・・・本日が20(念)日、明日が21(念壱)日、明後日が「弐千壱拾参年十一月二十二日」・・・二仠=爾潜(字撰)、0=零=例、1=壱=ハジメ、十=拾う、三=纂、年=ネン=撚、11ゲツ=壱拾壱月=位置を拾う位地の解し通す、20=念、余り、2日=爾(字・辞・事・時・地・治・路・自・児)比・・・弐拾弐=二を拾う二・・・念じ→ネンジ=年次・・・
「実業補習学校規程
(明治二十六年十一月二十二日
文部省令
第十六号)
第一条
実業補習学校ハ諸般ノ
実業ニ従事セントスル
児童ニ
小学校教育ノ
補習ト
同時ニ
簡易ナル方法ヲ以テ
其ノ
職業ニ
要スル
知識技能ヲ
授クル所トス
ーー
振動規制法施行令
(昭和五十一年十月二十二日
政令
第二百八十号)
ーー
いい夫婦の日
ーー
794年(延暦十三年十月二十二日)
桓武天皇が平安京へ遷都
845年
ブルターニュ公
ノミノエが
フランク王
シャルル?世を破る
(バロンの戦い)・・・バロン→ 男爵
1943年
レバノンがフランスから独立
1963年
テキサスで・・・・・・敵刺(射)す
アメリカ大統領
ケネディ暗殺
ーー
1869年
アンドレ・ジッド誕生
フランスの小説家
ーー
498年
第51代ローマ教皇シンマクス即位
1215年
フリードリヒ?世神聖ローマ皇帝即位
1497年
ヴァスコ・ダ・ガマ
第一次航海で
喜望峰に到達
1557年
(弘治三年十一月二日)
織田信長が
清洲城内で
弟の織田信行を暗殺
1641年
長期議会・国王チャールズ1世に議会改革を要求
議会の
「大諫奏(大抗議文)」が
イングランド議会で可決
1757年
七年戦争・ブレスラウの戦い
1830年
第二代
グレイ伯爵
チャールズ・グレイがイギリス首相就任
1850年
林則徐死亡・清国・・・阿片(鴉片)戦争
1908年
アルバニア語
アルファベットの標準化を目的とした
マナスティル会議が終了
1913年
徳川慶喜
江戸幕府
第十五代将軍死亡
1928年
モーリス・ラヴェル作曲の
「ボレロ」がパリ初演
1935年
パンアメリカン航空が
マーチン
M130(チャイナクリッパー)による
初の太平洋横断定期航空便
(サンフランシスコ~マニラ)就航。
1943年
第二次世界大戦の
日本の戦後処理の
カイロ会談
1955年
ソ連初の水爆実験
(コード名RDS-37)
ーーーーー
枕草子
(二二〇段)・・・二百二十段・弐佰弐拾段・弐貳零段・貳陌仁足段・貳陌念段
2+2+0=4=四=肆
2×2×0=0=零
人の硯を引き寄せて、
(ヒトのスズリをヒきヨせて)
硯=石+目+儿
--↓
手ならひをも文をも書くに、
(テならひをもフミをもカくに)
--↓
「その筆な使ひたまひそ」
(そのフデなツカひたまひそ)
--↓
と
(ト)
--↓
言はれたらんこそ、
(イはれたらんこそ)
--↓
いとわびしかるべけれ。
(意図わびしかるべけれ)
--↓
うち置かんも人わろし、
(うちオかんもヒトわろし)
--↓
猶つかふもあやにくなり。
(ナオつかふもあやにくなり)
--↓
さ覚ゆることも知りたれば、
(さオボゆることも知りたれば)
--↓
人の爲るもいはで見るに、
(ヒトのイるもいはでミるに)
--↓
手などよくもあらぬ人の、
(テなどよくもあらぬヒトの)
弖・氐・出→弟→乙
--↓
さすがに物
(さすがにモノ)
--↓
かかまほしうするが、
(かかまほしうするが)
--↓
いとよくつかひかためたる筆を、
(意図よくつかひかためたるフデを)
--↓
あやしのやうに、
(怪しのやうに)
文詞・文詩・文施
--↓
水がちにさしぬらして、
(ミズがちにさしぬらして)
不視臥値
--↓
こはものややりと、
(コハモノものややりと)
「強・怖・恐」モノ
児は
--↓
假名に細櫃の蓋などに書きちらして、
(カナにホソビツのフタなどにカきちらして)
金 補素備通 亠
--↓
横ざまに投げ置きたれば、
(ヨコざまにナげオきたれば)
ヨコシマ=横島→邪
--↓
水に頭はさし入れてふせるも、
(ミズに、亜他真はさしイれてふせるも)
--↓
にくき事ぞかし。
(にくきコトぞかし)
--↓
されどさいはんやは。
(されどサイハンやは)
再 版 屋
--↓
人の前に居たるに
(ヒトのマエにイたるに)
--↓
「あなくら、
(あなくら)
--↓
奧より給へ」
(オクよりタマエへ)
--↓
といひ・・・・砥石・登石
賭意思・訪いし
杜医師・徒意思
(といひ)=問い比・賭意志
渡遺志→「Boys, be ambitious」
札幌農学校一期生との別れの際に、
北海道札幌郡月寒村島松駅逓所
(現在の北広島市島松)で
クラークが発したもの
→「Girls, be ambitious」?
--↓
たるこそ、
(他留こそ)
--↓
又わびしけれ。
(マタわびしけれ)
亦・股・俣・復・叉・また→脚・足
話備施懸例
--↓
さし
(さし)
差詞・査詞・作詞→指物→注し
--↓
のぞきたるを・・・覗キタルヲ
(のぞきたるを)
之素紀他留緒
除く・覘く
--↓
見つけては、
(ミつけては)
密 懸出葉
--↓
驚き
(オドロき)
緒努賂紀
小戸
驚愕(キョウガク)→教学・共学
--↓
いはれたるも。
(イワわれたるも)
違和話例他留摸
岩(磐・巌・巖)割(吾・我)
↓
大山 巌
天保十三年十月十日
(1842年11月12日)
~
大正五年
(1916年)十二月十日)
薩摩藩士・陸軍軍人
幼名は岩次郎
通称は弥助
雅号は赫山・瑞岩
字は清海
称号・階級は元帥陸軍大将
大警視・陸軍大臣・陸軍参謀総長
文部大臣・内大臣
元老・貴族院議員
↓
磐余彦=神武天皇
--↓
思ふ人の
(オモふヒトの)
想・重
--↓
事には
(コトには)
--↓
あらず
かし。
(アラズかし)
↓
非らず・有らず・在らず
新事・新頭・新図
荒事
ーーーーー
・・・下賜・下士・下肢・掛詞
歌詞・菓子・河岸・華氏
可視・・・
特定秘密保護法・・・「三猿」法案・・・「法案」・・・「猿女君」は「海鼠(なまこ・名真呼・うみねずみ・sea cucumber・Sea Slug)の口」を封じるコトである・・・「古事記」・・・「海鼠」、当時はこれで「コ」と呼んでいた・・・「ナマコ」とは本来は調理をしていない「ナマのコ」を指す言葉・・・この名残が、「このわた(コの腸)・いりこ(煎りコ)」、「このこ(コの子)」・・・「和名類聚抄」には「老海鼠」、「虎海鼠」で、中国漢字表記は「海参(ハイシェン)」であるらしく・・・音訓すれば、
「老海鼠」・・・ロウカイソ・おいるうみねずみ
老 獪 姐 於意留宇美音頭見
「虎海鼠」・・・コカイソ・とらあま(うみ)ねずみ
呼開 祖 渡羅海人(宇美)子頭視
「海参」・・・・カイサン・うみみつ
開 山 宇美三津
古代史の教科書は「虎」は「大海人皇子=天武天皇」で、
西洋近代史では「ナポレオン」、
戦国から江戸時代初期の名前に関しては「藤堂高虎」、
近代日本史では「虎」の名前に関係する人物は
「寅(トラ)次郎」は「吉田松蔭」である・・
ーー↓
「藤堂 高虎・与吉(幼名)」は
