コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

今度は名古屋

2010年03月30日 | 
もう3月も末になってしまいました。もうちょっとで春です。

昨年10月の松山に続いて、今回は名古屋での教え子の結婚式です。新しい家庭が誕生するのはいいものですね。

3月27日に札幌→名古屋の直行便でまずはセントレアに到着、名鉄で熱田神宮まで直行。
「神宮」は「神社」より高い格付けとのこと。皇室関係者の関わりのあった神社のみに認められた名称で最高位は伊勢神宮。
熱田神宮のHPはこちら
挙式まで時間が十分あったので神宮内を暫時散歩します。

神宮前駅を下りて道路を越えるともう神宮です。

ちょうど櫻が咲いていました。曇り空のせいか花の色はパッとしません。でも札幌ではまだまだですから今年の初見になります。


ぶらついていると建物の中から花嫁・花婿さん登場。ここは親類紹介をするところのようです。

 
紹介が終わると本殿(写真右)に参拝します。脇の出入り口から入って鳥居の前でご挨拶します。

 
また別の建物に移動して、新郎・新婦とご親戚一同は社殿(?)の上で、その他大勢は下で控えます。
杯をいただき、指輪を交換し、巫女さんの舞(みつるぎの舞)もついて、祝詞をいただき、誓詞を捧げるなどして式は完了です。移動も含め全行程1時間近い。
式の間の写真撮影は禁止なので失礼してよその方の写真を貼らせていただきました。
雨が降ったり強風であったりすると挙式も大変そうです。
正統派の結婚式は初めてのようなものなので感心して参列していました。

 
境内にはクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等で森が作られています。
人工林が多い中、「神宮の森」・「神社の森」は昔懐かしい姿を見せています。南方熊楠さんに感謝!
写真左はクスノキ。「大楠」で弘法大師が植えたという伝承があり、樹齢千年ほどとか。
立派なクスノキを見るたびに松山時代を思い出します。南方系の樹ですからね。

 
名残の紅白の椿。


場所を変えての楽しい披露宴でしたが、顔写真ばかりなので遠慮してご当人達の自称シンボルワッペンでご勘弁を。

二次会に参加して、年甲斐もなく夜中の二時近くまで騒いでホテルへ、
翌日は11時頃にチェックアウトして空港へ。
ぼんやり頭を抱えながら、初めての空港なのでブラブラ見学です。新鮮だったのは国際線と国内線が同一フロアであることかな。
日曜の昼の時間でもあり、食事どころはどこも満杯で待ち時間が長そう。「ひつまぶし」を食したかったのですがあきらめました。


デッキに出て離発着する飛行機を眺めます。滑走路を背にして建物を見るとこんな感じ。

 
左を見て右を見て・・・。
右の派手なしっぽの飛行機は Delta Airlines。

 
この航路は日本海側を飛ぶので、懐かしの北アルプス越しの富士山眺望が可能です。往路は見えたのですが復路は曇りでダメ。
下界が見える頃はもう東北圏。津軽海峡は晴天ですが目立つのは大型フェリーのみ。

一泊二日の少し気ぜわしい旅でした。
30代半ばの教え子の結婚式というのは「おぬし ついにやったな!」とめでたい限りです。

道東へ 3. 中標津~帯広~札幌(9/23 & 24)

2008年09月28日 | 
翌朝は酪農家のご家族を訪問。
ゆっくり拝見したい気持ちはやまやまでしたが、憧れの釧路湿原を訪れて帯広までが旅程だったので早めに辞去。
四季を通じた酪農家のご苦労が忍ばれる訪問でした。


13号線(摩周国道)をひたすら走って標茶(しべちゃ)を過ぎて釧路湿原の北の端に。
シラルトロ沼をちょっと拝見。写真心はそそられません。
サルボの展望台は少し心が動きましたが細岡展望台でよかろうとパス。

