写画へのいざない

父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。

かりゅう からの眺望

2008-04-30 20:40:27 | 風景
  
 
みなとみらい、インターコンチネンタルホテルの31階 レストラン 驊騮(かりゅう)からの眺望

 先週、元会社のOB先輩等と赴く。
 ホテル最上階、個室「天空」の大きくとられた窓からは、ベィブリッジ・横浜港・観覧車など眺望の素晴らしさと、中国料理の美味の数々、久し振りに目とお腹の保養をさせてもらった。

 最上階へは、当然エレベーターを用いたが、このエレベーター 枠が一部透けており、下に見える自動車などが見る間に小さく変化し、あまり気持ち良いものではなかった。

 作品は、ャXタリゼーシヨン+切り絵効果を用いたもの。


 

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総持寺・大祖堂

2008-04-23 20:33:29 | 寺社・仏閣


・・・境内にある、数々のお堂の中で最も大きな建物である「大祖堂」・・・

 大祖堂とは、開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿で、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及ぶという。
 貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされている。
 訪れたとき、正面の入り口が開いており中を覗いてみたが、百人前後のお坊さんが一斉にお経を唱えおり厳粛な感を受けた。

 本来なら、始めに記述すべきであったが、総持寺の開創について簡単に触れておく。
 今から650年前に能登半島の一角、櫛比庄に諸嶽観音堂という霊験あらたかな観音大士を祀った御堂があり、そこの住職に招かれた瑩山禅師が、現在の「総持寺」の基礎を創られたという。その後、能登に於いて570余年の歩みを進めてきたが、明治31年4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失することになる。
 明治38年5月、本山貫主となった石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、寺基を現在の地(鶴見)に移されたとか。

 作品は、いずれもペイント・フレスコ効果を用いたもの。上の作品は、正面の入り口の位置から左側を覗いたもの。



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総持寺・仏殿

2008-04-16 20:58:01 | 寺社・仏閣

 三門をくぐり境内に這入ると、約10万坪の広大な敷地に、さまざまなお堂を目にする。そんなお堂の中心部に配置されているのが、この仏殿で、「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」とも呼ばれている。

 この宝殿には、中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)が祀っられている。
 如来は、死の恐普A病気、四苦八苦など様々な衆生の悩みや苦しみを救済するため、その具体的な請願によって出現される仏で、尊像は、右手を施無畏印、左手は与願印の印相をしております。
 この印相は、人々の不安をとり除き、あらゆる願いをかなえてくれる大慈悲の心を表現しているという。

 残念ながら、宝殿の入口は閉まっており、須弥壇など内部は見られず。

 「みだれ髪」の歌集、また、夫である鉄幹との間に11人の子を設け、明治・大正・昭和の時代を生き抜いたことで知られる「与謝野昌子」が、この宝殿に対し次のような歌を残している。

      胸なりて われ踏みがたし 氷よりすめる 大雄宝殿の床                   
 

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総持寺・三松閣

2008-04-09 19:58:49 | 寺社・仏閣

 山門に向かって右側に、大きく、立派な切妻造りの鉄筋コンクリートの堂宇(どうう)を目にする。

 作品の「三松閣」で、平成2年に竣工されたが、最近改修が行われ、人々が広く集い禅の道場を身近に触れることができる場として生まれ変わった由。
 建物は、地上四階、地下二階、9400平方メートルの広さがあり、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設も整っているという。

 建物の「三松閣」の名前は、能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんでと付けられたという。

 広い境内は、自動車の心配が無く、格好の保育園児の散歩道といえ、何組も目にした。

 画像処理効果は、水彩スャ塔Wを用いたもの。

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総持寺・三門

2008-04-02 20:58:39 | 寺社・仏閣




    ・・・三松関をくぐり、50mも歩むと正面に作品とした「三門」を目にする・・・

 三門とは、禅寺の仏殿前にある門で、大きな中央の門と左右の門と三つ連ね一門としたものを言う。
 なお、この三門は寄進されたもので、昭和44年に落成し、鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇っているという。

 三門には、左右に金剛力士(仁王)像をおくのが通例とされており、總持寺の場合も同様で、左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められている。

 山門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師が書かれたもの。

 作品は、金剛力士像を含め、鉛筆:スケッチ(モノクロ)効果を用い写画にしたもの。


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