開戦の年に生まれ、トラック島陥落とともに東京から長野県の飯田に疎開し、終戦はその地の借家の2階で迎えた。
かすかな記憶だ。
父は東京に残り、母と姉とともに退職した祖父の借家に同居したわけだ。父の弟妹も一緒だった。
生き残れるだけの食料はなんとか確保できたらしい。
戦争が終わり、父が千葉で手に入れた県営住宅に住めることとなった。
長屋に毛の生えた程度の二間の家で、屋根は杉皮葺き、土間にかまど。
燃料は近くの林から杉の落ち葉を集めてきた。もちろん焚き付けにしかならないが。
屋根の隙間から星が見えた。冬はその隙間から雪が降り込んできた。
食料は配給。水は給水車だのみ。雨が降ると電柱のトランスがジジジと音を立てやがて火花を散らし停電。ローソクは必需品。
そんな時代を子供時代に過ごすと少々物がなくても特段不便だとも思わない。世の中無くてもいいものが沢山ありますよね。
それにしても今の政治家達(大多数が戦後生まれ)は歴史、特に明治以降の日本の歴史をどう理解しているのでしょう。
他国すなわち中国に侵攻し、朝鮮を植民地化し、大東亜共栄圏を標榜し、太平洋戦争を始めるに至った歴史をどうとらえているのでしょう。
右翼といわれる一水会の代表の総括の方がずっとまともと思えます。