城郭探訪

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なぜ信長は本拠を近江に

2016年01月03日 | 番外編

なぜ信長は本拠を近江に? 元安土城博副館長がガイド本

織田信長の歩みをたどるように県内の史跡を紹介する旅の本を出版した大沼さん(大津市瀬田南大萱町)

 安土城考古博物館元副館長で滋賀県文化財保護協会普及専門員の大沼芳幸さん(61)が、織田信長の県内での足跡をたどる旅行者向けのガイド本「信長が見た近江」を出版した。信長が築城や接収した城跡などを紹介し、華麗な天主と伝わる安土城築城の真意なども考察。「信長は戦うことよりも、視覚的に権威を示すことに重きを置いて天下取りを描いた。なぜ近江に本拠を置いたのか、人物像に少しでも迫れれば」と話している。

 大沼さんは琵琶湖文化史が専門。県教委文化財専門職員として、安土城の発掘調査や県内の文化財保存に長く携わってきた。

 書籍はオールカラーのA5判で136ページ。信長に仕えた太田牛一(おおたぎゅういち)が記した「信長公記(しんちょうこうき)」の記録に沿って、現代に残る城跡や古戦場、巨木などを巡る構成になっている。上洛途中に初めて信長が琵琶湖を見た1559年から始まり、物流と情報の拠点としての近江と琵琶湖の支配、安土城天主が完成した1579年ごろまでの湖国での足跡を追いながら、各史跡の歴史上の位置づけを記している。

 安土城については信長が自身を神格化するための「究極の装置」と紹介。「天皇という農耕神に対抗するため、信長はより神威の高い水と太陽をつかさどる神を目指した」などとし、金箔(きんぱく)張りの絢爛(けんらん)豪華な天主は神殿的な役割を担ったと解説している。

 山形県出身の大沼さんは「滋賀の人は信長に『侵略者』のイメージを持つ人が多いが、信長は天下取りの拠点として近江を重要視し琵琶湖にも大きく感化されたと思う。自分なりの物語を重ねながら史跡巡りを楽しんでほしい」と話している。

 2000円(税別)。サンライズ出版TEL0749(22)0627。

京都新聞2016年01月02日 09時10分


真田丸に合わせ戦国の聖地

2016年01月03日 | 武将

真田丸に合わせ戦国の聖地PR 滋賀・長浜

NHK大河ドラマ「真田丸」の放映に合わせて長浜をPRするのぼり旗(長浜市湖北町伊部) 

 NHK大河ドラマ「真田丸」が1月10日から放映されるのに合わせ、滋賀県長浜市湖北町伊部の一般社団法人北びわこふるさと観光公社は、地元ゆかりの戦国武将らの名前を記したのぼり旗を製作した。

 同ドラマの主人公は大坂の陣で豊臣方についた真田信繁(幸村)だが、長浜ゆかりの登場人物も多く、戦国の聖地である長浜を盛り上げようと5人を紹介することにした。

 信繁に徳川家康討伐を呼び掛けたとされる石田三成と、大坂の陣で最後まで徳川方と戦った豊臣秀吉の側室の淀殿、豊臣家の家臣の片桐且元、娘を信繁に嫁がせた大谷吉継、大坂城で自害した豊臣秀頼を介錯(かいしゃく)したとされる速水守久。

 のぼり旗は縦180センチ、横50センチ。真田の「赤備え」にちなんで赤地にし、黒色で名前や史実などを入れた。各50本を用意し、それぞれの出生地の自治会や観光施設、宿泊施設などに配布して長浜とドラマをPRする。

京都新聞 2016年01月02日 16時46分


幻の「三尾城」 近江国(高島)

2016年01月03日 | 古戦場

幻の「三尾城」はどこ? 滋賀・高島歴史民俗資料館がアンケート

来場者がシールを貼った三尾城の推定地。学芸員が指さしている付近が打下周辺、一番左上が安曇川町長尾(高島歴史民俗資料館)

 壬申の乱で落城した古代高島の城で、場所が分かっていない幻の城「三尾城(みおのき)」について、滋賀県高島市鴨の高島歴史民俗資料館がこのほど来館者に位置を推定してもらうアンケートを行った。これまで研究者らが推定した以外の地点もあり、白村江の戦い(663年)後に中国・朝鮮半島との関係が緊迫する中で、当時都があった大津の“北の守り”のさまざまな可能性が示された。

 白村江の戦いでは倭(日本)が唐・新羅連合軍と戦い惨敗した。時の天智天皇は、日本が攻撃されることを恐れ667年、都を飛鳥から近江大津宮に移し、九州の太宰府に土塁「水城(みずき)」、瀬戸内海沿いの各地に朝鮮式山城を築き、防御を固めた。三尾城も同じ目的で築かれたとみられるが、実際には外国から攻められることはなく、天智の死後、子大友皇子と弟大海人(おおあま)皇子が戦った壬申の乱(672年)の最終盤、湖北から南下した大海人軍によって陥落した。

 同資料館は、27日まで開いた企画展「君は、高島の城を、観(み)たか!」で、推定地にシールを貼ってもらい、24カ所が記録された。

 これまで有力視されていたのは、陸路が狭まり琵琶湖を見晴らせる市南部の岳山から打下までの山地と、古代地名「三尾」の遺称地とされる安曇川町三尾里周辺だったが今回、安曇川の水運を南から見通せる泰山寺野と呼ばれる高台と、若狭・小浜方面から現在の饗庭野を抜け上古賀へ至る「追分道」を監視できる同町長尾の山が加わった。白井忠雄学芸員(62)は「三尾城の遺構が見つかれば国史跡級。今回の調査で、必ずしも1カ所ではなく、出先のようなとりでがあった可能性が示された。今後は現地を調べ、遺構があるかどうか確認したい」と話している。

京都新聞 2016年01月02日 14時45分