江戸幕府とロシア帝国との間で結ばれた

        条約は

       「日本国-魯西亜国通好条約」

       問題は「俄かアメ(亜米利加)」であった・・・

ーー↓

 髮・・・・・かみ

 け・・・・・化・懸・仮

 づる・・・・事留

 ほど。・・・補度

 大・・・・・だい・ダイ・タイ

       おほ・多・太

 なる・・・・名留

 木の・・・・「記・紀」之

 風に・・・・かぜに

       化是爾

 吹き・・・・ふき

       付記・不帰

 たふ・・・・たふ

       多雨

       とう

       問う・当・等・唐・藤・頭・答

 されて、・・・作例出

 根を・・・・ねを

      「音・禰・値・子・祢・寝」緒

 ささげて・・・

 よこたはれ・・・与拠他話例

 ふせる。・・・・ふせる

        「布施・伏せ・臥せ・附せ」留

         布施留・布制留

          ↓

        「あべ=阿倍←阿毎」

        「布施臣」・「引田臣」

         朝臣の姓

        「アベル」

ーー↓ーーーーーーー↓

     カイン・・・・・・化音

     と

     アベル・・・・・・阿倍留

     旧約聖書

     創世記・第4章

     アダムとイヴの息子

     兄がカイン(農耕者)

     弟がアベル(放牧者)

     末弟がセト・・・・瀬戸

    (アダム

     130歳時の子

     セトの子孫が

     アダムから

     10代目、

     セトからは

     9代目の

     ノア・・・・・・・埜(廼・乃)亜

     は

     箱舟の造船業?)

ーーーーーー↓

     セトは

     エジプト神話では

     オシリスの弟で

    (暴風と雷鳴の神

     河馬=カバ・鰐=ワニ

     山犬=胡狼=狼豺=ジャッカル等の

     獣頭神)であり、

     オシリスの

     ↓ オシリスの別名

       ↓

      Asar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、

      Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、

      Usir(ウシル)、Usire、Ausareとも呼ばれる

      イシス、ネフテュス、セトの

      四兄弟姉の長兄で

      イシスの夫

     ↓

     肉体をバラバラに切断し

     13の部分にして

     ナイル河に捨てた

     後にイシスが切断されたオシリスの肉体の

     12部分を拾い集めたが1つは不明

     ・・・この一つは「ペニス=男茎→男系・断系」だろう? 

ーーーーーー↓旧約のセト

     カインは収穫物(穀物)を、

     アベルは肥えた羊の初子を捧げた

     神ヤハウェは

     アベルの供物(肉)を褒め

     カインの供物(穀物)を無視

     ・・・神様は「肉食系」だった・・・?・・・

    「ジク(字句・自句・忸・怩句)殖」が好(ス)きで

    「コク(語句・呼句・胡句・誇句)殖」が嫌(厭)いだった

     ・・・だろう・・・?

     嫉妬したカインはアベルを殺害

     神は

     カインを

     エデンの・・・・重出(弟)務

     東の・・・・・・イィスト(east)・井伊州(主)徒

     ノドの地に・・・咽喉・能登・能都

     追放し

     復讐を恐れたカインに対し、

     彼を殺す者には

     七倍の復讐があるとした

     カインは息子

     エノクを・・・・重之句・得埜句

     儲け、

     ノドの街にもエノクの名をつけた

     カインの子孫である

     トバルカインは・・・鳥羽留掛音

               賭場留掛陰→丁(チョウ)

               丁(チョウ)は偶数(even)=陰数

               半(ハン)は奇数(odds)=陽数

    「青銅、鉄で道具を作る鍛冶屋(鉄火場)」とされた

     異母兄弟である

     ヤバルは遊牧民・・・埜葉留・夜葉留・矢張

               椰張→「香具師・野師」張

     ユバルは・・・愉葉留・弓場留・湯場留

     演奏家の祖・・音楽家の素→曲(よこしま・キョク)

