父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。
・・・あけましておめでとうございます、本年も宜しくお願いします・・・
本物の初日は、この年になるとなかなか見られないため、せめて、作品の上でと写画で作成してみた。
作品の三石は、昨年の11月の初旬に例年開催しているOB有志親睦旅行で、湯河原に出向いたが、小生は幾分早く家を出、真鶴岬にある三石に立ち寄ったもの。
三石へは、JR真鶴駅から30分間隔くらいで真鶴岬の先端の「真鶴ケープパレス」行のバスが出ているが、それに乗り20分程度で着く。
偶々、今回知ったが、この岬からの眺望が素晴らしく、元旦の初日の出をを眺めるため、岬までの道路は大渋滞になるという。
作品は、岬の丘の上からの眺望だが、海岸までは10分程度で行けるため、下りてみるとよい、伊勢の二見ケ浦を大きくしたような岩礁が悠然と構えているのが望める。
先週の土曜日(9/5)、小学6年生時代の同級会があり参加してきた。
場所は、京急の大森海岸駅とJR大森駅の中間ほどにある、大森ベルメ[ト内の生伊勢海老料理の「中納言」で、大森海岸駅から歩いたが、斜め正面の国道沿いにあったアサヒビールの工場は無く、その辺りにはイトーヨーカ堂の店舗がそそり立っており、周辺の景観はすっかり変わっていた。
ただ、現役当時利用した、大森ベルメ[ト前の“木曽路”はそのまま佇んでおり、懐かしさを感じた。
さて、同級会・・・この種の集いは、小学から大学とそれぞれの段階で機会があるが、今日まで継続しているのは、小生にとっては、この小学6年生時代の同級会のみ。
開催は、還暦を過ぎた頃から1~2年間隔で、毎回、3割程度の人が参加する。
古希又は、それに届こうという爺と婆が、呼捨てや、ちゃん付けで呼び合い、やたら握手を求めたり、その頃を思い浮かべ話す表情は、まさに半世紀前にタイムスリップした感覚で楽しいひと時を過ごした。
作品は、先生を中央に、当日参加した(19名)集合写真をモザイク・バブル効果を用い写画にしたもの。

先日、64回目の終戦記念日を迎えたが、今年は オバマ米大統領のプラハ演説などにより、例年になく「核を含む悲惨な戦争の教訓を次代に継承していく」として、テレビなどの特番が目を惹いた。
当時は5才故、殆どその記憶がないが、終戦記念日を機会に、戦争の悲惨さと父の想い出に触れてみたい。
★ 戦争の悲惨さ
当時 東京の大森に住んでいたが、戦慄として残っているは、'45年3月10日の東京大空襲で、その規模は、B≠Q9爆撃機 約300機と過去に類をみない大鰍ゥりなもので、一晩で10万の人が亡くなったという。
我々家族は、疎開中であった次兄を除き母と子の4人は、隣に住む親戚の勧めにより、大森の河岸から小船に乗り、当時、平和島は米兵の捕虜収容所があり敵は攻めてこないとして、平和島の沖合いに漂いながら戦火が治まるのを待つ。
海苔業で用いる小さな船に10数人が乗り込んだこともあり、近くに落ちる焼夷弾の火玉とその衝撃による揺れで沈まないか、また、船から見える火災から逃げ惑う海岸沿いの人々・・・と、不安と恐浮ェ入り乱れた悲惨な一夜を過ごした。
戦火も治まり、夜が明け家に戻った時は、辺り一面焼け野原で、玄関脇にあった防空壕にいれて置いた食べ物も盗まれ?空ッモセったという。
★ 父の想い出
父は、輸送船でマレー諸島沖合いを航行中、撃沈され、終戦の1年前の '44年2月に戦死、小生その時4才。
太平洋戦争の始まりが '41年12月のため、小生が2才の時には、既に父は出征しており、接点は殆どなく、あったとしても4才以下で、その記憶はない。
ただ、物心がついた後・・・
父が軍役中、横須賀に寄港したことがあり、その際 家族揃って面会に訪れたが、久し振りに見る、育ち盛りの末っ子の小生(その時3才)を両手で抱き上げ、喜びながらあやしていたという。
・・・ことを、母や兄から幾度か聞かされ、今は明確な接点として記憶に残っている。
また、直ぐ上の兄が、軍曹である父が水兵たちに挨拶するしぐさと、軍服姿が格好良かったこと・・・を聞き、誇らしく感じたものである。
15才の頃、たった一枚残っていた父の出征前の写真を見て、ペンで絵を描いたことがあるが、作品はそれを基に写画にしたものである。
何で 唐突に描く気になったのか、その頃は何も考えなかったが、恐らく写真を目の前に置き描くことによって、 父との接点をもっと見出したかったものと思う。
我が家にある雄一の節句人形
上の息子が初節句のとき、義父からお祝いに頂いたもの。
息子達は、疾うに独立し、一緒には住んでいないが、4月も終わり頃になると、毎年欠かさずにテレビの上に飾り、子供達が無事に育ったことを感謝している。
上の息子も今年で40歳故、この人形も、それだけ歴史があるといえる。
作品は、チョーク太く短い描線効果を用いたもの。
・・・JR港南台駅の斜向かいにあるバーズの特設売り場・・・
被写体が離れすぎて、何の売り場か判らないが、先月のバレンタインデーに、チョコレートなどをもらった男性が、そのお返しとしてキャンデー・マシュマロ・ホワイトチョコレートなど、女性へ贈るプレゼント品の売り場である。
ご存知「ホワイトデー」といい、日付は3月14日。日本で始まった習慣で、欧米ではみられないという。
誕生の経緯は、日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれ、それを受けて菓子業界が、昭和50年に個々に独自の日を定めて、ビスケットやマシュマロ、キャンデーなどを「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになったが始まりという。
今では国民的行事の1つに数えられるほどに成長している。
作品は、ホワイトデーの10日前から、特設売り場を設営し、購買意欲を促しているところ。
一般的にバレンタインデーのお返しは、3倍返しといわれており、昨今、あまぁい あまぁい市場といえよう。