写画へのいざない

父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。

初めて八戸へ

2024-06-09 14:43:43 | 風景
新緑がきれいな季節。
先週、初めて八戸に行ってきました。
新幹線の中で宮城県の名物が詰まったお弁当をいただきました。
みなさんお馴染み、牛タン焼き、笹かまぼこ、ずんだ餅、はらこ飯、ひとめぼれ、などなど。
本八戸駅で降りて、三八城公園へ。
寛文4年(1664年)、南部盛岡藩2代藩主・南部重直が嗣子を定めずに病没したため、幕府の命により遺領10万石を、重直の2人の弟、七戸重信の盛岡藩8万石と、中里数馬の八戸藩2万石に分割しました。翌寛文5年(1665年)に領地が配分され、治所は八戸城と定められました。中里数馬は「南部直房」と名乗って八戸藩の初代藩主となります。この公園は、八戸城の遺構です。この銅像は、直房です。 
本八戸駅には、ねぶたの模型が展示されていました。


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ようやく松島に行ってきました

2024-05-12 15:19:26 | 風景
日本三景の一つ、宮城県の松島に行ってきました。
左側は、雄島。
雄島には多数の岩穴、石窟がつくられており、磨崖仏までもが見られる霊場です。雄島に人の骨が見られることから、亡くなった人の火葬されたお骨が、この雄島に埋葬されていたと考えられています。火葬された人の骨が平安時代の終わりから供養のためにこの場所に納められていたと伝えられているのですが、なぜ雄島に納められたのでしょうかね?

 その答えは「極楽浄土」です。雄島からは、下にある写真のように、海がきらきらして、この世のものとは思えないほどに美しい島々が織りなす風景が見えます。その風景の中の海の彼方に浄土があって、亡くなったらこの場所から浄土に行けると考えられていました。つまり、陸地側がこの世、海の彼方が浄土で、この世と浄土の世界との接点が雄島だったのです。

陸地から近い雄島が浄土への入口として、亡くなった人の供養や修行を行う場所になっていったのです。
もみじの緑が目に焼き付いています。
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春はまだまだ

2024-03-17 15:19:48 | 風景
先日取り上げた臥龍梅。昨日は、こんな感じで満開でした。
とあるカフェでシフォンケーキをいただきました。テラス席でしたが、少し寒かったです。
春はもうすぐです。
仙台地下鉄ですが、広瀬川を渡るところです。
空は真っ青!

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梅の季節にしては、まだ寒いですね

2024-03-10 15:05:21 | 風景
2022年3月の地震で壊れた伊達政宗像ですが、2023年3月末に戻ってきています。
仙台の街中は、まだまだ寒いですが、梅が咲いていました。この梅は、臥龍梅(がゆうばい)といって、文禄の役で朝鮮に出兵した伊達政宗公が、朝鮮半島から持ち帰ったものです。仙台に戻った後、政宗はウメを仙台城に植え、後に晩年の居城とした若林城の敷地内に植え替えたそうです。これはその子孫。
 
まだまだ寒く、今朝も雪が降っていましたが、午後あがりました。

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まだまだ寒いです

2024-03-03 16:06:53 | 風景
仙台はまだまだ寒いです。先週はまだ雪が溶けないで残っていました。

春はもうすぐなのでしょうか??
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