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コジキジゲン

御むよう・御ふよう・芥子の花

2013-10-24 20:02:08 | 古事記字源
「おふよう」とは「麻薬」、「阿片」のことのように記憶しているのだが・・・憶えたモノが「不用」とは思わないが、「不要」なモノはあるかな・・・これらの熟語に「意」がつくと、また微妙である・・・
ーーーーー

 枕草子

 (一六七段)・・・百六十七段・壱佰六拾七段・壱六七段・陌陸足漆段

          1+6+7=14=十四=壱拾四=足肆

          1×6×7=42=四十二=四拾弐=肆足仁

 昔・・・

 おぼえて・・・

 ふよう・・・芙蓉・不用・不要

       不溶・浮揚・扶養

 なる・・・

 もの・・・

 繧繝縁・・・糸+雨+云+糸+開(門月)+糸+彖

       繧繝=昔の彩色法

       繧繝=錦の織物

       繧繝=縦縞の境をぼかして織った織物

       ↓

       繧     繝   縁

       うん    げん  べり

       う     げん  べり

       ↓     ケン

       ↓     カン

       ↓     ↓

       ↓    あや・にしきもよう

       繧=日本の国字

                 ↓

                 縁

                糸+彖

                 ↓

      「彖(タン・シ)=彐(彑)+豕」=猪の口(頭)

       彖=論断する・判断する

       彖辞(タンジ)・「易経」の各卦(ケ)

       ↓

      袁彖(エンタン・447年~494年)

       南朝宋から斉にかけての官僚

       字は偉才

       小字は史公

       本貫は

       陳郡陽夏県

       宋の

       武陵郡太守の

       袁覬の子

       伯父の袁が雍州で起兵して殺害されると、

       宋の

       明帝は袁の遺体を江中に投棄、埋葬を許ず

       袁彖はひそかに伯父の遺体を探し、

       四十一日かけて発見

       石頭の後方の丘に埋葬し、明帝の死後、

       袁の遺体を改葬した

       安成王劉準の下で征虜参軍や主簿をつとめ、

       入朝して尚書殿中郎

       出向して廬陵郡内史や豫州治中

       蕭道成の下で太傅相国主簿・秘書丞

       国史の編纂にあたって、

       日食を天文志ではなく

       五行志に載せるよう主張

       処士伝の立伝に反対

       斉が建国されると、

       始興王友に任じられたが、固辞

       蕭道成が吏部尚書の

       何戢に宣旨させると、袁彖はやむなく就任

       中書郎に転じ、太子中庶子を兼ね

       中書郎のまま御史中丞を兼ねた

       御史中丞を兼ねたまま

       黄門郎に転じた

       謝超宗を糾弾する上奏をし

       事実と異なることが判明して免官

       安西諮議・南平郡内史に任じられた

       黄門に任じられ、受けないうちに

       長史・南郡内史に転じ、荊州の事務を代行

       召還され太子中庶子

       本州大中正をつとめた

       冠軍将軍・監呉興郡事として出向

       武帝が便殿にいて、金柄の刀子で瓜を剥いていたのを

       王晏が帝の側で

      「世間では金刀の言」、・・・?

ーー↓ーーーー    ↓

    きんとうてん(金刀点)・・・金武等・均等添・筋等・菌等

       ↓

       書道で、「大」の字の右下に引く最後の一画

           「刀」に似るところからいう

       ↓

      「金刀比羅宮(ことひらぐう)」

       香川県仲多度郡琴平町に鎮座

       大物主神に崇徳天皇を合祀

       象頭山金毘羅(ぞうずさんこんぴら)大権現

       長保三年(1001年)勅命による社殿修築があり

       保元の乱で讃岐国へ移された崇徳上皇が参籠

       古来海上守護、祈雨の神

       明治元年(1868年)

       仏教色を一掃して金刀比羅宮と改称

       旧国幣中社

       例祭十月十日

       その十日夜0時より渡御

       前後三日のあいだに金比羅舞

      「こんぴらさん」、「金毘羅宮」、「琴平宮」と記録

       明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は

       真言宗の

       象頭山

       松尾寺

       金光院

       神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた

       大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、

       戦後の

       朝鮮戦争における・・・?

       海上自衛隊の

       掃海殉職者慰霊祭も毎年開かれる

       参道の石段がは、奥社まで登ると

       1368段

       金刀比羅宮と倉敷市にある

       由加山(蓮台寺、由加神社本宮)の

       両方を参拝する両参りという習慣

       由緒は二つの説

       一

       大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った

       琴平神社から始まり、

       中世以降に

       本地垂迹説により仏教の金毘羅と

       習合して金毘羅大権現と称した

       二

       もともと象頭山にあった

       真言宗の松尾寺に

       金毘羅が鎮守神として祀られており、

       大宝年間に修験道の

       役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に

       天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する

       護法善神金毘羅の神験に遭ったのが

       開山の縁起との伝承

       別説

      「生駒記讃陽綱目・金刀比羅宮の條」

       延喜式神名帳に名が見える

       讃岐国多度郡の

       雲気神社が金刀比羅宮という記述

       長寛元年(1163年)

       崇徳上皇が象頭山松尾寺金光院に参籠

       修験道の御霊信仰の影響で

       永万元年(1165年)

       讃岐国に流されたまま崩御した

       崇徳天皇も象頭山松尾寺金光院に合祀

       宥盛は死の直前には神体を守るために

       天狗に身を変えたとの伝説

       死後は本堂付近に祀られた

       江戸時代初期には、

       別当の象頭山松尾寺の

       宥光が参拝の土産物として○に金の印を入れた

       うちわを作ることを思いつき、大和国より技術者を招いた

       江戸時代中期に入ると

       金毘羅参りは伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだった

       その様子は、

       浮世絵の東海道五十三次の一つである

      「沼津」に描かれた金毘羅参りの後姿や、

       滑稽本の東海道中膝栗毛に書かれた主人公の

       弥次さんと金毘羅参りの男との饅頭の食べ比べの話

       江戸時代末期には

      「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて

       シュラシュシュシュ まわれば

       四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」

       の民謡

       明治元年(1868年)

       主祭神の名は大物主神

       相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った

       9月13日に勅祭神社

       象頭山松尾寺金光院は廃されて、祀られていた

       宥盛は

       厳魂彦命と名を変え、

       明治三十八年(1905年)

       奥社へと遷座

       金毘羅大権現の本地仏として祀られていた

       本尊

       十一面観音像は信仰の対象から外された

       不動明王、毘沙門天の

       二体の脇侍仏は破却の危機に直面したが

       象頭山松尾寺の末寺である

       万福院住職

       宥明によって救い出された

       その後、所在は転々としたが、

       明治十五年(1882年)

       裸祭の岡山市の真言宗寺院、

       西大寺の住職光阿によって同寺に勧請

       あらためて金毘羅大権現の本地仏として祀られている

ーーーーーーー↓袁彖のツヅキ      

      「これは袁彖が臣に説いた」といった

       武帝は怒って、袁彖が呉興郡に到着すると、

       禄銭の過大な使用を理由に免官して

       東冶に流した

       武帝が孫陵で遊んだとき、

       東冶を眺めて袁彖のことを思い出し

       武帝は東冶におもむいて宴会を催し、

       囚人に酒肉を賜り、袁彖に語り、

       袁彖は翌日に釈放された

       無官のまま南徐州の事務を代行

       司徒諮議や衛軍長史をつとめ、

       侍中の位を受けた

       袁彖は武帝が

       ↓

       雉射ちを

       おこなうたびに随行したが、

       肥満のために

       数人で支え助けて、

       やっと歩くことができた

       ↓

       494年(隆昌元年)

       死去・享年は四十八

       諡は靖

       「南斉書・巻四十八・列伝第二十九

       「南史・巻二十六・列伝第十六

ーー↓彖=猪の頭・・・猪の肉は牡丹・・・

           牡丹の家紋

           ↓

           藤原氏宗家である近衛家の正紋

           徳川時代には

           菊、桐、葵の紋についで

           権威があった

           公家では鷹司、難波の両家、

           武家では島津、伊達、津軽などの大名家、

           寺院では興福寺、東本願寺、平等院など

ーー↓彖=猪の頭・猪の口

     井の頭=公園は武蔵野市の吉祥寺駅からだが、

         公園の大部分は

         三鷹市

        「井の頭」

         井の頭の池・神田上水の水源

         鷹狩りに訪れた

         徳川家光が、

         辛夷(コブシ・木蓮・田打ち桜)の木に

        「井の頭」と記したのが由来・・・?

