・・・おそろしきモノ・・・烈火・列火・連火・・・劣化・・・豹・兵・・・侮(あなどる)海(あま)悔(くやむ)娒(うば・あによめ)・・・「灬」・・・
ーーーーー
武烈王(ぶれつおう)
(602年?~661年)
新羅の
第二十九代の王
(在位・654年~661年)
姓は金
諱は春秋
父は
第二十五代
真智王の子の
伊飡(二等官)の
金龍春(龍樹)
後に
文興葛文王と追封
母は
第二十六代
真平王の長女
ーー↓
武烈天皇
仁賢天皇二年
~
武烈天皇
八年十二月八日
第二十五代天皇
仁賢天皇七年一月三日に
立太子
仁賢天皇十一年八月八日に
仁賢天皇が崩御後
即位
在位
仁賢天皇十一年十二月
~
武烈天皇八年十二月八日
名は
小泊瀬稚鷦鷯尊
(おはつせのわかさざきのみこと)
小泊瀬稚鷦鷯天皇
(おはつのすめらみこと・日本書紀)
「男女無くして継嗣絶ゆべし・日本書記」
小長谷若雀命(古事記)
「日続知らすべき王無かりき・古事記」
ーー↓
皇太子の時、
物部麁鹿火の娘
影媛(かげひめ)に懸想
影媛は
真鳥大臣の子
平群鮪(へぐりのしび)と既に関係
海柘榴市(つばいち)の歌垣で
鮪との歌合戦で負け
太子は
大伴金村をして
鮪を
乃楽山(ならやま)で誅殺
十一月に
真鳥大臣をも討伐
泊瀬列城を都にし
大伴金村を大連とする
ーー↓
日本書紀
武烈天皇の異常行為の記録
二年秋九月孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
三年冬十月人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
四年夏四月人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、
樹の本を切り倒し、
昇れる者を落死すことを快としたまふ。
五年夏六月人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、
三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
七年春二月人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
八年春三月女をひた
はだかにして、
平板の上に坐ゑ、
馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。
女の不浄を観るときに、
湿へる者は殺し、
湿はざる者は没めて
官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。
ーーーーーーー↑
・・・以上は「医者の医療行為」を敢えて意図的に「悪意(丫句異・亜苦意)」をもって「漢字翻訳の置換」したモノだろう・・・?・・・「産婦人科医・産婆」の「妊婦」への対処である・・・
「日本書紀」の「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」との「記録」は悪意そのものである・・・「厳格な裁判」の「天皇」は「北朝鮮の独裁者」と重なるが・・・「独裁権力者」の「生殺与奪」は例え「法文」があったとしても、「法=独裁者」である・・・
だが、である・・・敢えて「一系血族の天皇の事跡の記録」とも云われ、「王朝交代」がなかったと明治幕末の支配者層の巷でも言われる「日本書記」にナゼも「天皇の悪事が記録」されているのか・・・「不利な記録」は「隠蔽」されるのは「萬世一系」の現今の「常識」でもあるのに・・・「特定秘密保全法」案の提出の目論見は「階級国家と階級国家」が「戦争」を前提とする限り「必要」なのはアタリまえであるのに・・・「隠蔽工作・漢字痴漢(置換)」・・・それ以前に「儲けるタメ」には「秘密」、秘密でなくても「特許権・著作権」である・・・国家も企業も銀行も「隠蔽工作」に汲汲である・・・バレても「土下座」、バレなくて「安堵」・・・脱線、事故、事件も起きるけれど・・・「秘密社会」にすれば「何にもナイコト」になる・・・アリガタイ、アリガタシ・・・おそろし・・・
・・・「薔薇の名前」の「秘密」は「オワライのネタ本」であった・・・
ボクの小説「菊の名前」の「秘密」は・・・「ナク」である・・・タイトル、「キク芋モドキ」にでも変えようカナ・・・
「万世一系」は岩倉具視の「王制復古議・慶応三年十月)が初出でアルらしいが・・・昭和四十一年(1966年)、「二月十一日」を「紀元節」=「建国記念の日」にしちゃって真面目に頑張っているヒトがいる・・・ソラおそろしきヒトビト・・・でも、ほとんどのミンナは「アソビの休日」だから、コレもソラおそろしい・・・イミジクも有り難い「記念日」だが、「ひみつ」がワラアエル、アキレル、イカレル、ナキアエル・・・に、なっちまう・・・
「古事記」には、「武列天皇」の悪行生地はなく、武列天皇の死後は「袁本杼命(おほどのみこと・継体天皇)」がノリクラリと皇位を乗っ取った・・・
「古事記の歌垣」では
袁祁王(をけのみこ・顕宗天皇)が
菟田首(うだのおびと)の娘の
大魚(おうお)をめぐって、・・・「大魚(おほまな)」→緒補真名
志毘臣(しびのおみ)と・・・・・「詞(史)備之臣(目を見張る・瞠る)」
「恋の鞘あて」と記録・・・?
ーー↓
香芝市今泉にある
傍丘磐坏丘北陵が
(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ・延喜式)
顕宗天皇の傍丘磐坏丘南陵に対応する陵号とされ
「片岡之石坏岡(古事記)」、
「傍丘磐坏丘陵(日本書記)」とある
この二陵と
孝霊天皇の
片丘馬坂陵とを合わせて
片岡三陵と呼ばれ・・・
武列天皇は
継体天皇二年十月に奉葬・・・
明治二十二年(1889年)現陵が治定
↓
武列天皇(古事記)
天皇既に崩りまして、
日続(ひつぎ)知らすべき王(みこ)無かりき。
故、
品太天皇の・・・・・・誉む本は他
五世の孫、
袁本杼命
(おほどのみこと)を・・・袁本杼命
ホト(女陰)の
杼「ひ・団栗」
艶(豊色)本の記の序
どんぐり→
クヌギ・カシ・ナラ・カシワ等の
果実の総称
ドングリは全てブナ科の果実
↓ ↓
貪 庫裏=庫裡・具理・愚理・繰
寺院の台所・食事を調える建物
庫院(くいん)
坊主やその家族の住む場所
↓
ドン・・・爆発音・黍を圧縮破裂させた菓子
↓
a boss (figure)a powerful leader
a political boss
ロシアの河川の名前・・・静かなるドン・・・
流域は遊牧民族スキタイ人の発祥の地
南西のアゾフ海へと注ぐ
運河で
ヴォルガ河と連結
丼= a bowl
スペイン語=君・殿・様
(Don Juan・Don Quixote)
don't=do not
ドナー (donor)
提供者
ラテン語=donator・dono・donare
贈り物をする・贈呈者
医療で臓器提供者
ドナタですか?
