お城のデータ
所在地:長浜市(旧:東浅井郡浅井町)北野町 map:http://yahoo.jp/Cw2PcE
現 状:寺院・神社
区 分:平城
築城期:
築城者:
遺 構:来生寺・官公の宮・北野砦
目標地:北野公会堂
駐車場:北野公会堂の駐車場
訪城日:2016.6.3
お城の概要・歴史
浅井町田根地区北部に位置する北野集落で、西に小谷山大嶽(おおづく)から伸びる枝状尾根がそびえている。ほの尾根には、北野砦が、切通しを挟んで南北に二ヶ所残存する。
南砦の東側に北野集落中程に北野館位置する。
この地出身の比叡山の高僧で菅原道真と親交のあった相応和尚が、道真が没した時、同字に宮を建て、道真の形見の鏡と道真自身が刻んだ自身像を祀るとともに、神社境内に寺を建立したと伝わっている。
この「菅公の宮」と「来生寺一画」とその四囲を取り巻く巾20mの低地帯を含め方形の館跡とされている。
また、南東角は虎口と考えられる枡形、現状からは城郭遺構とか?。
来生寺縁起によると、この地の生誕の相応和尚は、比叡山の高僧で、菅原道真とも親交が深かったと言われている相応和尚だが、その事実を証するかのように、本堂に向かって右手にある小さな祠の中に「道真自らが彫ったと伝わる道真像が、本堂から少し離れたもう一つの祠には鏡が、納められている。」普段は扉が閉じられているが、一日回峰行の日だけは、参加者が見られるように扉が開放されていた。・・・・・須賀谷温泉のブログ(一日回峰行同行記)より
相応和尚〈そうおうかしょう〉
平安時代、比叡山の数ある修行の中でも命がけの「千日回峰行」を始め、最初に成し遂げた高僧として知られていて、天長10年(833)浅井長政の居城があった小谷山の東の山裾、今の長浜市(旧浅井町)北野町に生まれ、十五歳で比叡山延暦寺に入山し、開祖・最澄の教えを全うしょうと決意し「学問の裏には行が、行の裏には学問の裏打ちが必要」と修行に励みました。
そして、宗教界で最も厳しいと言われる荒行「千日回峰行」を創案し実行しました。これは、毎日40粁も比叡の山中を巡拝して歩き、しかも7年、延べ千日間続けます。 その間には9日間、飲まず食わず、寝ずで、不動明王に祈りを捧げる"堂入り"という行を、回峰行者の根本道場、無動寺明王堂で行なうもので、比叡山の法灯と共に今も引き継がれています。
和尚の友人の中に、時の右大臣菅原道真が九州大宰府に流された時、形見として小さな自像と一面の鏡を和尚に託しました。
その後2年余りで道真は病死、和尚は形見の二品を郷里の北野の地で祀ったのが神社・寺の始まりと伝えられています。
なお、集落西側の尾根先には、北野砦が構えられている。また、集落の北には、北野スミ櫓城(砦)を構える
来生寺
官公の宮
滋賀県中世城郭分布調査7(1990.3)(伊香郡・東浅井郡の城)より
北野公会堂に駐車
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査7(1990.3)(伊香郡・東浅井郡の城)・須賀谷温泉のブログ(一日回峰行同行記)
本日の訪問ありがとうございす!!