     父の

     レメクは戦士・・・・例目句

     カインのための

     復讐が

     七倍ならば、・・・・漆(うるし・シツ・シチ)

     レメクのための

     復讐は

     七十七倍と言った

     ・・・7×7=49・・・死後の四十七日目・中陰の終わる日

                 なななぬか・七七(しちしち)日

                 死者が生と死の狭間に彷徨う期間

                 冥道の裁判官によって、七日目毎に

                 七回裁判を受け極楽行か、地獄行が

                 決定される最終判決日

ーー↓

 相撲の・・・・・すまい・すまう

         角力・住い・棲もう・清もう・澄もう

         素真意・諏真意・主舞・州舞・州埋

         主毎

 まけている・・・真懸手意留

 うしろ手。・・・うしろて・牛賂手

         両手を背に回すこと

         後ろの方・背面・背後

         背後に回り込まれ勝ち目の無い状態

         手が使えない達磨状態

         まわしを取れない手?

 えせものの・・・

 從者・・・・・・ジュウシャ・重写

         拾葉・拾頗

         したがうハ

 かんがふる。・・かんがふる

         考振る・奸が売る・漢臥振る

         漢河降る=天の川の星

 翁の・・・・・・おきなの・沖名野→沖縄

 髻・・・・・・・もとどり・たぶさ・ケイ・ケ・・・

         髪の結い方

         貴族の髪型

         髪を一つにまとめ、

         元結で根元を二度巻いた後に

         千鳥掛けにする

 はなち・・・・・葉名知・葉納地・花字・鼻血

 たる。・・・・・他留

 人の・・・

 妻・・・

 などの、・・・

 すずろ・・・

 なる・・・

 物怨じ・・・

 して・・・

 隱れ・・・

 たるを、・・・

 かならず・・・

 尋ね・・・

 さわがん・・・

 ものを・・・

 と・・・

 思ひ・・・

 たるに、・・・

 さしも・・・

 思ひ・・・

 たらず、・・・

 ねたげ・・・

 に・・・

 もて・・・

 なし・・・

 たる・・・

 に、・・・

 さても・・・

 え・・・

 旅だち・・・

 居・・・

 たらねば・・・、

 心と・・・

 出で・・・

 き・・・

 たる。・・・

 狛犬・・・・こまいぬ

       ハクケン・発見・八件・八懸・八県

 しく・・・

 舞ふ・・・

 ものの、・・・

 おもしろ・・・

 がり・・・

 はやり・・・

 出でて・・・

 踊る・・・

 足音。・・・

ーーーーー

 ・・・

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20=二十=弐拾=二足=仁拾=廿=念・・・二重・爾重・邇重→邇々芸

2013-09-05 02:02:55 | 古事記字源
 ・・・アメのイチニチ・・・収穫はミニトマトが2ヶ・・・夕方は少し晴れ間・・・外の庭で用足ししたモモが濡れた身体を拭いてくれと机のコンピュータに向かっているボクの右手を下から無言でチョンチョンと右手(?右足)で合図して来る。ブブは鳴きながら近寄ってくるのだが・・・
 「ハズ・カ・シキ・モノ」・・・ハズ=「筈=竹+舌」、「弭=弓+耳」・・・「弓の両端。弓弭(ゆはず)・ 矢の端の、弓の弦につがえる切り込みのある部分・矢筈(やはず)・相撲で、親指と他の指を広げ、矢筈の形にした手・これで相手のわきを押しつけて攻める」。

 「はず」・・・「弓の両端の弦をかけるところ・弓筈(ゆはず)・弓弦(ゆづる)からハズれないように矢の末端につけるもの・矢筈(やはず)・相撲で、押し相撲の手の型の一・ 親指を人差し指から離して広げ、相手の脇(腋)の下か腹にあてること」。

 「はず」の同音語・・・

 羽豆(岬・知多半島地名)

 巴豆(とうだい草・クロトン・Croton・毒薬草)

 幡豆(町名・愛知県西尾市)

 爆ず(はぜる・草木の実などが熟しきって裂ける

    割れて飛び散る・はじける)

