コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

憲法週間

2013年04月30日 | よろず覚え書き
5月3日の憲法記念日を中心に1日~7日は憲法週間です。
憲法改定・自衛隊の国軍化・武器輸出解禁の動きの中で参院選を迎える今年、現憲法を再認識するもしかしたら最後の機会かもしれません。
新聞の投書欄には太平洋戦争を戦地で経験、あるいは戦中戦後に辛いつらい思いをした現在の高齢者(私を含めて)からは憲法改定(改悪)などの動きを強く危惧する意見が多く寄せられています。
その経験を持たない世代の方達は実感を持てないせいか危惧する声はあまり強くないようです。
国会議員のほとんどはその世代で、むしろ高度成長期に育ったせいか、現在の日本経済の成り行きばかりに目を奪われ、太平洋戦争以前の日本および中国・韓国(含北朝鮮)・東南アジアに対する歴史認識が自己中心的に見えます。
アベノミクスなる方策は飴であって、本丸は現行憲法破棄であって我々の将来にとってとんでもない毒薬に仕立てようとしているように思えてなりません。
景気を良くしてくれたから(あまりそうとも思えないのですが)というその一点だけで内閣、総理大臣、政党を支持しましょうというのは、幹が枯れていくのに目をやらず枝葉の茂りを愛でるようなものです。

伊予路てくてく ー5.帰札 ー

2013年04月26日 | 伊予
春の松山訪問も終わり、羽田経由で札幌に帰ります。
土曜日を除きおおむねうららかな春の日に恵まれた旅でした。悲しいことにも出会いましたが・・・。

車で空港まで送っていただき、12:00発の飛行機で羽田に向かいます。
予約時には羽田~松山便はB787が運行するスケジュールになっていましたが、例のバッテリー発火騒ぎで別機種の運行です。

松山空港でB787を検査・修理しているとのことなので空港を見渡したところボーディングブリッジから見つかりましたよ。
確か高松空港で異常が発見されて運航中止になったはずですが、それとは違う機体なのでしょうか。


機内から窓越しでの撮影なのでモヤットしていますがご容赦。
背景の何やら事故後の福島原発のようなものは帝人松山の工場。

今日 4/26 のニュースではアメリカ航空局から運行開始の許可が下りたとか。
国内の運行は順調なら6月からとのことですが本当に大丈夫かしら。
電気飛行機はどうもうさんくさくて・・・・。デジカメもすぐ故障するし、パソコンの寿命は短いし!

羽田にも駐機していましたよ。


全部で5機だったかな。着陸後の機内から見ていたので機数は自信が無い。
全日空だけでも17機あるはずですから、全国あっちこっちの空港に分散して検査・修理しているのでしょうね。

千歳行きの便に乗り換え。
ところが! 機体の油圧系統に異常があるとやらで、乗り込んだ乗客全員は次の便に用意された機に移動。迷惑料(食事代と言っていた)1000円なり。
この間の移動中にコンデジを落っことしてしまった。異常は無さそうとホッとして、さて撮った写真でも眺めようかと再生しようとしたら「画像がありません」だって!
一瞬頭が真っ白。だって松山滞在中に撮った枚数はおよそ150枚。これが全部パー?!

およそ2時間遅れで札幌に帰着しました。
それにしても色々あった松山訪問でした。

(カメラメーカーのサービスショップに出向き調べてもらったら、落下のショックでメモリーカードが半抜け状態になっていたためでした。全画像は無事でした。)

伊予路てくてく - 4. 大洲 -

2013年04月25日 | 伊予
予定をフリーにしていたので天気も良くうららかなので大洲の臥龍山荘を尋ねることにしました。
古来、鳳雛、臥龍あるいは伏龍といえば野心にあふれた青年が時期を待って飛び立つ前の姿をいいます。
ここ臥龍山荘を命名した主はどのような思いを持っていたのでしょう。
何はともあれJR松山駅から宇和島方向に向かいましょう。


岡山から特急が到着しています。


乗車するのはこちら。宇和島行きの特急で、アンパンマンのデコレーションがされています。


街路を区切るフェンスには真っ赤な新芽の灌木が。以前名前を教わったがいつの間にか忘れてしまった。

お目当ての臥龍山荘は大洲駅から徒歩20分程。商店街沿いに歩いていきます。殿町のお食事どころ「たる井」を横目に肱川を渡るともうすぐです。


大洲駅




懐かしいレトロな家屋が残っています。見る方としてはホッとしますが住んでいる方の住み心地はどうでしょう。
でも今風の通気性の悪い家屋より優しい感じがするのです。


お菓子屋さんのウィンドウには引菓子の型でしょうか、木枠が並べられています。今は使われていないのではないでしょうか。


おなじみ大洲城。天守閣のみです。城マニアではないので特に訪問することはない。でも撮っておかなくては。


どこかのどかな肱川の流れ。時期になると鵜飼でにぎわいます。

それでは山荘を拝見。
新緑の美しい季節です。
モミジ・カエデの新緑、紅・桃・白のツツジ・サツキ、苔の緑。
ウデのせいか、カメラのせいか、陽の光に映える葉や花のキラキラ感が出ないのが残念です。
















