コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

街中にエゾシカが!

2009年10月26日 | よろず覚え書き
今日は重苦しい空模様。冬の始まりですかね。
手稲山も山頂付近がすっかり雲に覆われていました。
毎日見ているこの山の色も山頂付近は少し葉が落ちたせいか白っぽくなってきています。
山裾はひたすら焦げ茶色に色づいています。

TVニュースを見ていたら「中央区で鹿が歩いています。今は豊平川で休んでいます。」だって!
中島公園から豊平川に移動していったようです。中島のテニスコートに行っていたら見られたかもしれません。
それにしても角も立派な大きな雄の鹿でした。定山渓の方からでも来たのかしら?
無事お帰り下さい。
と言いつつ、北海道ではエゾシカが増えて農作物や樹木の被害はバカにならないようなので、市内に鹿料理のお店はないかしらなどと・・・。

朝の虹

2009年10月21日 | 野山
10月20日、9時am
西の空に虹が出ていました。19日にも同じ頃に虹が出ていました。
朝の虹は天気が下り坂になる前兆です。東が晴れて西は雨模様の時虹が出来るので。
富良野近くの山部でも虹が出ていたそうです。

こっちは秋の真っ盛り - 10/16 支笏湖 -

2009年10月20日 | 野山
札幌と松山では大雑把に言うと10度の気温差があります。
札幌が20度だと松山では30度近いんです。高知での実感はもうちょっと大きい気がします。
だからこの時期松山から札幌に戻るといきなり秋~って感じがしてしまいます。
ちなみに海水温の一度の違いは気温10度の差なんだそうです。
海や川に棲む生き物にとって一度の差はものすごく大きいのです。
わたし達人類は気温で考えますが、水中の生物は水温で感じますから人類の尺度で水中生物の気候変動の衝撃を測り知りづらいのです。
それはともかく、折角天気が良いので何年かぶりでの支笏湖訪問です。
ホントはニセコ方面に行くつもりでしたが出遅れたので支笏湖の先の美笛で引き返しました。無計画ですね。

 
札幌から支笏湖に向かう途中、支笏湖の手前をちょっと右に折れるとオコタンペ湖があります。
道路から湖畔まで降りて降りられないこともないのですが急傾斜です。今は通行禁止になっています。
対岸はエゾシカでも渉猟していそうですがもちろん見えるわけがありません。
ダケカンバも大分葉を落としているので、くねくねした白い幹がくっきり見えて綺麗です。
この時期は尾根筋の樹も次々葉を落とすので、髪の毛が薄くなってきたおとうさんのアタマみたいに見えます。


ご存知支笏湖。

 
湖岸に近い山(紋別岳)も、湖岸の遊歩道の樹々もそれこそ錦秋です。

 
北海道の紅葉はいわゆるモミジが少ないので真っ赤は少なく、黄色が主ですね。
でもウルシやナナカマドが鮮やかな赤になるのでよいアクセントになります。
もちろん大雪山なんかに行けば別ですが。

 
葉っぱではないけれど、小さいながらもマユミやツルウメモドキの実の赤が嬉しい点景です。


支笏湖の水はこの橋の下を通って千歳川となります。
そして千歳川には鮭が遡上してきます。湖までは来られませんが・・・。

この橋は最初からここに架かっていたのだと思っていましたが、橋のたもとの案内板によると明治32年(1899年)に空知川(砂川~妹背牛間)に架けられた「第一空知川橋梁」を王子製紙が払い下げを受け、大正13年に現在の位置に移設したとのこと。「山線鉄橋」というのだそうですが、これは明治41年に王子製紙が発電所建設資材の輸送のため苫小牧~支笏湖間に運行を開始した王子軽便鉄道(通称山線:昭和26年に廃止)に使われたことによります。現在の鉄橋は平成6年(1994年)から再生され、平成9年に生涯現役として復元されたものだそうです。
四国の肱川や四万十川に赤橋(あかばし)が架かっていますが、景観との調和はここが一番ではないかと・・・。
ちなみに肱川の赤橋(長浜大橋)は今現役最古の可動開閉橋です。

秋の初めと言うには早い四国 - 季節のお花と番外編 -

2009年10月19日 | 伊予
西の国ですから一年中なんだかんだとお花は咲いているのですが、さすがにこの時期は少なくなります。実りの秋なんですね。
ブラブラ歩きの旅の途中で目についたお花を少々。

