竜安寺城
- お城のデータ
- 所在地:長浜市(旧:東浅井郡浅井町)竜安寺町/東光寺山 map:http://yahoo.jp/OfCdel
- 現 状:山林
- 区 分:平城・丘陵城(山頂部)
- 築城期:
- 築城者:
- 遺 構:山麓郭・八幡神社遺構・山頂遺構(竪堀・堀切・土橋・土橋)
- 標 高:山城146m 比高差:25m
- 目標地:竜安寺の明正池・八幡神社
- 駐車場:北野神社の駐車場、明正池前に路上駐車
- 訪城日:2016.5.14・2016.6.3
黒部館と西の山城遺構は、竜安寺城の間にある
- お城の概要
- 浅井町田根地区北東部に位置する竜安寺集落は、今は、一戸のみ。集落の背後馬蹄形の谷間には、三段の平削地が残存するようだが、A・B・Cの遺構が残る。今回の訪城では、山麓遺構の見学が漏れている。次回。
- ・八幡神社の遺構
- ・山上遺構
竜安寺集落の明正池・八幡神社の西の舌状尾根の2ヶ所の閉削地と共に、土橋・横堀・竪堀・曲廓が残存する。特にⅭについては、古墳と思われる高まり(比高1.5m)に平削を加え小廓を形成するとともに、背後の堀切の中程に低い土橋を設け、次のⅮ廓へと継ぐ。Ⅾ廓の背後には、E廓が存在するが、切岸は上方へ行くと地山の溶け込む。一種の梯郭式といえよ竜安寺うか?。
Fについては、竪掘や土橋状地形、低削平地が存在するが、この遺構は、「黒部館」の遺構であろう。また、尾根西には八幡神社が祀られいるが、神社境内の城館で、このⅭ~Fの遺構が、「黒部館の遺構か?」「竜安寺城の遺構か?」今後の検討課題であろう。黒部館の西の、舌状尾根の2ヶ所の平削地と共に、土橋・横堀・竪堀・曲廓が残存する。・Ⅽ・Ⅾ・Eは西の竜安寺城の遺構を考えられる(特にⅭについては、古墳と思われる高まり(比高1.5m)に平削を加え小廓を形成するとともに、背後の堀切の中程に低い土橋を設け、次のⅮ廓へと継ぐ。Ⅾ廓の背後には、E廓が存在するが、切岸は上方へ行くと地山の溶け込む。この遺構は西側の竜安寺集落には、「竜安寺城」が知られている
お城の歴史
- 『佐々木南北諸氏帳』には、「浅井郡 龍安寺 」姓名は不明ながらも、土豪の居住が記されいる。
地元の古老”谷氏”に話では、浅井氏家臣の関谷八郎左衛門が姉川の合戦後に隠れ住、難を逃れ、後に帰農したが、この関谷氏氏屋敷がAの遺構という、この関谷氏末裔が、以前は集落五戸内の四戸が「谷姓」で「関」を外して「谷」姓で居住していたようだが、今は一戸(H氏のみ)で、谷家は無い。築城期、築城者は詳細不明、土豪の城郭遺構。
八幡神社への参道
八幡神社
明正池の東側から尾根城(詰め城)へ
尾根城遺構
山麓遺構は、曲廓の基壇・土塁が残る、敷割りの堀・廓が残る。
竜安寺城のAB遺構
谷家の蔵の奥に遺構ある。
本宮の五輪塔
熊の捕獲仕掛けか?2m程の高さある。
一戸の集落に半鐘だけ残る。
谷氏が無人になった竜安寺集落
竜安寺城遠景・・・西側(北野神社より)
北野神社の駐車場に駐車
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1(1983.3)・10(1992.3) 7(1990.3)(伊香郡・東浅井郡の城)
本日の訪問ありがとうございす!!