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コジキジゲン

カラスの異状

2013-10-01 20:04:48 | 古事記字源
 「からす」、之、異状。鴉(からす・カラス=烏・鴉・鵶・空主=空巣→安芸州・加羅州・唐主・蚊等主・漢主・韓主・香良州)?「仏もマタ、イズれ、塵」になるモノだけれど、「盗人も英雄」にはなる。「骨殻」の制度って「骨品制」・・・朝鮮半島の古代「新羅」で導入されていた「身分制度」だった。「骨まで愛して」、「死ぬほど愛して(アモーレ・ミオ=Sinno Me Moro・伊太利亜映画・刑事)」って歌もあった・・・「補音(ほね)」だろう。「がらす=ガラス=臥等素」・・・豚骨(トンコツ)、鶏殻(とりがら)。「長髄彦」は「那賀須泥毘古(古事記)」と表記され、「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」、「登美毘古(トミビコ)」とも呼ばれる。「登美能那賀須泥毘古」。
 八重さん、「足の脛(臑)が長い鳥」は「鶴」だろう?・・・「鶴が城」、それに「白虎」は「西の聖獣」だったョなッ。「大和国鳥見(とみ)」。「鳥見(とみ)」は鵄(とび・鳶)が訛ったモノではないだろう。字面道理の敵の「金鵄(キムシ・キンシ・金武氏)」を見る「鳥の見の場所」であるカナ、風見鶏。奈良盆地の侵略者はダレか、と云えば歴然である。「神武天皇=磐の余りのビのコ」で、侵略されたのは「那賀須泥毘古(長髄彦)」である。
 神武以前に「侵略」か、「移民?」で居すいた
 「饒速日命=邇芸速日命(にぎはやしのみこと)」が
 「長髄彦」の妹である
 「三炊屋媛(みかしきやひめ)」
 「鳥見屋媛(とみやびめ)」
 「登美夜毘売(古事記)」
 「御炊屋姫(旧事本紀)」と表記される
 同一人物の名前の
 女性を娶って生んだ子が
 「可美真手命 (うましまデのみこと)・日本書記」
 「宇摩志麻遅命(うましまジのみこと)・古事記」
 「味間見命  (うましまミのみこと)・先代旧事本紀」
 である。上述も同一人物の名前である。
 彼は「長髄彦」を裏切って殺し、神武天皇に服従し
 「物部(もののべ)」となった
 おまけに、彼は
 尾張氏の祖であるらしい
 「天香山命(尾張氏の祖)・旧事本紀」が異母兄だとも?
 「登美能那賀須泥毘古(原住民)」←「饒速日命(侵略・移民)」=「可美真手命」←「神武(侵略)」で、二度も・・・
 それに「欽明天皇」の第三皇女「推古天皇」の名は
 「額田部(ぬかたべ)」で、
 「豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」である。「欽明」の「欽」は「金が欠」で、「金」で無いのは「明らか」である。「欽明天皇」とは「登美能那賀須泥毘古(原住民)」であるカナ?・・・モノガタリは常に「近代」を重ねて「過去」に投影される。勿論、「江戸・明治」のモノガタリも、官民一体で「近時事件」を「過去」に重ねられた。「加齢の記憶ボケ」は「世代の記憶ボケ」でもある。
ー↓
 「(金)鵄=(至+鳥)とび・鳶=(弋+鳥)」で
  ↓
 「弋(ヨク・イキ・いぐるみ=繳=鳥をとる道具・くい=杭・杙」
 「黓と通じて黒点)」であるらしいが、「太陽の黒点」ならば「(八咫)烏=からす・鴉・烏・鵶の三本足(あし・脚・肢)」である。「黒点」は「カラスの足跡」で、「足(脚・肢・臑・脛)」そのものではない。観えたのは「三っの黒点=足跡の黒点」=「∴(結論・文頭に記され、その文の主張が前述の内容を受けて述べられていることを示す」、「∵(理由・根拠 文頭に記され、その文の内容が前述の内容の理由説明であることを示す)」である。
 「三点=サンテン=sun-ten(十の太陽)・sun-spot(太陽黒点)
  three-point(3点)・son-ten(十人の息子)」