白い部分は苔がはげ落ちて石肌が露出しているわけではなく「ぼたん苔」といってきわめて成長の遅い珍しいものだそうです。


お庭の世話をしている方のちょっとした心づかいが嬉しいですね。

到着したのはお昼少し前。ちょうど客足が途絶える頃でゆっくり拝見できました。
管理をされている宇都宮さんとは若干の顔なじみ。2年ぶりの訪問でしたが思い出していただけました。
四季の山荘の姿をお話しいただき、特に雪を被ったお庭の姿や、この土地には珍しい山荘の屋根から育ったつららの写真も見せていただきました。
思い出してみると、単独やらお客様を案内したりでここ20年間に10回程お邪魔しています。
限られた季節にしか行けないので、別の季節にも訪問できればと思います。


伊予路てくてく -3. 呉 -

2013年04月25日 | 伊予
さてさて第三日になりました。今日は呉を一日散策です。退職された、呉在住の先生がホストしてくれました。
先生の高級車で宿舎までお迎えをいただき、そのまま松山観光港から呉港までカーフェリーで。およそ1時間。
前日とはうって変わって穏やかな好天です。



呉は海軍の町。今は海上自衛隊の基地があります。灰色に身を隠す自衛艦が数隻もやっていました。
数日前にはここから PAC3 を搭載していったそうです。どこに行ったのでしょうね。
ここには潜水艦も集結しますが、この日は一隻だけ。出払っていました。


ここでは「てつのくじら館」(正式名称は海上自衛隊呉史料館)というのと「大和ミュージアム」を拝観、じゃなかった見物させていただきます。


中は海上自衛隊の活動説明(情宣活動)です。もちろん差し障りのあることの展示・説明はありません。良いことだけをしていますから。
掃海作業の説明が一番多かったかな?


退役した潜水艦が展示してあります。まわりの車と比べると大きさがわかります。
昭和61年に就役、平成16年に除籍になった「あきしお」とのこと。館内を見学してきました。装備的には古いもの。
資料によると、
基準排水量=2,250 t、全長=76.2 m、水中速力=20 ノット、乗組員数=75名 だそうです。
アメリカの戦略ミサイル原子力潜水艦(オハイオ級)は、
水中排水量=18.750 t、全長= 170.67 m、水中速力=24 ノット以上、乗組員数=155名 ですから、大きく見えても「あきしお」はオハイオ級に比べるとずっと小さい、というか戦略ミサイル原子力潜水艦の巨大さに圧倒されます。
写真左側の金色に光る物体は旧海軍の戦艦「陸奥」のスクリュー、その手前の細長い物体は主砲だそうです。

「大和ミュージアム」(正式名称は呉市海事歴史科学館)はいうまでもなく10分の1スケールの戦艦大和の展示が目玉。
実物は263メートルあるそうですから、これと比べても前記の原子力潜水艦も相当大きい。
大和は呉で建造されたので、現代造船技術の礎を呉市が記念したともいえます。

呉の港を離れ小高い山の上へ。ここで昼食予定でしたが混んでいてダメ。


駐車場から下を見るとちょうど高速フェリーが音戸の瀬戸を驀進していました。
つつじ(平戸ツツジ?)が満開です。この時期あちらこちらで色とりどりのツツジを愛でることが出来ました。

呉から東に移動し、安芸灘大橋を渡って下蒲刈島へ。目的は朝鮮通信使の足跡の一部を忍ぶためです。
蒲刈島は12回の通信使来日のうち、11回の宿泊地になっていたそうです。



ここ松涛園は朝鮮通信使の資料を立体的に展示してあります。
行列、服装、食事などが豪壮な建物の中に展示されています。興味深く拝見しました。
ただ建物自体は富山県砺波地方にあった商家「旧有川邸」を移設・復元したものだそうです。

再び呉に戻り、黒瀬川の下流にある甌穴(おうけつ)群を見学。二級峡にあります。一級より下の二級という意味ではないそうです。

こんな説明板があります。






とまあこんな具合。水が流れていればより綺麗かもしれませんが、逆に穴がはっきり見えないかもしれません。

先生に一日ご案内いただき、お宅で休憩もさせてもらい、ご家族にもお目もじし、呉港まで送っていただき、スーパージェットフェリーで呉を辞去しました。
K先生、本当に何から何までお世話になりました。ありがとうございます。

松山では再び酒八で夕食。驚いたことにもうとっくにやめていたはずの中居さんと再会! お互い一瞬びっくりして顔を見合ってしまいました。
店の依頼で週に一、二度出勤しているのだそうです。再会を約しましたが、実現できるでしょうか。
この日の締めはまたもや「日向メシ」。ただし魚がきときとのアジでした。これはこれでおいしい。

さて明日は大洲に出かけようか。

伊予路てくてく -2-

2013年04月25日 | 伊予
退職テニス大会は午後からなので午前中は時間があります。
まずは宿近くの愛媛万葉苑へ。護国神社の隣です。お花を探してぶらぶらと。


 