近つ淡海国より
上りまさしめて、
手白髪命に合わせて、
天の下を授け奉りき。
ーー↓「日本書記・原文」添付、「�」は表示が欠落した漢字
日本書紀・巻第十六
小泊瀬稚鷦鷯天皇
武烈天皇
小泊瀬稚鷦鷯天皇
億計天皇(の)太子也。
母、曰(いわく・いはく)
春日大娘皇后。
億計天皇
七年、
立爲皇太子。
長好刑理。・・・長じて経理が好き
法令分明。・・・法律も弁えている
日晏坐朝、
幽枉必達。・・・ボンヤリ曲げるが得意
結う紀の横(よこしま)、比通達
斷獄得情。・・・ゴクを断ってジョウを得る
誤句を断って定を得
談語句胡帖
又
頻造諸惡。・・・頻繁に諸々悪行を造り
品蔵書握
不修一善。・・・一つも善き事を修めず
腐臭已然
凡諸酷刑、・・・蕃所國形
無不親覽。・・・武付審蘭
國內居人、
咸
皆震怖。
十一年
八月、
億計天皇崩。
大臣
平群眞鳥臣、
專擅國政、
欲
王日本。
陽
爲
太子營宮。
了卽自居。
觸事驕慢、
都
無臣節。
於是、
太子思欲聘
物部麁鹿火大連(の)女
影媛、
遺媒人、向
影媛宅期會。
影媛
會
姧
眞鳥大臣(の)男
鮪。
鮪、此云茲寐。・・・鮪(しび)とは、(水銀)マグロ?
此を「茲寐」と云う? 赤丹
ーー↓ ↓
茲=ここに・しげる・ます・ジ
此処に・是に・爰に・茲に
ある時点・場所をさす
この時にあたり・この所で
兹の異字体
↓
蕬(サ糸糸)→サ=艸(くさ・ソウ)
玆(サ幺幺)→廾=こまねく・キョウ・ク
茊(サ丘)→サ→「++」
↓
旧約バベルの塔
十一章二
茲に人衆東に移りて
シナルの地に平野を得て
其處に居住り
↓
ここもと=茲許・・・個々元
ーー↓ーーーーーーーーーー↓
亀井茲監
石見
津和野藩の
第十一代
文政八年(1825年)十月五日
筑後久留米藩
第九代藩主
有馬頼徳の六男
天保十年(1839年)に
津和野藩の
第十代藩主
亀井茲方の養子
天保十一年(1840年)二月
従五位下・隠岐守に叙位・任官
↓
亀茲(きじ・くし・きゅうし)
中国東トルキスタン)の
オアシス都市国家→オ・アシ・ス
ウイグル自治区
アクス地区クチャ県(庫車県)付近
タリム盆地の北側天山南路)に位置
丘茲・屈茲とも記録
↓
細川斉茲(ほそかわなりしげ)
再選 歳時(祭事・細字)
肥後国
熊本藩
第八代藩主
熊本藩
細川家九代
元は
宇土藩細川家の
第六代藩主
細川立禮(たつひろ)を名乗っていた
↓
亀井茲建(かめい これたて)
旧津和野藩主亀井家第十五代当主・伯爵
↓
衛茲(えい じ)・・・・英字・永字
?~初平元年(190年)
後漢時代末期の武将・政治家
字は
子許・・・・←ここもと=茲許→児許
豫州
陳留郡・・・←陳列=肆=四
襄邑県の人・←襄の邑→新島襄×八重
子は衛瑧
張邈の配下
同郡の孝廉の推挙
↓
亀井茲明(かめい これあき・ジメイ)
文久元年六月十五日(1861年7月22日)
~
明治二十九年(1896年)7月18日)
官僚、写真家
石見国津和野藩主の
亀井伯爵家
第十三代当主
父は孝明天皇の側近の
藤原北家の
藤原堤哲長
兄は甘露寺家の養子の
松崎万長
兄弟に堤雅長、津守国敏
妻は
日向国
飫肥藩の・・・・飫=あきる・オ・ヨ
厭きる・飽きる
安芸留・亜紀留
第十三代藩主
伊東祐相の娘
子に
亀井茲常
・・・「茲」であるかな・・・「寐」・・・
「寐」=ねる・ねむる・ビ
寤寐(ゴビ)・夢寐(ムビ)・・・
寝台、寝室の「寝(ねる・シン)」に類字するけれど
同音異字の熟語なら
「新題・神代・身代・清代・信大」、
「診室・心室・審疾・新漆・新執」だろう・・・
ーー↓ーーーーーーーー↓
「寝台車」は
1838年、アメリカのペンシルベニア州周辺の
複数の鉄道会社が寝台車の運行
1858年、ウッドラフ商会が寝台車運行を専門
1859年、英国のプルマン社は1865年にパイオニア号を制作
1874年、英国で寝台車の営業運行
1899年に競合会社、ワグナーパレスカー社を買収
アメリカで独占的企業となった
1872年、大陸ヨーロッパの寝台車運行は、ベルギー人の実業家の
国際寝台車会社(ワゴン・リー社)、
ジョルジュ・ナゲルマケールスが設立運行
1883年、「オリエント急行」の運行開始
「アガサ・クリスティ」の「ポワロ」です
↓
日本初の丘蒸気(汽車)の寝台車
1900年(明治三十三年)4月
山陽鉄道の一等寝台車
1903年(明治三十六年)10月
官設鉄道の一等寝台車は
全区分室の寝台車
1908年(明治四十一年)
南満州鉄道最初の寝台車である
「イネー1」は・・・・・・・「おいね」さんは「シーボルト」の娘
開放式寝台車であった・・・
ーー↓
恐違
太子所期、報曰、
妾望、
奉待
海柘榴市巷。・・・「つばきち」、「つばいち」と読む
奈良県桜井市の
三輪山の南西に所在
してた古代の市
「海石榴市の八十衢(やそのちまた)・万葉集」
推古十六年(608)条
難波より大和川を遡上してきた
隋使
「裴世清」一行を
海石榴市の街(ちまた)で迎えた・・・
↓
「海柘榴」がナゼ「つばき」と訓じるのか?
柘榴(ザクロ)=石榴・若榴
学名は「Punica granatum」
ザクロ科ザクロ属の落葉小高木、その果実
ザクロはパックリと実が割れる・・・だろう・・・
ざくろ→坐(座)句賂、さぐろ、探ろうだろう・・・
頓挫、捻挫の意味である・・・
唾気(つばき)は唾液だが・・・唾を吐く人間はダレ?