 「3+10=13(thirteen サーティーン )」
 「3×10=30(thirty サーティー )」
 サッカーは「咽喉が渇く(thirsty)ポーツ」だが、
 「旗印=三本の足のカラス」は間違いであるかな
 「漢字」も「黄帝」の時、史官の「四つの目」の「蒼頡(ソウケツ・荀子)」が「鳥の足跡」から「書契」を発明した。「説文解字」には、「蒼頡ははじめに作った文字はみな象形文字であり、これを「文」と呼ぶ。その後に形声文字が作られ、これを「字」と呼ぶ」とされ、「始皇帝」は文字統一で「小篆」を正式書体とし、その際書かれたのが「李斯」の「蒼頡篇」である。
 「李斯」の「蒼頡篇」、「趙高」の「爰歴」、「胡毋敬」の「博学篇」を
 漢代に
 「閭里書師」がこれら
 三篇を併せて
 五十五章に分け
 「蒼頡篇」とした
ー↓
 「漢字文字の始原」は「オリエント・シュメール人」の「楔形文字」と「エジプト」の「ヒエログリフ(象形文字)」の独自な「融合」である。しかも「文字統一」と「度量統一」は「秦の始皇帝」であった。その前時代の古代エジプトの「書記官の絵」は「朱鷺」である。「トート(ギリシャ語・Θωθ・トト)」。古代エジプトでの「発音」は未だ不完全であるらしいが「ジェフティ(エジプト語・ḏḥwty)」。その書記神の「聖獣」は、
 「トキ」と・・・・・朱鷺・説き・解き・溶き・土岐・時→字
 「ヒヒ」で、・・・・狒狒(狒々)・霏霏(霏々)・筆比→比干
 その配偶者(妻・妹)は
 数学や計量の女神
 「セシャト」である。しかも、「トトとヒヒ」の絵には「パピルス=アシ・蘆・葦・芦」の「葉」の「カミ」と、「枝・茎」の「ペン」を使用しているのが描かれている。
 これは、もう、「日本語・漢文・東洋史」を既に知識基盤とした
 幕末、
 「文久二年(1862年)の幕府阿蘭陀留学生」、
 「慶應元年(1865年)の幕府英国留学生」、
 そして
 「慶應二年(1866年)の幕府英国留学生」の新たな見聞、知識の重なりで、「世界観」である・・・そして、「文明、文明の開化」がハジマッタ・・・
ー↓
 「和歌(短歌)=五、七、五、七、七で三一文字=三十一文字(みそひともじ・みそもじあまりひと文字)=thirty one character or letter」だが、
 「印字」は「print・type」であるが、
 「活字字形(活字で、同一の書体・大きさの、大文字・小文字・数字・記号などの一揃い)=書形」は「font(フォント)」である。「本当(ふぉんと)の類似発音」であるカナ?
 「説文解字(設問開示?)」には「物の之れに挂(かか)るに象るなり」とある。
ー↓
 説文解字=セツモンカイジ・セツブンカイジ
      ↓       ↓
      設問開示   「節文・拙文
              説聞・節分」解字
      説(接・切・設・施通)分解事
      摂文海事(海路・怪事・甲斐事・歌意字)
 後漢・永元十二年(100年)
 許愼が
 古文学のために作成
 古文学とは漢字の古い字体を研究する学問
 漢字を字形によってその
 基本要素(部首)ごとに分類
 字義や成り立ちについて解説
 部首や六書の概念を導入
 漢字を体系的の最初の「字書」
 全十五巻五百四十部
 漢字九千三百五十三字を収録
 物の象形を
 文
 文を組合わしたモノを
 字
ー↓
 玉編(篇)=ギョクヘン
        ↓
       漁区辺(変)である・・・福島原発の近辺の漁港区
       魚句偏
       魚=まな・さかな・ギョ
       まな字=真名字=真名仮名=漢字
 大同三年(543年)
 南朝梁の
 顧野王が
 「説文解字」をもとに字を加え、
 編纂した字書である
ー↓
 骨殻
 ガラパゴスのケイタイデンワ。フィンチやイグアナのコエが聴こえるのかな?
