写画へのいざない

父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。

ハナモモとはなな

2007-03-28 21:13:55 | 花ばな

 もう半月以上が過ぎてしまったが、3月3日のひな祭りには欠かせない「ハナモモと はなな」

 先週参拝した大船観音から歩いて約15分、県立フラワーセンター大船植物園に立ち寄る。平日の午前中にも拘らず結構人が出ており驚いたが、その顔ぶれは、さすがに現役を退いたと思われるお年寄りの夫婦ずれが多かった。
 植物園は、東京ドームの略 1.4 倍の広さで、丁寧に観賞すれば半日程度を要すが、体調が万全でなく、15 分ほどで後にした。

 そんな中、公園の略 中央の花壇に、桃色と黄色の色彩のコントラストが、如何にも好い花が目に付き、思わずカメラに収めた。
 近くにあった立て札の「ハナモモと はなな」の名が耳慣れないが、「ハナモモ」は、中国原産の果樹であるモモを、渡来後 我国が長い年月を鰍ッて、観賞を目的とした花木に品種改良したのが「ハナモモ」といい、「はなな」は、菜の花の別名とか。 

 作品は、チョーク太(短い描線)効果を用い写画にしたものだが、何かボケた写真のようになってしまったが、ピンクとイェローのコントラストは表現できたようである。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白衣観音

2007-03-21 21:12:12 | 寺社・仏閣

















 電車で大船を通ったことのある方は、一度は目にしていると思う、西側の小高い丘の上に聳える大船の白衣観音。

 観音像は、昭和初期に造り始め、昭和9年9月には尊像の輪郭が出来上がったが、日華事変、太平洋戦争とにより、未完成のまま20有余年放置されたが 、昭和35年に完成したという。
 高さ25m、重さ1915tと巨大な像だが、優美な顔立ちが印象的である。
  
 1月の後半から3月の前半までの30数日間、大船の某病院に通わなければならない羽目に陥り、その度に観音様を目にしてきたが、一度近場で眺めてみたいと先週出かけてみた。
 西出口の駅前のかしお川を渡り国道を越えると、直ぐ 大船観音への参道があり、ものの10分も歩かずに、観音寺の入り口に着く。

 実は この観音様、今から50数年前一度訪れたことがある。
 チャンバラ映画好きの、大森に住む中学1年の悪がき3人が、本物の俳優さんに逢ってみたいと、はるばる大船松虫B影所の見学に来たことがあるが、あいにくその日は休日で、我々の思いは叶わなかったが、折角だからと観音様を拝みに寄ったのである。
 ・・・傾斜の強い観音参道の坂道を、当時のそんなことを思い浮かべながら歩いてきた。
 
 作品は、モザイク描線効果を用いたものだが、原版の画像を殆ど残していないため、左側に、チョット撮影位置は変えているが原版のままの観音像を並べる。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅屋敷東商店街通り

2007-03-14 20:30:32 | 風景

 初めて 大森平和島の親もとから離れ、移り住んだのが梅屋敷・・・と言っても結婚して独立したためであるが・・・

 4畳半一間と半畳の台所の新所帯、1階に大家さん、2階に2世帯の貸し部屋がありその内の一つ。
 住まいは、この商店街通りから一つずれた裏通りで、京急の梅屋敷駅からは6分、勤め先までは歩いて約20分、買い物は近場の廉い商店街でと、共稼ぎ時期の生活環境としては優れていたが、給料の 1/3 を家賃で持っていかれ、大家のために働かされているのかと、家賃を払う度に感じたものである。

 結局のところ、上の息子が生まれてからも1年半、都合4年半を梅屋敷で過ごしたことになるが、横浜の日野に越してからも、通勤の行き返りには、この商店街を通り、また、商店街の中ほどの大林寺には両親の墓もあり、定年後も年に数回は訪れており、梅屋敷は浅からぬ因縁を感じる場所である。

 作品は、午前中ということもあり、まだ 人通りの少ない商店街を、水彩:トラディショナル効果を用い写画にしたもの、右上の「うめやしき」の看板が作品の意義を高めている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京浜急行電車

2007-03-07 20:52:42 | その他

 東京の大森から横浜の日野に越してから、現役を退くまでの32年間、通勤でお世話になった京浜急行

 丁度、作品を撮ったこの場所から、毎日午前6時47分発・押上行きの混雑した電車に揺られ、上大岡から梅屋敷か平和島まで略40分間、今 考えるとよく続いたものと思う。
 因みに、この間 電車に閉じ込められた時間は、32年間でなんと 9,380 H で、1年強に及ぶ。
 常識的には、なんて無駄な時間だったと思われるが、今思い返すと小生にとっては、情報、知識を得る恰好な空間であったような気がする。
 それは
1.携帯ラジオで、最新情報が得られたこと
2.継続して本を読むきっかけとなったこと
などである。
 要は、その状態に陥ったとき、如何に有効に活用するかということか。

 作品は、水彩トラディショナル効果を用い写画としたものだが、チョツト変わった画像に仕上がっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする