北国脇往還(現在の国道365号線)を眼下に治め、大嶽城を北方の押さえとして、小谷山全山にわたり造られた曲輪は一千カ所にのぽり、近江の数ある城郭の中でも観音寺城と共に屈指のものである。
また、 小谷山全山にわたり造られた小谷城、上杉謙信の居城・春日山城、能登畠山氏の居城・七尾城、尼子氏の居城・月山富田城、および観音寺城とともに日本5大山城とも云われている。
【小谷城の白米伝説】
大手道の番所を過ぎてしばらく山道を登ると、馬洗池と云われる石組みで作られた池がある。
小谷城の水は、はるか東方の天吉寺山の海抜650mの元池から延々10数キロ以上のサイフオン仕掛けの竹の"とい"で引いてきたらしく、水は城中からこの池に流れ込んでいたという。
天正元年(1573)8月、織田信長は小谷城最後の総攻撃の前に、天吉寺山からの竹の樋を破壊したため、小谷城内には水が一滴もなくなった。
小谷城の浅井側では水が絶えたと知れば、敵は勢いづいて攻め込んで来る。そこで水を落としていた樋から白米を馬洗い池に流して、城にはまだ水があるように見せかけたという。