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「境界の短いトンネルを抜けると、幼い頃に見た田園が、直ぐそこにあった。」
冒頭のフレーズは、ご存知 川端康成の「雪国」の もじり であるが、前週の「迎陽隧道」から、2~300mも奥に入ると随所に田園風景が望める。
昭和20年3月、東京大空襲で大森に住んでいた家が全焼し、親戚を頼って石川県の七尾に疎開し、2年程、田舎の生活を味わったが、親代々の東京生まれの小生は、身近に田園に触れたのは、それ以来のことではないだろうか。
山裾には苧ム、その手前には田畑が望まれるが、これらが判別できるよう原版をあまり損なわず、エンボス効果を用い作品とした。
鎌倉街道を境に港南台駅のある南側に住んでいる小生は、街道を超え北側へは、30m程奥にある日野ゴルフ練習場に偶に行く程度で、その奥は勾配の強い坂道があり避けてきたが、今回、新たなるウォーキング・コースを探そうと敢えて歩を進めてみた。
坂道を140~50mも登ると、作品の被写体とした「迎陽隧道」がある。
近くにあった説明文によれば、この辺りは、近隣に行くにも山越えが必要で、物を運ぶにも、人の行き来にも難儀な所で、これを何とかしたいということで、明治40年、部落の人たちが総出で、このトンネルを作る決意をし着手するも、当時は機械シャベルなどがなく、すべて手堀りで、大正4年に完成したという。
現在の隧道は、老朽化などにより昭和53年に更新されている。
作品は、坂道を登りきり「迎陽隧道」の出口側から撮ったものを、ペイント効果を用い写画にしたもの。
こちら側からは、トンネルの穴からお日様が望める・・・ということで「迎陽」という粋な名が付いたという。
男ばかりの4人兄弟の末っ子の小生は、既に掲載済みの将棋は無論の他、この花札も含め殆どの遊びは、兄から教わる、または、その遊びを見て、小学校に入るまでに覚え、兄等、また 近所の遊び仲間と楽しんでいた。
ただ、この花札は小生にとっては、遊びというより「賭け事」の色合いが強く、「トランプの陽」に対して、「花札は陰」で、遊び相手も兄貴など、ごく限られた者だけであった。
花札は江戸時代に、貝覆・百人一首で知られる日本古来のカルタと、舶来の天正カルタが、組み合わさってできたとのことだが、中学校の頃までは「花札」という言葉は知らず、遊び方の名前で呼んでいたと記憶している。
即ち、
花見で一杯、月見で一杯の「こいこい」と、三・三 ロッャE見ずに引けの「おいちょかぶ」と、遊びの人数で決め、チップとしてマッチ棒を手元に熱中し、小遣いが増えたり、減ったりと一喜一憂したものである。
そんな遊びも、それぞれが社会人になってからは疎遠になり、正月に家族が集まった時に行う程度になったが、親が他界してからは、それも無くなり寂しいかぎりである。
「花札」からは,駆引き・度胸・勝負勘など多くを学んだが、今は極く偶にPCで「こいこい」を遊ぶ程度であるが、空しいものである。
、
花びらは鐘形、葉は大きく被針形で、比較的単純な形をし、また、花びらの色も三原色系で、幼い頃、花といえば一度は描いた記憶がある「チュウリップ」。
ただ、この単純な形や、花びらの色も、オランダでの長年による改良の結果という。
花言葉は、博愛、恋の宣言、失恋、望みなき愛・・・と、なにか日に当たらない感じを受けるが、花 そのものは、メチャ明るい花である。
作品は、いろいろ試している間にできたもので、どの効果を用いたかは判らないが、画像は面白いものに仕上がっている。
5月1日に すずらん を贈ると、贈られた人は幸せになれるという。・・・が、小生の周りで知るかぎり すずらん を贈った、贈られたと聞いたことがない。
数年前に鉢に植えた すずらん が、この時期になると毎年、うりざね顔の白い花びらが、重なり合って健気に咲き、芳香を漂わせる。
いかにも「清楚」という感を受けるが、見かけによらず果実は有毒であるという。
作品は白い花弁を怒アップにし、背景を排除した構図は、エンボス効果と併せ、小生の好きな作品の一つである。