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・・・2月2日の未明に降った、横浜での初雪・・・
融けて、消えないうちにと撮ってみたものの、昨年の暮れに、おもい切って剪定した中央の「のうぜんかずら」の幹と「日光きすげ」の葉の上に、お情けのわずかな雪。
数年前までは、年に1~2度は積もったと言えるほどの量が降ったと・・・記憶しているのだが、これも温暖化の影響か。
そんな初雪も、午後には跡形もなく消えていた。
一年前にも訪れているが、前は旅館集合前に一人来たが、今回は略全員で観光。
旅館からは、不動滝のバス停まで四つのため、歩いても10分程度と、歩き出したが登り坂のため、倍以上鰍ゥり着いたときは皆さんバテ気味。
不動滝は、奥湯河原藤木川の支流にかかる落差15mほどの滝で湯河原五大滝の一つ、また、この滝壺から世界一の「湯河原沸石(ゆがわらふっせき)」が発見されたことでも知られている。
作品、左側の小さい赤いやしろには、不動明王が祀つられており、滝の名はこれに由来しているという。
あの太宰治が、この不動明王の像を見て、異常に恐がったという逸話が、山岸外史の『人間太宰治』(1962年筑摩書房)で触れられており、これがもとで、どんな恐い顔をしているのかわざわざ見に来る人もいるという。
当日は、創業三百余年を数え、その昔、水戸光圀公も湯冶に立ち寄られたという、老舗旅館の露天風呂にしたり、また、宴会では相模湾からの新鮮な魚介類に舌鼓舌み、心身ともに癒され、翌日、この辺りで唯一の観光地?不動滝に向う。
作品は、その途中の末広橋の上から藤木川の下流を望んだもの。
何の変哲もない景観だが、幼い頃 水遊びした事が、頭をよぎり思わずカメラに収めたもの。
OB有志親睦旅行会の集合時間には、まだ、余裕あり・・・JR真鶴駅に戻る前に真鶴町立の「中川一政美術館」に立ち寄る。
この美術館で知るまでは、中川一政なる画家については、まったく知識として持ち合わせていなかったが、書は相田みつを、絵は片岡鶴太郎の作品にどこか似ている。
ただし、明治26年生まれで、既に没後19年経っており、彼らより大先輩で、似てるという言葉を使うなら逆である。
作品は、洋画、水墨画、版画、陶戟A詩作、和歌、随筆、書と多彩に制作し、全てが独学であり自ら「在野派」と称したという。
作品、上部が美術館入口にある中川一政美術館なる石碑、下部は、中川一政作品の一例である。