所在地:滋賀県甲賀市甲賀町岩室字中野(広潭寺) map:http://yahoo.jp/ndJaa6
区 分:平城
現 状:寺地(広漂寺)
遺 構:土塁・虎口(広漂寺裏)
目 標:野洲川 岩室橋~岩室集落内 広漂寺
築城期:室町期(正応年間)
築城者:岩室家教(岩室大学)
城 主:岩室氏
訪城日:2014.5.27
お城の概要
岩室集落の中にある広潭寺のある場所が岩室城址だ。 寺の本堂裏(墓地)と庫裡裏に僅かであるが土塁が残っている。
広潭寺住職の奥方によると、「寺の山門前には沼地と化した堀跡が子供の頃にはあった」
また、現在は山門の両側に塀があるが、ここには元々土塁があり、塀を修築する前には、甲賀町が建てた史跡案内板があったが、修築後にはその案内板も撤去されたとか。
寺紋は三つ葉葵
現在は広潭寺の境内となっている。遺構は境内の裏側にわずかに土塁の一部を留める程度である。
寺の古里の庭園も土塁と印塔が 虎口したの野洲川段丘の平削地⇒石仏の台座少し気になる!楼門の横・・土塀の石積
広漂寺土塁の裏、野洲川南段丘(遠景)
歴 史
室町期に、岩室大学により築かれたと伝わるが、詳細は不詳。
又、築城年代は、正応年間(1288年~1292年)岩室家教によって築かれたと云われる。
岩室氏は山中氏の一族で岩室を領して甲賀五十三家の一員であった。
その子孫の岩室貞俊の時、豊臣秀吉に属していたが、天正13年(1585年)紀伊川治水に関して罪をおかし領地を没収されたという。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城
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