         ・・・「北拳(北辛夷)」は北海道の呼称

         アイヌ語で「オマウクシニ」、「オプケニ」

         「古武士」は無用・・・         

ーー↓

 (うげんばし)の・・・ 繧繝縁

           (うんげんべり・うげんべり)

            格の高い畳縁

            天皇

            三宮(皇后・皇太后・太皇太后)

            上皇が用いた

            繧繝錦のへり

            そのへりをつけた畳や茵(しとね)

            畳の縁(へり)の一種

            白地の綾に雲形や菊花などの紋を

            黒く織り出したもの

            紋に大小があり、

            親王・大臣などは大紋、

            公卿は小紋を用いた

            後は、

            白麻布に黒の小紋を染めたもの

            高麗縁(こうらいばし)とも

ーー↓

 疊の・・・多々実之

 舊・・・・旧=舊・ふるい・ふる・キュウ(キウ)・ク・もと

 (ふ)りて・・・

 ふし・・・付し・伏し・臥し・附し

      父子・不死・節・賦し

 出・・・

 でき・・・

 たる。・・・

 唐繪の・・・からえ之

      「倒壊・東海・韜晦・倒潰」之

       投下異之   

 屏風の・・・平封之

 表・・・・・平

 そこなはれ・・・

 たる。・・・

 藤の・・・・藤(原)之・・・天然痘之

 かかり・・・罹りたる

 たる・・・

 松の・・・・末之

 木・・・・・松(平)の紀(記)

       俟つ之生

 枯れ・・・・借れ・刈れ・駆れ

 たる。・・・

 地摺の・・・地図理之

 裳の・・・・摸

 花・・・・・葉名

 かへり・・・替え理

 たる。・・・

 衞士の・・・英史之

 目・・・

 くらき。・・・

 几帳の・・・・記帳之

 かたびらの・・帷子之・片平・化他比良

        過多比良之

 ふり・・・・・振り

 ぬる。・・・・塗る

 帽額の・・・もこう之

       御簾(みす)や御帳(みちょう)の

       懸けぎわを飾るために、

       上長押(うわなげし)に沿って

       横に引き回す布帛(ふはく)。

       水引幕の類。額隠(ひたいかく) し

       窠紋(かもん)

       窠(か)=瓜(うり)を輪切りにした形の模様

      「木瓜(もくかう)」

       ひたいかくし

       窠紋(かもん)・もっこう

       御簾(みす)や

       御帳(みちょう)の懸けぎわを飾るために、

       上長押(うわなげし)に沿って

       横に引き回す布帛(ふはく)

       水引幕の類・額隠(ひたいかく)し

       紋(かもん)の異称・もっこう。

 なく・・・

 なり・・・

 ぬる。・・・塗る

 七尺の・・・死地酌之

 かづらの・・数等之

 あかく・・・閼伽句

 なり・・・

 たる。・・・

 葡萄・・・武道・無道

 染の・・・

 織物の・・下り物之

 灰・・・・栄え

 かへり・・帰り

 たる。・・・

 色好の・・死期交之

 老い・・・

 くづ・・・屑

 をれ・・・

 たる。・・・

 おも・・・面

 しろき・・白記

 家の・・・異重之

 木立・・・記(紀)立

 やけ・・・自棄

 たる。・・・

 池・・・・異化

 などは・・・

 さながら・・・

 あれど、・・・

 萍水草・・・ 「浮き草」・水面に浮かんで漂う水草全般を指す

 (うきくさみくさ)・・・

      萍(うきくさ)=ねなしぐさ根無し草

      地中に根を張らず、水に浮いている草

      定まらない物事や、

      確かなよりどころのない生活のたとえ

      ねなしぐさ=根無草

     「根南志具佐」

      ↓

      談義本・五巻

      風来山人

     (平賀源内=天竺浪人・浄瑠璃号「福内鬼外」)

      作

      宝暦十三年(1763)刊

      女形の

      荻野八重桐の溺死事件を題材

      当時の世相を風刺

     「根無草後編・(五巻)」は

      明和六年(1769年)

ーーーーーー↓

      序

   風来山人

   登万国之東側観娑

   大劇場有小舞臺之志於

   是以紅毛千里鏡観冥土楽屋

   仰天堂俯地獄末香啖(抬?扌+尓・扌+乞)

   閻魔

   被犢鼻

   于地蔵

   倒舎利弗

   智嚢

   振冨楼

   邦辨舌

   三摩佛面

   始知黄金層

   嘆日地獄天堂

   金次第矣

   退著一書寓言

   八重

   桐間・・・・「桐の間御殿」=稚児専用の屋敷

          江戸城中、猿楽の者のいる桐の間

          能役者を厚遇した

          第五代将軍綱吉が

          天和元年(一六八一)から設け

          宝永六年(一七〇九)、

          綱吉の没とともに廃止

   聞

   柏車・・・柏(かしわ・はく・ポー・ブナ科の木

          かしは・かへ

          ひのき・このてがしわ

          いぶき・さわら

          等ヒノキ科の植物を指す

   薪水

   御無常

   風継

   為此編以傳諸借本屋二子

   追善

   莫大焉此編也

   掛一枚省版而行(抬?扌+尓・扌+乞)

   三箇津矣

   明和戊子秋

   寐惚先生

   陳奮翰撰

ーーー↓・・・・以下はウイッキペデアから参照抜粋・・・

   平賀源内

   享保十三年(1728年)

   ~

   安永八年十二月十八日(1780年1月24日)

   本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、

   戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家

  「源内」は通称で、

  「元内」とも書いた

   諱は国倫(くにとも)

   字は子彝(しい)

   画号は鳩渓(きゅうけい)

   俳号の李山(りざん)

   戯作者は風来山人(ふうらいさん じん)

   浄瑠璃作者は福内鬼外

   殖産事業家としては天竺浪人(てんじくろうにん)

   細工物を作り売りした頃には

   貧家銭内(ひんか ぜにない)

   父は白石茂左衛門(良房)、

   母は山下氏の娘

   讃岐国寒川郡志度浦(香川県さぬき市志度)に生まれる

   平賀氏は讃岐高松藩の足軽身分の家で、

   元々は

   信濃国佐久郡の豪族だったが、

   戦国時代

   平賀玄信の代に

   甲斐の武田信虎・晴信父子に滅ぼされ、

   奥州の白石に移り伊達氏に仕え、白石姓に改めた

   伊予宇和島藩主家に従い四国へ下り、讃岐で帰農

   杉田玄白や

   中川淳庵らと交友

   安永八年(1779年)

   酔って修理計画書を盗まれたと勘違いして

   大工の棟梁二人を殺傷

   十一月二十一日に投獄

   十二月十八日に破傷風により獄死

   享年五十二

   明和六年(1769年)

   歯磨き粉

  「漱石膏」の作詞作曲

   安永四年(1775年)

   音羽屋多吉の清水餅の広告

   浄瑠璃作家

   時代物、作品は五段形式や多段形式

   狂歌の大田南畝の

  「寝惚先生文集」に序文

   鈴木春信と共に絵暦交換会

   博覧会の開催

   江戸湯島で博覧会

  「東都薬品会」を開催

   文章の「起承転結」

  「京都三条糸屋の娘

   姉は十八妹は十五

   諸国大名弓矢で殺す

   糸屋の娘は目で殺す」の作者との説・・・

ーー↓

 しげりて。・・・史解理出・・・示、下痢、で・・・

ーーーーー

 ・・・おぼえて、ふようなるもの・・・不用か、無用か・・・不要か、フヨウ・・・卯の俟つ爺は何を考えてイタンだか・・
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壱百六拾六段→一百陸拾陸→イチ、百、理句、拾、音、八、談(譚・探・旦)

2013-10-23 09:19:28 | 古事記字源
 ・・・ナガイナッ・・・ハジメの理句が二つのダン・・・
ーーーーー

 枕草子

 (一六六段)・・・百六十六段・壱佰六拾六段・壱六六段・陌陸足陸段

          1+6+6=13=十三=壱拾参=壱足参

          1×6×6=36=三十六=参拾六=参足陸

 宰相中將齊信、

 (最小得・最少・妻妾、

  中、

  将に再診・再審・細心・再伸

    細心・砕身

    最新・歳審・歳新

    差維新)

ーー↓

 宣方の中將と參り給へるに、

 (撰方・選方、之

  中、将にと、

  纂理・算理、

  他真得留)

ーー↓

 人々出でて物などいふに、

 (日と比と意出氐、異出弖、

  者、摸之、等、移付爾)

ーー↓

 ついでもなく、

 (対出摸名句)

ーー↓

 「明日はいかなる詩をか」

 (あす・亜素・蛙巣・亞主

  ミョウヒ・名比・妙斐・命日

  みょうにち・冥爾知

  葉

  如何なる史・詞・士・示

  於掛)

ーー↓

 といふに、

 (問い譜爾・渡移付似・土肥附似)

ーー↓

 いささか思ひめぐらし、

 (聊か・些か・異差作化・・・)

ーー↓

 とどこほりなく、

 (滞りなく・「椴・鯔・百々」拠補理名句)

ーー↓

 「人間の四月をこそは」

 (・・・「示月・死月・史解通」緒こそ葉)

ーー↓

 と答へ給へる、

 (・・・)

ーー↓

 いみじうをかしくこそ。

 (意味字得、お貸し句拠祖)

ーー↓

 過ぎたることなれど、

 (・・・)

ーー↓

 心えていふはをかしき中にも、

 (・・・  「犯し記・冒し紀・御貸基

       ・岡子規」似摸)

ーー↓

 女房などこそさやうの物わすれはせね、

 (音名附作・・・)

ーー↓

 男はさもあらず、

 (音拠葉、作摸、在らず)

ーー↓

 詠みたる歌をだになまおぼえなるを、

 (代視・世視・与実・黄泉・・・

         名真憶え成る緒)

ーー↓

 まことにをかし。

 (・・・)

ーー↓

 内なる人も、

 (得知名留ヒト摸)

ーー↓

 外なる人も、

 (祖賭名留ヒト摸)

ーー↓

 心えずとおもひたるぞ理なるや。

 (・・・      コトワリなるや)

ーー↓

 この三月三十日廊の一の口に、

 (「纂・算・産・山」解通、

     「ミソカ・参拾・纂拾」比

     「クルワ・繰る話」之

     「はじめ・イチ」之

     「くち・く・考・交・項・行」爾)

ーー↓

 殿上人あまた立てりしを、

 (伝条ヒト、天田・数多・海人多・海士多・・・)

ーー↓

 やうやうすべりうせなどして、

 (洋々、滑り・総り 失せ・・・)

ーー↓

 ただ頭中將、

 (多拿、かしら・唐・問・等、中、将に)

ーー↓

 源中將、

 (みなもと、中、将に)

ーー↓

 六位ひとりのこりて、

 (陸尉・録意、ヒトリ・・・)