 「ガラ素・殻素→出殻(ダシガラ)→煮出して、出汁(だし)を取った物の滓(かす)」
 出(山山)+汁(水十)=(だし→山車)
 「お国柄」も「ガラ」と云うが、「天武天皇朱鳥元年六月十日天皇の病を卜ふに、草薙剣に祟れり。即日に、尾張国の熱田神宮に送り置く」。「天武天皇」に「草薙の剣が祟った」。「草薙のツルギ(剣)」は元々「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)」、「草薙剣(日本書紀)」、「草那芸之大刀(古事記)」、「都牟刈大刀(つむがりのたち)、都牟羽大刀(つむはのたち)、八重垣剣(やえがきのつるぎ)、沓薙剣(くつなぎのけん)」ともいう。
 668年(天智天皇七年)草薙剣は、神話の記述の通りであれば熱田神宮に安置?

 総章元年(668年)
 金庾信伝
 唐の高宗皇帝が
 英国公の
 李勣を派遣

 出兵して高句麗を討伐させやがて
 わが新羅にも出兵を求めた
 文武王はこれに応じて
 金純と
 仁問に命じて将軍にしようとした
 新羅本紀
 文武王(下)
 六年冬十二月

 唐
 以
ー↓
 李勣=リセキ
 594年?~669年
 唐代の軍人
 字は懋功(ボウコウ)
 元の姓は
 徐
 元の諱は
 世勣で、唐より国姓の李を授けられ、
 後に
 太宗李世民を避諱して李勣と改めた
 李靖と共に初唐の名将
 666年の高句麗遠征(麗唐戦争)で
 唐軍の主将として活躍し、
 高句麗征服など功績を挙げた
 「曹国公」
 貞観十一年(637年)
 李勣は「英国公」に封ぜられ
 光禄大夫、并州大都督府長史
 「英国・忠武公・李勣」
 「大唐故司空上柱国贈太尉
  英貞武公」碑
ー↓
 爲
 遼東道行軍
 大管
 七年九月に
 英公→英国の公爵?
 ↓  ↓
  サー・ハリー・スミス・パークス
  (Sir Harry Smith Parkes、CGMG、KCB)
  1828年2月24日
  ~
  1885年3月22日)
  英国の外交官
  幕末から明治初期にかけ
  18年間駐日英国公使
  1841年
  清(中国)のマカオに留学
  1840年アヘン戦争
  1842年
  パークスの雇い主であった
  ジョン・モリソン
  (John Robert Morrison)が、
  英国全権
  ヘンリー・ポティンジャー
  (Henry Pottinger)の
  第一秘書だったので随伴し
  コーンウォリス号上で
  南京条約調印に立ち会った
  1843年
  15歳で広東領事館に採用
  1844年
  厦門の領事館通訳
  1854年
  厦門領事就任
  1855年
  全権委員・英・シャム条約締結
  1856年
  広東領事・アロー号事件に介入
  1860年9月
  英仏連合軍が北京侵攻
  全権大使エルギン伯の補佐官兼通訳
  交渉中に清軍に拉致され
  1861年10月まで北京で投獄
  1864年
  上海領事
  慶應元年(1865年)
  駐日英国公使
  四国艦隊下関砲撃事件で
  解任されたオールコックの
  後任公使に任命
  第一次長州征討で
  パークスは仏・蘭とともに
  連合艦隊(米国は代理公使のみの派遣)を
  兵庫沖に派遣し、幕府・朝廷と交渉
  孝明天皇は条約勅許と関税率の改正は認めた
  兵庫開港は不許可とした(兵庫開港要求事件)
  下関で長州藩の高杉晋作・伊藤博文と会談
  慶應二年(1866年)
  米仏蘭とともに幕府と改税約書に調印
  グラバーの仲介で鹿児島を訪問
  島津茂久(島津忠義)、その父・島津久光
  西郷隆盛・寺島宗則と会見した
  第二次長州征伐勃発直後、