天正十九年(1591年)に君主の秀長が死去すると、甥で養子の豊臣秀保に仕え、秀保の代理として翌年の文禄の役に出征している。
文禄4年(1595年)に秀保が早世したため、出家して高野山に上るも、その将才を惜しんだ豊臣秀吉が生駒親正に説得させて召還したため還俗し、5万石を加増されて伊予国板島(現在の宇和島市)七万石の大名となる。この時、秀吉から「日本丸」という軍艦を拝領したとされる。
慶長二年(1597年)
慶長の役にも水軍を率いて参加
漆川梁海戦では朝鮮水軍の武将・元均率いる水軍を殲滅
南原城の戦い
鳴梁海戦にも参加
帰国後に
大洲城一万石を加増されて八万石
板島丸串城の大規模な改修を行い、
宇和島城に改称
朝鮮の官僚
姜を捕虜にして日本へ移送
慶長五年(1600年)
家康による会津征伐に従軍
後、織田秀信が守る岐阜城攻めに参戦
九月十五日
関ヶ原本戦
大谷吉継隊と死闘
留守中の伊予国における毛利輝元の策動による一揆を鎮圧
戦後、
家康から
宇和島領を含む
今治20万石に加増
慶長十三年(1608年)
伊賀上野藩主
筒井定次の改易と
伊勢津藩主
富田信高の宇和島藩への転封で
今治周辺の
越智郡二万石を飛び地とし、
伊賀一国、並びに
伊勢八郡二十二万石に加増移封
津藩主
慶長十九年(1614年)
大坂冬の陣で徳川方
翌年の大坂夏の陣でも徳川方
河内方面の先鋒を志願し
八尾において
豊臣方の
長宗我部盛親隊と戦う
戦後、32万石に加増
閏六月
従四位下に昇任
高虎はこの戦いの戦没者供養のため、
南禅寺三門を造営し、
釈迦三尊像
及び
十六羅漢像を造営・安置
家康没後は
二代将軍
徳川秀忠に仕え、
元和六年(1620年)
秀忠の
五女
和子が入内で
露払い役
寛永四年(1627年)
自分の敷地内に上野東照宮を建立
幕府の命令で
会津藩と
高松藩、
熊本藩の後見を務め藩政を執り行った
晩年には眼病を患って失明
寛永七年(1630年)十月五日に死去
享年75
後を長男の
藤堂高次が継ぎ
養子の
高吉は高次の家臣として仕え、
後に
伊賀
名張に転封、
分家を興した(名張藤堂家)。
ーー
・・・ボク的には「なまこ=名真コ」の「コ」は「コの同音異字」のスベテである・・・
ーー↓・・・ウイッキペデア・・・
「棘皮(キョクヒ)動物門」で、「体が細長く口が水平に向くなどの特徴を共有」・・・「体が前後に細長く、腹面と背面の区別があり、見かけ上は左右相称であるが、体の基本構造は棘皮動物に共通した五放射相称」・・・「比較的柔軟な体壁に覆われている」・・・「骨格の発達は悪く、細かな骨片として体壁に散らばっている。雌雄異体であるが、外観から区別することは困難」・・・「無脊椎動物」・・・
敵の攻撃を受けると内臓を放出
熱帯性のナマコの多くはキュビエ器官という白い糸状の組織を持っており、刺激を受けると肛門から吐出する。
キュビエ器官は動物の体表にねばねばと張り付き、行動の邪魔をする。マナマコなどキュビエ器官を持たないナマコは、腸管を肛門や口から放出する。ナマコは他の棘皮動物同様に再生力が強く、吐き出した内臓は1~3ヶ月ほどで再生・・・
細長い芋虫型で、腹と背の区別がある。前端に口、後端には肛門がある。
ナマコの
体表は主にコラーゲンから成る厚い体壁に覆われている。体壁は柔軟で、伸縮性に富む。
表面はクチクラに覆われ、内側には環状筋と5列の縦走筋があり、これらを使って呼吸や運動を行う。
体重の90%以上は水分で、深海の浮遊性ナマコは寒天質の体をしており、重量を減らすことで浮力を得ている
ナマコの体も棘皮動物に共通する
五放射相称の構造
ナマコの腹には中央とその両側に
歩帯(管足が並ぶ)があり、
背側には左右両端に
歩帯(管足が変形した疣足が並ぶ)がある。
全身は放射状に並んだ5つの歩帯から構成
腹側の管足は移動に使われ、先端が吸盤
無足目と隠足目のナマコは管足を持たず、
蠕動運動によって移動する。
板足目のナマコは多くが深海性で、
一部には太く大きな管足を持つ種類がいる。
口周辺には
管足が
変形した
触手が
輪状に配列し、
餌の摂取や、種によっては移動にも使われる。
触手は他の管足よりはるかに大きく、先端は種によってさまざまな形に枝分かれしている。
触手は口に引っ込めることも可能で、
本数は5の倍数であることがほとんどである。
ナマコは骨格を持たない
体壁の内部に石灰質の骨片が無数に散らばっている。
大部分は顕微鏡サイズで、
微小骨片 (spicule) と言われる。
骨片の形は
穴の空いた平板型、車輪状、カギ型、錨型など
体壁は
真皮と
筋肉から成り、水分の含有量が高い。
体壁はその硬さを大きく変化させることができる。
硬質ゴムのように硬くもなり、つかんだ指の間から流れそうなほど柔らかくなることもある。
柔らかくなって岩の隙間にもぐりこみ、そこで硬くなって天敵や波に引き出されないようにするなど、ナマコはこの性質を防御に利用。
神経系は食道周囲に環状に配置する
周口神経環と、後方へ伸びた
5本の
放射神経からなる。
目・耳・鼻などまとまった感覚器官は持っていない。
ーーー↓
三猿(さんざる・サンエン)
三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)
三様の姿をした三匹の猿
両手で両眼・両耳・口を覆って、
「見ざる・聞かざる・言わざる」
三匹の猿が両手でそれぞれ
目、耳、口を隠している像
「三猿」
余計なことは見ない、聞かない、話さない
両手でそれぞれ両目・両耳・口をおおっている
三匹の猿の像
「見ざる・聞かざる・言わざる」の意を表した
絵・彫刻に描かれ、
庚申塚(こうしんづか)など
さんさる
日光東照宮=神厩(三猿=見ざる・言わざる・聞かざる)
ーーーーー
(二一九段)・・・二百十九段・弐佰壱拾九段・貮壱九段・仁陌壱足玖段
2+1+9=12=十二=壱拾弐=壱足貮=壱足仁
2×1×9=18=十八=壱拾八=足捌
硯きたなげに塵ばみ、
(スズリきたなげにチリばみ)
--↓
墨の片つかたにしどけなくすりひらめかし、
(スミのカタつかたに、しどけ、なく、すりひらめかし)
--↓
勞多きになりたるが、
(ロウ、オホきになりたるが)
--↓
ささしなどしたるこそ心もとなしと覺ゆれ。
(ささし、など、したる、こそ、ココロもとなしとオボゆれ)
--↓
萬の調度はさるものにて、
(マンのチョウドはさるものにて)
--↓
女は鏡硯こそ心のほど見ゆるなめれ。
(オンナはカガミ、スズリこそココロのほどミゆるなめれ)
--↓
おきぐちのはざめに、
(おき、ぐちの、はざめ、に)
--↓
塵ゐなど打ち捨てたるさま、
(チリゐなどウちスてたるさま)
--↓
こよなしかし。
(こよ、なし、かし)
--↓
男はまして文机清げに押し拭ひて、
(オトコは、ましてフミ、ツクエ、キヨげにオしフひて)
--↓
重ねならずば、
(カサね、ならず、ば)
--↓
ふたつ懸子の硯のいとつきづきしう、
(ふたつカケコのスズリの、いと、つきづき、しう)
--↓
蒔繪のさまもわざとならねどをかしうて、
(マケエの、さまも、わざと、ならねど、をかしうて)
--↓
墨筆のさまなども、
(スミフデの、さま、なども)