 
塘路駅です。釧路湿原駅との間はノロッコ号でゆっくり湿原を見られるのですが、旅程と運行時間の関係でこれもパス。
で、達古武から細岡展望台へ。


120度のパノラマ写真を合成。不出来でした。
写真を連続して撮っている間にも雲が流れて日射しが一瞬一瞬変わります。合成には不向きだったのかウデが悪いのか。


空から見た釧路川の写真は蛇行がよくわかるのですが展望台からでは難しい。
ハバロフスクからイルクーツクに飛んだ機内から見た黒竜江の蛇行は今でも瞼に残っています。当時は機内からの写真撮影は厳禁でした。
光を反射している川を展望台から眺めながら、湿原の懐に抱かれるようなカヌーイングをしてみたいとつくづく思ったものでした。

湿原に別れを告げ、釧路を抜け38号線で帯広へ。
 
道の駅「しらぬか恋問」で太平洋を眺めます。風が強く、波頭からしぶきが舞い上がっています。
同じ太平洋でも高知のそれとは雰囲気が全く違います。あちらは底抜けに明るく東に未来がありそうです。
ハマニガナが寂しげに咲いています。

帯広一泊後、山部の楽葉窯さんにちょっと寄ろうと狩勝峠経由で。
 
雨模様の強風の峠でした。気温は車載の温度計でなんと7℃。
昭和35年に狩勝峠の夜明けに寒さで目が覚めたのも宜なるかなです。


楽葉窯さんのお宅の裏の芦別岳はなんと初冠雪。
札幌を出るときは穏やかな晩夏~初秋だったのですが、この旅の間に10℃近い気温の低下です。一気に秋ですね~~。


楽葉窯さんの穴窯には作品が詰められつつあります。週末から「焼きが入る」のです。
2009年1月14日~1月20日には札幌大丸の7Fでご覧いただけますとのこと。
ご夫婦と四方山話をし、ホワイト家族のお父さんのようなナオミチ君(実は♀)にペロペロなめられてしまいました。
碧ちゃんは幼稚園で、可愛い姿には会えません。

これで三泊四日の道東旅行は無事完了。走行距離は1300kmくらい。燃費が普段より5割くらい良かったのにはビックリ。
でもその分ガソリン代はかかった。道東のガソリン代が札幌や帯広より10~20円高いことを発見した旅でもありました。

道東へ 2.北見~中標津(9/22)

2008年09月27日 | 
今日は中標津が目的地です。何で?って思うでしょ。先方のご両親とご兄弟にご挨拶のためなんです。
この機会に道東をぐるっと回ってみたかったので一人ドライブのわがまま。
自分の年齢を考えると二度と来られないかもしれませんものね。
北見から阿寒湖、摩周湖を再訪し、中標津へ。
層雲峡~阿寒~摩周湖~川湯~釧路はむか~~~し両親を案内したルートです。40年以上も前だったと思います。


 
240号線をてってけて~と走っていくと相生に農村公園というところを見つけ休憩。
鉄道が走っていた頃は北見相生という駅がありました。その跡地を公園にしたようです。
駅舎が保存されていました。今のJRの駅は無個性ですが、それこそ「昭和の時代」の駅は風情がありました。

 
阿寒湖はあっけらかんとした風情。雄阿寒岳の山頂が雲で覆われているのは「月にむらくも」の日本情緒?
湖畔のノコギリソウ(右)は夏の名残か・・・。


定番の摩周湖。何故か霧の摩周湖というのは見たことがない。今回で多分4度目だと思うのだが・・・。


早く着きすぎたので家族が使った中標津空港を見学。
こんなに早く着いてしまうのなら、阿寒湖で遊覧船に乗ってみれば良かったと・・。でも急ぐ旅は事故の元!

夜は楽しい会食でした。帰りがけにふとカウンターを見ると 吉四六 の名前が見えたので部屋から引き返して暫時一人二次会。
板さんのサービス(?)でメフンやアミの塩辛をいただきました。
大浴場のお湯はアルカリ泉なのかお肌がつるつるに。道後温泉を思い出しました。

道東へ 1.札幌~北見(9/21)