 恥づ(はずかしい・はじる)

 怩(はじる・はじいる・いじける・ジ

   忸怩=ジクジ)」・・・

 「はず」は「何々であるはず(あったハズ)」、「何々をしたはず(してくれたハズ)」、「何々をやるに違いないはず(あるに違いないハズ)」、「何々をやるハズが無い」の「是非の可能性」、あるいは「是非の推量」のコトバである。過去形にも未来形にも使用されるコトバだが、「肯定」にも「否定」にも使用され、主観的で確信めいた断定の推量にも使用される・・・「はず」はボクにとっては殆んどが「あてにならない否定形のコトバ」で、「そんなハズがない」、「そんなハズがないだろう」だが、「そうなるハズだョなッ」って、庭に植えたキュウリ、トマト、イモは「期待道理」の実を生らせてくれている。

 ・・・自分で育てた野菜は不思議と他の人にも食べてもらいたいような気分になる・・・「ボクがツクッタ野菜なんだョ」って・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一二八段)・・・百二十八・壱佰弐拾八・壱弐八

          陌念捌

          1+2+8=11=十一=足壱

          1×2×8=16=十六=足陸

 はづかしきもの

ーーー↓

   はづかし=心情語(心状語)で、

   自分の劣性を意識するときの感情

   その劣性を意識させる対象から

   逃げ出したい気持ち

   自分の理想通りではなく、非難したい気持ち

   自分の劣性を意識させた対象の、性格の優秀性、

   すばらしさを感じる気持ち

ーーー

 ・・・そうですか「ハヅカシキモノ」・・・「二十日(はつか)の如(し)き物」・・・「念日の式のモノ」

ーー↓「二十の日」=「念の日」

 一月二十日

 大寒・二十四節気の一

 太陽の黄経が300度の時

 玉の輿の日

 1905(明治三十八)年

 祇園の芸妓お雪が、

 アメリカの

 モルガン商会創始者の甥、

 ジョージ・モルガンと結婚

 二月二十日‎

 世界社会正義の日

 旅券の日

 三月二十日

 春分・二十四節気の一

 太陽の黄経が0度

 昼夜の長さがほぼ同じになる

 四月二十日

 二十四節気の一

 太陽の黄経が30度

 郵政記念日

 五月二十日

 東京港開港記念日

 世界計量記念日

 六月二十日

 世界難民の日

 七月二十日

 コロンビアの独立記念日

 1810年にスペインからの独立

 八月二十日

 交通信号の日

 九月二十日

 秋の彼岸

 秋分とその前後三日

 敬老の日

 十月二十日

 えびす講

 皇后誕生日

 十一月二十日

 世界こどもの日

 十二月二十日

 人間の連帯国際デー

ーー↓はづかしきもの

 ・・・映画のキスシーンをみて気恥ずかしい・・・と思うのは、どうしてなんだか?・・・また、白々しい演技であると思うのはどうしてなんだか?・・・他人が自分と共通の道徳観、倫理観で、即、行動実行しているのを観て「気恥ずかしく思う」のはどうしてなんだか?・・・多分、自分自身が同じ共通観念を有していても「実行・行動」に於いて「しなかった」、「出来なかった」、出来ない自分の立場を思ってのことだろう・・・

 また道徳観、倫理観に反しての実行に「情けない奴だなぁ~」と一見、他人を非難、批判しているようだが、「情けない」とは他人に対してではなく「自分自身の内面に自分自身の立場を捕らえ返し、感じる時に出るコトバ」であろう・・・

 だが、ココでのボクの問題は「文字コトバ」の分解での「同音異義」の探求である・・・「清少納言」の「心情」の「客観的解釈?」ではないので、分解した「個々のコトバ」はあっちコッチに飛んで「分裂したコトバ」の意味を調べ、自分の勝手な主観的「妄想」に重ねていく・・・あしからず・・・