--↓
人の目とむばかりしたてたるこそ、
(ヒトのメ、とむ、ばかり、したて、たる、こそ)
--↓
をかしけれ。
(をかし、けれ)
--↓
とあれどかかれどおなじ事とて、
(と、あれど、かかれど、おなじコトとて)
--↓
黒箱の蓋も片方おちたる硯、
(クロハコのフタもカタホウ、おちたるスズリ
--↓
わづかに墨のゐたる、
(わづかに、スミの、ゐたる)
--↓
塵のこの世には拂ひがたげなるに、
(チリの、このヨには、ハラひ、がた、げ、なる、に)
--↓
水うち流して、
(ミズうちナガして)
--↓
青磁の龜の口おちて、
(セイジのカメのクチおちて)
--↓
首のかぎり穴のほど見えて、
(クビの、かぎり、アナの、ほどミえて)
--↓
人わろきなども、
(ヒト、わろき、など、も)
--↓
つれなく人の前にさし出づかし。
(つれなくヒトのマエにさしイづかし)
---ー-
・・・・
第35代アメリカ合衆・ケネディ大統領暗殺事件(ケネディ・John F. Kennedy assassination)1917年5月29日~1963年11月22日)は・・・1963年11月22日金曜日現地時間12:30(CST)・(UTC18:30) 、テキサス州ダラスで暗殺・・・キューバ(玖馬)危機、1962年10月22日午後7時、180隻の海軍艦艇をカリブ海に展開させて海上封鎖・・・
ーー
ロバート・フランシス・“ボビー”・ケネディ(Robert Francis "Bobby" Kennedy, RFK, 1925年11月20日~1968年6月6日)・・・ジョン・F・ケネディの実弟、司法長官(1961年~1964年)・・・ロサンゼルスのアンバサダーホテルでの予備選の祝勝会で演説した後、会場を出るための近道として調理場を通る途中に難民でエルサレム出身のパレスチナ系アメリカ人のサーハン・ベシャラ・サーハンに銃撃を受け、右脳を損傷、翌6日早朝死亡した。42歳・・・暗殺・・・
「バラキ公聴会」の委員会の首席顧問として司法省から派遣され検事役を務めた・・・マフィア・「ダニ退治」は挫折・・・
ボビー=お巡りさん・・・サー・ロバート・ピール(Sir Robert Peel(1788~1850)英国のウェリントン内閣の内相を務め、1829年に「首都警察法」を通過させた。ロンドンの新しい警官の愛称が「ボビー」と呼ばれた・・・
それにしても「権力」を握ると「女性」に誑かされる「男性」が多い・・・そして母親は・・・ジャクリーンはナゼ、オナシスと結婚したのか・・・?・・・マリリンはナゼ殺されたのか?
ーー↓
・・・「横浜市議会」は「ダニ・寄生虫」・・・「国会議員」や「高級官僚」、「天下り官僚」は「ダニ」である・・・税金で食っている奴は「ダニ」、ピンはねしている奴はミンナ「ダニ」だが、ダニにも生きていく権利はある・・・「ダニ退治」は「ダニ」に任せる・・・のが自然?・・・
ーー↓
中国
江蘇省
揚州市の
工事現場で3月・・・発見された古代遺跡が、第二代皇帝、煬帝(569~618年・在位=604年8月21日~618年4月11日)の墓であると判明・・・隋王朝の「文帝(楊堅)」の次子、「楊広=煬帝」。生母は「独孤伽羅」・・・?・・・腹心は「楊素」と「張衡」・・・?・・・後に双方とも処刑・・・
ーー↓
楊広→楊(やなぎ・ヨウ)
やなぎ木の名
カワヤナギ・ネコヤナギ
楊弓・楊枝(ようじ)・楊柳・垂楊・白楊
黄楊(つげ)・白楊(どろのき)・楊梅(やまもも)
↓
「煬帝(楊広)」の
生母の
「独孤伽羅」は・・・・・字面からして
孤独な
伽羅である
「一夫一婦」意識が強い
「鮮卑」出身・・・・・・匈奴の冒頓単于が
「東胡」を滅ぼした際、
「烏丸(烏桓)」族と
「鮮卑」族になった
ーー↓
建武三十年(54年)
鮮卑の
於仇賁(オキュウホン)が
洛陽の
光武帝に朝貢
永平年間
祭肜(サイユウ)が遼東太守となり
鮮卑を唆して
烏丸の欽志賁(キンシホン)らを殺させた
永元六年(94年)
鮮卑大都護の
校尉
蘇拔廆(ソバツカイ)が
護烏丸校尉の
任尚(ジンショウ)に従い、
南匈奴を討伐
朝廷は
蘇拔廆を
率衆王に封じた
殤帝の
延平元年(106年)
鮮卑は長城の中に入って
漁陽太守の
張顕を殺した
安帝の時代
鮮卑の大人
燕茘陽(エンレイヨウ)が入朝
鮮卑王の印綬を授けた
ーー↓東胡→鮮卑・烏丸→五胡→(秦→三国→前後漢)→隋
604年
文帝の崩御に伴い即位
崩御直前の
文帝が
楊広を廃嫡しようとして逆に暗殺された、とする話が根強く流布・・・?
煬帝は父の愛妾(妃)である
宣華夫人に迫ったが、夫人は病室に逃げ戻り文帝にそのことを告げた。文帝は怒り、長男の楊勇を呼ぶように命じたがかなわず(このときの罵りは隋書では「畜生」)、その直後に
張衡が病室に入ってきて女性全員を下がらせたなかで、
文帝は崩御
↓
「張衡」は八年後に誅殺
↓
謀反を企てた
「楊素」の息子の
楊玄感は
九族塁罪の処刑
ーー
文帝の暗殺・・・?
↓
煬帝(楊広)の
母の
独孤伽羅(文帝の后妃)
↓
一夫一婦意識が強い
「鮮卑」出身・・・・文帝も「鮮卑」だろう・・・
↓
父の文帝に
「自分以外の女とは関係しない」に誓わせた
↓
楊広の
兄で皇太子の
楊勇は派手で
愛妾を求め、正妃を疎かにした
↑
独孤伽羅に嫌われ、弟の楊広が皇太子
↓
父(文帝)の愛妾(妃)
宣華夫人
↑
皇太子となった
楊広は
父の愛妾
宣華夫人に迫った・・・?
↓ 楊広は母の代弁者として
↓ 関係を「迫った」のではなく、
↓ 「非難(批難)した」ので
↓ あろう・・・
父(文帝)が激怒
↑
楊広が父を暗殺・・・?
ーー↓
煬帝(楊広)
洛陽を東都に定め
文帝が着手していた
国都
大興城(長安)の建設を推進
大運河を建設、華北と江南を連結
江南からの物資の輸送
国外遠征
高昌に朝貢を求め、
吐谷渾、林邑、流求(台湾)などに
出兵し版図を拡大
612年
高句麗遠征
高句麗遠征は
三回実施されたが失敗
第二次遠征途中で
楊玄感(楊素の息子)の反乱
李密、
李淵ら群雄が割拠
煬帝は江都に逃れた
↓
天文官の占いで
煬帝は国事の奏上を受けず、
奏上者は斬罪に処すという命令を出した
↓
618年
江都で
煬帝は故郷への帰還を望む
近衛兵を率いた
宇文化及
宇文智及
兄弟や
裴虔通らによって、
末子の
趙王(楊杲・十三歳)と共に
殺害
50歳
↓
同じ名前に
拓跋部鮮卑の第6代の
煬帝=拓跋紇那(325年~329年)
復位した
拓跋部鮮卑の第8代の
煬帝=拓跋紇那(335年~337年)
ーー↓
隋王朝
煬帝(楊広)の
后妃
蕭皇后(後梁の公主、蕭(後主)の姉)
蕭嬪 (蕭皇后の族妹)
男子
元徳太子
楊昭
斉王
楊暕
趙王
楊杲
女子
南陽公主 (宇文士及の妻)
某公主 (唐太宗妃、呉王李恪生母)
↑
文人・詩人
「飲馬長城窟行」
「野望」
「春江花月夜」
などを作詞
↓
年号
大業604年~618年
↓
煬帝は、
607年
倭王が遣隋使に託した
「日出處天子致書日沒處天子無恙」
(日出づる
処の天子、
書を日没する
処の天子に致す、
恙無しや)・・・に激怒?
