久し振りの落語会へ。
太融寺の「出没!ラクゴリラ」。
開場時点では満員という程でもなかったが、
椅子を追加で出していたので
結局100人くらい入っていたのではなかろうか。
「ふぐ鍋」(染吉):△
軽く「ふぐ」「てつ」といった話をマクラに振ってネタへ。
強弱の付け方など、何となく亡き松葉っぽい。
そこがこの人の喋り方だと若干会話として調和が取れていない
(過度に強く聞こえる)印象になり、
あまり快く聞けなかった。
大橋さんはあまりクサくなり過ぎず、悪くない。
旦那と大橋さんが奥で鍋を挟んで喋っていく。
旦那がまずコノワタを勧めるのだが、
鍋には目を向けずに大橋さんがコノワタを取っていくのと
どちらが良いかな。
「早くてっちりを食べさせたい」旦那の気持ちを中心にすれば
コノワタは旦那が勧めるのではなく、
勝手に取っていく方が自然かも知れないし、
そこまで気にしなくても良いかも知れない。
ふぐを食べさせようと旦那が押していき、
大橋さんが次第に乗せられていくところ、
もう少し丁寧に一言一言作っていく方が良いと思う。
乞食に食べさせ、戻って来て二人で食べる。
食べる場面・仕草はまあまあ。
終わって再度乞食が出るところ、
「どないもおまへんか」でウケをとっているが
個人的にはこの台詞はなしで、
いきなりサゲの台詞に持っていく方が好み。
どうしても「どないもおまへんか」でウケが分散してしまうこと、
若干説明過多になってしまうのが良くない。
「長短」(生喬):○-
前の染吉の「ふぐ鍋」を受けて、
学生時代にてっちりを食べに入った話を軽く。
特に面白い話、でもないが、
自分の感情を含めてきっちり伝えるのでウケていた。
色々な性格の人がいる、といった話からネタへ。
気の長い男がアホに見える傾向にあるのだが、
以前見た時よりは気にならなかった。
それでもやはりアホっぽく見え、そこには違和感がある。
二人の関係に、若干ホモっぽい印象を受けてしまった。
一つの原因は「子どもの頃からの友達付き合い」のエピソード
(待つのが嫌いだから、一度学校に荷物を置いてまた家の前で待っていた)が
「待つのが嫌い」よりも「そこまでの友達付き合い」のニュアンスを
強く感じてしまうエピソードだからなのかも。
気の長い男はある意味「丁寧」「拘り過ぎる」「きっちりしている」人間であり、
だから饅頭を食べる時にどちらから食べるか迷い、
キセルはきっちり火を点け、きっちり吸い、
火玉が袂に入って燃える際も誤解がないように伝えている。
これはこれで良いのかも知れないし、
「気が長い」と「きっちりしている」は違うのでは、という気もする。
単に動きがゆっくり、という作り方もあるかも知れないが、
それはそれで見ていると客としてイライラしてしまうかも知れない。
気の短い男の言葉遣いに、落語の登場人物の台詞として崩れているのでは、
と感じるものが散見された。
何となく権太楼みたい。
全体には面白かったしよくウケていたが、
江戸の印象が強い私としては、
「長短」というネタの作り方としてどうなのかな、という気がする。
「饅頭怖い」(花丸):○-
好きな食べ物への細かい拘りの話をしてネタへ。
最初の若い連中のワチャワチャは、まあ悪くないけど、
この人だったらもっと弾けて無茶な設定を入れても良いのでは、と思う。
「一番が酒」という男は「一番が酒」という感じの豪放な男だし、
「二番目が酒」という男は女好きに見える男。
こういったところ、当然と言えば当然なんだがきっちり作られている。
怪談がきっちりと締まっており、非常に良かった。
口調もそうだし、おやっさんがきっちりと情景を浮かべて喋っている様子で
そこから情景が客にも伝わっていた。
もう少し、全体に暗い必要があるのかも知れない。
終わってみっちゃんが出てくるが、
そこまで嫌な人間、人を鼻で笑う、という感じの人間でもなかった。
個人的には雀三郎(だったっけ)の「まあ、よろし」という台詞が
如何にも好きではある。
饅頭は(551のような)特に妙なものを入れる訳でなく。
放り込まれてみっちゃんが1個全てを食べきらず、
それぞれ半分くらい齧っていく(へそ饅頭は放り込んで一口だが)のは、
初めて見たが自然かも知れないな。
「軽業講釈」(文三):△+
文枝の思い出やネタを付けてもらった(付けてもらわなかった)話など。
ネタは「軽業」の発端から屋根替えの白髭大明神の裏に入り、
小屋掛けの講釈小屋へ。
講釈師の紹介を軽く振る。
講釈師はある程度尤もらしいが、若干愛嬌もある、という作りで、
単に偉そうにするよりも野天の講釈師として自然だろう。
お囃子を止める「軽業~」の怒声がポイントになってくるネタだと思うのだが、
基本的に声の細い人なのでどうするか、と思っていた。
止める声を大きくしていく、というよりは、
止める際の仕草を大きくして徐々に激しくしていく、という作りになっていた。
最初は普通に止め、
2回目は首を大きく揺すりながら止める。これは一つのやり方かな。
ただ3回目は、2回目との差があまり大きく出ていなかったように思う。
その直前のお囃子の大きさに声も負けている。
まあ、講釈師が「負けている」「飲み込まれている」感じが出て、
それはそれで面白かったが。
軽業の部分は説明を増やしていた。
意図的に説明していたのだろうけど、
この軽業の部分のバカバカしさが弱くなるので、
個人的には特に説明せず、真面目な顔して馬鹿なことを
仕草だけでやる方が良いと思う。
サゲのあたり、もう少し何か手を付けた方が良さそう。
サゲが発散する台詞ではない(そのサゲを聞いて笑いに繋がりづらいし、サゲと分かりづらい)
から良いサゲがあれば変えてもいいだろうし、
変えないにしてもその前の講釈を聞いていた客の気持ちから繋がりやすい、
もう少し良い持っていき方があるのでは、と思う。
「桜の宮」(南天):○-
特にマクラを振らずにネタへ。
登場人物が多く、ツッコむ側が2人、ボケる側が2人、
そして年齢的にもあまり差がない様子(多少年齢差を付けた方がいいかも)なので、
そのあたりの人物描写が厄介なネタではある。
かと言って「若いもんのワチャワチャ」で済ませるには
それぞれの人物描写も要るしねえ。
南光に比べて抑える側のトーンが全体に高く、抑え切れていない印象。
それが南天らしいといえばそうだが。
全体に、少し噛むところもあったが、特に気にならず、
勢いよく進めていた。
桜の宮の花模様、さらっと地で喋っているが絵が浮かんで良かった。
ここで桜の宮の様子を印象付けられているので、
後で花見の客が蜘蛛の子を散らすように逃げていくところも
賑やかな中での立ち回りで騒ぐ周囲の様子が見え、
そこを掻き分けて無骨な侍二人が走ってくる絵が面白かった。
一つ引っ掛かったのは、
桜の宮で立ち回りに入るところで喜ぃさんがきっちり喋らず、
笑いながら台詞を言ってしまうところ。
自然と言えば自然かも知れないし、そこに対するツッコミでウケも取れるけど、
流れが悪くなり、また、ウケが分散してしまうように思う。
個人的には、ここはストレートに台詞を進めていき、
まっちゃんのクサい台詞に対するツッコミでのウケに集約させる方が好み。