報道によればワイツゼッカー元ドイツ大統領の葬儀に各国から多くの参列があったとのことです。
ベルリンの壁崩壊後の統一ドイツの初代大統領でもあったことはご存知のとおりで、またドイツ大統領は政治的権力を持たないことは元首としては 天皇と同様です。
しかし、言葉の重さは同等以上であったと思います。
昭和天皇の敗戦以降の言葉ももっと評価されてもいいかと思いますが、右左を問わずなるべく当たらず触らずにせざるを得なかったのでしょう。
1985年に戦後40年の節目にボンで行った演説が「荒野の40年」として知られています。
「問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりすることは できない。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び(非人間的な行為に)汚 染される危険に陥りやすいのである。」
(http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news /CK2015020402000120.html)
平和主義であった日本を「積極的平和主義」と自己矛盾をはらんだ表現で大転換を計ろうとする日本国首相に爪の垢でも煎じてやりたい。
そして、
「若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。」
言葉の威力を誤信しているあべっちが70年の節目にとんでもない血迷いごとを見解として出さなければよいがと心配で心配で。