恙=病・難・患い
恙無しや=平穏無事
恙=羊(未)+心
ー↓ーーーーーーーーーーーー↓
恙虫=つつがむし・壁蝨・蜱蟎
マダニ類を蜱(ヒ・ピィ)=螕
ケダニ類、コナダニ類などを蟎(マン)
総称として蜱蟎(ヒマン・ピィマン)
ダニ目・・・
ツツガムシ科の
ケダニの総称
↓↑
節足動物門
鋏角亜門
クモ綱
ダニ目
日本語方言語彙
ごさらぎ(和歌山県)
さらげ(熊本県)
しだりめ(東京都八丈島)
たにこ(京都府)
たのほじ(島根県)
たんじろう(新潟県中魚沼郡)
だんにゃま(鹿児島県)
ふつみ(山口県)
やえ(山口県)
愛知県知多郡では、
「だに」が「ハエの幼虫」・・・うじ=蛆→氏・宇治
↓↑
ヨーロッパ
「チーズダニ」が
チーズの熟成のために利用される
(ミモレット、エダムチーズ等)
↓
成虫は赤色
幼虫は橙(だいだい・オレンジ)色
幼虫は野鼠の耳に寄生
幼虫は脊椎動物寄生性で
孵化後、
生涯に
一度だけ
哺乳類などの皮膚に吸着し
組織液、皮膚組織の崩壊物などを吸収
十分摂食して
脱落、脱皮した後の
第一若虫、
第二若虫
および
成虫には脊椎動物への寄生性はなく、
昆虫の卵などを食べる
一部の個体が経卵感染によって
ツツガムシ病リケッチアを0.1~3%保菌
これに吸着されるとツツガムシ病に感染
保有する
リケッチアの
血清型は、種との関連性がある
タテツツガムシはKawasaki、Kuroki型
アカツツガムシはKato型
フトゲツツガムシはKarp、Gilliam型を保有
秋田県、宮城県などで
夏になるとツツガムシ病による死者が発生
↓
ツツがナシや・・・銃(筒)がナシ耶・・・?
↓
「隋書・卷
八十一
列傳
第四十六
東夷
俀國」
↓↑
高句麗遠征を控えて
外交上
倭国との友好関係は必要と判断・・・?
「裴(世)清」を倭国へ派遣(第二回)
遣隋使は計四回派遣
↓↑
assassination・・・アサシネェション・・・
朝 史根重 書務
ーーーーー
枕草子
(二一八段)・・・「二百十八・弐佰壱拾八・貳壱八・仁陌足捌」段
2+1+8=11=十一=壱拾壱=壱足壱
2×1×8=16=十六=壱拾六=壱足陸
大藏卿・・・大増強・大蔵狂・大鞍教
大石蔵之助・於捕鞍作
蘇我入鹿
ばかり・・・葉仮・場借・馬狩
~のみ・~だけ・~それっポッチ
はかり
秤・「測・計・量・図・諮・謀」理
耳とき・・・耳解き
人なし。・・比渡名詞
まことに・・間言爾・真言爾
磨糊塗爾
蚊の・・・「か・ブン・モン」の
蚊=中+ム+文(亠乂)
化之・掛之・仮之・科之
睫の・・・「まつげ・ショウ」の
睫=目+十+彐+ト+人
目=め・モク
女の足のヨの占う人
類字は「捷�俟蜨」
捷(はやい・さとい・ショウ)
�俟(はやい・さとい・ショウ)
蜨(ショウ・チョウ)=蝶
虫+ト+ヨ+ト+人
疋(ひき・あし・ショ・ソ)
落つる・・・・おつる・ラクつる
雄鶴 等句つる
嗚鶴・於都留→会津・鶴ヶ城
於蔓・緒吊る→蔓=葛→鬘
ほども、・・・
聞き・・・
つけ・・・
給ひ・・・
つべく・・・・通部句
こそ・・・
あり・・・
しか。・・・・詞掛・鹿・詩化・史家
職の・・・
御曹司の・・・音蔵施之
西・・・・・・にし・セイ・サイ・ショウ
所為・歳 ・証
正 差違 章
おもてに・・・
住み・・・・・
し・・・・・・
ころ、・・・・
大殿の・・・・他意伝之
四位・・・・・思惟・示威・恣意
四囲・誣い・強い
少將と・・・・「少(亅ハノ)将(まさに)」と
少々・小商・章証
物いふに、・・
側に・・・・・「そば・ソク」に
ある人、・・・
この・・・
少將に、・・・
扇の・・・・・「おうぎ・セン」の
奥儀・奥義
繪の・・・・・「え・カイ」の
事・・・・・・こと・ず(づ)・ジ
いへと・・・
さざめけば、・・・
「今・・・
かの・・・
君立ち・・・きみたち
くんたち・クンリツち
訓 他知
給ひ・・・
なん・・・
に・・・
を」・・・
と・・・
密に・・・・ひそかに・ミツに
いひ・・・
入るるを、・・・
その人・・・
だに・・・・拿似
え・・・・・重
聞き・・・
つけで、・・・
「何とか・・・「なに・カ」とか
何とか」・・「なに・カ・が」とか
と・・・
耳を・・・
かたぶく・・・
る・・・
に、・・・
手を・・・
うちて、・・・
「にくし、・・・憎し・難し・悪し
似句施・二区市
肉 脂
ジクシ
さ・・・・・・作・差・叉・査・佐
のたま・・・
はば・・・
今日・・・・・現在・現代
は・・・
たたじ」・・・
と・・・
のたまふ・・・
こそ、・・・
いかで・・・
聞き・・・
給ひ・・・
つらんと、・・・「吊らん・釣らん・攣らん」と
あさまし・・・・浅まし
安佐磨施・・・大安麻呂
かり・・・
しか。・・・
ーーーーー
・・・???
靫蔓(うつぼかずら)・・・ブログ記事をみると、「 ウツボカズラ科の 食虫植物。蔓性(つるせい)の 多年草。葉は長さ10~15センチで、裏面に褐色の毛があり、先が円筒形の袋となっていて虫を捕らえる。雌雄異株。枝の先に黒紫色の花を総状に密生する」・・・「ウツボカズラの捕虫器は、壺のような形で、いわゆる落とし穴式で虫を捕らえるようになっている」と、あった・・・「特定秘密保護法」・・・「落とし穴」に落ちるのは「立法」した本人も落ちるのは当然で、「原発事故」が「階級 差別」なく、「誰彼の立場関係」なく汚染していくのと同類である・・・「 立法」しようが「原則は自分には当て嵌めナイ」のが「人間」で、「秘密」を作って、操作し、その「秘密」を「自分だけが自由に知る」のも権力を握っている間のコトである。
「秘密漏洩罪」は「 裁判」で裁けるのか?・・・「日本国 憲法 第3章」の
ーー
第三 十四条
何人も、
理由を
直ちに
告げられ、
且つ、
直ちに
弁護人に
依頼する
権利を与へられなければ、
抑留又は 拘禁されない。
又、
何人も、
正当な理由がなければ、
拘禁されず、
要求があれば、
その理由は、
直ちに
本人
及び
その
弁護人の出席する
公開の法廷で
示されなければならない
ーー
としている・・・「 裁判」は「その理由は、 直ちに本人及び、その弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」である。「 裁判」自体が既に「秘密を保障」ぜず、「公」にすることを前提にしている。
「秘密漏洩罪」は「 裁判」でその「秘密の漏洩内容の理由」を前提に「秘密漏洩罪」を裁くのだから、その時点で「秘密内容」が、その「理由」として「公開」されての「 裁判」となる。
だが、「 裁判」が「秘密内容」の「漏洩有無」の判決を下しても「秘密がない」と「政府(国家組織)」が「ウソ」をついたらソレまでである。
「秘密漏洩罪」の「秘密内容」を公開したくないとするならば、「秘密 裁判」でなければ「秘密の内容」をマモレなくなるのだ。
「秘密をマモル 裁判」は
「リンチ」も同様で
「国家」の中「治外法権」であろう。
それを「ソ連・東欧諸国」、「中国」はやってきた。「公開」されてきたのは「 裁判」ではなく、「公開処刑」だった。
ーー↓
「西山事件」で「 裁判官」は何を裁いたのか?