ーー↓
由是、
太子
欲
往期處。
遣近侍
舍人、
就
平群大臣宅、
奉太子命、
求索・・・・・・・求める検索の
官馬。・・・・・・カンバ・・・巻(奸)の葉(場)
大臣
戲言
陽
進曰、
官馬
爲
誰
飼養、
隨命而已、
久之
不進。
太子懷恨、
忍不・・・・・・妊婦
發顏。・・・・・発癌・発汗
果之
所期、
立歌
場衆、
歌場、
此云宇多我岐。・・・コレをウタガキと云う
執
影媛
袖、
躑躅・・・・・ツツジ(躑躅)→羊躑躅(ヨウテキチョク)
毒性のあるツツジを羊が食べ、
足踏(ぶみ)みし、モガキ、蹲(うずくま)ってしまった
この状態が「躑躅(テキチョク)」
「つつじ」とナゼ、訓じるんだか?・・・喇叭型→子宮
↓
「ツツジ色」の
ピンクの鮮やかさを「アザレア」色→薄めの血の色
↓ 痣例亜(丫)
元禄五年(1692年)
伊藤伊兵衛により刊行された
「錦繍枕」は世界最古のツツジ、サツキ専門書
↓
「躑躅(つつじ)」の
「地歌(箏曲)」は
元禄七年(1694年)に死んだ
佐山検校の作曲
伊藤伊兵衛と同時代の音楽家
歌詞中に「ツツジ」が
二十二品種詠み込まれている・・・
通辻、通津路
筒字、銃字・・・鉄砲の炸裂・・・?
躑=足+奠+邑
躅=足+蜀(いもむし・ショク・ゾク)
蜀=罒(網)+勹+虫(中ム)
ーー↓・・・「�」は表示が欠落した漢字・・・
從容。
俄而
鮪
臣來、
排
太子
與
影媛
間立。
由是、
太子
放
影媛
袖、
移向前、
立直
當
鮪。
歌曰、
之裒世能、儺鳴理鳴彌黎麼、
阿蘇寐倶屢、思寐我簸多泥儞、
都摩陀氐理彌喩。
一本、
以之裒世易彌儺斗。
鮪答歌曰、
飫瀰能古能、耶陛耶�剏羅�剏枳、
瑜屢世登耶瀰古。
太子歌曰、
飫裒陀㨖鳴、
多黎播枳多㨖氐、
農�剏儒登慕、須衞婆陀志氐謀、
阿波夢登茹於謀賦。
鮪臣
答歌
曰、
飫裒枳瀰能、耶陛能矩瀰�剏枳、
�剏々梅騰謀、儺嗚阿摩之耳彌、
�剏々農倶彌柯枳。
太子歌曰、
於彌能姑能、耶賦能之魔柯枳、
始陀騰余瀰、那爲我與釐據魔、
耶黎夢之魔柯枳。
一本、
以耶賦能之魔柯枳易耶陛�剏羅�剏枳。
太子
贈
影媛
歌曰、
舉騰我瀰儞、枳謂屢箇皚比謎、
拕摩儺羅磨、婀我裒屢柁摩能、
婀波寐之羅陀魔。
鮪臣
爲
影媛
答歌曰、
於裒枳瀰能、瀰於寐能之都波拕、
夢須寐陀黎、陀黎耶始比登謀、
阿避於謀婆儺倶儞。
太子
甫知
鮪
曾
得
影媛。
悉覺父子無敬之狀、
赫然大怒。
此夜、速向
大伴金村連宅、會兵計策。
大伴連、將數千兵、傲之於路、
戮
鮪臣
於
乃樂山。
一本云、
鮪
宿
影媛舍、卽夜被戮。
是時、
影媛
逐行
戮處、
見是戮已。
驚惶失所、
悲淚盈目。
遂
作歌曰、
伊須能箇瀰、
賦屢嗚須擬底、
舉慕
摩矩羅、・・・・・まくら・枕・真句等?
柁箇播志須擬、
慕能娑幡儞、
於裒
野該須擬、
播屢比、
箇須我嗚須擬、
逗摩御暮屢、
嗚佐裒嗚須擬、
拕摩該儞播、
伊比佐倍母理、
拕摩暮比儞、
瀰逗佐倍母理、
儺岐曾裒遲喩倶謀、
柯㝵比謎阿婆例。
於是、
影媛
收埋既畢、
臨欲還家、悲鯁而言、
苦哉、今日、
失
我
愛夫。
卽便灑涕愴矣、
纏心
歌曰、
婀嗚儞與志、
乃樂能婆娑摩儞、
斯々貳暮能、
瀰逗矩陛御暮梨、
瀰儺曾々矩、
思寐能和倶吾嗚、
阿娑理逗那偉能古。
冬十一月
戊寅朔戊子、
大伴金村連・・・大伴の金の村の連
大判 金 損 練?
謂
太子曰、眞鳥賊、可擊。請討之。
太子曰、天下將亂。非希世之雄、不能濟也。
能安之者、其在連乎。
卽與定謀。
於是、大伴大連、率兵自將、圍大臣宅。
縱火燔之。
所�堊雲靡。
眞鳥大臣、恨事不濟、知身難兔。
計窮望絶。廣指鹽詛。遂被殺戮。
及其子弟。
詛時
唯忘
角鹿海鹽、不以爲詛。
由是、
角鹿之鹽、爲天皇所食、
餘海之鹽、爲天皇所忌。
十二月、大伴金村連、
平定賊訖、反政太子。
請上
尊號曰、
今
億計天皇子、
唯有陛下。
億兆欣歸、曾無與二。
又頼皇天翼戴、
淨除凶黨。
英略・・・・・英国侵略
雄斷、
以
盛天威天祿。
日本必有主。
主日本者、
非
陛下
而
誰。
伏
願、
陛下
仰答
靈祗、
弘宣
景命、
光宅
日本。
誕受銀郷。
於是、
太子命有司、
設
壇場
於
泊瀬列城、
陟天皇位。
遂
定都焉。
是日、
以
大伴
金村連
爲
大連。
元年春三月丁丑朔戊寅、
立
春日娘子
爲
皇后。
未詳
娘子父。
是年也、
太歲己卯。
二年秋九月、
刳
孕婦
之
腹、・・・・・・帝王切開?