ーーー↓ 

  はづ・・・葉事・葉図

       頗事(ハづ)・・・

       頗(すこぶる・かたよる・ハ)=皮+頁

         よこしま=横嶋・邪

       偏頗(ヘンパ)=偏っていて不公平

       「偏頗弁済」は不公平な弁済である

       「頗」が     

       「心の底から謝罪すること」

       「本心から罪を認めて詫びること」に

       なるんだか?・・・

       「趙」の名将将軍である

        「廉頗(レンパ)」が

       「藺相如(リンソウジョ)」の

        出世を怨み、確執し

       「藺相如」の部下が

       主人の立場を諌めた彼(部下)のコト

       これらの「三者」の「コトバ」は、

       イズレも

       ・・・何か気恥ずかしい・・・

       ・・・何か白々しい・・・

       ・・・何か疑わしい・・・

       「趙」と言う「国家存亡」に託けた

       自分たちの「食い扶持」の

       「自己保身」の確保・・・

       名前がナゼか、

       「廉頗」で

       「廉」=「かど・けじめ・いさぎよい」

       「廉潔・廉直・孝廉」

       「清廉潔白」、その逆意で

       「破廉恥」であり「恥知らず」が

       「廉の恥を破る」で字面同理の

       「ハレンチ?」になってしまった

       「廉価・ 廉売・低廉」はモノが安い

        であり、

       「孝廉(コウレン)」は

       「董仲舒」の建議で

        前漢の武帝が制定した

        郷挙里選の察挙科目の一

        父母への孝順及び物事に対する

        廉正な態度を意味

        孝廉は察挙常科の中で最も

        重要視された科目であるが

        ナゼか形骸化した

       「頗=ヨコシマ(邪)」な

       「廉」である

       「藺相如」は

       「藺(い・リン)」=藺草(いぐさ)

        湿地に自生。また、水田で栽培

        茎は畳表・花筵(むしろ)の材料

        白い髄は、灯心に用いた

        灯心草・あかりも(灯り藻)

