父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。
癒しの効果ありやと?・・・初めて購入したミニ観葉樹
★右側:ャ潟Vャス
東南アジア・ャ潟lシアに、約80種類が分布する常緑性の樹木で、寒さに弱いので、日本では鉢植えの観葉樹として扱われている。
★左側:ミニバンブー
バンブーは窒フ意で、東南アジアを中心に、世界に約600種あり、日本ではおよそ150種を産する、多年生常緑性の樹木。
一つはパソコンの机の横に、一つは2階寝室のベッドの横に、置いてあるが、まだ、日が浅く癒しの効果ありや不詳。
それよりも、管理(水やり・肥料)が意外と煩わしく、長続きできるかが不安。
作品は、バックの彩色を変え、ペイントフレスコ効果を用いたもの。
我が家の元日の朝食である。
正月気分もすっかり抜けた今頃に何で?・・・と思われようが、1月は正月つきということでご勘弁を。
正月 3ヶ日の朝食は、冒頭で述べているよう平均的な日本の家庭に習い、おせち料理とお雑煮である。
ところが、今まで手作りだったおせち料理が、手間が鰍阡マわしい、嫁さんと2人だけなのに、食材の関係からどうしても多めに作ることになってしまい、正月過ぎても当分残るなど、から、昨年より出来合い品を購入することにしてみた。
作品の中央が、それだが、右側から一の重、二の重、三の重で、購入時の荷姿は三段重ねになっている。
一つの箱には15品程度の料理が詰まっており、全部で45品種ある。
本品は2人用で、数も最小単位が2個づつになつており、いろんな物を食べてみたい人には好く、量も、嫁さんと2人で、丁度3日目に食べ終わり、適量であった。
★おせち料理うんちく
おせち料理といえば、殆どの人は、お正月に食べる重箱に詰まった料理を思い浮かべると思うが、広辞苑によれば、漢字では『御節』と書き、正月や節句のごちそうに用いる煮しめ料理・・・としている。
また、百科事典では、正月に食べる料理のこと。節会(せちえ)料理からきた語で、本来は節供(せっく)に供される料理であった。正月三が日間食べられるよう、もちがよく、さめてもよいもの。ごまめ、数の子、勝栗、こぶ巻きなどを取り合わせ、重箱に詰める・・・としている。
これからわかる通り、元々は「御節」=「正月料理」の意味ではなかったようです。では、いつから、「御節」=「正月料理」と呼ぶようになったか・・・それは、第二次世界大戦後、デパートでお正月料理の箱詰めを売り出す際に、「おせち」という言葉を使ったため、そのイメージで広まったようです。
それまでは、年賀の客をもてなすための料理を箱詰めしたものを、関西では「蓬莱」(ほうらい)、江戸では「食積」(くいつみ)と言われていたという。
今週は、チョット奇抜な作品を・・・
「写画への誘い」というタイトルで、ブログを始めて今年は3年目に入るが、作品の数では160点に達する。
その数から、小生の持つパソコンの画像処理機能としては、単独での処理効果は、殆ど使い切り、同系統の被写体については、似たような作品となってしまうのも止むを得ない結果でもある。
今回の作品は、それを嫌い何とか変わったものをと、複数(5回)の画像処理効果を用い作成したもので、チョット変わった作品になったと思っている。
今年からの作品は、これらを1ヶ月に1~2作は入れて新鮮さを保ちたい。
毎年、正月になると家の門の前などに飾っている門松、何のために飾っているのか、孫に聞かれたら答えられるか・・・自問してみたが、自信がもてず、この際チョット調べてみることにした。
門松は古くから新しい年を迎えるにあたって、玄関先を清め、悪い鬼又は邪気などが家の中に入らぬように門松を立てて、新年の神様をお招きするための目印であり、また、神さまがお降りになったときに宿られる依代(よりしろ)を表すものという。
正式なの門松は、虫O本を松で囲み、荒縄で結んだ形が一般的ですが、これとて、会社・デパート・大邸宅とかに限られ、一般民家では、作品に見られるような簡素なものが多い。
飾るのは、現代ではクリスマスなどのイベントもあるため、29 日以降に設置される場合が多い。12月29日に飾るのは「二重苦」、また 9 の末日でもあるので「苦待つ」に通じ、12月31日に飾るのは「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、12月28日までに飾るか12月30日に飾るのが良い、とされている。 飾る期間は、1月6日の夕方に片付けて、翌1月7日に処分するのが普通という。
最近では、一般の家庭でもクリスマスのイルミネーションを飾り、しかも、だんだん規模がエスカレートしているのが見られるが、具の骨頂で、日本人なら伝統にのっとり神仏に拘る飾り付けとしたい。
あけましておめでとうございます
ここ数年、元日の午前中 参拝に行く春日神社である
時間はいつもと変わらない9時前後だったが、作品で判るよう参拝者の列ができ、こんなことは初めてだった。
景気悪さの神だのみか、抜けるような空の青さに誘われたか・・・不明なれど、澄み切った空気のなか参拝するのはいいものである。
また、いつも感じることだが、正月というと空気が澄み清々しい気がするが、一年間稼動したための、浮遊塵を静かに大地に戻した結果からかと思ったりしている。
即ち、随時、随所で、このような催しを設けたら、温暖化や環境汚染を解決することの一つではないかと、初夢として思ったりもしている。