而
觀
其胎。
三年冬十月、
解
人指甲、・・・・骨折切除
使掘暑預。
十一月、詔
大伴室屋大連、
發言
濃國男丁、作城像於水派邑。仍曰城上也。
是月、
百濟
意多郎
卒。
葬於高田丘上。
四年
夏四月、
拔
人頭髮、
使
昇樹巓。
斮倒樹本、
落死昇者爲快。
是歲、
百濟
末多王
無道、
暴虐、百姓。・・・暴く、逆、百の姓(名)
國人
遂
除、
而立
嶋王。
是爲
武寧王。
百濟
新撰云、
末多王
無道、
暴虐百姓。・・・暴く、逆、百の姓(名)
國人共除。
武寧王立。
諱
斯麻王。
是
混支王子
之
子。
則
末多王
異母兄也。
混支
向倭。
時至
筑紫嶋、
生
斯麻王。
自
嶋還送、
不至於京、
産
於
嶋。
故
因名焉。
今
各羅
海中
有
主嶋。
王
所産
嶋。
故
百濟人
號爲
主嶋。
今案、
嶋王
是
蓋鹵王
之
子也。
末多王、
是
混支王
之
子也。
此曰
異母兄、未詳也。
五年夏六月、
使人
伏入塘楲。
流出
於外、
持
三刃
矛、
刺殺
爲快。
六年秋九月乙巳朔、
詔曰、
傳國之機、立子爲貴。朕無繼嗣。何以傳名。
且依
天皇舊例、
置
小泊瀬舍人、使爲代號、
萬歲難忘者也。
冬十月、
百濟國
遣
麻那君
進調。
天皇以爲、百濟歷年不脩貢職。留而不放。
七年春二月、
使人昇樹、
以
弓射墜而咲。・・・・神代で
↓ 天孫降臨に先だち、高天原から
葦原の中つ国の平定に遣わされた神
「天若比古」の音沙汰もなく
出雲に降ったままなので、
二番手の派遣として
天津国玉神の子の
天若日子を派遣したが、これも
復命せず、
天若日子を訊問するタメ
雉鳴女(きぎしのなきめ)を派遣するが
天探女(あめのさぐめ)に唆され
これを
天若日子射殺してしまったが
天まで射抜いた矢で
高御産巣日神がこの矢を
「返し矢」として
天若日子を殺してしまう・・・
ー↓ーーーーー↓古事記原文
爾思金及八百萬、議白之、
天菩比、是可遣。
故、遣天菩比者、乃媚附大國主、
至于三年、不復奏。
是以高御產巢日、天照大御、
亦問諸等、所遣葦原中國
之
天菩比、久不復奏。
亦使何之吉。爾思金答白、
可遣天津國玉之子、
天若日子。
故爾以天之麻迦古弓、
自麻下三字以音。
天之波波此二字以音。
矢、賜天若日子而遣。
於是
天若日子、降到其國、
卽娶大國主之女、
下照比賣、
亦慮獲其國、
至于八年、不復奏。
故爾
天照大御、高御產巢日、亦問諸等、
天若日子、久不復奏。
又遣曷以問天若日子之淹留所由。
於是諸及思金、
答白可遣
雉名
鳴女時、詔之、
汝
行問
天若日子狀者、
汝所
以使
葦原中國者、
言
趣和
其國之荒振等之者也。
何至于八年、不復奏。
故爾
鳴女、
自天降到、
居
天若日子之門
湯津
楓上而、
言
委曲
如
天之詔命。
爾
天佐具賣、
此三字以音。
聞此鳥言而、
語天若日子言、
此鳥者、
其
鳴音甚惡。
故、
可射殺云進、
卽
天若日子、
持
天所賜
天之
波士弓、・・・葉詞句
天之
加久矢、・・・掛句也
射殺
其
雉。・・・・・記事
爾其矢、
自
雉胸通而、
逆射上、
逮坐天安河之河原、
天照大御、
高木之御所。・・海軍軍医
高木兼寛
明治五年(1872)4月
海軍医務行政の中央機関の
海軍軍医寮(海軍省医務局)の
幹部
石神良策の推挙で、
一等軍医副(中尉相当官)になった
として海軍に入った
脚気がビタミンの欠乏症であることを
研究した
最終階級は海軍軍医総監(軍医中将相当)
是
高木者、・・・・公僕・坑木・香木
高御產巢日・・・高句麗
高麗の音(怨)を結審
高音算素秘訊
之
別名。
故、高木、
取其矢見者、血著其矢羽。
於是
高木、告之此矢者、
所賜
天若日子之矢、
卽示諸等詔者、
或
天若日子、
不誤命、
爲射惡之矢之至者、
不中(あたらず)天若日子。
或有邪心者、
天若日子、
於
此矢
麻賀禮。・・・まがれ
此三字以音。
云而、取其矢、
自其矢
穴衝返下者、
中(あたる)
天若日子
寢朝床
之
高胸坂・・・高教反・公共反・高(野)共犯?
(高橋・高市)の坂(坂本)
忠臣蔵の高氏の吉良上野介の重犯
以死。
此
還矢之・・・監視・看視・環視・干支・巻史
関氏・看視・冠詞・漢詩
諫死・諌止
鉗子(カンシ)
外科手術用の組織や器物を把持する
鋏形の金属器具の総称
小さいものがセッシ、
大きなものがカンシ
刃のない鋏状のモノで
ピンセットに似るが
モノをハサミ取る先っぽが平たい
本也。
亦其
雉不還。
故
於今
諺曰
雉・・・・・吉士(新羅の官位)・阿倍臣配下に帰属
記事・生地・木地
之
頓使・・・・無駄、無益な使い走り・・・頓死
是也。
ーー↓
夏四月、
百濟王
遣期我君進調。
別表曰、
前進調使
麻那(マナ)者、
非
百濟國主之骨族也。
故謹遣斯我、奉事於朝。
遂有子、
曰
法師君。
是
倭君
之
先也。
八年春三月、
使
女躶形、坐平板上、
牽馬
就前
遊
牝。
觀
女
不淨、
沾濕者殺。
不濕者
沒
爲
官婢。
以此爲樂。及是時、穿池起苑、以盛禽獸。
而好
田獵、
走狗試馬。
出入
不時。
不避大風甚雨。
衣温
而忘百姓之寒、
食美
而忘天下之飢。
大進侏儒倡優、
爲
爛漫之樂、
設
奇偉之戲、
縱靡々之聲。
日夜常與宮人沈湎于酒、以錦繡爲席。衣以綾紈者衆。
冬十二月壬辰朔己亥、
天皇崩于列城宮。
ーーーーー↓
枕草子
(一五七段)
名
おそろしき
もの
青淵。
谷の洞。
鰭板。
鐵。
土塊。
雷は
名
のみ
ならず、
いみじう
おそろし。
暴風。
ふさう
雲。
ほこぼし。
おほかみ。
牛はさめ。
らう。
ろうの長。
いにすし。
それも
名の
みならず、
みるも
おそろし。
繩筵。
強盗、
又
よろづに
おそろし。
ひぢかさ
雨。
地楊梅。
生靈。
鬼
ところ。
鬼蕨。
荊棘。
枳殻。
いりずみ。
牡丹。
うし
おに。
ーーーーー
・・・うしおに・・・牛嗚爾・・・モウ~・・・主は鬼・・・潮の丹・・・
ーーーーー
武烈王(ぶれつおう)
(602年?~661年)
新羅の
第二十九代の王
(在位・654年~661年)
姓は金
諱は春秋
父は
第二十五代
真智王の子の
伊飡(二等官)の
金龍春(龍樹)
後に
文興葛文王と追封
母は
第二十六代
真平王の長女
ーー↓
武烈天皇
仁賢天皇二年
~
武烈天皇
八年十二月八日
第二十五代天皇
仁賢天皇七年一月三日に
立太子
仁賢天皇十一年八月八日に
