野口王墓古墳:天武・持統陵「5段八角形」 天皇の支配力、視覚化?−−宮内庁公表
毎日新聞 2013年05月25日 大阪朝刊
天武・持統天皇合葬陵とされる奈良県明日香村の野口王墓古墳(7世紀後半)について、宮内庁が過去の調査を基に「5段構造の八角形墳」と結論付けた報告が、村教委が24日発表した「牽牛子塚(けんごしづか)古墳発掘調査報告書」に掲載された。天皇陵は7世紀中ごろから八角形墳が採用され、野口王墓も文献などから八角形とされていたが、宮内庁が調査結果を公表するのは初めて。【矢追健介】
陵墓は原則として一般の研究者は調査できない。野口王墓古墳が1235年に盗掘されたと記した文献「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」には、「八角形」との記述があるが、全体像は分かっていなかった。近年、情報公開請求が相次ぎ、福尾正彦陵墓調査官が斉明天皇陵と確定的になった牽牛子塚古墳の発掘調査報告書に論文を寄稿した。
福尾調査官は1959年と61年に行われた宮内庁の現況調査と、奈良県立橿原考古学研究所の所長だった故・末永雅雄氏らによる75年の立ち入り調査などを基にまとめた。
それによると、野口王墓は、墳丘の測量結果などから5段構造の八角形と判明した。高さは全体が約7・7メートル、最上段は他の段の倍の約3メートルあり、墳丘全面に加工した凝灰岩を貼り付けてストゥーパ(仏塔)のように見せていたと分析。最下段の1辺の長さは約16メートルあり、その周囲に幅約3メートルの石敷きがあったと推測した。
大王墓は6世紀までは前方後円墳や方墳だったが、7世紀に即位した舒明天皇(天武の父)から八角形になったとされる。中国古代思想や国土の四方八方を天皇が支配するという思想を視覚化したという説などがある。
舒明天皇陵とされる段ノ塚古墳(奈良県桜井市)や天智天皇(天武の兄)陵とされる御廟野(ごびょうの)古墳(京都市)は墳丘の八角形部分が2段で、大型で色の異なる岩が使われている。大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「切り石で全面を化粧しており、それ以前にはない形式が、天武天皇から始まったことが分かる。古墳の変遷を考える上で重要だ」と評価した。報告書は1冊6300円で25日から販売される。問い合わせは明日香村地域振興公社(0744・54・4577)。