お城のデータ
現 状:畑地
区 分:平城
築城期:南北朝期:宝徳四年(1452)
築城者:下笠信濃守
城 主:下笠高賀・下笠信濃守・三郎左衛門弼之
遺 構:微高地
戦 い:永禄九年(1566) ●下笠信濃守・三郎左衛門弼之父子 VS 〇 青地城主 青地駿河守茂綱
廃 城:戦いに敗れて滅ぼされた。その後の下笠城は廃城。詳細不明。
駐車場:路上駐車
訪城日:2014.10.21
お城の概要
下笠地区は、旧草津川と葉山川に挟まれた平野にあり、下笠城はその間をいくつも流れる用水川の一画にあります。眼前を浜街道が通り、また真東に向かえば草津の宿に至ることから、交通の要衝にあったものと推測されます。
城中や市場といった小字が残っていますが、遺構なし。微高地・竹林。
下笠駐在所裏手の、宅地および更地となっているあたりが下笠城跡とされています。周辺に対してやや微高地となっており、これが唯一の城の面影ということだそうです。
歴 史
下笠氏の居城とされる。下笠氏の出自は不明だが、下笠城北東の老杉神社の社伝によると、宝徳四年(1452)に下笠高賀なる人物が社殿を造営している。したがって、このころまでに下笠に城館が営まれていたものと推測される。
永禄九年(1566)、笠信濃下守・三郎左衛門弼之父子は青地城主青地駿河守茂綱と戦い、敗れて滅ぼされた。その後の下笠城については不明である。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、 日本城郭大系
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