1972年
沖縄返還時の
日米間の密約について、
「外務省の女性事務官と
情を通じ、
秘密漏洩を唆した」
↓
判決文の一部を抜粋
↓
「・・・
所定の
秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、
公務員に対し、
その行為を実行する
決意を新に生じさせるに足りる
慫慂行為をすることを意味するもの・・・」
↓
「慫慂(ショウヨウ)」とは
「他の人が勧めてそうするように仕向けること」
「そそのかし」にあたるもの
↓
「正当な取材活動の範囲を逸脱しているもの」
↓
「 裁判官」は
「その理由の密約内容」では裁かなかった。
↓
「・・・
わが国においては早晩
国会における
政府の政治責任として
討議批判されるべきであつたもので、
政府が右のいわゆる密約によつて
憲法秩序に抵触するとまでいえるような
行動をしたものではないのであつて、
違法秘密といわれるべきものではなく、
この点も
外交交渉の一部をなすものとして
実質的に
秘密として保護するに値するものである・・・」
↓
「ウソ」をついた奴は「ノーベル平和賞」
そして
第一次
「アベ」内閣は「その理由」に「ウソ」をついていた。
第二次
「アベ」内閣の官房長官は
「民主党政権時」の
「日米間の沖縄密約はあったと
認めたコト」を踏襲スル・・・と言っていたが
「アベ政権」がウソをついていたコトには知らん顔である。
記者会見で逃げるように質問をはぐらかして引っ込んだ
「特定秘密保護法案」の担当相・・・?
「子少子化担当」との兼務・・・?
女弁護士で「福島県出身」・・・?
そして
第二次「アベ」内閣は
「秘密」が漏洩しても
政府(国家組織)が
「ウソ」をつける「 法律」を作ろうとしている。
手の内を明かさない「勝負の秘密」には「使用価値」がある。そして「秘密」とは「時間的使用価値」で、在る時点では「無価値」になるハズ。
だが「秘密延長」される「使用価値」と何か?
「ウソの延長の使用価値」とは
「ダレの使用価値」なのか?
「JR北海道」、「みずほ銀行」、「ホテル・レストラン」、
「ソ連・東欧」、「大陸中国・北朝鮮」、かっての崩壊した、崩壊しつつある「中東アラブ諸国」と同類になるツモリであるらしい・・・
人生には「落とし穴」が多い・・・が、「靫(うつぼ)」は矢を入れ腰に着けたり、背負う壺状の筒・・・矢は当然、弓とペアの武器で、靫を加えると三点セットの武具である・・・
「歩靫(かちゆき)」も同じ意味のことばで、更に「箙(えびら)」も同類の意味であるらしい・・・
ーーーーー
枕草子
(二一六段)・・・二百十六段・弐佰壱拾六段・貳壱六段・仁陌足陸段
2+1+6=9=九=玖
2×1×6=12=十二=壱拾弐=足仁
三條の宮におはしますころ、
(三條の究爾、負わし真諏故賂)
↓
日本国 憲法 第3条 憲法 第3章条
↓
第三章 国民の権利及び義務
第十条
日本国民たる要件は、 法律でこれを定める。
第十一条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
この x 憲法が国民に保障する基本的人権は、
侵すことのできない永久の権利として、
現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条
この 憲法が
国民に保障する
自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。
又、国民は、
これを濫用してはならないのであつて、
常に 公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第 十三条
すべて国民は、
個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。
第 十四条
すべて国民は、
法の下に平等であつて、
人種、信条、性別、
社会的 身分又は門地により、
政治的、
経済的又は社会的関係において、
差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、
いかなる特権も伴はない。
栄典の授与は、
現にこれを有し、
又は将来これを受ける者の一代に限り、
その効力を有する。
第十五条
公務員を選定し、
及びこれを罷免することは、
国民固有の権利である。
2 すべて 公務員は、
全体の 奉仕者であつて、
一部の 奉仕者ではない。
3 公務員の 選挙については、
成年者による 普通選挙を保障する。
4 すべて 選挙における投票の秘密は、
これを侵してはならない。
選挙人は、
その選択に関し
公的にも私的にも責任を問はれない。
第十六条
何人も、
損害の救済、
公務員の罷免、
法律、
命令又は規則の制定、
廃止又は改正
その他の事項に関し、
平穏に請願する権利を有し、
何人も、
かかる
請願をしたために
いかなる
差別待遇も受けない。
第十七条
何人も、
公務員の不法行為により、
損害を受けたときは、
法律の定めるところにより、
国又は 公共団体に、
その賠償を求めることができる。
第十八条
何人も、
いかなる
奴隷的拘束も受けない。
又、
犯罪に因る処罰の場合を除いては、
その意に反する
苦役に服させられない。
第十九条
思想及び良心の自由は、
これを侵してはならない。
第二 十条
信教の自由は、
何人に対しても
これを保障する。
いかなる 宗教団体も、
国から特権を受け、
又は
政治上の権力を
行使してはならない。
2 何人も、
宗教上の行為、
祝典、儀式又は行事に
参加することを
強制されない。
3 国及びその機関は、
宗教教育
その他
いかなる
宗教的活動もしてはならない。
第二十一条
集会、
結社
及び
言論、
出版
その他
一切の
表現の自由は、
これを保障する。
2 検閲は、
これをしてはならない。
通信の秘密は、
これを
侵してはならない。
第二十二条
何人も、
公共の福祉に反しない限り、
居住、
移転
及び
職業選択の
自由を有する。
2 何人も、
外国に 移住し、
又は
国籍を離脱する
自由を侵されない。
第二 十三条
学問の自由は、
これを保障する。
第二 十四条
婚姻は、
両性の
合意のみに基いて成立し、
夫婦が
同等の権利を有することを基本として、
相互の協力により、
維持されなければならない。
2 配偶者の選択、
財産権、
相続、
住居の選定、
離婚
並びに
婚姻
及び
家族に関するその他の事項に関しては、
法律は、
個人の尊厳と
両性の
本質的
平等に立脚して、
制定されなければならない。
第二十五条
すべて国民は、
健康で
文化的な
最低限度の 生活を
営む権利を有する。
2 国は、
すべての 生活部面について、
社会福祉、
社会保障
及び
公衆衛生の向上
及び
増進に努めなければならない。
第二十六条
すべて国民は、
法律の定めるところにより、
その
能力に応じて、
ひとしく
教育を受ける
権利を有する。
2 すべて国民は、
法律の定めるところにより、
その
保護する子女に
普通教育を受けさせる
義務を負ふ。
義務教育は、
これを
無償とする。
