写画へのいざない

父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。

碁での遊び

2010-03-10 11:01:00 | 育んだ遊びの数々
 

    ・・・・久し振りの「育んだ遊びの数々」のカテゴリ・・・・

 大人になってからは、囲碁には殆ど触れたことはないが、これから記述することは、小学校の3~6年頃のこと。・・・・・

 戦争で焼け出され、一時、田舎住いをし東京に戻つた時は、借家住まいであったことは、既に記述しているが、隣の大家さんの家には、立派な脚付きの分厚い碁盤と、何故か碁笥の中には、太鼓腹の形の石と平べったい石の2種類が這入っており、これらを用い、学校から戻った後 必ずと言っていいほど、家主の子供や近所の子供が数人、大家さんの縁側で、日が暮れるまで遊んだものである。

 勿論、遊びはその歳であり本碁でなく、五目並べ、挟み将棋ならぬ挟み碁石、はじきっこ、などで、なかでも"はじきっこ"は、得意で夢中になったものである。

 遊びの方法は単純で、平べったい石を用い、黒・白、相対して盤上に置き、変わりばんこに指で撥ね、相手の石を盤上から落とし、最後に残ったほうが勝ちという遊びである。
 それぞれの石には、何故か、当時見た映画・・それも洋画のスターの名を書入れ競い合ったものである。

 今日は、これがCPゲームに変わり、帰宅後自室に閉じこもり、夢中なっているというが、人との協調性を育むという点で、どっちが幸せなのか。??・・・俺にはわかんねぇ。

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バッティングセンター

2009-06-24 15:48:00 | 育んだ遊びの数々

 既に 4日が過ぎようというのに、二の腕の内側の筋肉がやけに痛む。
 30数年振りに、市営地下鉄の上永谷駅の近くにある「ノヴァバッティングスタジアム」に出鰍ッる。

 独身時代の休日は、必ずと言っていいほど、草野球を楽しんでいたが、その頃 この種の機械は未だ無く、もっぱら生の投球が頼りであった。

 初めて此処に来たのは、結婚し 草野球も止めて10数年も過ぎた頃か、小学生になった息子を連れて来たのが最初で、それが切っ鰍ッとなり、息子2人が中学生になる頃まで結構頻繁に通ったものである。
 ただ、その時は現役を退いた後であり、此処での練習が試合で寄与したことはなかったが、今思うと、その間 親子の絶好のコミュニケーションの場であったと考えられる。

 850gの金属バットを50回ほど振り回し、バテバテになった状態のなか、30数年前の当時、親と子でどんな会話を交わしたのか、思い出そうと頑張ってみたが浮かんでこなかった。
 

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けん玉

2007-10-24 09:42:12 | 育んだ遊びの数々

 ・・・もしもし かめよ かめさんよ、世界のうちでお前ほど・・・と、歌いながら、腰でリズムをとり、玉を大皿と小皿を行き来させるけん玉の技。

 小学校の5・6年の頃 学校ではやり、毎日、かばんの中にけん玉をしのばせ、休み時間を待って、友達と天下取りという遊びで、技を競い合ったものである。

 けん玉の技には、既述のもしかめ系、玉を振って剣に収めるふりけん系、止めて収めるとめけん系、飛行機系、灯台系など、難易度により技の種類が数多くある他、容易な技でも続けて何回(何時間)出来るかなど、工夫しだいで遊び方が多様で面白いものである。
 因みに、xx協会の もしかめの記録は8時間続けてが最高、ふりけんは30秒で18回が最高とか。

 もう 4~50年手にしたことがないが、そろばん同様、脳の活性化 ボケ防止に効果があるとか、近々また挑戦してみたいと思う。

 作品は、いろいろな効果を混ぜ合わせ作り出したもので、今となっては、何の効果を用いたか特定できないが、作品の出来具合は気に入っている。

 

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ベーゴマ

2007-05-02 10:54:54 | 育んだ遊びの数々
 

 昭和20年代~30年代後半にかけて流行ったベーゴマ、ご多分に漏れず小生も小学校6年頃~中学時代に夢中になったものである。

 ベーゴマはホンコ勝負といって、負けると対戦に使ったベーコマを取られ、それを取り戻すには、別のコマで勝つか、又は、折り合ったお金で買い戻すか・・・で、適当にギャンブルの要素があり、勝つためにいろいろ工夫したものである。

 例えば、よくやったのは、回転の軸となる尖った部分 及び ぶつかり合う角部をグラインダー、ヤスリ、コンクリート面で擦るなどして鋭角にしたり、重くするため上部文字の部分にクレヨンやろうそくを溶かし流し込むなど、ベーゴマ自体への工夫の他、勝負する際 ベーゴマを床に入れるときのテクニック、例えば、コマの傾斜、位置、回すときの力量など、弱いコマでも工夫とテクニックで、相手を負かすことができ、興味をそそられる遊びであった。
 特にその頃、次兄が鋳物工場に勤めており、市販では求められない、造形のベーゴマをねだったものである。

 社会人になった頃から遊ぶ機会も無くなり、当時 空き缶二つに50個程度あったベーゴマは、裏にあった井戸の近くに埋めたが、その後、そのことも忘れ、18才の時に生まれた地である、大森に建てた家に越してきてしまったが、埋めたベーゴマはどうなつているだろうか。
 原形を留めているか不詳なれど、掘り返し、子供の頃 我が血潮を沸かした「物」に見・触れてみたいものである。

 作品は、ネットより関連画像を抽出し、グロウ輪郭効果を用いたものだが、原版の良さもあり悪ガキどもが床を中に据え、夢中になっている姿がよく表れていると思う。

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紙相撲

2007-01-17 20:35:00 | 育んだ遊びの数々

      小学校6年の頃か、長兄から紙相撲なる遊びを教わる

 この遊びは、寸法などの規制はあるが、自分で力士を作り戦わせる面白さがあり、また、勝ち負けの技も多様で、足の角度、腕の長さ・角度、回しから下に付ける重しなどにより、その力士に得意技を持たせることもでき、奥が深く、一時 兄弟で夢中になったものである。

 毎年 元旦に息子達が家族を連れ集まるが、この機会に爺の存在価値を示さんがため、孫に この遊びを教えようと、急遽 来る前に、ネットで調べ紙相撲を作る。
 ところが、俄か作りのためか、意図した微妙な動きが得られず、孫たちは まったく興味を示さずガッカリしたが、その親である下の息子が、「俺が作った 丸太山 強かったんだよなぁ」と親父から遊んでもらった事を覚えており何とか面目を保った。

 そんなことで、紙相撲で盛り上がることはできなかったが、逆に、孫たちが持ってきた任天堂のDSゲーム機の、今流行の「脳年齢」ゲームに大人達が夢中になり、確実に時代が変わっていることを痛感させられた。

 作品は、俄か作りの紙相撲セットだが、粗を隠すため、モザイク・バブル効果を用い故意に原版の持つ画像をぼかしたが、不思議な画像に仕上がったと思う。
 
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