 
名前はなんだかわかりません。結構派手ですね。右はあちらこちらで目にします。はびこってしょうがないんだそうです。


これはわかります。ホトトギス。

 
この二つもわからない。
本州の花の図鑑を持っていないので・・・。

野の花なのか園芸種なのかわからないケースが多いのでつい撮影を控えてしまいます。

夜は矢張り通い慣れたお店に足が向いてしまいます。


マスターのお許しを得て写真を掲載させていただきました。あまり顕わにはっきりとはお見せしづらいのでストロボ無しにしました。

ふとカウンターの脇を見るとこんなコースターが。知ってる人は知っている。
上は札幌のバーの草分け「Bar Yamazaki」、下は松山の草分け「バー 露口」。記念に写真を撮らせてもらいました。
この下には「信天翁」のマスターの傑作カクテル「婆娑羅」の素晴らしい写真があります。是非ご一見を。


最後は二番町の「酒八」です。おいしいサカナを出してくれます。刺身、焼き物、揚げ物はどれも美味しくいただけます。

長くなりましたがこれで秋の入り口の松山への旅は終わりです。
今回の心残りはホゴの煮付けを食べる機会の無かったこと。でもはしりのモクズガニをいただくことが出来ました。
こういったのが旅の一期一会ですね。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/12 興居島 -

2009年10月18日 | 伊予
今日の小さな旅は興居島です。
松山市内から伊予鉄の郊外電車に乗って北東に20分ほど乗ると終点の高浜駅に着きます。
10日の結婚披露宴はこの近くでした。
高浜駅から徒歩1分で高浜港です。要するに高浜港と市内をつなぐ起点が高浜駅ですね。
今は長距離、例えば広島の宇品港へは松山観光港が起点になりますが、かつては高浜港が起点ではなかったかと想像します。
観光港までは郊外電車の路線はなく、高浜駅からバスで連絡しているので。
瀬戸内には島が沢山あります。愛媛県と広島県や山口県の間にも沢山あります。
しまなみ海道を使って今治から大島、伯方島、大三島、生口島、因島、尾道を渡れますが、
他の島同士はフェリーを使うことになります。
フェリーはいわば海上のバスですね。重要な交通機関なのですがどの海運会社も経営は厳しいそうです。
一つには高速道の大幅割引が原因のようです。
高浜港からフェリーに乗って25分ほどで対岸の興居島の二つの港、泊港あるいは由良港に行くことが出来ます。
格別観光地というわけではないのですが、街中や観光地を離れた雰囲気に触れたかったのです。
タイミングで由良港行きのフェリーを利用しました。

 
左が高浜から見た興居島。東から松山空港に向かう飛行機はこの興居島すれすれに空港に向かいます。
右が空港に着陸寸前の飛行機が見える様子です。写真中央の飛行機が見えますか?

 
頻繁に船が出るわけでもないので岸壁ではのんびり釣りをする姿があります。勤めの行き帰りに釣りをする方も結構おられるとか。
フェリーはこんな姿(場所は泊港ですが)。下は車やバイクを積むデッキ、上に旅客が乗ります。朝夕は生徒さんも乗るんでしょうね。

 
由良港に着きました。遠くに見えるのが高浜港あたりです。由良港から泊港まで約4キロほどの海岸線をブラブラと歩こうという算段です。
由良港近くにこんなしゃれたお宅がありました。個人のお宅のようです。
何となく南フランスかスペインにでもありそうなデザイン・色模様です。

 
これぞ縮刷版の地中海。海の色がとっても明るい! 北の海とは大違い。
でももちろん真夏は暑いですよね。瀬戸の夕凪もありますから。

 
愛媛といえばミカン。でも色んな種類が時期を変えて次々出てくるのでとても何がどれやらわかりません。
徳島のスダチ、高知のブンタンはそれぞれ用途が違うので、愛媛のミカンと棲み分けているようです。
ブンタンは皮が厚くて剥くのが面倒ですが、中身の素晴らしい香りが嬉しいのです。
かつて松山からスダチを遊び仲間に送ったら、「ちっちゃくて、すっぺ~みかん!」と不評でした。ま、しょうがないか。
右の写真は多分ハゼノキ。内子の蝋燭はハゼの実からとります。
蝋燭のロウも植物性のハゼの実や動物性のクジラの脂から、今はすっかり石油系になってしまっています。蝋ではなくパラフィンですね。


ハイビスカスがまだ咲いていました。明るく強い日射しによく似合う花です。


この和気比売神社についてはここで。
 
由良から泊に着きました。フェリーの時間までのんびりと釣り姿を眺めて過ごします。
予定を決めないブラリ旅もいいものです。これで鶴瓶師匠のような人柄と話術があればもっと楽しいのでしょうが・・・。
そうそう。海岸線を歩いているときたまに出会う島の人に挨拶されます。
皆さんやさしいな~と不思議に思っていたのですが、はたと気が付きました。
白のスラックスに、白の上っ張りを着ていたのでもしかしたらお遍路さんに間違えられたのではと。