第二十七条
すべて国民は、
勤労の権利を有し、
義務を負ふ。
2 賃金、
就業時間、
休息
その他の
勤労条件に関する基準は、
法律でこれを定める。
3 児童は、
これを
酷使してはならない。
第二十八条
勤労者の
団結する
権利
及び
団体交渉
その他の
団体行動をする
権利は、
これを
保障する。
第二十九条
財産権は、
これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、
公共の福祉に適合するやうに、
法律でこれを定める。
3 私有財産は、
正当な補償の下に、
これを
公共のために
用ひることができる。
第三 十条
国民は、
法律の定めるところにより、
納税の
義務を負ふ。
第三十一条
何人も、
法律の定める手続によらなければ、
その
生命
若しくは
自由を奪はれ、
又は
その他の
刑罰を科せられない。
第三十二条
何人も、
x 裁判所において
裁判を受ける
権利を
奪はれない。
第三 十三条
何人も、
現行犯として逮捕される場合を除いては、
権限を有する
司法官憲が発し、
且つ
理由となつてゐる
犯罪を
明示する
令状によらなければ、
逮捕されない。
第三 十四条
何人も、
理由を
直ちに
告げられ、
且つ、
直ちに
弁護人に
依頼する
権利を与へられなければ、
抑留又は 拘禁されない。
又、
何人も、
正当な理由がなければ、
拘禁されず、
要求があれば、
その理由は、
直ちに
本人
及び
その
弁護人の出席する
公開の法廷で示されなければならない。
第三十五条
何人も、
その住居、
書類及び所持品について、
侵入、
捜索
及び
押収を
受けることのない権利は、
第三 十三条の場合を除いては、
正当な理由に基いて発せられ、
且つ
捜索する場所
及び
押収する物を
明示する
令状がなければ、
侵されない。
2 捜索
又は
押収は、
権限を有する
司法官憲が発する
各別の
令状により、
これを行ふ。
第三十六条
公務員による
拷問
及び
残虐な 刑罰は、
絶対に
これを
禁ずる。
第三十七条
すべて
刑事事件においては、
被告人は、
公平な 裁判所の
迅速な
公開 裁判を受ける
権利を有する。
2 刑事 被告人は、
すべての証人に対して
審問する機会を充分に与へられ、
又、
公費で
自己のために
強制的手続により
証人を求める
権利を有する。
3 刑事 被告人は、
いかなる場合にも、
資格を有する
弁護人を依頼することができる。
被告人が
自らこれを依頼することができないときは、
国でこれを附する。
第三十八条
何人も、
自己に
不利益な
供述を
強要されない。
2 強制、
拷問
若しくは
脅迫による
自白
又は
不当に
長く 抑留
若しくは
拘禁された後の
自白は、
これを
証拠とすることができない。
3 何人も、
自己に不利益な
唯一の証拠が
本人の
自白である場合には、
有罪とされ、
又は
刑罰を科せられない。
第三十九条
何人も、
実行の時に
適法であつた行為
又は
既に
無罪とされた行為については、
刑事上の
責任を問はれない。
又、
同一の犯罪について、
重ねて
刑事上の
責任を問はれない。
第四 十条
何人も、
抑留
又は
拘禁された後、
無罪の 裁判を受けたときは、
法律の定めるところにより、
国に
その補償を求めることができる。
(日本国 憲法条文)
ーー↓ 枕草子ツヅキ
五日の 菖蒲輿など持ちてまゐり。
(語比、之、 尚武、見越し等・・・)
ーー↓
藥玉まゐらせなどわかき人々御匣殿など、
(句素理拿真・・・話書き比渡比賭音 口伝等
匣=はこ・コウ・ゴウ)
ーー↓
藥玉して、
(訳御句詞出)
ーー↓
姫宮若宮つけさせ奉り
(企及・ 希求、字訳句・究・・・)
ーー↓
いとをかしき藥玉ほかよりも參らせたるに、
(意図・・・)
ーー↓
あをさしといふものを人の持てきたるを、
(蛙尾作詞・・・)
ーー↓
青き薄樣を艶なる硯の蓋に敷きて、
(亜於紀、葉句用緒、
名留、素事理之符他爾 史記出)
ーー↓
「これませこしにさふらへば」
(・・・真施故詞爾、作符等経葉)
ーー↓
とてまゐらせたれば、
(渡出、真意等施他例葉)
ーー↓
みな人は花やてふやといそぐ日も
(視名、比等葉、葉名也、調哉、問い削ぐ字通摸)
ーー↓
わがこころをば君ぞ知りけると、
(話臥個々賂緒葉、訓ぞ、詞理化留賭)
ーー↓
紙の端を引き破りて、
(詞・史之、葉詞於、牽き哉部理出)
ーー↓
書かせ給へるもいとめでたし。
(・・・)
ーーーーー
枕草子
(二一七段)・・・二百十七段・弐佰壱拾七段・貳壱七段・仁陌足漆段
2+1+7=10=十=壱拾=足
2×1×7=14=十四=壱拾肆=足肆
十月十餘日の月いとあかきに、
(・・・)
ーー↓
ありきて物見んとて、
(・・紀出、摸之・・・)
ーー↓
女房十五六人ばかり、
(・・・拾語、陸=理句、爾務、葉借り・測理)
ーー↓
皆濃き衣をうへに著て、
(視名、故紀、意於得経爾、紀出 )
ーー↓
引きかくしつつありし中に、
(・・・)
ーー↓
中納言の君の、
(・・・之、訓埜)
ーー↓
紅の張りたるを著て、
(爾字之貼理他留於紀出)
ーー↓
頸より髮をかいこし給へりしかば、
(句備選りカミ於回顧詞・・・史家葉)
ーー↓
「あたらしきぞ」とて、
(・・・ 史記・・・)
ーー↓
「よくも似たまひしかな。
(・・・・)
ーー↓
靱負佐」とぞ・・・・・?
「靱負佐=ゆきえさ」は人名?
↓
靭=しなやか・うつぼ・ジン・ニン
靱負=ゆげい・ジンフ
律令制度の 衛府の官人
宮中を靭(ゆぎ=矢を入れる道具)を
背負って
見回りをする者で、
「ゆげい」
↓ ↓
ウイッキペデアより
↓
人名の
「靱負佐(ゆきえ)
↓
(松平 忠章
寛文十二年・1672年
~
享保二十年八月二十八日・1735年10月14日
伊勢国
長島藩の二代 藩主
松平忠充の長男
母は
松平典信の娘
初名は忠勝
通称は求馬
↓
靱負佐
↑
石見守
正室は
松平信応の娘
文武両道に秀で、父との関係が悪化
元禄元年(1688年)
城内でうたた寝をしていた際、
知らぬ間に自分で自分の腹を刀で突き刺してしまった。
突然の事態に慌てて寄って来た家来に
自分は正気であると伝えたという
このことで
乱心とされ、
廃嫡されたとも、
自ら辞したとも伝わる
後、生母の実家の領地の
丹波国
篠山に住した)
ーー↓
わかき人々はつけたりし。
(話書き人々は・・・)
ーー↓
後に立ちて笑ふも知らずかし。
(・・・)
ーーーーー
ウイッキペデアからの参考、参照抜粋、少々改作添付
↓
・・・ 地名
埼玉県 比企郡 小川町
靱負
ーー
・・・人名
加藤靱負
江戸時代後期の武士
幕臣
天保九年(1838)
駿府町奉行
天保十一年から
林述斎監修の
「徳川 実紀」編修に参加
ーー
平田靱負・・・?
平田 靫負(ひらた ゆきえ)
薩摩藩家老
宝暦三年(1753年)の
木曽三川分流工事(宝暦治水事件)の責任者
父は平田正房、
母は島津準三男家の
島津助之丞忠守の娘
諱は宗武、宗輔、正輔
通称は次郎兵衛、新左衛門、掃部、靱負
宝暦治水の責任をとって自害
後、孫の
平田袈裟次郎が家督相続
ーー
酒巻靱負・・・?