  フランス公使レオン・ロッシュと共に
  下関で長州藩の
  桂小五郎・伊藤博文らと
  小倉で幕府老中
  小笠原長行と会談し
  両者の調停をはかるが失敗
  その後、宇和島藩を訪問し、
  前藩主
  伊達宗城らに会った
  公使館を横浜から江戸の泉岳寺前に移転
  慶應三年年(1867年)
  江戸で米騒動があり
  幕府に勧めて外国米の
  輸入販売許可の布告を発布させた
  大坂で
  徳川慶喜に謁見
  兵庫開港の確約
  敦賀視察後、
  イギリス海軍教官受け入準備で
  軍艦奉行
  勝海舟と交渉
  軍艦スナップ号(バジリスク号)で
  箱館、新潟・佐渡・七尾を視察し
  長崎を経由し大坂へ
  イカルス号水夫殺害事件、浦上信徒弾圧事件で
  幕府に対してイカルス号水夫殺害事件の
  責任を厳しく追及
  土佐藩の関与を疑い、徳島経由で
  土佐に赴き
  後藤象二郎と交渉
  夫人と富士山登山
  兵庫開港・大坂開市に備え大坂へ行く
  王政復古の大号令で大坂城に入った
  徳川慶喜に謁見
  明治元年(1868年)
  鳥羽・伏見の戦い・幕府軍敗北・慶喜の大坂城脱出
  兵庫へ移
  神戸事件
  アメリカ海兵隊・フランス水兵とともに
  イギリス警備隊を率いて
  備前藩兵と交戦
  兵庫に派遣された新政府使節
  東久世通禧と会談
  新政府の開国和親・条約遵守の方針を確認
  公使団を説得し、
  戊辰戦争への局外中立宣言
  堺事件
  事件解決後に京都に行き
  三条実美・岩倉具視等に会い、天皇にも謁見
  御所に向かう途中で二名の暴漢に襲われる
  (パークス襲撃事件)
  大坂で天皇に謁見し
  諸外国では最初に新政府を承認
  明治二年(1869年)
  岩倉具視などとの会談
  フランス・オランダとともに
  箱館を拠点とした
  榎本武揚の軍勢を交戦団体と認めず、
  アメリカ・イタリア・プロシアと対立
  岩倉と
  横浜駐留の英仏軍隊撤退問題など討議
  明治四年(1871年)
  岩倉具視らと会見
  御親兵設置・廃藩置県について討議
  横浜駐留イギリス軍の大幅削減を
  本国に提案、採用
  アメリカ経由で帰国
  アダムズが代理公使
  1872年
  訪英中の
  大使岩倉具視、駐英公使寺島宗則と会見
  グランヴィル外相と岩倉・寺島の
  条約改正予備交渉に同席
  日本でのキリスト教自由化
  外国人の内地旅行自由化
  治外法権撤廃
  横浜駐屯イギリス軍撤退
  下関戦争償金など協議
  明治六年(1873年)
  日本に帰任
  明治十六年(1883年)7月
  清国公使となり離日
  1884年からは
  駐
  韓公使を兼ねた
  1885年
  北京で
  マラリアで57歳で死亡
  ↓
 「Parkes」・・・Parke=駐車・Park=公園
 「パークス(Pax)」は
  ローマ神話に登場する平和と秩序の女神
  長母音を省略してパクスとも表記
  ギリシア神話の
  女神ホーライ三姉妹の
  エイレーネーと同一視される
  アウグストゥス帝によって
 「祭壇(アラ・パキス)」が設けられ
  帝政ローマによる
 「秩序の回復(パクス・ロマーナ)」の象徴
  として祀られた
  ↓
 「Smith」は古い英語で
 「職人」
  鍛冶師(blacksmith)や
  金細工師(goldsmith)
  錫細工師( tinsmith)
  ブリキ職人(whitesmith)等
  特に金属加工の職人を示す
  ↓
 「harry」の英語の意味とは
  人をしきりに催促などして「悩ます・苦しめる」
  人に…をうるさく求める(for ...)
