写画へのいざない

父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。

運動会

2006-09-27 21:03:22 | 行事

 晴れ・時どき曇り、お日様が照ってるときは、まだ、残暑厳しき9月の中旬、小学4年生になる孫の運動会に出鰍ッる。
 息子2人の運動会には、出向いた記憶がないが、これが 世間で言う孫に対して甘いということか・・・それもあるが、要は、この歳になって、時間、気持ちにゆとりができたということ。

 種目は、かけっこ、玉入れ、すず割り、つなひき、機械体操など、我々が体験した内容と殆ど変わりなかったが、「競う」という意識が薄れているように感じた。
 例えば、 かけっこ、他に 順位・勝ち負けに対して一切賞品が与えられないということ。また、プログラムの種目に「競走」という文字が使用されていないこと。その代表例が「かけつこ」で、我々のときは「徒競走××m」であったが、この運動会では「かけぬけろ 80m」とか、「とにかくダッシュ 100m」など、何を意図してこのような名を付けたのか分からない。
 当事者に聞いたわけではないが、端的に言えば「格差」を付けたくないがため「競い合う」という文字を避けたらしい。

 我々の時代は、順位・勝ち負けに拘り、ノート、鉛筆などの賞品を貰うのが楽しみであったのだが。

 確かに、運動会は、我が子の運動面での成長を見ることが目的で、他人との比較は関係ないとも言えるが、これは親や教師が知っていればよいことで、子供が順位や勝ち負けで運動会が嫌いになったとき、親や教師が、これらを話し、子供の成長・頑張りを認め、褒めてやることで納得させればよいと思う。
 子供が一番成長するこの時期、競いながら伸びるという意識をもっと大切にしたいと思うが如何だろう。
 そんな疑問を胸にしつつ、孫の運動会を後にした。

 作品は「玉入れ」を 切り絵 効果を用い写画にしたものであるが、これも競うという意識を避けたのか、「なかよく楽しくふれあい玉入れ」という名が付いていた。 

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ゴジラ松井

2006-09-20 20:47:12 | 人物 今最も輝きの人

 左手首を骨折し、4ヵ月のブランクを経て鮮烈の復活を果たしたゴジラ松井。
 復帰、第一試合の4打数4安打が過激であったため、ほぼ、一週間が過ぎた今、幾分感激は薄れたものの、今年の3月「王 JAPAN 」以来のカテゴリである。

 昨年の9月に「メジャーの男達」で、ゴジラ松井を採り上げ記述しているが、復活後の数試合の結果から、彼は、明らかに強運の星の下に生まれ、且つ、実力をも備えたスラッガーといえる。
 ただ、意識しての行いか否か不詳なれど・・・小出しにしていないか。即ち、メモリアル・ディーは、強烈な働きで印象付け、普段は可もなく不可もなく流しているように思えてならない。

 それにしても、復帰した日の第一打席、多くの外国人がスタンディング・オベーションでゴジラ松井を迎え、照れながらも、それに応える様は、日本人として誇らしく、感動もので、まさに「今最も輝きの人」に相応しいと思った。

 作品は、復帰 第一打席で中堅前にラッキーなヒットを打ったときの写真を基に、用いたことがない ガーゼ効果により写画にしたものである。

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メ[チュラカ

2006-09-13 14:14:41 | 花ばな

    ★ メ[チュラカの咲く園は      ★ メ[チュラカは赤や黄だ
      子供の声がひびきます         ウォーキングのかえり道
      僕はまいにち通ります          僕はそのまえ通ります   


 買物やウォーキングの行きかえりに通る小さな公園に咲くメ[チュラカ。
 花色や形が多様で美しく、松葉牡丹と似ているが、スベリヒユ科の多年草で、同じ仲間である。
 松葉牡丹との違いは、葉が棒状に対して広くへん平で、花が重なりあっているのに対して一重であることが違いという。

 開花時期が5月~10月と長く、育て易く、生命力が強いこともあり、植えて楽しむ人が増えたのか、最近特に目にする機会が多くなった。
  
 暑さに強く、天気のときはお日様に向かって上向きに、元気に咲き続けているが、雨のときは一斉につぼんでいた。
 因みに、花言葉は「いつも元気」という。

 冒頭の詩は、お気付きの方もいるやも知れぬが、北原白秋が作った「まつばぼたん」という童謡の詩をもとに作ったものだが、声にしてみるとなかなかテンモェよい。

 作品はエンボス効果の後、キルティング効果を併用したが、手を加えた割には変わりばえのしないものになってしまった。  
 

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野球

2006-09-06 17:20:51 | 育んだ遊びの数々

 今はもう、ボールを受け 返球してくれる相手もいないが、塀を相手に一人キャツチボールで楽しんでいる野球。

 野球と出合ったのは小学校の4年生頃だろうか、当時は物資が乏しく、遊びの種類も少なかったこともあり、ボールひとつで何人もが楽しめる野球は、チョットした空き地ではいたる所で見られた。

 家が空襲で全焼し、石川県に疎開したことは既に記述したが、終戦後 東京に戻り借家住まいとなるが、貸主である家が資産家で、三角ベースの野球ができるほどの庭があり、その敷地内には複数の借家世帯が住んでおり、メンバー、場所など、野球環境には恵まれ、学校から帰ると毎日のように、夕飯の呼び声が鰍ゥるまで、遊び耽っていたものである。

 その頃は、満足なグローブはなく素手で捕球できるようにボールは、ゴムかソフトボールを用いていたが、社会人になってからは、軟球に変わり、対戦相手も徐々に、会社又はクラブの草野球チームと変わっていった。
 併せて、その頃に焼け跡に念願の家が建ち、幼い頃からの野球仲間とも別れることになり、必然的に三角ベースは卒業する形となった。

 社会人になってからの野球は、また別の機会に譲ることにするが、これまでの三角ベースで学んだことといえば、機敏性・協調性など常識的なことがあげられるが、ここで特に強調したいのが、「加減」ということである。

 限られた敷地内で行うため、上手く振りぬけば塀を越すことはたやすかったが、ボール拾いに時間が鰍ゥったため、ルール上、越えたら即チェンジであり、如何に塀の内側近辺に造られた農園に打ち込めるかが、ャCントであった。
 テクニックを身につけて行ったことは、当然であるが、物事を考えるうえでも この「程よく調節すること、即ち 中庸」が、その時分に身についたようである。

 作品は、社会人になってから初めて購入し、既に40数年愛用しているグローブを写画にしたものである

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