2008年09月26日 | 
所用のため、道東は中標津までドライブ旅行になりました。

昭和35年夏、ワンゲルの知床夏期合宿が道東訪問の最初です。6.15までは60年安保で「デモクラシ」でしたが・・・。
ワンゲル夏期合宿は札幌から夜行の普通列車で狩勝峠を越えて釧路まで。
(明け方の狩勝峠の寒かったこと! 今はこの峠はとおりませんね)
さらに中標津(多分)から羅臼までバス。札幌を発ってから約20時間。
翌朝、生まれて初めて口にした朝とれの毛ガニの美味しかったこと!! イワナが手ぬぐいで穫れるなんて!
羅臼からは重た~~いザックを担いで羅臼岳を越え、岩尾別を経てウトロまで。
ウトロからは漁船をチャーターして知床半島突端の知床岬まで往復しました。ドピリカンの好天でメチャクチャ日焼けしました。
斜里へ出て網走から札幌へ戻るという長旅でした。全行程10日間だったと思います。
若かったのですね。

車での道東訪問は釧路や北見での学会(もう20年以上前)以来のことです。

三泊四日の経過を3回に分けてのご紹介。


まずは札幌から旭川まで高速で。39号線で層雲峡まで。層雲峡に入ると何か昔と道路の様子が違う。
あれれと思いながらも銀河の滝・流星の滝の駐車場へ。

   
(左)銀河の滝、(右)流星の滝
雄滝と雌滝ともいうんだそうです。何となくわかる気がします。


こちらは大函。実は小函に相当するところが大幅にトンネルになっているようなんですね。

  
今年は紅葉が遅いようですが、少しだけ色づいていまして。
ここの駐車場はもとの国道の一部なのですね。
20年以上前に国道が崩落して走行中の車が潰されたことから、今はトンネル(銀河トンネル)の中を走るようになったのだそうです。

層雲峡から石北峠を経て北見に入りましたが、予想外に早く着いたので網走まで足を伸ばし天都山(194 m)に。
昭和37年に行った原生花園(十勝岳の噴火で火山灰が降り積もっていました)までとも思ったのですがお花は時期遅れなので。


天都山の上からは網走湖に沈む夕陽が綺麗でした。知床に行ったときは根釧原野に映える夕陽を見て、夕陽って地平線にも沈むんだ~って、あたりまえのことを感心してしまいました。千葉あたりではそんなことはありませんからね。

明日は中標津までです。


東京湾クルーズ

2008年04月16日 | 
昨日の続き

羽田発の便は夕方を予約しておいたので時間の余裕はそこそこにあります。
昨日と違って天気も良いので東京湾最後(?)の干潟、三番瀬に行ってみようかと思い立って、市川塩浜駅に降り立ちました。
駅前には三番瀬案内所があるというのでそこに行けば何とかなると軽い考えで行ったのですが案内所を見つけることができず撤退。
2nd option ということで、浅草から水上バスで東京湾クルーズなるものを楽しむことにしました。
子供の頃、秋から冬場にかけて釣り好きの父に連れられてハゼ釣りに出かけたルートではないかと昔を訪ねるトリップです。


青函連絡船や松山~広島フェリー、太平洋フェリー、日本海フェリーを除けば、記憶に残る船遊びは島根・松江城お堀の周遊、大歩危の船、バーゼルのライン川クルーズ、パリのセーヌ河クルーズくらいでしょうか。
松江城お堀の船遊びが一番趣がありました。
おっと、忘れてた。ヘルシンキのフィンランド湾のクルーズや宍道湖のサンセット・クルーズもなかなかよかった。
でも一番のクルーズはバイカル湖。何故かって? ロシア人と乾杯しすぎてはいけません。船の中では逃げ場がありません。

  
吾妻橋のたもとから出発して、浜離宮までのクルーズにしました。外国人観光客も結構乗船しています。
屋形船で天ぷらを食べながら一杯というのも魅力があります。

  
案内パンフによれば吾妻橋から勝鬨橋までJRの鉄橋を含めて13の橋があります。
見ているとそれぞれ橋の色を変えているようです。
神田川の出口はこんな様子(左)。
隅田川(大川)の両側は立派なビルが林立しています。昔の面影は当然ながらありません。
ちょうど昼時で、天気も良いので川べりでひとときの昼のいこいを取っています(中)。遠目にはカモメかウミネコみたい。
勝鬨橋(右)が最後の橋です。
船は結構速く走るので、橋の下をあれあれという間にくぐってしまいます。落語のネタを思い出すヒマもありません。