仁賢天皇が崩御後
即位
在位
仁賢天皇十一年十二月
~
武烈天皇八年十二月八日
名は
小泊瀬稚鷦鷯尊
(おはつせのわかさざきのみこと)
小泊瀬稚鷦鷯天皇
(おはつのすめらみこと・日本書紀)
「男女無くして継嗣絶ゆべし・日本書記」
小長谷若雀命(古事記)
「日続知らすべき王無かりき・古事記」
ーー↓
皇太子の時、
物部麁鹿火の娘
影媛(かげひめ)に懸想
影媛は
真鳥大臣の子
平群鮪(へぐりのしび)と既に関係
海柘榴市(つばいち)の歌垣で
鮪との歌合戦で負け
太子は
大伴金村をして
鮪を
乃楽山(ならやま)で誅殺
十一月に
真鳥大臣をも討伐
泊瀬列城を都にし
大伴金村を大連とする
ーー↓
日本書紀
武烈天皇の異常行為の記録
二年秋九月孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
三年冬十月人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
四年夏四月人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、
樹の本を切り倒し、
昇れる者を落死すことを快としたまふ。
五年夏六月人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、
三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
七年春二月人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
八年春三月女をひた
はだかにして、
平板の上に坐ゑ、
馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。
女の不浄を観るときに、
湿へる者は殺し、
湿はざる者は没めて
官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。
ーーーーーーー↑
・・・以上は「医者の医療行為」を敢えて意図的に「悪意(丫句異・亜苦意)」をもって「漢字翻訳の置換」したモノだろう・・・?・・・「産婦人科医・産婆」の「妊婦」への対処である・・・
「日本書紀」の「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」との「記録」は悪意そのものである・・・「厳格な裁判」の「天皇」は「北朝鮮の独裁者」と重なるが・・・「独裁権力者」の「生殺与奪」は例え「法文」があったとしても、「法=独裁者」である・・・
だが、である・・・敢えて「一系血族の天皇の事跡の記録」とも云われ、「王朝交代」がなかったと明治幕末の支配者層の巷でも言われる「日本書記」にナゼも「天皇の悪事が記録」されているのか・・・「不利な記録」は「隠蔽」されるのは「萬世一系」の現今の「常識」でもあるのに・・・「特定秘密保全法」案の提出の目論見は「階級国家と階級国家」が「戦争」を前提とする限り「必要」なのはアタリまえであるのに・・・「隠蔽工作・漢字痴漢(置換)」・・・それ以前に「儲けるタメ」には「秘密」、秘密でなくても「特許権・著作権」である・・・国家も企業も銀行も「隠蔽工作」に汲汲である・・・バレても「土下座」、バレなくて「安堵」・・・脱線、事故、事件も起きるけれど・・・「秘密社会」にすれば「何にもナイコト」になる・・・アリガタイ、アリガタシ・・・おそろし・・・
・・・「薔薇の名前」の「秘密」は「オワライのネタ本」であった・・・
ボクの小説「菊の名前」の「秘密」は・・・「ナク」である・・・タイトル、「キク芋モドキ」にでも変えようカナ・・・
「万世一系」は岩倉具視の「王制復古議・慶応三年十月)が初出でアルらしいが・・・昭和四十一年(1966年)、「二月十一日」を「紀元節」=「建国記念の日」にしちゃって真面目に頑張っているヒトがいる・・・ソラおそろしきヒトビト・・・でも、ほとんどのミンナは「アソビの休日」だから、コレもソラおそろしい・・・イミジクも有り難い「記念日」だが、「ひみつ」がワラアエル、アキレル、イカレル、ナキアエル・・・に、なっちまう・・・
「古事記」には、「武列天皇」の悪行生地はなく、武列天皇の死後は「袁本杼命(おほどのみこと・継体天皇)」がノリクラリと皇位を乗っ取った・・・
「古事記の歌垣」では
袁祁王(をけのみこ・顕宗天皇)が
菟田首(うだのおびと)の娘の
大魚(おうお)をめぐって、・・・「大魚(おほまな)」→緒補真名
志毘臣(しびのおみ)と・・・・・「詞(史)備之臣(目を見張る・瞠る)」
「恋の鞘あて」と記録・・・?
ーー↓
香芝市今泉にある
傍丘磐坏丘北陵が
(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ・延喜式)
顕宗天皇の傍丘磐坏丘南陵に対応する陵号とされ
「片岡之石坏岡(古事記)」、
「傍丘磐坏丘陵(日本書記)」とある
この二陵と
孝霊天皇の
片丘馬坂陵とを合わせて
片岡三陵と呼ばれ・・・
武列天皇は
継体天皇二年十月に奉葬・・・
明治二十二年(1889年)現陵が治定
↓
武列天皇(古事記)
天皇既に崩りまして、
日続(ひつぎ)知らすべき王(みこ)無かりき。
故、
品太天皇の・・・・・・誉む本は他
五世の孫、
袁本杼命
(おほどのみこと)を・・・袁本杼命
ホト(女陰)の
杼「ひ・団栗」
艶(豊色)本の記の序
どんぐり→
クヌギ・カシ・ナラ・カシワ等の
果実の総称
ドングリは全てブナ科の果実
↓ ↓
貪 庫裏=庫裡・具理・愚理・繰
寺院の台所・食事を調える建物
庫院(くいん)
坊主やその家族の住む場所
↓
ドン・・・爆発音・黍を圧縮破裂させた菓子
↓
a boss (figure)a powerful leader
a political boss
ロシアの河川の名前・・・静かなるドン・・・
流域は遊牧民族スキタイ人の発祥の地
南西のアゾフ海へと注ぐ
運河で
ヴォルガ河と連結
丼= a bowl
スペイン語=君・殿・様
(Don Juan・Don Quixote)
don't=do not
ドナー (donor)
提供者
ラテン語=donator・dono・donare
贈り物をする・贈呈者
医療で臓器提供者
ドナタですか?