次回は おまけ編 です。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/11 松山城 -

2009年10月17日 | 伊予
松山城は松山のシンボルです。どこからでも見えます。
賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明の創設者になる城で、寛永4年(1627)に完成しています。
今では全国でも珍しい、山城の名残をとどめた、山の上に立てられたお城です。
松山という名はお城の完成とともに付けられた名前とかで、かつては松に覆われた山であったからとか。
今では松は山裾に少し残っていますが、タブノキやスダジイ、クリ、クスノキなどの広葉樹に覆われています。
お城の裾の本丸は春の花見でにぎわいます。


下から結構急な坂を登って行くと立派な石垣に続く入り口につきます。

 
石垣の間から天守閣が望めます。なかなかの良い眺めですね。
右の門は筒井門と言います。国宝でしたが、昭和24年の火事で焼失しその後昭和46年に再建されました。
奥の建物は多分太鼓櫓。

  
立派な櫓と天守閣。


天守閣の北側の美しい建物。
松山城全体は夜間にライトアップされます。大全日空ホテルのラウンジから、グラスを片手に正面に見る夜景も素敵です。


近頃はやりのご当地キャラ。よしあきくんって言ったかしら。


マドンナ・ぼっちゃんの姿を借りたボランティアは記念写真に人気です。


彼ら、彼女らの交替はリフトに乗って。
そうそう。下からはリフトあるいはゴンドラに乗って行き来できます。帰りは徒歩にした方が楽しいですよ。
東雲神社側に下りた方が静かです。


松山の街の180度パノラマ。合成なので少しゆがんだりずれているのはご容赦。別ウィンドウで開いて拡大して見て下さい。
右端がフェリーの発着場のある松山観光港方面ですが、左端は伊予市や砥部方面だろうと思います。

松山城の案内は Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/松山城_(伊予国))が詳しいと思います。


伊予鉄経営の市内電車。150円。
「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」っていいフレーズですね。
日本ってやっぱり母系社会なんでしょうか。

次回は興居島編です。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/9 内子 -

2009年10月16日 | 伊予
JR内子駅から徒歩で約20分ほど歩くと、浅黄色と白漆喰の重厚な外壁に代表される「八日市護国の町並み」に入ります。
でも多くの観光客は自家用車かバスで護国の町並みの外れにある駐車場で降りるので駅前の姿は気が付かないでしょう。

 
列車を降りて駅を出るとこんなひなびた風景に出会います。
イネは間もなく刈り取りの時期ですね。
内子線 (内子-大洲:大正5年5月1日~昭和60年11月24日) を走った蒸気機関車の内、最後の蒸気機関車で、
昭和44年4月から昭和45年3月末までの間、町内や小田川流域で生産される木炭や木材の運搬に活躍していたのだそうです。

 
護国の町並みには長らく修復中で確か昨年修復完了した木蝋生産で財をなしていた豪商の家・本芳我邸があります。
国指定重要文化財です。中には入れませんが素晴らしいお庭を見ることは出来ます。
庭を含めた屋敷の維持・管理の費用はバカにならない額なんでしょうね。

 
売らんかなのお店もありますが、お客さん任せの品を置いているところもあります。
そして小さなお宮(?)さんも。
こういうのが好きなんですね。

 
駅と護国の町並みの間は静かな商店街です。
元薬屋さんが素朴な博物館になっています。かつて商っていた色々な薬が展示してありました。


こんなものを見つけました。ドラゴンボールのキャラクターを 2.6 kg の色づけしたお米(古米)で一ヶ月半かけて丁寧に作ったものとのこと。


内子座の外観です。是非中にも入って下さい。桟敷席や、この芝居小屋を作るに当たって協力した商店の名前が歴史を感じさせてくれます。
地下にも入ることが出来て、せりの仕掛けも見られますよ。
もちろん今でも折にふれ歌舞伎を含め催し物に使われています。


松山着任の年から、毎年必ず2,3度は訪れていました。ですから、年々町並みの雰囲気が変わっていくのを悲しく見守ってきました。町並みのところどころにあったお店も代替わりが出来ず無くなってしまったり、大好きだった喫茶店も店主の女性が嫌気がさして止めてしまったり。
かわって売らんかなのおみやげ屋さんが少しずつ増えてしまっています。
多分もう行くことはないでしょう。