 
フジの花は良い咲き加減。かぐわしい香りが漂っています。
さすが西国。北では見られないシュロだかソテツだかが。

 
いずれアヤメかカキツバタ。
さすがにツバキも終わりの時期。


すぐ近くには山頭火終焉の庵があります。


すっかり整備されかつての草深き庵の風情は無くなってしまいましたよ。
庵も棲んでいた当時からは改修されています。

 

 
この紅い灌木はなんだろう?
アップにしたら花の形も面白い。


朝食は道後近くの大黒屋でとるつもりですが、少々時間が早いのでそっち方向にぶらぶらと散歩。



紅色のハナミズキが咲いていた。


ライラックもあった。札幌での開花はまだまだ先です。


朝食は昨晩食べそびれた「日向メシ」にしました。そぎ切りにした鯛の切り身をだし汁に暫時つけ込み、ご飯にのせ、卵の黄身を落として細切りの海苔を散らし、少しのわさびを混ぜてかっ込みます。おいしいですよ。

テニス大会は雨がぱらつく(よりもうちょっと多いかな)中無事完了。夜は退職者2名を主客に20名程の宴会。
大学の元学長も参加されていました。幸い隣り合わせの席だったのでゆっくり歓談が出来ました。内容は ヒ ミ ツ !

今年の伊予路てくてく -1. 信天翁は死んだ-

2013年04月25日 | 伊予
いきなりの変なタイトルで恐縮です。あまりにショックだったので。

4月19日に札幌を発ち松山へ。
2年ぶりです。
テニス仲間の定年退職テニス大会に合わせて4泊5日の松山滞在です。
4/19 四国中央市で仕事をしている教え子との会食
4/20 定年退職テニス大会ならびに懇親会
4/21 呉訪問
4/22 昔仲間のおじさんおばさんと会食
4/23 札幌帰着
日を追ってブログにアップすることにします。

順調に松山に到着。宿に荷物を置き早速会食の会場へ。
昔なじみのお店へ直行です。

二番町の酒八で瀬戸のお魚に舌鼓。
話をすることが先行し、お料理の写真を撮るのを忘れてしまった。
酒が入り過ぎ、〆の「日向メシ」を頼む状況ではなかった!

二次会にはかねて予定のこれも赴任中に良く通った「信天翁」へ。卒業生への紹介もかねて。
お店の前に立ったら年中無休のはずなのになんと閉まっているではありませんか!
お休みではなさそうです。連絡先が管理会社になっていますから。
胸騒ぎ!! 動揺は隠せず!!
何があったか問い合わせ先も思いつかないのでとりあえず松山で一番古い「バー露口」へ。

露口ママに尋ねたら「信天翁」のマスターは2月頃(だったかな?)亡くなってしまったとのこと。
どう亡くなったのかお尋ねしたのですが、言葉を濁されるのそれ以上は聞けずじまい。
本当にどうしたのでしょう。どなたか事情をご存知の方は教えていただけませんか。
松山に赴任した年(平成6年)、「ピカデリー・サーカス」の雇われバーテンの頃から、また独立して「信天翁」を開いて以来のファンでした。
心から冥福を祈ります。

12年余の赴任中、毎晩のように通って夕食をいただいていた鉄砲町の「うまいおいしい」(通称「うまおい」)もこの2月で閉店。
2008年にマスターが亡くなって、奥さんががんばっていたのですが体力の限界ということで・・・。
二つのお店が無くなってしまうと松山に行く楽しみが半減です。

ずいぶん雪が解けた

2013年04月10日 | 野山

先週末の荒れた天気を境に雪解けがぐんぐん進んでいます。
融雪剤を撒かない平地ではまだ雪に覆われていますが、撒いたところではすっかり地肌が出ています。
最低気温もプラスになりました。
黄金色のフクジュソウも庭先で花を開いていることでしょう。


窓から見える三角山。
散策路が黒い筋となって見えています。
この時期だけの光景です。葉が出てくると見えなくなってしまうので。
雪靴なしで歩けるのはもうちょっと先かな?


スポーツニュース
* 日ハムがぱっとしません。
  打てませんね~。
  投手陣、特に先発がもちませんね~。
  内野、特に2塁の西川の失策が目立ちます。しっかりしろよ!
* 先週末はテニスのデビスカップ対韓国戦。
  3勝2敗でかろうじて勝利。
  前から言うのですが、ダブルスのスペシャリストの養成が必要です。アメリカ、スペイン、フランス、インドあたりは素晴らしい選手がいます。

来週末から松山へ出かけます。
最近は街角でも宿でも電話機が減っているので旅先用にケータイ(プリペイドケータイ)を手に入れようと思っています。
家には置電話があり、ほとんどの連絡はパソコンメールですむのでケータイは持っていないのです。
ケータイを持つと、あまり電話をしなくてもなにがしかの固定経費は年額にすると馬鹿になりませんのでね。