ーー↓

 よろづのこといひ、

 (萬、之、糊塗・異・言、意比)

ーー↓

 經よみ、

 (へ・ケイ・キョウ)

ーー↓

 歌うたひなどするに、

 (・・・得他意等・・・)

ーー↓

 「明けはてぬなり、

 (・・・ハテ、ヌ、名理)

ーー↓

  歸りなん」

 (カエ理、名務)

ーー↓

 とて、

 (トテ)

ーー↓

 露は別の涙なるべしといふことを、

 (賂、葉、捌、之、名実拿・・・)

ーー↓

 頭中將うち出し給へれば、

 (・・・)

ーー↓

 源中將もろともに、

 (原注・元注、将に諸共に・・・)

ーー↓

 いとをかしう誦じたるに、

 (・・・)

ーー↓

 「いそぎたる七夕かな」

 (礒・磯・意素義・・・)

ーー↓

 といふを、

 (問い附・土肥附)

ーー↓

 いみじうねたがりて、

 (意味字得、強請がりて)

ーー↓

 曉の別のすぢの、

 (あかつき、之、捌、之、筋、之)

ーー↓

 ふと覺えつるままにいひて、

 (・・・)

ーー↓

 わびしうもあるわざかな」と、

 (話備集、摸、・・・)

ーー↓

 「すべてこのわたりにては、

 (・・・渡り・亘理・渉り・亘・亙り・・・)

ーー↓

  かかる事思ひまはさずいふは、

 (カカル言・・・)

ーー↓

  口惜しきぞかし」

 (・・・)

ーー↓

 などいひて、

 (等・・・)

ーー↓

 あまりあかくなりにしかば、

 (余り、「閼伽・赤・垢・銅」句

       ・・・死か場)

ーー↓

 「葛城の神、

 (かずらぎ・蔓木・鬘着・数等疑、之、咬み)

ーー↓

  今ぞすぢなき」

 (・・・)

ーー↓

 とて、

 (・・・)

ーー↓

 わけておはしにしを、

 (訳・和気・別懸・湧け・話化)

ーー↓

 七夕のをり、

 (史知有、之、織)

ーー↓

 この事を言ひ出でばやと思ひしかど、

 (・・・)

ーー↓

 宰相になり給ひにしかば、

 (・・・)

ーー↓

 必しもいかでかは、

 (・・・)

ーー↓

 その程に見つけなどもせん、

 (・・・)

ーー↓

 文かきて、

 (・・・)

ーー↓

 主殿司してやらんなど思ひし程に、

 (主伝詞・・・)

ーー↓

 七日に參り給へりしかば、

 (名之化爾、纂理・・・)

ーー↓

 うれしくて、

 (・・・)

ーー↓

 その夜の事などいひ出でば、

 (・・・)

ーー↓

 心もぞえたまふ。

 (・・・)

ーー↓

 すずろにふといひたらば、

 (・・・)

ーー↓

 怪しなどやうちかたぶき給はん。

 (・・・)

ーー↓

 さらばそれには、

 (・・・)

ーー↓

 ありし事いはんとてあるに、

 (・・・)

ーー↓

 つゆおぼめかで答へ給へりしかば、

 (・・・)

ーー↓

 實にいみじうをかしかりき。

 (・・・)

ーー↓

 月ごろいつしかと思ひ侍りしだに、

 (・・・)

ーー↓

 わが心ながらすきずきしと覺えしに、

 (・・・)

ーー↓

 いかでさはた思ひまうけたるやうにの給ひけん。

 (・・・)

ーー↓

 もろともにねたがり言ひし中將は、

 (・・・)

ーー↓

 思ひもよらで居たるに、

 (・・・)

ーー↓

 「ありし曉の詞いましめらるるは、

 (・・・「あかつき

      さとる

      さとす・ギョウ」の史・・・

           ↓

       仰・凝・尭・形・暁・曉・業・行・驍)

     「・・・した暁には・・・報酬、褒美」

      成果、結果の見返りには、

     「ボーナス」である・・・

ーー↓

  知らぬか」

 (・・・)

ーー↓

 との給ふにぞ、

 (・・・)

ーー↓

 「實にさしつ」

 (・・・)

ーー↓

 などいひ、

 (・・・)

ーー↓

 「男は張騫」

 (音拠はチョウケン→朝憲・・・)

    張騫(?~紀元前114年)

    字は子文

    漢中郡(顔師古の注は成固)の出身

    武帝の命により匈奴に対する

    同盟を説くために

    大月氏へと赴き、

    漢に西域の情報をもたらす

    建元年間(紀元前140年~紀元前135年)

   「郎」となる

    大月氏に対して、

    対匈奴の同盟を説く使者に

    自薦し選任される

    月氏は匈奴と争って

    冒頓単于に大敗、冒頓の子の

    老上単于の軍に敗れて王が殺され、

    老上はその王の頭蓋骨をくりぬいて杯にした

    後、月氏は北へと逃れ、

    大月氏とよばれた

    漢は大月氏と同盟し

    匈奴に対して

    挟撃作戦を狙って

    張騫を使節団として大月氏に送ったが

    隴西(甘粛省)から出た直後に

    匈奴に捕らえられてしまった

    匈奴の軍臣単于は張騫の目的が

    大月氏への使者であると知り

    張騫を

    十余年間に渡って拘留

    匈奴は張騫に妻を与え、子供も得たが、

    張騫は漢の使者の

    証である

    符節を手放さなかった

    後、匈奴の地から脱出し

    西へ向かい

    大宛(フェルガナ)に至った

    この地の王は張騫を歓待し

    大月氏までの道を教えた

    大月氏は匈奴に追われて北に逃げ、

    更に、

    烏孫に追われ、西へと逃げていた

    張騫は

    康居へ立ち寄った後に

    大月氏の町へとたどり着く。

    月氏の王に漢との同盟を説くが、

    月氏王はこれを受け入れなかった。

    月氏は

    大夏(グレコ・バクトリア王国orトハラ国)を

    服属させ、政治的には安定し

    匈奴への復讐心は無くなっていた

    大月氏との同盟に失敗した

    張騫は帰路に

    崑崙山脈を伝って行き、

    チベット(西蔵)系民族である

    羌族の支配地を通っている途中、

    再度、匈奴に囚われるが

    一年余りして

    軍臣単于が死去し

    匈奴に内部対立が発生し

    その隙に脱出し

    紀元前126年に漢へ帰還した

    出発時の従者100人余りは

    帰還時には2人になっていた

    張騫の西域情報報告で

    この功績により

    太中大夫とされた

    紀元前123年

    武帝は大将軍

    衛青

    率いる匈奴への遠征軍を発進

    張騫は衛尉・博望侯となるが

    紀元前121年の遠征の際に

    期日に遅れた罪で死罪となるが

   「金銭」で贖って・・・・・・・・・?

    庶民に落とされた。

    紀元前119年に

    烏孫への使者として赴任

    紀元前114年に死去

    張騫の孫の

    張猛は

    匈奴の

    呼韓邪単于と・・・・「アカンジャ、タンウ」

    盟を結び、

    一時期

    元帝に信任された

ーー↓

 などいふことを、

 (・・・)

ーー↓

 人には知らせず、

 (・・・)

ーー↓

 この君と心えていふを、

 (・・・訓と)

ーー↓

 「何事ぞ何事ぞ」

 (何言、ソ、何糊塗ソ)

ーー↓

 と源中將はそひつきて問へど、

 (皆本、中、将に副い付き出、問え度)

ーー↓

 いはねば、

 (「岩・磐・石・巌・違和」音、葉)

ーー↓

 かの君に

 (・・訓爾→訓示・訓辞・訓字)

ーー↓

 「猶これの給へ」

 (なお、・・・)

ーー↓

 と怨みられて、

 (と、裏視、等、例・出)

ーー↓

 よき中なれば聞せてけり。

 (・・・)

ーー↓

 いとあへなく言ふ程もなく、

 (意図、和え名句・合重名句・・・)

ーー↓

 近うなりぬるをば、

 (・・・)

ーー↓

 「押小路のほどぞ」

 (おしこうじ→推し後事、の、歩度・補努、ソ)

  オウショウジ=王将時→奥羽生死・応召時

ーー↓

 などいふに、

 (・・・)

ーー↓

 我も知りにけると、

 (臥・・・)

ーー↓

 いつしか知られんとて、

 (何時史か・・・)

ーー↓

 わざと呼び出て、

 (態と・・・)

ーー↓

 「碁盤侍りや、

 (語判・・・)

ーー↓

  まろもうたんと思ふはいかが、

 (マロモウタン・・・麻呂、妄譚

            異化臥)

ーー↓

  手はゆるし給はんや。

 (主・・・)

ーー↓

  頭中將とひとし碁なり。

 (頭、中、将に問い年

        賭比年、後・・・)

ーー↓

  なおぼしわきそ」

 (名、思し、和基礎)

ーー↓

 といふに、

 (問い附爾)

ーー↓

 「さのみあらば定めなくや」

 (差・叉・作、のみ・・・)

ーー↓

 と答へしを、

 (・・・)

ーー↓

 かの君に語り聞えければ、

 (・・・訓・・・)

ーー↓

 「嬉しく言ひたる」

 (うれしく=得例史句・・・)

ーー↓

 とよろこび給ひし。

 (と、代賂拠備・・・)

ーー↓

 なほ過ぎたること忘れぬ人はいとをかし。

 (・・・)

ーー↓

 宰相になり給ひしを、

 (・・・)

ーー↓

 うへの御前にて、

 (・・・)

ーー↓

 「詩をいとをかしう誦じ侍りしものを、

 (史・・・)

ーー↓

  蕭會稽の古廟をも過ぎにしなども、

  ↓

 (蕭曄=蕭曅・ショウヨウ467年~494年)