ーーーーー
・・・いと、オカシ、「ウツボ・打保・うつぼ」・・・
空知郡・・・夕張、三笠、奈井江、上砂川、芦別、西芦別・・・北海道、蝦夷、炭鉱、石炭、隗炭・・・軍艦燃料・・・ 海戦・・・沈粉、沈没、海没、溺死・・・オボユル・・・
ーー
北海道 空知郡
南幌町・奈井江町・上砂川町
上富良野町・中富良野町・南富良野町・・・
ーー
1879年(明治十二年)
行政区画としての郡域
上記六町のほか、
岩見沢市・美唄市・ 芦別市・赤平市
三笠市・滝川市・砂川市・歌志内市
富良野市、および深川市の一部
石狩川以南
ーー
江戸時代
空知郡域は西 蝦夷地に属し松前藩領
文化四年、 空知郡域は天領
文政四年、一旦松前藩領に復す
安政二年、再度、天領(庄内藩警固地)
石狩役所の
荒井金助によって石狩炭田が発見
1869年
戊辰戦争(箱館戦争)終結直後
大宝律令の国郡里制に倣い
>空知郡が置かれた
明治二年八月15日(1869年9月20日)
石狩国および空知郡が設置
開拓使が管轄。
十月九日(11月12日)
一部の区域が伊達邦直・伊達宗広の領地
十一月十四日(12月16日)
一部の区域が亘理胤元の領地
明治四年八月二十日(1871年10月4日)
廃藩置県により再び開拓使の管轄
明治十二年(1879年)
七月二十三日
行政区画として
空知郡、発足
明治十三年(1880年)三月
石狩郡外
七郡役所
(石狩・厚田・浜益・上川・樺戸
雨竜・空知・ 夕張郡役所)の管轄
明治十五年(1882年)二月八日
廃使置県により札幌県の管轄
明治十七年(1884年)四月
札幌郡外
五郡役所
(札幌・ 夕張・空知・樺戸・雨竜・上川郡役所)の管轄
明治十九年(1886年)一月二十六日
廃県置庁により 北海道庁札幌本庁の管轄
ーー
明治三十三年(1900年)七月一日
北海道一級町村制の施行
岩見沢村の一部(北村を除く)の区域を
岩見沢村(一級村)としてえ発足(一村)
ーー↓
明治三十五年(1902年)四月一日
北海道二級町村制の施行
奈江村(二級村、単独村制)が発足。(二村)
明治三十六年(1903年)八月二十三日
奈江村が・・・?「奈井江」ではなく「奈江」・・・
改称して
砂川村となる(二村)
ーー↓
明治四十二年(1909年)四月一日(一町十一村)
北海道二級町村制の施行
音江村、幌向村が発足
ーー↓
音江村(おとえむら)
1963年五月一日に
深川町・一已村・納内村と合併し
深川市となった
地名の由来
アイヌ語の
「オ・トゥイェ・ナイ」
(川尻が崩れる川)
ーー↓
滝川村の一部が
分立して
江部乙村(二級村)が発足
沼貝村・滝川村・栗沢村が
北海道一級町村制を施行
ーー
昭和十九年(1944年)四月一日
砂川町の一部
字奈井江町および奈井江・東奈井江の各一部が
分立して
奈井江村が発足(八町十一村)
ーー↓・・・奈江~奈井江・・・?
1890年 奈江村が設置される。
1895年 奈江村戸長役場が設置される。
1897年 一部を歌志内村
(歌志内市・ 芦別市・赤平市)として分離
1902年 二級町村制施行「奈江村」
1903年 奈江村を砂川村と改める。
1907年 一級町村制施行「砂川村」
1923年 町制施行「砂川町」
1944年 砂川町の南部が
奈井江村(奈井江町)として分立
・・・「奈江(なえ)」村から「奈井江(ないえ)」村に・・・ナゼ、「井」の文字が加えられたのか・・・?
「奈 江」・・・な え・ナ コウ
「奈井江」・・・ないえ・ナイコウ
アイヌ語の「ナヱ」から転訛したもので 「砂多き川」
アイヌ語の「ナイェ(その川)」が訛って地名
「奈」が「ナィ」と発音するならば「井」は無くても「ないえ」と音声発音していたか、「井」を加えて「なぃいえ」と音読をしたかった?・・・「井(い・ゐ・ショウ・セイ)」は仮名では「ゐ・ヰ」である。「囲碁の盤の縦横罫線」か、「地図上、地球儀の縦横の経度、緯度の罫線」である。「緯度」は地球儀南北を「横に輪切の線」で、「経度」は「縦割りの線」である・・・アイヌ語のオタウシナイ(砂の多い川)、「オタ」は砂、「ウシ」は多い、「ナイ」は川・・・「音」を採った地名が「歌志内」である。スナワチ(乃)、「砂川」は意味を採った・・・では、「奈江(ナエ・ナィエ)=奈井江」は・・・?・・・「音の意味」なら「川」である・・・「綯(なう・な・トウ・ドウ)い得」か「萎(なえる・イ)+ヰ+荏(え・ジン・ニン)」・・・?・・・松浦武四郎がココを訪ねた時に「埃及(エジプト)のナイル河」を妄想したのではないかと・・・砂地の石狩川を見下ろす「ピンネシリ(山)」はピラミッドで、北海道「樺戸郡新十津川町」と「石狩郡当別町」の境にある「カムイの山」である・・・樺戸(カバト→「河馬・樺・蒲・椛」渡)、石狩(石の狩)、当別(アテワケける)・・・
↓
「萎=イ(ヰ)・なえる・しぼむ・しおれる」
「萎縮・萎靡(いび)・陰萎」
「荏=エゴマ・荏胡麻
シソ・紫蘇・・・ムラサキの蘇我
柔らかい
段々と」
そら豆=空豆・蚕豆
・・・「空知」は「そら豆」・・・?・・・別名、「ノラマメ(野良豆)・ナツマメ(夏豆)・テンマメ(天豆)・シガツマメ(四月豆)」・・・揚げて塩をふったものは「いかり豆」・・・「枝豆=大豆」はどうなのか・・・明治時代、北海道で収穫可能な農作物は「蕎麦・粟・稗・豆類」など、「馬鈴しょ・亜麻・除虫菊・ハッカ・てん菜」・・・開拓し、その農地を自分のモノにするには「豆」と「蕎麦」であったのだが・・・「米」の収穫は難しかった・・・
・・・「イ=藺」→「藺草=燈芯草」に似たものはススキだが・・・
↓
内得(ないえ・ナイドク・うちどく・内徳とも書く)はどうか?・・・「内之得分」の略称であるらしい・・・
室町・戦国期の近江、越前、美濃など畿内周辺諸国の「田畠売券」や「寄進状」などに現れる用語で、「名(みよう)之内得・名内得分」などと表現され、多くの場合「名主(みようしゆ)」の「私的得分」である「加地子(かじし)分」を指し、売買などで移動した。越前西福寺文書の1515年(永正十二年)二月九日付「春庾田地売券」は、平内名(みよう)所属の田地二反を売却したもので、それには「名の内得分を売る」の意味で、本役などは自分(名主)の方で負担し、この田地には「万雑公事(まんぞうくじ)」は一切かからない旨が記されている・・・
「万雑公事」
↓
平安中期以後、荘園・公領で賦課された年貢以外のさまざまな夫役や雑税の総称。十四世紀以後は銭納も多かった。
荘園において、年貢以外の、夫役を含むすべての雑税
年貢以外の夫役雑物を含めた全ての雑税
↓
「奈多(なだ)」氏も「万雑公事」でトラぶっていたらしいコトがブログ記事に掲載されていた。
↓
豊後国
安岐(あき)郷
奈多八幡 (杵築市) 大宮司家
宇佐大宮司の公基(きみもと)より出自の一族
ーー
北海道は「不在地主」の大地でもあった・・・「農地」が「株式会社」で経営されると「あぐら農場」にも・・・「小作地は農地改革で強制買収され、不在地主は農地法で禁じられたが1970年の改正で小作地平均1haまでの制限付で認められた」・・・「農地」が「国有化=共産党化=擬似資本主義化」されると・・・かってのソビエト、そして今現在の大陸中国の農民はルンペン・・・小説「大地」は・・・無纏足で泣いた「王龍」の妻、「黄家」の奴隷、「阿藍」の執念・・・「薄熙来(ポー・シーライ・1949年7月3日」と、その妻「谷開来(薄谷開来・ポー・グーカイライ)」・・・
ーー
年干支・・・己 丑(癸・辛・己)
年天干変通 正財・・↓地支蔵干変通 12運
年蔵干・・・・ 丑(印綬・正官・正財)冠帯
年月支関係・・・害
月干支・・・庚 午(丙・ ・丁)
月天干変通 偏官・・↓地支蔵干変通 12運
月蔵干・・・・・午(食神・ ・傷官)死
刑 格式食神
日干支・・・甲 午(丙・ ・丁)辰巳←空亡
日天干変通 比肩・・↓地支蔵干変通 12運
日蔵干・・・・・午(食神・ ・傷官)死
ー
大運 甲 子(壬・ ・癸)
比肩月日沖
ー
年運 癸 巳(戊・庚・丙)年
印綬
月運 壬 戌(辛・丁・戊)月
偏印月日三合丙食神
ーー ↓
「奈(大+示)」=「柰(木+示)」
音読
呉音=ナ・ナイ
漢音=ダ・ダイ
訓読=からなし・いかん・いかんせん・いかんぞ
いかん=如何=奈何
「いかに」・・・事の次第・なりゆき・ようす
疑問文、反語文
疑い問う意=どうか?・どうであるのか?