近つ淡海国より
上りまさしめて、
手白髪命に合わせて、
天の下を授け奉りき。
ーー↓「日本書記・原文」添付、「�」は表示が欠落した漢字
日本書紀・巻第十六
小泊瀬稚鷦鷯天皇
武烈天皇
小泊瀬稚鷦鷯天皇
億計天皇(の)太子也。
母、曰(いわく・いはく)
春日大娘皇后。
億計天皇
七年、
立爲皇太子。
長好刑理。・・・長じて経理が好き
法令分明。・・・法律も弁えている
日晏坐朝、
幽枉必達。・・・ボンヤリ曲げるが得意
結う紀の横(よこしま)、比通達
斷獄得情。・・・ゴクを断ってジョウを得る
誤句を断って定を得
談語句胡帖
又
頻造諸惡。・・・頻繁に諸々悪行を造り
品蔵書握
不修一善。・・・一つも善き事を修めず
腐臭已然
凡諸酷刑、・・・蕃所國形
無不親覽。・・・武付審蘭
國內居人、
咸
皆震怖。
十一年
八月、
億計天皇崩。
大臣
平群眞鳥臣、
專擅國政、
欲
王日本。
陽
爲
太子營宮。
了卽自居。
觸事驕慢、
都
無臣節。
於是、
太子思欲聘
物部麁鹿火大連(の)女
影媛、
遺媒人、向
影媛宅期會。
影媛
會
姧
眞鳥大臣(の)男
鮪。
鮪、此云茲寐。・・・鮪(しび)とは、(水銀)マグロ?
此を「茲寐」と云う? 赤丹
ーー↓ ↓
茲=ここに・しげる・ます・ジ
此処に・是に・爰に・茲に
ある時点・場所をさす
この時にあたり・この所で
兹の異字体
↓
蕬(サ糸糸)→サ=艸(くさ・ソウ)
玆(サ幺幺)→廾=こまねく・キョウ・ク
茊(サ丘)→サ→「++」
↓
旧約バベルの塔
十一章二
茲に人衆東に移りて
シナルの地に平野を得て
其處に居住り
↓
ここもと=茲許・・・個々元
ーー↓ーーーーーーーーーー↓
亀井茲監
石見
津和野藩の
第十一代
文政八年(1825年)十月五日
筑後久留米藩
第九代藩主
有馬頼徳の六男
天保十年(1839年)に
津和野藩の
第十代藩主
亀井茲方の養子
天保十一年(1840年)二月
従五位下・隠岐守に叙位・任官
↓
亀茲(きじ・くし・きゅうし)
中国東トルキスタン)の
オアシス都市国家→オ・アシ・ス
ウイグル自治区
アクス地区クチャ県(庫車県)付近
タリム盆地の北側天山南路)に位置
丘茲・屈茲とも記録
↓
細川斉茲(ほそかわなりしげ)
再選 歳時(祭事・細字)
肥後国
熊本藩
第八代藩主
熊本藩
細川家九代
元は
宇土藩細川家の
第六代藩主
細川立禮(たつひろ)を名乗っていた
↓
亀井茲建(かめい これたて)
旧津和野藩主亀井家第十五代当主・伯爵
↓
衛茲(えい じ)・・・・英字・永字
?~初平元年(190年)
後漢時代末期の武将・政治家
字は
子許・・・・←ここもと=茲許→児許
豫州
陳留郡・・・←陳列=肆=四
襄邑県の人・←襄の邑→新島襄×八重
子は衛瑧
張邈の配下
同郡の孝廉の推挙
↓
亀井茲明(かめい これあき・ジメイ)
文久元年六月十五日(1861年7月22日)
~
明治二十九年(1896年)7月18日)
官僚、写真家
石見国津和野藩主の
亀井伯爵家
第十三代当主
父は孝明天皇の側近の
藤原北家の
藤原堤哲長
兄は甘露寺家の養子の
松崎万長
兄弟に堤雅長、津守国敏
妻は
日向国
飫肥藩の・・・・飫=あきる・オ・ヨ
厭きる・飽きる
安芸留・亜紀留
第十三代藩主
伊東祐相の娘
子に
亀井茲常
・・・「茲」であるかな・・・「寐」・・・
「寐」=ねる・ねむる・ビ
寤寐(ゴビ)・夢寐(ムビ)・・・
寝台、寝室の「寝(ねる・シン)」に類字するけれど
同音異字の熟語なら
「新題・神代・身代・清代・信大」、
「診室・心室・審疾・新漆・新執」だろう・・・
ーー↓ーーーーーーーー↓
「寝台車」は
1838年、アメリカのペンシルベニア州周辺の
複数の鉄道会社が寝台車の運行
1858年、ウッドラフ商会が寝台車運行を専門
1859年、英国のプルマン社は1865年にパイオニア号を制作
1874年、英国で寝台車の営業運行
1899年に競合会社、ワグナーパレスカー社を買収
アメリカで独占的企業となった
1872年、大陸ヨーロッパの寝台車運行は、ベルギー人の実業家の
国際寝台車会社(ワゴン・リー社)、
ジョルジュ・ナゲルマケールスが設立運行
1883年、「オリエント急行」の運行開始
「アガサ・クリスティ」の「ポワロ」です
↓
日本初の丘蒸気(汽車)の寝台車
1900年(明治三十三年)4月
山陽鉄道の一等寝台車
1903年(明治三十六年)10月
官設鉄道の一等寝台車は
全区分室の寝台車
1908年(明治四十一年)
南満州鉄道最初の寝台車である
「イネー1」は・・・・・・・「おいね」さんは「シーボルト」の娘
開放式寝台車であった・・・
ーー↓
恐違
太子所期、報曰、
妾望、
奉待
海柘榴市巷。・・・「つばきち」、「つばいち」と読む
奈良県桜井市の
三輪山の南西に所在
してた古代の市
「海石榴市の八十衢(やそのちまた)・万葉集」
推古十六年(608)条
難波より大和川を遡上してきた
隋使
「裴世清」一行を
海石榴市の街(ちまた)で迎えた・・・
↓
「海柘榴」がナゼ「つばき」と訓じるのか?
柘榴(ザクロ)=石榴・若榴
学名は「Punica granatum」
ザクロ科ザクロ属の落葉小高木、その果実
ザクロはパックリと実が割れる・・・だろう・・・
ざくろ→坐(座)句賂、さぐろ、探ろうだろう・・・
頓挫、捻挫の意味である・・・
唾気(つばき)は唾液だが・・・唾を吐く人間はダレ?