       「相」は「木」の「目」で

        木の(縦割り)断面に現れた

        木材組織による模様

        横割り断面の同心円状の輪

       「年輪」である

       「相」

        二者の向かい合う様

        たがいに・二者間で

       「相互・相似・相違・相殺・相剋・相性」

        木と目をあわせた会意文字

        よく見て調べる事

        また向かい合う事から、

       「互いに・助ける」という意味

       「如」は

       「ごとし・しく・もし・したがう

        ジョ・ニョ」

       「そのとおり・…のごとく」

       「如何(どう・いかん)」である

ーーー

   か・・・化・掛

   し・・・史・詞・視

   き・・・記・紀・気

   もの・・・摸之・模之

ーー↓

 男の・・・おとこの・音拠之

 心の・・・こころ・個々賂

 うち。・・得知

 いさ・・・いさ・なんとか・

      意査・異作・意差

 とき・・・とき

      解き・説き・溶き・時

      渡記・渡紀・徒基

 夜居の・・よいの

      与意之

 僧。・・・そう・ソウのスベテの同音異字

      掻・双・草・叢・争・・・想

 密・・・

 盗人の・・・

 さるべき・・・

 隈に・・・・「くま・すみ」に

 隱れ・・・

 居て、・・・

 いかに・・・

 見る・・・

 らん・・・・覧・蘭・乱

 を、・・・・於・緒・尾・嗚

 誰か・・・

 は・・・

 しらん、・・・

 暗き・・・・くらき・句等記

 まざ・・・・混ざ・交ざ・雑ざ・間座・真坐

 れに、・・・例爾

 懷に・・・「ふところ・カイ」に

 物・・・

 引き・・・

 入るる・・・

 人も・・・

 あ・・・

 らん・・・

 かし。・・・

 それは・・・

 同じ・・・

 心に・・・

 をかし・・・

 とや・・・

 思ふ・・・

 らん。・・・

 夜居の・・・

 僧は、・・・

 いと・・・

 はづ・・・

 か・・・

 しき・・・

 もの・・・

 なり。・・・

 若き・・・

 人の・・・

 集り・・・

 ては、・・・

 人の・・・

 うへを・・・

 いひ・・・

 笑ひ、・・・

 謗り・・・

 憎み・・・

 も・・・

 するを、・・・

 つくづくと・・・

 聞き・・・

 集むる・・・

 心の・・・

 うちも・・・

 はづかし。・・・

 「あな・・・

  うたて、・・・うたて・得他出

         がっかりする・いやだ・きらいだ

         情けない・気にくわない

  かし・・・・・かし

         掛詞・化史・歌詞・下賜・可視

  が・・・・・・臥

  まし」・・・・真詞・真史

 など、・・・

 御前・・・

 近き・・・

 人々の・・・

 物・・・

 けしき・・・

 ばみ・・・

 いふを・・・

 聞き・・・

 入れず、・・・

 いひいひて・・・

 の・・・

 はて・・・

 は、・・・

 うち・・・

 解けて・・・

 ねぬる・・・

 後も・・・

 はづ・・・・

 かし。・・・

 男は・・・

 うたて・・・

 思ふ・・・

 さま・・・

 ならず、・・・

 もどかしう・・・

 心・・・

 づき・・・

 なき・・・

 事・・・

 ありと・・・

 見れど、・・・

 さし・・・

 向ひ・・・

 たる・・・

 人を・・・

 すかし、・・・

 たのむる・・・

 こそ・・・

 恥し・・・

 けれ。・・・

 まして・・・

 情あり、・・・

 この・・・

 ま・・・・

 しき・・・

 人・・・

 に・・・

 知られ・・・

 たる・・・

 などは、・・・

 愚なり・・・

 と・・・

 思ふ・・・

 べくも・・・

 もて・・・

 なさず・・・

 かし。・・・

 心の・・・

 うちに・・・

 のみも・・・

 あらず。・・・

 又・・・

 皆・・・

 これが・・・

 事は・・・

 かれに・・・

 語り、・・・

 かれが・・・

 事は・・・

 これに・・・

 言ひ・・・

 きかす・・・

 べ・・・

 か・・・

 めるを、・・・

 我が・・・

 事を・・・

 ば・・・

 知ら・・・

 で、・・・

 かく・・・

 語る・・・

 をば、・・・

 こよ・・・

 なき・・・

 なめりと・・・

 思ひ・・・

 やす・・・

 らんと・・・

 思ふ・・・

 こそ・・・

 恥し・・・

 けれ。・・・

 いで・・・

 あはれ、・・・

 又・・・

 あは・・・

 じと・・・

 思ふ・・・

 人に・・・

 逢へば、・・・

 心も・・・

 なき・・・

 もの・・・

 なめりと・・・

 見えて、・・・

 恥しく・・・

 も・・・

 あらぬ・・・

 もの・・・

 ぞ・・・

 かし。・・・

 いみじく・・・

 あはれに、・・・

 心・・・

 苦し・・・

 げに・・・

 見すて・・・

 がたき・・・

 事・・・

 などを、・・・

 いささか・・・

 何事とも・・・

 思はぬも、・・・

 いかなる・・・

 心・・・

 ぞ・・・

 と・・・

 こそ・・・

 あさまし・・・

 けれ。・・・

 さすがに・・・

 人の・・・

 うへ・・・

 をば・・・

 もどき、・・・

 物を・・・

 いと・・・

 よく・・・

 いふ・・・

 よ。・・・

 ことに・・・

 たのも・・・

 しき・・・

 人も・・・

 なき・・・

 宮仕の・・・

 人・・・

 などを・・・

 かたらひて、・・・

 ただ・・・

 に・・・

 も・・・

 あらず・・・

 なり・・・

 たる・・・

 有樣・・・

 など・・・

 をも、・・・

 知ら・・・

 で・・・

 やみ・・・

 ぬる・・・

 よ・・・

ーーーーー

 ・・・闇(やみ)、塗る(ぬる)、世(よ・代・與・輿・与・預・余)・・・夜・・・

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