  
隅田川から浜離宮へはこんな水門を通ります(左)。
浜離宮の正式名称は「浜離宮恩賜庭園」といいます。庭園の池は海水ですから、ハゼやセイゴが棲んでいます。
はじまりは1654年に甲府宰相・松平綱重が建てさせた甲府浜屋敷なる別邸。
ついで六代将軍家宣により将軍家別邸の「浜御殿」に、そして十一代将軍家斉の時代に現在の形に近い庭園として完成したそうで。
明治維新後に「浜離宮」になったわけです。カモ場でもあったのですね。
園内はところどころに鬱蒼とした森があり(中)、草地にはムラサキケマンの姿が見られます(右)。

  

  
ヤエザクラ(サトザクラ)が見頃でした。花は手鞠状で初見参です(上左と中)
フジの花はもう2週間ほど後が見頃なのでしょう(下左)。

浜離宮から徒歩で地下鉄・大門駅へ。泉岳寺で乗り換えて羽田に到着。あとは飛行機で札幌に帰って二泊三日の旅は終わりです。
東京ってほんとに大きな地震が来たらどうなっちゃうんだろうと思います。
一切の情報網が絶たれてしまうでしょうから、生き延びても身動きがとれないのではないでしょうか?

東京湾の周りを一周

2008年04月16日 | 
4/13は千葉の幕張で開かれた中学校の同窓会に出席してきました。
クラス会は何回か出ているのですが、同窓会は初めてです。52年ぶりですね。参加者は6クラスで70人余。
農業に従事している方はこの時期は参加できないのですね。ちょっと残念。
50年以上会っていないと誰が誰やらわかりません。
名簿を見ても似たような名前が並ぶのがこの土地の特徴なので、こういう時の会の進め方は難しいですね。
午後1時から始まり、二次会・三次会と進んでお別れしたのは10時過ぎです。


翌日丸一日は完全オフにしておいたのですが、天気が良くないので、のんびり東京湾を一周することにしました。
海浜幕張ー(京葉線)ー東京ー品川ー(京急)ー久里浜ー(フェリー)ー浜金谷ー(房総西線)ー蘇我ー(京葉線)ー海浜幕張のルートです。
久里浜近くなるまでは沿線の景色は町ばかり。魅力はないですね。

  
久里浜の駅周辺をぶらつきました。黒船の町なので、何やらの蓋も黒船がデザインされ、市場も黒船市場といいます。
おいしそうなサカナが沢山並んでいましたが、壇一雄さんではないのでお買い物は無し。アヤメ(?)も咲いていました。

  
久里浜港近くには海の守り神・住吉神社が。神社のあるところ必ず森があるのが嬉しい。
廃仏毀釈の頃、南方熊楠が鎮守の森の維持を力説したそうですが、そのお蔭でしょう。

  
久里浜から約45分の船旅で金谷に着きます。料金は500円。
船の周りにはカモメやらウミネコやらが餌を求めて付いてきますが、トビも一緒です。船が進むときに起こす気流をうまく使っているようです。

 
金谷港から徒歩10分程度で浜金谷駅に到着。
ここは鋸山に登る入り口でもあります。高校の頃登った記憶があります。今はロープウェイで楽に登れます。

 

浜金谷駅からは普通列車で蘇我まで。途中から下校途中のあちこちの高校生が乗ってきますが、制服ではあるものの着方はぐずぐず。
それがかっこいいと思っているのか、暑い(?)からなのか。
焼き鳥を食べている可愛い女子高生がいるのを見て目が点!
時代は変わりました。
でも、のんびりと乗り物づくしの一日でした。

大阪に行ってきました

2007年10月15日 | 
久しぶりに北海道を離れ、先週末に一泊二日で大阪に出かけました。プチお仕事です。

関空に着いたらあったか~~い!
やはり札幌と較べると10℃近く気温が高いのですね。
土曜日の9時から2時間半ほど、立ちっぱなしでお話をしたので体が硬直してしまいました。
退職後、1年半ほどこんなことをしていなかったので、今日に至るまでまだ腰がだるい。
野山の散歩やテニス遊びよりもつかれるものです。
前日ははしりのフグ料理をご馳走になりましたが、確かにまだちょっと早いかな。

宿のエレベーターに乗ったら、どんっと見たような人物が乗り込んできました。
あ~ららら! 中尾彬さんではありませんか!
同じ階で下りていきましたよ。
ねじねじを着用していたかは、確認がはばかられました。後ろから前をのぞき込むなんて失礼ですものね。
でも、せめて後ろ姿くらいをデジカメに収めておけば良かったと、ちょっと残念。

何もお見せするものがないので、せめて宿のお部屋からの夜景と朝の景色を。

 

今年はタイガースの御堂筋パレードは見られなくなってしまいました。残念!