ーー↓
由是、
太子
欲
往期處。
遣近侍
舍人、
就
平群大臣宅、
奉太子命、
求索・・・・・・・求める検索の
官馬。・・・・・・カンバ・・・巻(奸)の葉(場)
大臣
戲言
陽
進曰、
官馬
爲
誰
飼養、
隨命而已、
久之
不進。
太子懷恨、
忍不・・・・・・妊婦
發顏。・・・・・発癌・発汗
果之
所期、
立歌
場衆、
歌場、
此云宇多我岐。・・・コレをウタガキと云う
執
影媛
袖、
躑躅・・・・・ツツジ(躑躅)→羊躑躅(ヨウテキチョク)
毒性のあるツツジを羊が食べ、
足踏(ぶみ)みし、モガキ、蹲(うずくま)ってしまった
この状態が「躑躅(テキチョク)」
「つつじ」とナゼ、訓じるんだか?・・・喇叭型→子宮
↓
「ツツジ色」の
ピンクの鮮やかさを「アザレア」色→薄めの血の色
↓ 痣例亜(丫)
元禄五年(1692年)
伊藤伊兵衛により刊行された
「錦繍枕」は世界最古のツツジ、サツキ専門書
↓
「躑躅(つつじ)」の
「地歌(箏曲)」は
元禄七年(1694年)に死んだ
佐山検校の作曲
伊藤伊兵衛と同時代の音楽家
歌詞中に「ツツジ」が
二十二品種詠み込まれている・・・
通辻、通津路
筒字、銃字・・・鉄砲の炸裂・・・?
躑=足+奠+邑
躅=足+蜀(いもむし・ショク・ゾク)
蜀=罒(網)+勹+虫(中ム)
ーー↓・・・「�」は表示が欠落した漢字・・・
從容。
俄而
鮪
臣來、
排
太子
與
影媛
間立。
由是、
太子
放
影媛
袖、
移向前、
立直
當
鮪。
歌曰、
之裒世能、儺鳴理鳴彌黎麼、
阿蘇寐倶屢、思寐我簸多泥儞、
都摩陀氐理彌喩。
一本、
以之裒世易彌儺斗。
鮪答歌曰、
飫瀰能古能、耶陛耶�剏羅�剏枳、
瑜屢世登耶瀰古。
太子歌曰、
飫裒陀㨖鳴、
多黎播枳多㨖氐、
農�剏儒登慕、須衞婆陀志氐謀、
阿波夢登茹於謀賦。
鮪臣
答歌
曰、
飫裒枳瀰能、耶陛能矩瀰�剏枳、
�剏々梅騰謀、儺嗚阿摩之耳彌、
�剏々農倶彌柯枳。
太子歌曰、
於彌能姑能、耶賦能之魔柯枳、
始陀騰余瀰、那爲我與釐據魔、
耶黎夢之魔柯枳。
一本、
以耶賦能之魔柯枳易耶陛�剏羅�剏枳。
太子
贈
影媛
歌曰、
舉騰我瀰儞、枳謂屢箇皚比謎、
拕摩儺羅磨、婀我裒屢柁摩能、
婀波寐之羅陀魔。
鮪臣
爲
影媛
答歌曰、
於裒枳瀰能、瀰於寐能之都波拕、
夢須寐陀黎、陀黎耶始比登謀、
阿避於謀婆儺倶儞。
太子
甫知
鮪
曾
得
影媛。
悉覺父子無敬之狀、
赫然大怒。
此夜、速向
大伴金村連宅、會兵計策。
大伴連、將數千兵、傲之於路、
戮
鮪臣
於
乃樂山。
一本云、
鮪
宿
影媛舍、卽夜被戮。
是時、
影媛
逐行
戮處、
見是戮已。
驚惶失所、
悲淚盈目。
遂
作歌曰、
伊須能箇瀰、
賦屢嗚須擬底、
舉慕
摩矩羅、・・・・・まくら・枕・真句等?
柁箇播志須擬、
慕能娑幡儞、
於裒
野該須擬、
播屢比、
箇須我嗚須擬、
逗摩御暮屢、
嗚佐裒嗚須擬、
拕摩該儞播、
伊比佐倍母理、
拕摩暮比儞、
瀰逗佐倍母理、
儺岐曾裒遲喩倶謀、
柯㝵比謎阿婆例。
於是、
影媛
收埋既畢、
臨欲還家、悲鯁而言、
苦哉、今日、
失
我
愛夫。
卽便灑涕愴矣、
纏心
歌曰、
婀嗚儞與志、
乃樂能婆娑摩儞、
斯々貳暮能、
瀰逗矩陛御暮梨、
瀰儺曾々矩、
思寐能和倶吾嗚、
阿娑理逗那偉能古。
冬十一月
戊寅朔戊子、
大伴金村連・・・大伴の金の村の連
大判 金 損 練?
謂
太子曰、眞鳥賊、可擊。請討之。
太子曰、天下將亂。非希世之雄、不能濟也。
能安之者、其在連乎。
卽與定謀。
於是、大伴大連、率兵自將、圍大臣宅。
縱火燔之。
所�堊雲靡。
眞鳥大臣、恨事不濟、知身難兔。
計窮望絶。廣指鹽詛。遂被殺戮。
及其子弟。
詛時
唯忘
角鹿海鹽、不以爲詛。
由是、
角鹿之鹽、爲天皇所食、
餘海之鹽、爲天皇所忌。
十二月、大伴金村連、
平定賊訖、反政太子。
請上
尊號曰、
今
億計天皇子、
唯有陛下。
億兆欣歸、曾無與二。
又頼皇天翼戴、
淨除凶黨。
英略・・・・・英国侵略
雄斷、
以
盛天威天祿。
日本必有主。
主日本者、
非
陛下
而
誰。
伏
願、
陛下
仰答
靈祗、
弘宣
景命、
光宅
日本。
誕受銀郷。
於是、
太子命有司、
設
壇場
於
泊瀬列城、
陟天皇位。
遂
定都焉。
是日、
以
大伴
金村連
爲
大連。
元年春三月丁丑朔戊寅、
立
春日娘子
爲
皇后。
未詳
娘子父。
是年也、
太歲己卯。
二年秋九月、
刳
孕婦
之
腹、・・・・・・帝王切開?
