土曜の昼の「新じっくりたっぷりの会・梅團治の巻」。
あまり良い天気でもなかったが、ほぼ満員。
抽選会の投票数からすると100人以上の入り。
「開口0番~石の鳥居」(文太)
天王寺の石の鳥居についてのあれこれ。
「天王寺詣り」や「鷺とり」に掛けて色々喋っていた。
この会での文太の前説、
ベタだが新鮮な話でウケを取らなくてもいいや、と
好き勝手なことを喋っている印象。
「大安売り」(小梅):△
梅團治の息子であり弟子。
割と小さい頃から喋っていたせいか、
マクラやネタの喋り方や動きに既にクセがある。
部分部分でぴたっと決まらない印象。
相撲取りののんびりした雰囲気は良かった。
「おごろもち盗人」(梅團治):○
マクラで息子と似ている話と警察に似ていると認められた話、
賽銭泥棒が住んでいる寺の話から盗人の話へ。
きちんと客の思うところを読み、ぴたっと喋っているあたりが流石。
ネタの骨格がきっちりとしている。
「もうちょっと」「けったくその悪い」をそれぞれで受けておかみさんに問い掛ける。
また(最近時々あるのだが)「引っ張って力づくで黙らせる」のではなく、
「子分がいて母親を医者に見せられないのか」
「ここは借家」
「その時分には住んでいない」
と会話、そして「あ、すんません」の繰り返しでウケをとる。
このあたりのきっちりとした作り方は、春團治の良いところを継いでいると思う。
盗人が「えらいことになった」を受けて若い男の「えらいことになった」に
つなげる作り方も、まあ、悪くない。
「若い男が一人で喋りながら歩いている」ではなく、
しょうもない理由で金が必要なのに盗人の金を盗る、という
「二人喋り」の方が個人的には好みなのだが、
「えらいことになった」で繋げるのであれば「一人喋り」も悪くはないかな、と思う。
若干演出過多な部分と妙に仕草がいい加減な部分は散見された。
前者では、例えば勘定の合わない主人がおかみさんに「おい」といった際に
おかみさんがすぐに「あ、あれのことか」と気付いて表情を付けるところ、
後者では算盤の使い方や「勘定と帳面が合うのに銭函の金が足りない」目線に
見えないところ、縛られた時の手の位置関係など。
全体には分かりやすく作られており、
演る際の参考にはしやすいな。
「二番煎じ」(文太):○-
「地震雷火事親父」から父親として娘の話をし、
火事の話からネタへ。
ちょっと老けたご近所連中のワチャワチャは出ている。
「一の組」が回る際、回っている人が特定されているせいか、
雀三郎のに比べて人数が少ない雰囲気がする。
騒ぎ方や擬音の可笑しさが良い。
特にウケを待たずにどんどん積み重ねていき、
それぞれの無茶苦茶ぶりを描写している。
全体に宗助はんのいじり方が少しキツいかな。
自分が一人で飲み食いするためとは言え、
湯飲みを割ってしまった宗助はんに対する口調が厳しい。
飲み食いする場面は、意図的にかなりクサくやっていた。
個人的にはあまり好みではないな。
侍は最初強く見せておき、「これは良い風邪薬じゃな」で緩める。
全体に軽く運んでおり、さらっと聞ける。
「田能久」(七福):△+
メガネを掛けたまま出てくる。
時々舌で唇を舐める動きが気になる。
よく通る良い声の人だな。
ネタとしては、全体のバランスが悪いと思う。
このネタは山の中でうわばみに出会い、それぞれが恐ろしいものを言う、
うわばみは半死半生になるが親孝行の田能久は幸せになる、という話であり、
芝居の話はその上で「なぜ鬘をもっているか」程度の位置付けだと思うのだが、
宇和島に芝居に行くようになるまでの設定が長い。
また、田能久が親孝行である、というのも、
地の文だけでなく母子の会話の中でもっと表現されている必要があるだろう。
「落語」としては、全体に地の文が多過ぎる。
「お話」やね。
「鬼の面」(梅團治):○
オリンピックを巡る小咄をいくつか振る。
以前に比べて「笑顔」「愛嬌」だけでウケをとる、という感じではなく、
これも自然な話の進め方で良かった。
ネタはまあ、どうってことない話ではあるが、
おせつ、面屋のおやっさん、旦那、賭場の三下から親まで、
皆悪くない、というすっきりした話になっていた。
何となく「親が心配になって戻る」あたり、
「田能久」とネタが被っていなくもないのだが。
特に、「すぐに帰る」と言っているおせつに対する
父親の「もう少し一緒にいたいのだけど、帰さなければならない」思い、
その落としどころとしての「ご馳走を無理やり食べさせてやる」流れが
不自然なギャグではなく、
自然な親心として良かった。