  南朝斉の皇族

  武陵昭王

  ↓

  蕭会稽

  →会稽郡の丞となった蕭允→「陳書・蕭允伝」

  481年(建元三年)武陵王「蕭曄」が会稽郡太守

  持節

  都督会稽東陽新安永嘉臨海五郡軍事

  会稽郡太守として出向

  高帝蕭道成の五男

  字は宣照、あるいは宣昭

  小字は三昧

  弓射、篆書や囲碁を得意とした

  丹陽尹

  行事を置かず、自ら政事

  侍中・護軍将軍

  493年(永明十一年)

  蕭昭業が即位

  武帝の遺詔により

  衛将軍・開府儀同三司の位

  494年(隆昌元年)四月、死去

  享年は二十八・司空位を追贈

  資料

  「南斉書・巻三十五・列伝第十六」

  「南史・巻四十三・列伝第三十三」

    ↓

  しょうかいけい→将、商、会計(海景)

  証、 会 稽=魏志倭人伝・・・

ーー↓

  誰か言ひはべらんとする。

 (・・・)

ーー↓

  暫しならでもさぶらへかし。

 (暫=ザン=しばらく・・・

  歌舞伎十八番の一つ・

  「しばらく」

  と言って悪人をやつける段の場・・・)

  ↓

  悪党の清原武衡が、加茂次郎義綱ら

  多人数の善良な男女を捕らえ、

  清原武衡が成田五郎ら家来に命じ、

  加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、

  鎌倉権五郎景政が

 「暫く~」の一声で、さっそうと現われて助ける・・・

  Just A Moment!!→チョット、マテぇ~ッ

 「暫」を立女形が演じる「女暫(おんなしばらく)」

 「女暫」は

 「巴御前」と

 「板額御前(はんがく ごぜん」

  大太刀をさげて花道を早足で

 「しばらくぅ~」と登場

ーー↓

  口惜しきに」

 (・・・)

ーー↓

 など申ししかば、

 (・・・)

ーー↓

 いみじう笑はせ給ひて、

 (・・・)

ーー↓

 「さなんいふとて、

 (作難・・・)

ーー↓

  なさじかし」

 (名作字貸)

ーー↓

 など仰せられしもをかし。

 (・・・)

ーー↓

 されどなり給ひにしかば、

 (・・・    死か場)

ーー↓

 誠にさうざうしかりしに、

 (・・・「想像・創造」史、仮示)

ーー↓

 源中將おとらずと思ひて、

 (・・・)

ーー↓

 ゆゑだちありくに、

 (故・結え→由来・・・立、有り句爾)

ーー↓

 宰相中將の御うへをいひ出でて、

 (・・・)

ーー↓

 「いまだ三十の期に逮ばずといふ詩を、

 (・・・ミソの語・・・)

ーー↓

  こと人には似ず、

 (言ヒト爾葉似ず)

ーー↓

  をかしう誦じ給ふ」

 (・・・)

ーー↓

 などいへば、

 (等・・・)

ーー↓

 「などかそれに劣らん、

 (等・・・)

ーー↓

  まさりてこそせめ」

 (・・・)

ーー↓

 とて詠むに、

 (・・・ヨム爾)

ーー↓

 「更にわろくもあらず」

 (・・・「倭・和・話」録摸・・・)

ーー↓

 といへば、

 (問い重葉)

ーー↓

 「わびしの事や、

 (詫び史・和備史・侘び史、之、

      コト・糊塗・言・異、

       ヤ・也・埜・耶)

ーー↓

  いかで、

 (・・・)

ーー↓

  あれがやうに誦ぜで」

 (・・・)

ーー↓

 などの給ふ。

 (・・・)

ーー↓

 「三十の期といふ所なん、

 (三重→参拾→纂拾、之、記・紀・・・日本書記)

ーー↓

  すべていみじう、

 (・・・)

ーー↓

  愛敬づきたりし」

 (愛郷→合い郷→会津・・・)

ーー↓

 などいへば、

 (・・・)

ーー↓

 ねたがりて笑ひありくに、

 (強請がりて・・・)

ーー↓

 陣につき給へりけるをりに、

 (・・・)

ーー↓

 わきて呼び出でて、

 (わき・脇・腋・傍・側・湧・沸・和気

     訳・分・別・・・)

ーー↓

 「かうなんいふ。

 (考・交・項・乞う・公・口・請)

ーー↓

  猶そこ教へ給へ」

 (なお・・・)

ーー↓

 といひければ、

 (・・・)

ーー↓

 笑ひて教へけるも知らぬに、

 (・・・)

ーー↓

 局のもとにて、

 (・・・)

ーー↓

 いみじくよく似せて詠むに、

 (・・・)

ーー↓

 あやしくて、

 (・・・)

ーー↓

 「こは誰そ」と問へば、

 (・・・)

ーー↓

 ゑみごゑになりて、

 (笑み声→重視、越、肥・・・)

ーー↓

 「いみじき事聞えん。

 (・・・)

ーー↓

  かうかう昨日陣につきたりしに、

 (・・・)

ーー↓

  問ひ來てたちにたるなめり。

 (・・・)

ーー↓

  誰ぞと、

 (・・・)

ーー↓

  にくからぬ氣色にて問ひ給へれば」

 (・・・)

ーー↓

 といふも、

 (・・・)

ーー↓

 わざとさ習ひ給ひけんをかしければ、

 (技・伎・業・芸、土佐・・・)

ーー↓

 これだに聞けば、

 (・・・)

ーー↓

 出でて物などいふを、

 (・・・)

ーー↓

 「宰相の中將の徳見る事、

 (・・・)

ーー↓

  そなたに向ひて拜むべし」

 (・・・)

ーー↓

 などいふ。

 (・・・)

ーー↓

 下にありながら、

 (解・・・)

ーー↓

 「うへに」

 (得重似)

ーー↓

 などいはするに、

 (・・・)

ーー↓

 これをうち出づれば、

 (・・・)

ーー↓

 「誠はあり」

 (誠=新撰組・赤穂浪士

  允=木戸孝允

  真人=天武天皇=大海人皇子)

ーー↓

 などいふ。

 (・・・)

ーー↓

 御前にかくなど申せば、

 (・・・)

ーー↓

 笑はせ給ふ。

 (・・・)

ーー↓

 内裏の御物忌なる日、

 (内の裏の音、物、意味なる比)

ーー↓

 右近のさうくわんみつなにとかやいふものして、

 (・・・そう、食わん、蜜、・・・)

ーー↓

 疊紙に書きておこせたるを見れば、

 (常史・・・)

ーー↓

 「參ぜんとするを、

 (纂全・・・)

ーー↓

  今日は御物忌にてなん。

 (・・・)

ーー↓

  三十の期におよばずは、

 (・・・)

ーー↓

  いかが」

 (・・・)

ーー↓

 といひたれば、

 (・・・)

ーー↓

 返事に、

 (・・・)

ーー↓

 「その期は過ぎぬらん、

 (その語、記、企・・・)

ーー↓

  朱買臣が妻を教へけん年にはしも」

 (・・・)

ーー↓

 と書きてやりたりしを、

 (・・・)

ーー↓

 又ねたがりて、

 (・・・)

ーー↓

 うへの御前にも奏しければ、

 (・・・)

ーー↓

 宮の御かたにわたらせ給ひて、

 (・・・)

ーー↓

 「いかでかかる事は知りしぞ。

 (・・・)

ーー↓

  四十九になりける年こそ、

 (・・・)

ーー↓

  さは誡めけれとて、

 (・・・イマシメ化例・・・)

ーー↓

  宣方はわびしういはれにたりといふめるは」

 (・・・)

ーー↓

 と笑はせ給ひしこそ、

 (・・・)

ーー↓

 物ぐるほしかりける君かなとおぼえしか。

 (・・・     訓、仮名・・・)

ーーーーー

 ・・・

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コロコロ・頃・項→部首漢字の「頁」に合体する漢字のスベテ→海路

2013-10-22 09:05:22 | 古事記字源
 突込みが今一だったかな、NHK「スペシャル(病の起源・うつ病)」・・・「うつ病」の根幹が「共同体の(食糧)の平等分配」と云いながら、「社会的な病」である「個々人の鬱病」が「治療可能」であるとは・・・「自分自身の人間関係での立場と、そのポジションでの納得」、「環境」を変えれば、「鬱」が無くなるッ、てか?・・・「個々人の心のバランスが過度に崩れる」のは「階級社会の衣食住のバランスの格差」、「階級社会での衣食住を確保するための職業的ポジションの上下関係」が基盤だが・・・求められるべきモノは、「個々人の平等」ではなく、「個々人の社会的公平」であるだろう・・・
 「社会的公平」が実現されても「鬱」は解決しないだろう。「社会的人間」は個々人に於いて「体力・能力・年齢・男女・家族であるジジババ、親兄弟姉妹・親戚・環境」が、生まれた時から「平等、対等」ではないからである。「鬱」のホトンドは個人と「他人間の諸関係」のギャップから起きる・・・先ずは「己の存在」が社会的人間として必要とされている、との「自覚」である。それも「人間」としての「教育プログラム」が必要である・・・そのプロセスで「人間諸関係」での「躁」も「鬱」も、「ストレス」も個々人の「意識・認識・思惟・判断」する「人生」には「必要」なモノなのだ。問題は「基準値を上下、左右する心のバランスの機能性」である・・・この「機能」を壊しているのが「階級社会」と云うものである。だが、「社会的公平」を保障されても、その個人の、相互諸関係の過度な「躁・鬱・ストレス」を緩和する「要」で、前提ではあろうが、「鬱」は解消されないモノだろう・・・