次回は松山城近辺のご紹介です。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/9 大洲 -

2009年10月15日 | 伊予
昨日の苦労が嘘のような台風一過秋晴れの空。
松山から特急に乗ってまずは大洲に行きます。30分ほどです。
大洲駅からお目当ての場所まではぶらぶら歩いて20分ほど。

 
さて、いつもの「殿町たるい」で鮎定食の昼食から始まります。
食べ始めてから写真に撮ることを気が付いた鮎。無惨ですね~。
大洲といえば「いも焚き」。愛媛県南部(南予 といいます)では秋の楽しみです。
鶏肉、サトイモ、油揚げ、大根などを放り込んだやや甘めのすまし汁です。
個人的には岩手・宮城の芋煮がこっちに伝わったのではないかと思っています。
少し南の宇和島(南予の中心)は伊達政宗の長男が奉じられた土地なので。

 
鵜飼は長良川だけと思っていませんか? 肱川の流れる大洲は結構な鵜飼の名所なのです。もう時期は過ぎましたが来年は是非どうぞ。
こういう町の嬉しいのはまだまだ個人商店があることや、味噌醤油の醸造元も街中にあることです。

 
鵜飼の屋形船が休んでいる肱川。秋から冬にかけてはこの河の上流から河口にかけて「肱川おろし」という猛烈な風が朝方吹き下ろします。
この川はかつては瀬戸内から、あるいは瀬戸内に向かっての物産運搬の重要ルートでした。内子の蝋燭もその物産の一つだったのでしょう。
そんな日本の原風景のような土地柄ですが、教会もあるというのが興味深い。
いつからあるか聞きそびれましたが、お隣が割烹だというのが嬉しいとりあわせ。
大洲と宇和島の間に卯之町がありますが、ここはシーボルトの娘、いわゆるオランダおいねが一時住んでいました。

 
10年以上前初めて訪れた「おはなはん通り」はボロボロの土壁の通りでしたが、今やすっかり改装されて立派になってしまいました。
いつのまにか小さな堀割もしつらえられています。もちろん鯉や金魚がまだ不慣れだなーといった風情で泳いでいます。
この通りをもう少し上に上っていくと私の大好きな臥龍山荘に行き着きます。
眼下に川を眺めながら、蚊遣りを焚き、友とまったりと酒を酌み交わし、談論風発なんて時間を過ごせれば無上の幸せです。
今回は山荘案内の宇都宮さんが居なかったのは画龍点睛を欠くといったところでしょうか。

 
川霧が立つので庭の樹々はしっとりしたよい風情。春の新緑・秋の紅葉が綺麗なのですが今は時期外れ。
俺も忘れるなよと元鴟尾瓦(しびがわら)と思われる魚(?)ににらまれてしまった。

 
モミジはまだ青々としています。朱くなるのはもう一月以上かかるでしょう。
でも川には落ち鮎の川下りを邪魔する仕掛けが作られています。団体さんで降りてくる鮎を投網で捕るのです。


立派な軒瓦。北海道はカラートタン屋根ですが、やっぱり日本の原風景は瓦屋根。いらかの波ですね。

ここでのお土産はやっぱり「志ぐれ」でしょう。できたてははんなりした甘さとそこはかとないもっちり感で美味しいですよ。
二本買い込みました。
大洲城はスキップして、行きに通ったなんとか商店街の道を駅まで戻り、各駅停車の列車で20分ほどの内子に向かいます。

その話は次に続く!

秋の初めと言うには早い四国 - 予告編 -

2009年10月14日 | 伊予
アラフォーの教え子の結婚を祝うために松山に出かけました。
とんぼ返りでは面白くないので公共交通機関を使ってのウロウロ旅をすることにしました。
日程は
 10月 8日 千歳ー羽田ー松山
 10月 9日 大洲、内子
 10月10日 結婚披露宴
 10月11日 松山城と今治
 10月12日 興居島(ごごしま と読みます)
 10月13日 松山ー羽田ー千歳
旅は天気次第なので、往復の日程と10日を除いて、全て出たとこ勝負のウロウロ旅です。

まずは10月8日に札幌から松山へ。
まいりましたね。予定では昼頃の千歳発の便で羽田経由で松山着は3時半頃のはずでした。ところが!!
そうです、台風襲来です。
千歳で待ち、羽田で待ちで、結局松山に着いたのは夜の9時過ぎ!
家を出てからかれこれ12時間の旅になってしまいました。到着できただけでも良しとしないと・・・。
現役時代には飛行機のトラブルは皆無に近かったのですが、退職してからは使用回数の割にはトラブルに出会います。
すっかりツキが落ちたのでしょうか・・・。

次回から数回に分けて旅の報告をしましょう。