旭山動物園、見本林、山部、三段の滝

2007年06月13日 | 
6月7日は浮島湿原、8日は午前中でテニスの試合完了(軽く負けたということ)。
で、十分時間ができたので旭山動物園に行くことができました。
翌9日は旭川~外国樹種見本林(+三浦綾子記念館)~富良野~山部~三笠経由で帰宅。


まずは旭山動物園。
当然、ペンギン館、ホッキョクグマ館、アザラシ館など定番コースを回ります。
平日ではあっても沢山お客さんが入っていますね。
西日本の言葉が優勢です。あちらの方は地声が大きいのでしょうか?
動物の行動も面白いのですが、案内板や説明板がとても面白い。スタッフの方々の努力が忍ばれます。
訪れる方は是非これらを見て、またお読み下さい。ここの動物園の思想がよくわかります。
愛媛県の砥部動物園も説明が充実しているそうですが、
12年余も松山にいながら結局行かなかったので、較べることはできません。
(とっても美しいクロヒョウがいますが、これは愛媛・砥部動物園からきたものです。遠路ご苦労様!)

  
動物園入り口から奥に向かって。      ペンギン館付近から市内方向。

旭川市街地の東方、旭山にあるここは大変見晴らしがよい。
アザラシやペンギンの泳いでいる姿を撮影するのは至難の業。フラッシュは禁止ですから撮影してもぶれた姿しか映りませんよ。
右:ペンギン館の上から下を見ると来館者がプールとチューブ越しに見えます。
ペンギンも上からこうやって見ているのでしょうか。


こんな案内が出ています。どの案内もみんな手書きであるのもほのぼのした感じです。

  
左:エゾシカの成長途中の角はつややかで綺麗です。
右:エゾシカ一族の案内です。名前の由来がほほえましい。「シカトする」の語源まで説明されています。

9日は宿を出て、主目的の山部に行くついでに見本林を訪れました。お花はどうかなというわけです。
気温が大分上がってきた時期なので、春の花はもう終わりです。
  
左:見本林の概念図(平成10年で100年にもなるのですね)。
中:見本林入り口には「氷点」に因んで三浦綾子記念館が(入館しませんでした)。
右:エゾハルゼミの抜け殻が。


洋種のオダマキでしょうか?

 
これもオダマキっぽいのですが??

花人街道を富良野を経て山部を目指します。
進行方向右側には芦別夕張山系の山並みが、左側には大雪山系が雪を残して綺麗に見えました。

これは右に芦別岳、左に夕張岳ですね。
植えたばかりの早苗がみずみずしい。良い評判のお米になりますように!

山部は楽葉窯主人一家にご挨拶のため。Conta さんには会えましたが、
奥さんとアオちゃんは歯医者さんに行っていて残念ながら・・・。
でもナオミチにはお目もじできました。
10日が窯出し予定なのですが、日程が合わず一日早い訪問になってしまいました。
楽葉窯のブログはブックマークでどうぞ。
  
左:アートファーム南陽館:(楽葉窯はこの裏にあります)。
右:ナオミチ(実は♀):うさんくさい奴だワンと言いたそうです。

山部から富良野に引き返し、135号線~452号線~(桂沢湖)~三笠を経て帰宅です。
135号線から452号線に入ってすぐの所に三段の滝(PA) があります。落差はさほどではありませんがなかなか美しい滝です。

三段の滝PA

 
三段の滝:川は芦別川です。

先週は千葉と東京でした

2007年03月20日 | 
3/13 札幌発、3/17 札幌帰着で木更津と東京に行っていました。
木更津は某社の国際シンポジウム参加のためで、東京はその機会に知人と会うためでした。
千歳は今回も雪と強風のため出発が65分遅れ。天気のことなので誰を恨むわけにも言えません。
羽田からアクアライン経由のバスで木更津入り。某社の知人と夕食をともに出来ました。