 「狩猟社会」に「鬱」が少ないと言うのも怪しいモノである・・・獲物の狩場は「戦場」に類似している。狩で失敗もすれば、命を失うコトもある。時には猛獣とも遭遇する・・・そして、自然界の生物が弱肉強食の世界で「躁鬱」と「ストレス」で生存しているのはTV番組の「ダーウインが来た」をみれば理解できるし、実験室の「マウス」を観察していれば理解できると言うもんだ・・・

 「トラウマ(trauma=posttraumatic stress disorder=ポストトラウマティック・ストレス・ディスオーダー=心的外傷・精神疾患」には逃げ込む「場所(病症状態)」があるが、支える人間がいなければドウショウモない。「恐怖に耐え切れず脳ミソ機能が自己破壊」する場合もあれば、「肉体的な絶命」もする場合がある・・・だが、普段はホトンドが正常に意識的な生活しているのだ。突然襲ってくる「病症」・・・「過去の事実的経験」をハッキリと自覚させるコト、自覚するコトである・・・

 なんでも「忘れちゃァ、イケナイ」が、「ボケ」てしまえば「鬱もトラウマ」も解消される・・・ワタシはダレ・・・周りはタイヘンだろうケレド・・・生きている者同士、ナンとか「お付き合い」をしていくのが「人間社会」と云うモノである・・・そして「病気」とのお付き合いも・・・

 三合会局の火、「虎(コ・とら)馬(バ・うま)犬(ケン・いぬ)」

        「寅(イン)  午(ゴ)   戌(ジュツ・シュチ)」

 ・・・「とらうま」の「戌(イヌ)=ト+戈(カ・ほこ)」・・・

           ↓

 敵対するのは、  「沖・冲」で、出てくるモノは「戊(ボ)」と「己(キ)」

           ↑   戊(ボ・ム)=人心、人の脅(むね)に象る?

↑ 脅=胸・胸の両側

           ↑   脅=脇=「肉+(力+力+力)」

           ↑ 「」は力を入れた手で挟み込む意

           ↑   脅息・脅肩・脅威・脅喝・脅嚇・脅迫

           ↑   脇=腋=掖

           ↑   脇腹・関脇・脇句・脇構え・脇鉋・脇狂言

           ↑  「脅(おびえる)」と「脇(わき)」は

           ↑   元々同義意字だったが、後に区別され使用された  

 三合会局の水、「猿(エン・さる)鼠(ソ・ねずみ)龍(リュウ・たつ)」

        「申(シン)   子(シ)    辰(シン)」

 ・・・「さるねずみ」の「辰(タツ)=厂(がんだれ・カン・ガン)+衣(ころも)」・・・

 「脅(おびやかす・おびえる・キョウ)」が「胸(むね・むな・キョウ)」なら、脅かされる瞬間には無意識に「両脇に力が入る」し、何かの切っ掛けが無意識の中で過去の事件に「関連、連結」し「胸が痛む」ハズである・・・「トラ・ウマ」には「イヌの鳴き声」である・・・「サル・ネズミ(こ・ね・シ・ソ)」には「タツの目、鬚(髭・髯・卑下)、爪」である・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一六五段)・・・百六十五段・壱佰六拾五段・壱六五段・陌陸足伍段

          1+6+5=12=十二=壱拾弐=足仁

          1×6×5=30=三十=参拾=世

ー↓

 故殿の御服の頃、

 (古伝→虎伝→子伝→胡伝→虚伝、音伏、之、うなじ)

ー↓

 六月三十日の御祓といふ事に出でさせ給ふべきを、

 (陸解通視蘇我→楚歌=四面楚歌→史面訴化・・・)

 (水無月(みなづき)、みそか、之、音ハラエ・・・)

ー↓

 職の御曹司は方あしとて、

 (識→史記→如き→私記、之、音草子→隠蔵史→怨憎詞)

ー↓

 官のつかさのあいたる所に渡らせ給へり。

 (巻、之、司之、アイタル・・・)

 (館長・艦長・干潮・間諜・患調・浣腸)

ー↓

 その夜は、

 (その代→世→予→与→余→豫→田豫・豫譲(知己)

        ↓

        予後=ある疾患に罹患したとき、

        将来どのような経過あるいは終末を

        とるかを予測すること

        俗には病後の経過をさしていう)

ー↓

 さばかり暑くわりなき闇にて、

 (作葉掛理、篤く、割→話理、名記、病みにて)

ー↓

 何事も。

 (何字摸→難言摸)

ー↓

 せばう瓦葺にてさまことなり。

 (狭う→施葉得、河原、川原、付記、伏にて様異なり)

 (亙→ガ・ゲ・g→グラム、葺→シュウ・ふき・ふく)

 (カワラフキ=斎宮の「忌詞=イミことば」で「寺(ジ)」)

ー↓

 例のやうに格子などもなく、

 (・・・ 行詞等・・・)

ー↓

 唯めぐりて御簾ばかりをぞかけたる、

 (・・・ ミス(Miss・Ms・miss・mistake)・・・

ー↓

 なかなか珍しうをかし。

 (名仮名化→納金化、メズラシウ、ヲカシ)

ー↓

 女房庭におりなどして遊ぶ。

 (にょうぼう→似与望、似話等・・・阿蘇部)

ー↓

 前栽には萱草といふ草を、

 (前差異→全差違→繕歳・・・伽耶具作・・・句差を)

ー↓

 架垣ゆひていと多く植ゑたりける、

 (かける、かき、行いて→結ひて・・・)

ー↓

 花きはやかに重りて咲きたる、

 (葉名記・・・)

ー↓

 むべむべしき所の前栽にはよし。

 (宜、ム部、詞記・・・)

ー↓

 時づかさなどは唯かたはらにて、

 (字・・・)

ー↓

 鐘の音も例には似ず聞ゆるを、

 (金垂・・・)

ー↓

 ゆかしがりて、

 (見たい・聞きたい・知りたい・懐かしい・・・)

ー↓

 若き人々二十餘人ばかり、

 (話書き・・・)

ー↓

 そなたに行きてはしり寄り、

 (蘇名他爾、行、記、手、葉知り、縒り)

 (ソナタ→sonata=演奏・器楽曲・・・)

ー↓

 たかき屋にのぼりたるを、

 (他化記、置く爾、之簿理他留緒)

ー↓

 これより見あぐれば、

 (・・・ 蛙具→愚、例葉)

ー↓

 薄鈍の裳、

 (うすにび・うすのろ・・・)

ー↓

 同じ色の衣單襲、

 (・・・比も、ひとえカサね)

ー↓

 紅の袴どもを著てのぼりたるは、

 (クレナイ之、ハカマ・・・)

ー↓

 いと天人などこそえいふまじけれど、

 (意図、転じん等、・・・意付真字懸例度)

ー↓

 空よりおりたるにやとぞ見ゆる。

 (そら・あき・クウ・・・)

ー↓

 おなじわかさなれど、

 (・・・若狭・若桜・和歌作・話掛作、)

ー↓

 おしあげられたる人はえまじらで、

 (・・・      重交じ等出)

ー↓

 うらやましげに見あげたるもをかし。

 (・・・)

ー↓

 日暮れてくらまぎれにぞ、

 (比句例出)

ー↓

 過したる人々皆立ちまじりて、

 (あやまち・・・)

ー↓

 右近の陣へ物見に出できて、

 (得金・有混、之・・・)

ー↓

 たはぶれ騒ぎ笑ふもあめりしを、

 (・・・     亜米利史緒)

ー↓

 「かうはせぬ事なり、

 (交 葉施ぬ字名理)

ー↓

  上達部のつき給ひしなどに、

 (艦立ち目之月・・・)

ー↓

  女房どものぼり、

 (・・・)

ー↓

  上官などの居る障子を皆打ち通しそこなひたり」

 (上巻→乗艦・・・章字→商事・・・)

ー↓

 など苦しがるものもあれど、

 (・・・)

ー↓

 ききも入れず。

 (記紀→危機→訊き・・・)

ー↓

 屋のいと古くて、

 (耶→邪、之、意図、振る句出)

 (オク之、意図濃くて)

ー↓

 瓦葺なればにやあらん、

 (かわらぶき・・・)

 (カワラフキ=斎宮の忌詞で寺)

ー↓

 暑さの世に知らねば、

 (ショウサ=証左→尚査、商差、之・・・)

ー↓

 御簾の外に夜も臥したるに、

 (ミスの解爾、代も・・・)

ー↓

 ふるき所なれば、

 (振る記・・・)

ー↓

 蜈蚣といふもの、

 (ムカデ=百足、蜈蜙、蜈蚣、蝍蛆・多足亜門・唇脚綱)

ー↓

 日ひと日おちかかり、

 (比・・・比、おち、懸かり)

ー↓

 蜂の巣のおほきにて、

 (ハチ之ス・・・)

ー↓

 つき集りたるなど、

 (突→衝→尽→付→月→肉→ジク・・・)

ー↓

 いとおそろしき。

 (意図・・・)

ー↓

 殿上人日ごとに參り、

 (伝情人、比毎→比語渡爾、纂理)

ー↓

 夜も居明し、

 (・・・)

ー↓

 物言ふを聞きて、

 (・・・)

ー↓

 「秋ばかりにや、

 (安芸場→亜紀葉、借り似、哉)

ー↓

  太政官の地の、

 (他意→替→碓→退、生還

    →青函=青森ー函館)

ー↓

  今やかうのにはとならん事を」

 (・・買う→公→乞う、埜似葉・・・)

ー↓

 と誦し出でたりし人こそをかしかりしか。

 (・・・)

ー↓

 秋になりたれど、

 (安芸似名理多例土)

ー↓

 かたへ涼しからぬ風の、

 (過多経、すず真詞、借らぬ掛施→枷、・・・)