  繰り返し攻撃する
  土地などを戦争などで何度も攻撃する
  たびたび奪取する
 「Harold, Henryの別称」
  下品(低級)な英国の若者の意味
  OLD HARRY by the Lord Harry=誓って、きっと
ーー↓
 九月
 至
 漢城停
 以待
 英公・・・・英国の公爵?
 冬十月二日
 英公・・・・英国の公爵?
 到
 平壤城北二百里
 ↓
 総章元年(668年)
 唐の皇帝が
 英公の
 李勣に策命し
  ↓
  勣=「責+力」・・・「harry」?
   いさお、つむぐ・セキ・シャク
   功(いさお→公)・功績
   績(つむぐ・うむ)・戦績・治績・成績
   手柄・積み重ねた努力
   ↓↑
   Harry Smith Parkes
ーー↓
 「歴史書」とはイイ加減なモノであるな?
ーー↓ 
 三國史記・高句麗・本紀
 寶臧王(下)
 二十六年、秋九月
 李勣
 拔
 新城
 二十七年二月
 李勣等
 拔
 我
 扶餘城
 秋九月
 李勣
 拔
 平壤
 唐の記録
ー↓
 總章元年(戊辰、六六八)
 九月
 癸巳
 李勣
 拔
 平壤。
 新羅
 英公=日本書紀=英公
 「日本書記」の記事と
 「新羅本紀」の記事は同じ
ー↓
 新羅の
 僧
 道行が→みちゆき・ドウギョウ→同行
 熱田神宮の神剣を盗み
 新羅に持ち帰ろうとしたが船が難破し
 神剣は
 後、宮中で保管
 ↓
 朱鳥元年(688年)六月
 天武天皇が病倒
 神剣の祟りで
 剣は
 熱田神宮に戻された

 草薙剣の形代(レプリカ)
 崇神天皇の時に作られ、?
 現在は皇居の
 「剣璽の間」に勾玉とともに安置?

 平時子(二位の尼)が腰に差して
 入水し
 行方不明
 「吾妻鏡・壇ノ浦の戦」
 元暦二年(1185年)
 三月二十四日条
 「二位ノ尼は宝剣(天叢雲剣)を持って、
 按察の局は先帝(安徳天皇)を抱き奉って、
 共に海底に没する」
 同年
 四月十一日条
 「内侍所(八咫鏡)と
 神璽(八尺瓊勾玉)は御座すが、
 宝剣(天叢雲剣)は紛失」
 後鳥羽天皇は宝剣の捜索を命じたが発見されず、
 以前に伊勢神宮の神庫から
 後白河法皇に献上されていた剣を
 形代の剣とした
 室町時代には南朝の遺臣らによって
 勾玉とともに強奪されたが、
 剣だけが翌日に
 清水寺で発見、回収
 これが現在の皇居の
 吹上御所の「剣璽の間」に安置されている剣

ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9
ー↓
 神話・伝説に登場するカラス
 日本神話
 「八咫烏」
 八咫烏は熊野神の神の使い
 熊野三社では八咫烏が描かれた神紋が使用
 アイヌ神話
 姿を消してしまった太陽をカラスが見つけ出し、
 地平線まで運んできた。その際真っ黒に日焼けしてしまった
 中国の神話
 ある日突然十個の太陽がいっせいに現れた
 大地は焼かれ、人々は苦しんだが
 弓の名人が
 九個の太陽を射抜き落とした。射抜かれた太陽のもとへ行ってみると
 九羽の三本足のカラスが倒れていた
 中国ではカラスは
 「陽鳥」
 「金鳥」と呼ばれ
 「太陽の化身」
 イギリス
 アーサー王が魔法でワタリガラスに変身させられた
 カラスを駆除しようとしたところ、
 占い師から
 「カラスがいないとロンドン塔がなくなり、英国も滅びてしまう」
 とのお告げがあり、駆除をやめて逆に
 ロンドン塔でカラスを飼うことにした
 以来英国王室ではロンドン塔でカラスを飼い続けている。
 ギリシア神話
 太陽神アポロンの使い
 アポロンの怒りを買い炎に焼かれ黒焦げになり