  

ノーベル化学賞受賞者3人を含む錚々たる講演者による国際シンポジウムは、原則撮影禁止なので会場内部はお見せできません。場所は木更津市内から車で20分ほどの「かずさアカデミアホール」。せめて外見だけ見ていただきます。
会場の外では真っ白なコブシの花が咲いていました。
二日間の講演を拝聴し、父母の時代からの知人と武蔵小金井で再会し、東京行きの終電車で赤坂の宿へ。
翌日夜は大学時代の後輩と会うまでに日中時間が空いたのでまずは上野へ。
上野公園ではオオカンザクラ(多分)が綺麗でした。オカンザクラではありません。

  
上野へ行った主たる目的はオルセー美術館展が開催されているからです。
会場の東京都美術館に行くまでに一回りしていると、「正岡子規記念球場」を見つけました。松山にいた身としてはここで野球を出来ればな~、といったところ。
中と右は都美術館入り口と会場内です。現在のオルセー美術館には '04 年に、その前身の印象派美術館には 1981 年に行っているのでちょっと懐かしかったのです。

  
展覧会を見た後、またふらふらと公園内を散策。東照宮ではオオカンザクラが綺麗でした。
絵馬がいっぱい懸かっていましたが、日本語より英語、韓国語、中国語の方が多いのにびっくり。英語で書かれた父への追悼が絵馬になっているのには二度びっくり。
上野から浅草に回り、エビ天丼を食した後、ふと思いついて月島・佃に回りました。原点で佃煮を買いたかったのです。
月島は「もんじゃ焼き」のメッカ。でも、これとかお好み焼きを食べる趣味はありません(どこがいいんでしょう?)。
小路には昔の風情が少しあります。北海道にはこういう場所が無いので・・・。
路地にハナダイコンが綺麗に咲いていました。亡くなった母が好きだった花です。

  
子供の頃は佃島と行っていた気がしますが、今は 佃 のようですね。
住吉神社があります。海の神様をまつる神社ですね。神主さんが祝詞をあげていました。
神社から掘割りを挟んだところに三軒ほど佃煮やさんがあります。その内の一軒で佃煮を三種買いました。イナゴの佃煮もあり、飯田にいた頃を懐かしんで買っていこうかなとも思いましたが、北海道人の家人には合わないので止めました。どの佃煮も今風の変な甘さは一切無く、満足、満足。
大学の教え子とは東京駅地下街で再会。目的は内一人を元気づけるため。どうだったかしら?
17日は羽田出発まで少し時間があったので、京浜蒲田駅で降り、4年前に見つけた穴子自慢のお寿司屋さんで,
アナゴの握りを昼飯にしました。今はなかなかおいしい煮アナゴを食べさせてくれるお店がありません。このお店のそれは昔ながらの良い仕上がりです。特に白焼きはとってもおいしい。

とばないのでとんだ旅!

2007年02月09日 | 
1月末に再び千葉への用事があった。あらかじめ一泊パックで予約してあった1/29千歳発の便で上京しようと昼過ぎ千歳空港に。なんと大雪で滑走路の除雪が追いつかず欠航多数(全便の8割)。相手先に予定の変更を了解して貰い、航空会社からは欠航証明を獲得。空港滞在六時間でいったん帰宅。


当日の街路樹。すっかり着雪している。気温が高い湿雪で着雪しやすく、積もった雪も重たいので空港の除雪も大変。さっぽろ雪祭りには良かったか?

翌日の便はほぼ満席であることと、これ以上アポは延ばせないので空は使いづらく、何十年ぶりかで地上を行くことにし、北斗星を確保。翌31日朝9時半頃上野着。寝心地悪くビールの助けくらいでは熟睡できぬままの到着。

札幌駅でカニ飯弁当とビールを買い込んで・・・。まだまだ先は長いな~。

用事を済ませて、同日16時過ぎの便で千歳経由の帰宅。疲れた三日間でした。

長年国内外を飛行機で飛び回っていましたが、今回のように飛べなかったというのは初めての経験。ついにツキが落ちたのでしょうか・・・。