ー↓

 所がらなめり。

 (・・・)

ー↓

 さすがに蟲の聲などは聞えたり。

 (流石似・・・)

ー↓

 八日にかへらせたまへば、

 (捌比)

ー↓

 七夕祭などにて、

 (たなばたまつり・・・)

 (タナバタ・・・)

ー↓

 例より近う見ゆるは、

 (・・・)

ー↓

 ほどのせばければなめり。

 (補度・・・)

 (せば=…だったら・もし…なら)

ーーーーー

 ・・・?・・・

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遠き所より思ふ人の文を得て

2013-10-20 15:23:29 | 古事記字源
 ・・・物置掃除・・・ペンキ塗り・・・4時半から「昇月」と「落日」が同時に起こるかと思いきや・・・「落日」しても、「昇月」が現われない・・・一日経過後の月と太陽の時間差・・・摩訶不思議にも思える・・・「秘密」にしたら「秘密を暴くヒト」が出てくる・・・そして「秘密を暴いたヒト」は「暴いた自分を秘密」にするのさッ・・・「豚箱イリ」になるからね・・・ヒミツ社会は「階級国家」、「階級組織」の「必然」である・・・「内閣官房機密費」はどうなったんだかね?・・・かっての「ソ連収容所群島」・・・それよりも餓えた「失業老人・家無き老人」が犯罪で食う場所、寝る場所にありつける「監獄列島満杯」で潰れてしまうかも・・・TVの「土曜プレミアム・アンフェア」をみたけれど・・・なんで「雪の平の夏の見」なんだか・・・!?・・・「信じられるのは、自分だけ」とは・・・結末・・・ナゼ、「殺してしまった」んだか・・・「ガン・ファイター」のカーク・ダグラスには憬れたけれど・・・
ーーー
http://youtu.be/NxSZ9E5QWh8

http://www.youtube.com/watch?v=Uxc7C1b2Cow

ーーーーー
 枕草子
 (一六四段)・・・百六十四段・壱佰六拾四段・壱六四段・陌陸足肆段
          1+6+4=11=十一=壱拾壱=足壱
          1×6×4=24=二十四=弐拾四=仁足肆
 こころもとなきもの
 (個々賂本無き物)
ー↓
 人の許に、
 (比渡之本似)
ー↓
 頓(とみ・トン)の物ぬひにやりて待つほど。
 (登美のモノ、にやりて、まつほどに
               麻津浦、渡邇
               真通補 努似)
ー↓
 物見に急ぎ出でて、
 (物件似、為祖義、意出て)
ー↓
 今や今やとくるしう居入りつつ、
 (意真矢、為麻耶と、玖留示有、伊委里通都)
ー↓
 あなたをまもらへたる心地。
 (「彼方・貴女・貴方・阿鉈→婀娜→婀娜→仇」を
      護らへたる此処知)
ー↓
 子産むべき人の、
 (子=鼠→イエス・クリストの母・聖母マリア)
  ↓
 (試算無「冪→可・経基」日渡之)
ー↓
 ほど過ぐるまでさるけしきのなき。
 (補努選るまで「沙流→然・申・猿・去」気色の無き)
ーー↓
 (ホト・・・)→「陰府」←「陰処」
  ↓
 「終わりのときに、
  死者にまで・・・・・・試写・使者→信徒・宣教師
  福音が・・・・・・・・伏音臥・複音臥
  告げ知らされ、
  肉に・・・・・・・・・字句爾
  おいて・・・・・・・・措いて・於いて・置いて
  裁かれ、・・・・・・・捌←八←葉・場
  神のうちに・・・・・・カミの同音異字のスベテ
  霊によって・・・・・・レイ
             例・令・礼=禮
             麓(ふもと)
             鈴(須々)→「濯・漱・雪」
             零・齢・・・西暦0年は無い
             礪(とぐ)=砺→研・砥
                   磨→太安萬侶
             栃(とちぎ)→水戸
             蠣(かき)=牡蛎→蠣崎=武田
             励(はげます)
             戻(もどります)
             隷(しもべです)
  生きるようになる(4:6)」
 「使徒信条」の「陰府にくだり」→「陰府」
ー↓  ↑
 遠き所より思ふ人の文を得て、
  ↓
 「パウロの七書簡」
 「ローマの信徒への手紙」
 「コリントの信徒への手紙一」
 「コリントの信徒への手紙二」
 「ガラテヤの信徒への手紙」
 「フィリピの信徒への手紙」
 「テサロニケの信徒への手紙一」
 「フィレモンへの手紙」
  他に
 「テサロニケの信徒への手紙二」、
 「コロサイの信徒への手紙」、
 「エフェソの信徒への手紙」
  ↓
 コリント人への第一の手紙
 (「コリントの信徒への手紙一=二コリ」)
   ↓
 十一章
 パウロの人生における困難
 十二章
 「第三天まであげられた」という神秘体験
  自分に与えられた「とげ」について
 「使徒言行録(20・2)」
 パウロはこのあと、コリントを訪れて三ヶ月滞在
 同地で「ローマの信徒への手紙」を執筆
  ↓
 ユダ書と「ペトロの手紙二」は類似している・・・
 「ペトロの手紙二」の著者が「ユダ書」をコピーした・・・
ーーーーー↑
 ・・・兎に角、
 「シモン・ペトロ(岩・磐・石・ケファ(アラム語)=ピーター=ペーター=ピエール=ピヨートル=ピエトロ=ペドロ・漁師・?~67年」も、
 「パウロ=パウロス=パウエル=パブロス=ポール=Παῦλος Paulos・Paul・テント職人・?~65年?」→「ラテン語で小さい(small)」も
 「キリストの福音(コトバ)」では無い、「間違った教え」に対する「危機感」で「キリスト教信徒」は当初、「ユダヤ国家内」の各地に「宣教」の為に散らばった・・・それは、「ローマ帝国内のユダヤ人」に対しても拡大し、更には「ユダヤ人以外」にも拡大し、さらには「コンスタンチン大帝」の「313年のミラノ勅令」により「ローマ帝国の国教」となっていった。「奇跡の教義」は「政治権力者」に利用され、更に国際化し、「キリスト教」は戦国末期の日本を席巻し「耶蘇・天主教・基督」教となり、豊臣秀吉によって「切支丹・邪宗門」として禁止されたのである・・・ボクの「パウロ」に関しての「モウソウ」はヒマがあれば以下の「家ページ」へ・・・
ーー↓
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/hancyuron/hancyuron3.htm
ーーー↓
 ・・・で、
 使徒の
 ヤコブの手紙 (ヤコブ書) 主の兄弟ヤコブ
 ペトロの手紙一 (一ペトロ) ペトロ
 ペトロの手紙二 (二ペトロ) ペトロ
 ヨハネの手紙一 (一ヨハネ) 使徒ヨハネ
 ヨハネの手紙二 (二ヨハネ) 使徒ヨハネ
 ヨハネの手紙三 (三ヨハネ) 使徒ヨハネ
 ユダの手紙 (ユダ書)
 使徒ユダ (タダイ)と
 主の兄弟ユダの二説がある・・・?
   ↓  ↑
  「遠き所より思ふ人の文を得て、
ーーー↓
 (「十紀→壱拾紀」処より重譜比渡之文を得て)
ーーー↓
   第十代天皇
   崇神天皇
  (開化天皇十年~崇神天皇六十八年十二月五日)
   在位
  (崇神天皇元年一月十三日~崇神天皇六十八年十二月五日)
   和風諡号
   御間城入彦五十瓊殖天皇(日本書記)
  (みまきいりびこいにえのすめらのみこと)
   御真木入日子印恵命(古事記)
  (みまきいりひこいにえ)
ー↓
 かたく封じたる續飯など放ちあくる、
    續飯(そっくい)=そくいい=飯粒を練り潰し
             ↓    粘りけの強い糊
             ソクイイ=即位意
             ソクハン=足判
             ゾクハン=賊叛
                  続叛
 (かたく封じたる「續=続」判、等、ハナチ明ける)
ー↓
 心もとなし。
 (個々賂本名詞)
ー↓
 物見に急ぎ出でて、
 (・・・)
ー↓
 事なりにけりとて、
 (言生り爾化理渡出)
ー↓
 白き笞など見つけたるに、
 (「新羅」、「転け・扱け・虚仮」等見付たる)
ー↓
 近くやりよする程、
 (「近玖→知覚」、遣り、代する補度→保読)
ー↓
 佗しうおりてもいぬべき心地こそすれ。
 (ワビシう・・・)
ー↓
 知られじと思ふ人のあるに、
 (知られ事と・・・)
ー↓
 前なる人に教へて物いはせたる。
 (膳なる・・・)
ー↓
 いつしかと待ち出でたる兒の、
 (・・・       字之)
ー↓
 五十日百日などのほどになりたる、
 (語拾比、百比、等之・・・)
ー↓
 行末いと心もとなし。
 (行、末・・・)
ー↓
 頓のもの縫ふに、
 (登美之モノぬう似)
ー↓
 くらきをり針に糸つくる。
 (蔵記、「折(曲)」葉理爾、意図、通句留)
ー↓
 されど我はさるものにて、
 (・・・「沙流→申・然・猿」モノにて)
ー↓
 ありぬべき所をとらへて人につけさするに、
 (・・・)
ー↓
 それも急げばにやあらん、
 (・・・)
ー↓
 頓にもえさし入れぬを、
 (登美似摸、江刺、要れぬ緒)
ー↓
 「いで唯なすげそ」といへど、
 (「意出、多拿。名素、解蘇」問い経度)
ー↓
 さすがになどてかはと思ひがほにえさらぬは、
 (流石爾・・・        得、去らぬ歯)
 (夏目漱石          重、作等塗葉)
ー↓
 にくささへそひぬ。
 (字句佐差「臍→毘」比ヌ)
ー↓
 何事にもあれ、
 (「難事・何字」爾摸亜例)
ー↓
 急ぎて物へ行くをり、
 (・・・・行句・・・)
ー↓
 まづわがさるべき所へ行くとて、
 (・・・)
ー↓
 「只今おこせん」とて出でぬる車待つ程こそ心もとなけれ。
 (・・・)
 大路往きけるを、
 (対ロ・・・)
ー↓
 さなりけると喜びたれば、
 (作・・・)
ー↓
 外ざまに往ぬるいとくちをし。
 (外様・・・)
ー↓
 まして物見に出でんとてあるに、
 (・・・)
ー↓
 「事はなりぬらん」などいふを聞くこそわびしけれ。
 (字・時・・・)
ー↓
 子うみける人の、
 (音・・・)
ー↓
 後のこと久しき。
 (・・・)
ー↓
 物見にや、
 (・・・)
ー↓
 又御寺まうでなどに、
 (叉音字・・・)
ー↓
 諸共にあるべき人を乘せに往きたるを、
 (書教・・・)
 (もろとも→諸人)
ー↓
 車さし寄せたてるが、
 (句留真・・・)
ー↓
 頓にも乘らで待たするもいと心もとなく、
 (登美・・・)
ー↓
 うちすてても往ぬべき心地する。
 (・・・)
ー↓
 とみに煎炭おこす、
 (登美に・・・)
 (・・・「いりづみ→センタン」起こす)
      ↓    選炭・仙丹・尖端→棘・刺
    煎=いる・セン・いる
    焙煎・水分をいぶ(焙・燻)り出す
    煎餅・香煎
    煮出す・煎茶・煎薬
    煎海鼠(いりこ)=海鼠(ナマコ)の乾製品
            中国ではハイシェン(海参)
            炒物・煮物
            きんこ(光参)
ー↓
 いと心もとなし。
 (意図・・・)
ー↓
 人の歌の返し疾くすべきを、
 (・・・  トク・・・)
ー↓
 え詠み得ぬほど、
 (・・・)
ー↓
 いと心もとなし。
 (・・・)
ー↓
 懸想人などはさしも急ぐまじけれど、
 (けそう訊→仁・・・)
 (化粧人→化生人→恋人・愛人・請人・乞食)
ー↓ 
 おのづから又さるべきをりもあり。
 (自ずから・・・)
ー↓
 又まして女も男も、
 (叉・・・音名も音拠も)
ー↓
 ただに言ひかはすほどは、
 (タダ→ユダ・・・)
ーーーーー↓
 ・・・「十二使徒の金銭係のユダ」は悪者にされているけれど、「キリスト第一の信仰者」であった・・・「裏切り者」として「登場」するのは「キリスト自身の意図」以外のナニモノデモナイのである。「愛のキリスト」が「ユダ」を「見捨てる」ハズがないのは当然である。キリストのシナリヲは「ヒトビトを現実に救い拾うコト」である。「奇跡」は病を癒し、回復させる「医療技術」だったのだ・・・「天国への救い」ではない。「現実社会の苦痛に喘いでいる人々の生活と病の現実」での救済である。当然にも「医療」を必要としているヒトビトはホトンドが「最下層の貧困層」であった。しかも、「ローマ帝国支配下のユダヤ人の貧困層」である。「王のものはオウへ、神の者はカミへ」は「政治戦術」である。だか、根幹は「王のモノ」とは「富(トミ)」、「富の分配の問題」と「生殺与奪権」である・・・「ユダ」は「金(富・登美)」が「支配権力の根幹」であることを「キリストの信条」によって「告発」した「演技者(犠牲者)」だったのである・・・「キリストの殉教者」なのだ。「キリスト」は「政治的」には「ユダヤ民族主義者=モーゼ律法の厳格主義者」だった。だが、「医療奇跡」だけではローマ帝国支配下に置かれた属国ユダヤ国家は救えないのは「戦力の格差」である。ユダヤが「独立国家」、少なくても「自治州国家」として生き延びる道は「ロビー活動」である。「支配権力者、及び、権力者周辺」への接近、懐柔である・・・「パウロ(ローマ市民権有者のユダヤ人)」は「国際主義的」に「キリスト教」を波及させた・・・「民族主義者のパウロ」にとって、「ユダヤ民族、ユダヤ人の貧困者」が救われる「ユダヤ律法(殺すな・騙すな・盗むな・差別するな)の実現条件」は「キリスト教」を「国際主義的な宗教(一神教・一信教)」とするコトだった・・・だが、「ローマ帝国主義者」は、この「キリスト教」を取り込むことによって「ユダヤ人」を「排外・排撃・排除・排斥・排他」としたのである。一方、「ユダヤ人」は更に「権力者」が「カネ」で動く「拝金主義者」であることを見抜いての「世界戦略」を執った・・・「金融社会」である・・・
ー↓
 疾きのみこそはと思ふほどに、
 (「解→時」のみ・・・)
ー↓
 あいなく僻事も出でくるぞかし。
 (合い名句、璧→壁・碧・癖・日置→経記)
ー↓
 又心地あしく、
 (叉、個々知、足句→脚句→脚本)
ー↓
 物おそろしきほど、
 (モノ、於ソロ、如き、火土)
ー↓
 夜の明くるまつこそ、
 (「世→代→与」之・・・)
ー↓
 いみじう心もとなけれ。
 (意味字得・・・)
ー↓
 はぐろめのひる程も心もとなし
 (葉具賂目之比留補度もココロ本無し)
ーーーーー
 ・・・こころもとなし、妄想・・・でした・・・