而
觀
其胎。
三年冬十月、
解
人指甲、・・・・骨折切除
使掘暑預。
十一月、詔
大伴室屋大連、
發言
濃國男丁、作城像於水派邑。仍曰城上也。
是月、
百濟
意多郎
卒。
葬於高田丘上。
四年
夏四月、
拔
人頭髮、
使
昇樹巓。
斮倒樹本、
落死昇者爲快。
是歲、
百濟
末多王
無道、
暴虐、百姓。・・・暴く、逆、百の姓(名)
國人
遂
除、
而立
嶋王。
是爲
武寧王。
百濟
新撰云、
末多王
無道、
暴虐百姓。・・・暴く、逆、百の姓(名)
國人共除。
武寧王立。
諱
斯麻王。
是
混支王子
之
子。
則
末多王
異母兄也。
混支
向倭。
時至
筑紫嶋、
生
斯麻王。
自
嶋還送、
不至於京、
産
於
嶋。
故
因名焉。
今
各羅
海中
有
主嶋。
王
所産
嶋。
故
百濟人
號爲
主嶋。
今案、
嶋王
是
蓋鹵王
之
子也。
末多王、
是
混支王
之
子也。
此曰
異母兄、未詳也。
五年夏六月、
使人
伏入塘楲。
流出
於外、
持
三刃
矛、
刺殺
爲快。
六年秋九月乙巳朔、
詔曰、
傳國之機、立子爲貴。朕無繼嗣。何以傳名。
且依
天皇舊例、
置
小泊瀬舍人、使爲代號、
萬歲難忘者也。
冬十月、
百濟國
遣
麻那君
進調。
天皇以爲、百濟歷年不脩貢職。留而不放。
七年春二月、
使人昇樹、
以
弓射墜而咲。・・・・神代で
↓ 天孫降臨に先だち、高天原から
葦原の中つ国の平定に遣わされた神
「天若比古」の音沙汰もなく
出雲に降ったままなので、
二番手の派遣として
天津国玉神の子の
天若日子を派遣したが、これも
復命せず、
天若日子を訊問するタメ
雉鳴女(きぎしのなきめ)を派遣するが
天探女(あめのさぐめ)に唆され
これを
天若日子射殺してしまったが
天まで射抜いた矢で
高御産巣日神がこの矢を
「返し矢」として
天若日子を殺してしまう・・・
ー↓ーーーーー↓古事記原文
爾思金及八百萬、議白之、
天菩比、是可遣。
故、遣天菩比者、乃媚附大國主、
至于三年、不復奏。
是以高御產巢日、天照大御、
亦問諸等、所遣葦原中國
之
天菩比、久不復奏。
亦使何之吉。爾思金答白、
可遣天津國玉之子、
天若日子。
故爾以天之麻迦古弓、
自麻下三字以音。
天之波波此二字以音。
矢、賜天若日子而遣。
於是
天若日子、降到其國、
卽娶大國主之女、
下照比賣、
亦慮獲其國、
至于八年、不復奏。
故爾
天照大御、高御產巢日、亦問諸等、
天若日子、久不復奏。
又遣曷以問天若日子之淹留所由。
於是諸及思金、
答白可遣
雉名
鳴女時、詔之、
汝
行問
天若日子狀者、
汝所
以使
葦原中國者、
言
趣和
其國之荒振等之者也。
何至于八年、不復奏。
故爾
鳴女、
自天降到、
居
天若日子之門
湯津
楓上而、
言
委曲
如
天之詔命。
爾
天佐具賣、
此三字以音。
聞此鳥言而、
語天若日子言、
此鳥者、
其
鳴音甚惡。
故、
可射殺云進、
卽
天若日子、
持
天所賜
天之
波士弓、・・・葉詞句
天之
加久矢、・・・掛句也
射殺
其
雉。・・・・・記事
爾其矢、
自
雉胸通而、
逆射上、
逮坐天安河之河原、
天照大御、
高木之御所。・・海軍軍医
高木兼寛
明治五年(1872)4月
海軍医務行政の中央機関の
海軍軍医寮(海軍省医務局)の
幹部
石神良策の推挙で、
一等軍医副(中尉相当官)になった
として海軍に入った
脚気がビタミンの欠乏症であることを
研究した
最終階級は海軍軍医総監(軍医中将相当)
是
高木者、・・・・公僕・坑木・香木
高御產巢日・・・高句麗
高麗の音(怨)を結審
高音算素秘訊
之
別名。
故、高木、
取其矢見者、血著其矢羽。
於是
高木、告之此矢者、
所賜
天若日子之矢、
卽示諸等詔者、
或
天若日子、
不誤命、
爲射惡之矢之至者、
不中(あたらず)天若日子。
或有邪心者、
天若日子、
於
此矢
麻賀禮。・・・まがれ
此三字以音。
云而、取其矢、
自其矢
穴衝返下者、
中(あたる)
天若日子
寢朝床
之
高胸坂・・・高教反・公共反・高(野)共犯?
(高橋・高市)の坂(坂本)
忠臣蔵の高氏の吉良上野介の重犯
以死。
此
還矢之・・・監視・看視・環視・干支・巻史
関氏・看視・冠詞・漢詩
諫死・諌止
鉗子(カンシ)
外科手術用の組織や器物を把持する
鋏形の金属器具の総称
小さいものがセッシ、
大きなものがカンシ
刃のない鋏状のモノで
ピンセットに似るが
モノをハサミ取る先っぽが平たい
本也。
亦其
雉不還。
故
於今
諺曰
雉・・・・・吉士(新羅の官位)・阿倍臣配下に帰属
記事・生地・木地
之
頓使・・・・無駄、無益な使い走り・・・頓死
是也。
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夏四月、
百濟王
遣期我君進調。
別表曰、
前進調使
麻那(マナ)者、
非
百濟國主之骨族也。
故謹遣斯我、奉事於朝。
遂有子、
曰
法師君。
是
倭君
之
先也。
八年春三月、
使
女躶形、坐平板上、
牽馬
就前
遊
牝。
觀
女
不淨、
沾濕者殺。
不濕者
沒
爲
官婢。
以此爲樂。及是時、穿池起苑、以盛禽獸。
而好
田獵、
走狗試馬。
出入
不時。
不避大風甚雨。
衣温
而忘百姓之寒、
食美
而忘天下之飢。
大進侏儒倡優、
爲
爛漫之樂、
設
奇偉之戲、
縱靡々之聲。
日夜常與宮人沈湎于酒、以錦繡爲席。衣以綾紈者衆。
冬十二月壬辰朔己亥、
天皇崩于列城宮。
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枕草子
(一五七段)
名
おそろしき
もの
青淵。
谷の洞。
鰭板。
鐵。
土塊。
雷は
名
のみ
ならず、
いみじう
おそろし。
暴風。
ふさう
雲。
ほこぼし。
おほかみ。
牛はさめ。
らう。
ろうの長。
いにすし。
それも
名の
みならず、
みるも
おそろし。
繩筵。
強盗、
又
よろづに
おそろし。
ひぢかさ
雨。
地楊梅。
生靈。
鬼
ところ。
鬼蕨。
荊棘。
枳殻。
いりずみ。
牡丹。
うし
おに。
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・・・うしおに・・・牛嗚爾・・・モウ~・・・主は鬼・・・潮の丹・・・