 天界から追放された
 北欧神話
 オーディンの使いとして
 「フギン(思考)」
 「ムディン(記憶)」という名の
 二羽のワタリガラスが登場
 旧約聖書
 「ノアの箱舟」から
 カラスが放たれたが帰ってくることはなく
 かわりに放たれた
 鳩がオリーブを咥えて帰ってきた
 シベリア
 チャクチ族の神話
 ワタリガラスの妻が人間の男女を、夫が大地を作る創世神話
 イヌイット神話
 「父なるおおガラス」が万物を作る創世神話
 北アメリカ北西海岸
 ハイダ族の神話
 洪水により全ての生物が死に絶えた中
 ワタリガラスだけが生き残り、全ての生物の祖先となった
 北米
 ピュジェット・サウンド地方の神話
 ハイイロワシがしまいこんでいた
 太陽、月、星、水、火などを
 ワタリガラスが盗み出し、人々に与えた
 アラスカ
 トリンギット族の神話
 光をつかさどる神がしまいこんでしまった
 太陽を、
 ワタリガラスが取り戻す
 アラスカ クリンギット族の神話
 森を創造した
 カラスが、
 タカに太陽を持ってくるように頼む
ーーーーー
 枕草子
 (一四七段)・・・百四十七段・壱佰四拾七段・壱四七段・陌肆足漆段
          1+4+7=12=十二=壱拾弐=足仁
          1×4×7=28=二十八=弐拾八=念捌
 正月・・・正解通
 十日、・・足比・そか=蘇我・楚歌・粗菓・會掛
 空・・・・そら・蘇等
      から・唐・漢・韓・加羅
      あき・亜紀・安芸・安岐・秋
 いと・・・意図
 くらう、・句等得
 雲も・・・句模摸
 厚く・・・亜通句
 見え
 ながら、
 さすがに
 日は
 いと
 けざやかに・・懸差埜化爾
 照りたるに、・出裏他留爾
 えせもの
 の
 家の後、・・いえ・言え・か・掛・化
 荒畠・・・・あらはた・亜等葉他
 など・・・・等
 いふ
 ものの、
 土も・・・・通知模・ド・努・賭・土=十一模
 うるはし・・有留葉詞
 う・・・・・得・胡
 あを・・・・安芸
 から・・・・唐・漢・韓・加羅・空・絡
 ぬに、・・・「濡・又・奴」爾
 桃の木・・・百(百済)之記
 わか
 だちて、
 いと
 しもと
 がちに
 さし
 出でたる、
 片つ方は
 青く、
 いま
 片枝は
 濃く
 つややかにて、
 蘇枋
 やうに
 見えたるに、
 細やかなる
 童の、
 狩衣
 はかけ
 やり
 などして、
 髮は
 麗しきが
 のぼりたれば、
 又
 紅梅の
 衣
 白き・・・新羅
 など、
 き
 は
 こえたる
 男子、
 半靴
 はきたる、
 木のもと・・・記(紀)の元
 に
 立ちて、
 「我に
  よき
  木
  切りて、
  いで」
 など
 乞ふに、
 又
 髮
 をかしげなる
 童女の、
 袙ども
 綻びがちにて、
 袴は
 萎えたれど、
 色など
 よき
 うち著
 たる、
 三四人、
 「卯槌の
  木の
  よか
  らん
  切りて
  おろせ、
  ここに
  召すぞ」
 など
 いひて、
 おろしたれば、
 はしり
 がひ、
 とりわき、
 「我に多く」
 など
 いふこそ
 をかしけれ。
 黒き
 袴
 著たる
 男
 走り來て
 乞ふに、
 「まて」
 など
 いへば、
 木のもと
 に
 よりて
 引き
 ゆるがす
 に、
 危ふ
 がりて、
 猿の
 やうに
 かい
 つきて
 居るも
 をかし。
 梅などの・・・倦め・埋め・産め・卯目
 なりたる
 をりも、
 さやうに
 ぞ
 ある
 かし。
ーー
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