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中居・金曜日・須磨・・・壱拾八日

2013-10-18 22:28:24 | 古事記字源
 夕方、時刻は16時35分頃、病院に行く途中北東の山間から薄黄色の大きな月が半分突き出し、北西の山裾に橙色の大きな太陽が同時に沈んでいった。空には雲ひとつない一日・・・今度は「台風27号」ですか・・・「症候」、「病+気」、「病+状」、「疾+病」・・・「疾病(シッペイ・シツビョウ)・疾患(シッカン)」・・・「日本語」の「一語」には「意味」があり過ぎだなぁ~である・・・よくもマァッ、こんな「言語・ことば」で生活しているもんだが・・・ヒトビトが「だまされる」のは「騙される言語基盤」がガッチリしているからだろう・・・「国会の質疑・応答」をTVで視て、キイてイテも・・・一方の「質疑」には「そうだ・そのとおりだナ」と思考反応するが・・・ソレに対する「応答」にも「なるほどナ」と思ってしまう・・・そのほとんどの「質疑応答」は「未来対処」に対する「どうする・どうなんだ・どうするつもりだ・すべきではナイか」に対する、「考えています・かんがえます・思います・するつもりです」・・・コトバの「未来形・已然形」での「質疑応答」である・・・具体的な「質疑」には「検討中・対処中」、「最大限努力中・努力をするつもり」・・・である・・・「ナイ」は「否定」なんだか、「肯定」なんだか・・・
 それに、この「国会質疑応答の報道」にナゼ「解説」がヒツヨウ(必要・必用)なんだか・・・

 「病気」に関してはもっと「シツヨウ(執拗)」な「解説」がヒツヨウだろうが・・・「執拗」の「拗」は「手+幼」で「ヨウ(エウ)・ねじる・ねじれる・ねじける・すねる・ねじれる・まっすぐでない」ある。ブログ辞典の「執拗」説明が「自分の意見にいつまでもこだわりつづけるさま・えこじ・がんこ」だが、それも「肯定・否定」するのも「一般的判断」の「正・誤」と、「善・悪」の内容次第である。「正誤・善悪」も「ダレの基準」なんだか、「ダレの常識」なんだか、「コレ、なぁ~に」、「どうして、ドウシテなの、なぜ、ナゼなの」と執拗に訊いて来るのはコトバを憶(覚)え始めた「幼子・幼児」である・・・漢字分解での理解ならば原則的な「部首(形象)文字」の意味さえ理解していれば「簡単」である・・・ならびに「同音文字漢字」がイメージできれば更にではあるが・・・原則は「形象」である。

 ・・・耳も大切だが「音」で確認する「ことば」は、目で確認する「コトバ」イジョウに微妙で曖昧である・・・だが「聴いた音」を記憶し、正確に「ピアノで再現」出来るヒト(日本人)がいる・・・今見終わったTV番組の「中居正広の金曜日のスマたちへ」・・・「世界の天才頭脳大集合スペシャル!」・・・そして「計算した結果の答え」を即時に出すヒト(ドイツ人)も・・・各数字が色で、しかも計算結果が、その「色の塊り」として頭の中で形成され、コトバ(音声)で表現できる・・・「悩の認識、記憶」の「機能」は理解できるとしても、ボクにはその「計算思考」機能は理解できない・・・それ以前にボクの「加減乗除の計算」思考は「紙と鉛筆」を使用したアナログ計算で、それでも間違ってしまう・・・計算機の利用では「キィボードの押し間違い」が多発だが・・・

 「催眠状態」での「医療手術」には「麻酔薬」は「無用」なのだろうか・・・以前、大陸中国では「ツボ(経絡)」に針を刺し、「無痛状態で患部の手術」に成功したと言うニュースがあったが・・・異常な「痛」は辛いけれど、精神的にも、肉体的にも「無痛」は怖ろしい・・・「正常」な人間感覚と人間意識、思考、判断の「異状事態」である・・・「ナニが正常」であるかの「基準」が問題ではあるのだが・・・その基準に対する「執拗」が徹底されていない・・・

ーー

 「病(やまい・ヒョウ・ビョウ・ヘイ)」

  病=疒(やまいだれ・ダク・ニャク)+丙(ひのえ・ヘイ)