どうしたらよかろうか・どうしようか
いかん=如何(ジョカ)=奈何(ナガ)
「如・・→い←・・奈」+何(カ・ガ)
↓ 何(なに・なん)
「垓下之歌・(がいかのうた)」
楚と漢の「垓下の戦い」で
西楚の覇王「項羽(項籍)」が「虞美人」に贈った詩
「史記・巻七項・羽本紀 第七」や
「漢書・巻三十一・陳勝・項籍・傳第一」に記録
↓
「虞や、虞や、若(なんじ)を奈何(いかん)せん」
「力抜山・・・力、山を抜き
兮・・・・・や(ケイ・ゲ)
気蓋世・・・気は世を蓋(おほふ)
時不利・・・時、利あらず
兮・・・・・や(ケイ・ゲ)
騅不逝・・・騅(愛馬)は逝かず
騅不逝・・・騅(虞や)は逝かず
兮・・・・・や(ケイ・ゲ)
可・・・・・すべきか
奈何・・・・いかんと
虞兮・・・・虞や
虞兮・・・・虞や
奈若何 ・・若(なんじ)を奈何(いかん)せん
ーー↓
奈、若(わかい・もしくは・ジャク・ニャク)、何
ーー↓
なんぞ・いかん・この・~できる
耐える
サンスクリットなどの「音訳」に使われる
「柰=木+示」が本字
「柰」=大きめのリンゴ(林檎)・カラナシ(唐梨)
「奈」は果物の意味では使わず、
「柰」と「奈」には使い方に区別がある
「柰」は「説文解字・巻六(段注本)」に
「柰果」なりとある。
字形
声符は示・もと果実・「なんぞ」の意味は仮借
音訓
音=ダイ、ダ(漢音)・ナ、ナイ(呉音)
ダイの同音異字は
「廼(の・すなわち・そこで・かくて)」
廼=西(にし)+廴(ひく・イン)」でもある
いんにょう(廴繞)
えんにょう(延繞)
は「長い道のり」で、
「廼」ならば「西への長旅」である
訓=いかん・なんぞ・いかんぞ
声符
「奈・柰」を声符とする漢字
捺(おす・ナツ・ナチ)→捺印・捺染
捺染=おしぞめ・ナッセン・ナセン
渿(うるし・シツ・シチ)→漆黒・漆喰
漆塗り
漆=「氵+木+人+氺(したみず・スイ)」
黍(きび・ショ)に似ているが
黍=「禾+氺」
である・・・
「*(アスタリスク)」で「示」ではない
隸(しもべ・レイ・ライ)→隷属・奴隷
隶(およぶ・イ・タイ)
「奈」が音符、声符とも思えない
「捺(ナツ・ナチ)」と、「隷(レイ・ライ)」の
「異音読」である。
これは「捺印」→「奴隷」の「意符」である。
「捺印」は奴隷管理の
「刺青・刺青・焼き鏝」の意味だろう・・・
語彙
奈何(いかん)・奈辺(ナヘン・那辺)
不定称の指示代名詞
「どのあたり・どのへん・どこ」は
「那(いかん・いかんぞ・いかでか
どうか・どのようか・どうして
どれ・どの・ナ・ダ)」が
「那=尹+邑」で国や港の監督・長官なら
文字道理である
↓
富楼那(ふるな、サンスクリット=Purna)
釈迦十大弟子の一人
説法第一・十大弟子中では最古参
弁舌家
「富楼那・弥多羅尼・弗多羅(プルナ・プンナ)」
↓
「奈落(ナラク)の底」は地獄である
「奈」は「な」の平仮名・「ナ」の片仮名の字源
「奈良=那羅・寧楽・平城」
兎に角、
「奈=大+示=一+人+示(二亅八)」で
「柰=木+示=十+八+示(二亅八)」である・・・
ーー↓
奈勿尼師今(ナコツ ニシキン)
?~402年
新羅の第十七代の王
(在位=356年~402年)
姓は
「金」
「三国史記・分注の別名」は
「那密(尼師今)」・・・奈勿→ナなかれ
那密→ナひそか
第十三代
「味鄒尼師今(ミスウ ニシキン)」の
ミシュ ニシコン
甥
父は
「仇道葛文王(キュウドウ カツブンオウ)」
の子の
「末仇角干(マツキュウカクカン)
一等官の別名)」
母は
「金休礼」夫人
王妃は
「味鄒尼師今」の娘の
「保反」夫人
↓
「三国遺事・王暦」は
「奈勿麻立干」
「味鄒尼師今」の弟
一説で
「味鄒尼師今」の
甥と伝承
先代の
「訖解尼師今」が
356年四月に子の無いまま死去し
「奈勿尼師今」が王位を継いだ
以後、五十三代の
神徳王(在位=912年~917年)まで、
新羅の王統は
「金」氏で占められた
・・・?
ーーーーー
枕草子
(二一五段)・・・(百二十五・壱佰弐拾五・壱貮五・陌仁足伍)段
1+2+5=8=八=捌
1×2×5=10=十=壱拾=足
廊に便なき人なん、
(郭似、他より無き比賭、何
くるわ・カク・・・・・難・納・男)
曉に笠ささせて出でけるといひ出でたるを、
( アカツキにカササセテ・・・
リュウ、篠差出、意出懸留、
問い比、意出他留緒)
よく聞けば我がうへなりけり。
(・・・・雅臥、得重名理懸理)
地下などいひても、
(時下、時価、字掛、等、意比出摸)
めやすく、
(目安句→目安の規矩)
人に許されぬばかりの人にもあらざめるを、
(比賭爾、諭留されぬ葉借り之、
比等爾摸 新座女留尾)
怪しの事やと思ふほどに、
うへより御文もて來て、
「返事只今」と仰せられたり。
(反す言、只、今現在・・・・)
何事にかと思ひて見れば、
(何語賭かと・・・・)
大笠の繪をかきて、
(大龍、滞留之、絵(海)をカキテ
重尾、 書き手)
人は見えず、
(比等葉、見えず)
唯手のかぎり笠をとらへさせて、
(ただ、ユイ、て、シュ、之、
掛義理、
劉、柳、隆を・・・)
下に
(史摸、詞摸、解爾)
三笠山やまの端あけしあしたより
( 北海道 三笠市・ 戦艦三笠、
纂、桟のハシ、は
明史、明石、
明日、朝・与裏)
ーー↓
とかかせ給へり。
(渡河、賭掛、枷、加勢、弾減り)
猶はかなき事にても、
(なお、墓無き、墓泣き、コト似て喪)
めでたくのみ覺えさせ給ふに、
(目出度く、芽出度く、愛でたく、之、身
記憶・・・)
恥しく心づきなき事は、
(ハズカシク・・・)
いかで御覽ぜられじと思ふに、
(以下出・・・)
ーー↓
さるそらごとなどの出でくるこそ苦しけれと、
(猿、空言・空事・空毎・虚言・・・加羅事
空知郡は 北海道・・・)
をかしうて、
(可笑しうて)
こと紙に、
(糊塗史爾・事詞爾・如し似・・・ゴト師)
雨をいみじう降らせて、
(あめ、ウを、
意味字得、振らせ、触らせ、付等施出)
下に、
雨ならぬ名のふりにけるかな
(アメ、那等ぬ、名の振り爾懸留仮名)
さてや濡れぎぬには侍らんと啓したれば、
( 作出也、塗れ偽ぬ爾葉、
ハベ乱賭、ケイ詞他例場
刃部乱徒、刑 死、誰場)
右近内侍などにかたらせ給ひて、
( ウコンナイジ=得今、無い字・・・)
笑はせ給ひけり
(話等葉施、他真意懸理)
ーーーーー
・・・ 夕張、 三笠 炭鉱・・・ 三笠、大日本海 海戦・・・