    疒=亠+爿(ショウ・ソウ・牀=床・寝台)

         漢音→ヘイ・ヒョウ

             ↓

    丙(ひのえ・ヘイ・ヒョウ)→并(あわせる・ならぶ・ヘイ・ヒョウ)  

 「疾患の原因が明確になっているモノ?」は基本的に「丙(ヘイ)=火=熱」

 「病理学的に特徴のある場合の名称?」は基本的には「炎症」

 「症(ショウ)」は・・・「證(あかし・ショウ・セイ)=言+登」の俗字

  症=疒(やまいだれ・ダク・ニャク)+正(ただしい・ショウ・セイ)

 「病気状態=病症をあらわす名称」は

  身体機能が見た目、「正常」ではない

  症候群と同じ

  症候群は、原因は異なるが似た様な身体機能疾患状態

 「疾患」=病理的な原因、症状、形態的変化の少なくとも二つを示すもの

      疾病は病名、疾患は疾病に関連するまとめた名前

 「障害」・・・「障(さわり・ショウ)=阜+立+日+十」だが

        「丘」が太陽(日光・旭日)を「十(遮っている)」

         元々は「障礙」で「障」の「礙=石+疑」である

        「石=岩→癌」で、現在なら「結石・血石」だろう・・・

         漢音を取れば

         障礙・傷害・生害・生涯・障碍

  身体的な機能や動作が不完全な状態

ーー

 ・・・イズレにしても「医者の専門用語」は「患者サイド」のモノではナイ・・・

 ・・・なぜ「病=疒+丙」が「日本語」の「やまい」なんだ、なぜ「症=疒+正」が「やまい・ショウ・セイ」なんだか・・・「疒(やまいだれ・ダク・ニャク)」→「广(まだれ・ゲン・コン)」→「厂(がんだれ・がけ・カン・ガン)」である。いずれも「山の壁面・山の頂上」で、「崖崩れ」である・・・そして「土砂災害」・・・

 「や・ま・い」、「や・まい」、「やま・い」・・・「やまい」は「火山の噴火災害」を「人体のヤマイ」に重ねたのだ・・・そして「山威・山畏」・・・「山」は「神域・聖域」である・・・「古事記」では「イザナミ(伊邪那美)」が死んだ原因である・・・「産後の肥立ちが悪かった」のだ・・・「産褥(サンジョク)=妊娠・分娩によってもたらされた母体の諸変化・分娩の終了から非妊正常状態に復元するまでの6~8週間の期間を産褥、産褥期といい、産褥にある婦人を褥婦(puerperant)という」、「産後の肥立ちがよい」である・・・

 「日本書記」では「イザナミ・イザナギ」の漢字は「イザナミ(伊弉冉・伊邪那美・伊耶那美・伊弉弥)」、「イザナギ(伊弉諾・伊邪那岐・伊耶那岐)」で、「イザナミ」の別名は「黄泉津大神・道敷大神」である・・・

 ここには「弉(さかん・ショウ・ソウ)=壯+廾=爿+十+一+廾(サ)」の漢字が使用され、「爿(ショウ・ソウ)」は「寝台の脚(足)」である。「士」

 「壯=壮(さかん・つよし・ショウ・ソウ)」は「弉=奘」の音訓も意義も同義である。そして「お灸をすえる回数」・・・「艾(もぐさ・よもぎ)・捥ぐさ」。

道教の「壮士・荘子」である・・・

 「士(シ)」は専門職の称号だが「周代の身分制社会構造で支配者層は、周王の下に諸侯・卿・大夫・士で構成されて官職と邑(都市国家)を世襲していた。士は支配階層の最下層に位置していた」・・・であるが、「土(ド)」と同様で、分解すれば「十+一」である・・・

 「弉」は「奘=爿+十+一+大」の俗字であるらしく「ソウ(サウ)・ゾウ(ザウ)・ジョウ(ジヤウ)」、「large・powerful・stout・thick」・・・「三蔵法師=玄奘三蔵=玄弉三蔵」・・・30代前後のエネルギッシュな「男」と言う事らしい・・・

 「廾(キョウ)とは、両手を捧げている様」で、「神前の儀礼」で「拱(こまね)く」である・・・「こま(狛・駒・高麗・独楽・小間)ねく(音句)」

 「病」とは「爿(ねだい・きぎれ・ショウ・ソウ)=寝台」、「爿=牀(ベッド)・牀=床(ゆか・とこ)」に倒れ込むコトなのだ・・・ベットに寝込んでの元気の快復(回復→開腹)は人による・・・

 「禁忌症」と「適応症」・・・火山近辺の温泉湯治で悪化する、善化する「病気」であるかな・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一六三段)・・・百六十三段・壱佰六拾参段・壱六参段・陌陸足参段

          1+6+3=10=十=壱拾=足

          1×6×3=18=十八=壱拾八=壱足捌

 とく・・・とく・・・涜=みぞ・用水路・溝涜・けがす・けがれる

ーー↓   ↓      涜職・涜神・汚涜・自涜・冒涜

  ↓   ↓

      解く・説く・讀(読)く

      梳く・・・カミを櫛梳く

      疾く・・・すぐに・早速・急いで・すでに・とっくに

      ↓

      やまい・とし・はやい・シツ

      ↓

      病気・疾患・疾病(シッペイ)・悪疾・眼疾

      痼疾(コシツ)・痔疾(ヂシツ)・肺疾・廃疾

      速度がはやい

      疾走・疾風(シップウ)

      ↓

      なやむ(悩)

      やましい(疚しい・疾しい)

      良心がとがめる・後ろめたい

      病気であるような気がする・気分が悪い

      シツ

      疾苦・・・憎む

      ↓

      トク      

      得・特・溶く

      禿・篤

      都区・督・徳

ーー↓

 ゆか・・・床

 しき・・・敷き

 もの・・・物

      絨毯・絨緞→十段・拾段・銃弾・拾弾

ーー↓ーーー↓

      ゆかしきもの・・・懐かしい、心引かれる

ーー↓

 卷・・・・巻=巻物→書物

 染・・・・そめる・セン→潜・撰

      染=氵+九+木→水(軍)九鬼

 村濃、・・むらご(斑濃・叢濃)・・・ソンノウ=尊皇

      染め色の名

      同色でところどころを

      濃淡に暈(ぼ)かし染め出したもの

      斑濃の威(おどし)」の略

      むらごのおどし(斑濃の威)

      鎧(よろい)の威の一

      白地に左右、または上下の

      一隅を濃淡に威(おど)混ぜとしたもの

 括物・・・くくりもの・カツブツ

      ばらばらのものを一つにまとめる

      くくる・くびれる・入り口を締めくくる

      括=手+舌(千+口・ノ+古・ノ+十+口)

            カツブツ

            ↓

            活物=生きて活動しているもの

            華岡青洲

ーーーーーーーーーーーー↓本文を抜粋し、添付させてもらいました・・・

 http://members2.jcom.home.ne.jp/326ohe/hpsozai/sub7.hanaoka/naigai-1.htm

ーーーーーーー↓

      「内外合一・活物窮理」

      「内外合一」とは?

   外科ニ志スモノハ先ズ内科ニ精通セザルベカラズ。

   苟モ之を審カニシテ之ガ治方ヲ施サバ外科ニ於テ間然アルナシ。

   内外ヲ審査シ始メテ刀ヲ下スベキモノナリ。

   又

   方ニ古今ナシ内外一理。古ニ泥ヅマバ以テ今ニ通ズベカラズ。

   内ヲ略セバ以テ外ヲ治スベカラズ。蘭ヲ言フ者ハ理ニ密ニシテ而モ

   法ニ疎ナリ。漢ヲ奉ズル者ハ法ニ精シクシテ而モ跡ニ泥ヅム。

   故ニ我ガ術ハ治ヲ活物ニ考ヘ、法ヲ窮理ニ出スト言ウニ在リ。

   又

   凡ソ病ヲ療スルニハ其ノ方ヲ処シ、剤ヲ製スルニハ必ズシモ局方ニ

   拘ハラズ薬餌ノ及バザル所ハ針灸コレヲ治シ針灸及バザル所ハ以テ

   腹背ヲ刳割スベク、以テ腸胃ヲ湔洗スベシ。苟モ以テ人ヲ活カスベキ

   モノハ宣シク為サザル無カルベシ。

  「内外合一・活物窮理」

   青洲の学問の帰結であり、

   彼の医道哲理であり、また彼の人生観であった。

   大江医家史料館には

  「活物窮理」の文字が

   安東九華の書で額で掲げられている

    ↓↑

   華岡青洲(はなおか せいしゅう)

   宝暦十年十月二十三日

   (1760年11月30日)

     ~

   天保六年十月二日

   (1835年11月21日)

   科医

   世界で初めて

   全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功

   諱は震(ふるう)

   字は伯行

ーー↓

 など・・・

 染め・・・

 たる。・・・

 人の・・・

 子・・・

 産み・・・

 たる、・・・

 男・・・

 女・・・

 疾く・・・

 聞・・・

 かま・・・

 ほし。・・・

 よき・・・

 人は・・・

 さら・・・

 なり、・・・

 えせもの、・・・

 下種の・・・

 分際・・・

 だに・・・

 きか・・・

 ま・・・

 ほし。・・・

 除目の・・・

 まだ・・・

 つとめて、・・・

 かならず・・・

 しる・・・

 人の・・・

 なる・・・

 べき・・・

 をりも・・・

 聞か・・・

 まほし。・・・

 思ふ・・・

 人の・・・

 おこせ・・・

 たる・・・

 文。・・・

ーーーーー

 ・・・ヒトのオコセタル文・・・

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