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あけましておめでとうございます
ここ数年、元日の午前中 参拝に行く春日神社である
時間はいつもと変わらない9時前後だったが、作品で判るよう参拝者の列ができ、こんなことは初めてだった。
景気悪さの神だのみか、抜けるような空の青さに誘われたか・・・不明なれど、澄み切った空気のなか参拝するのはいいものである。
また、いつも感じることだが、正月というと空気が澄み清々しい気がするが、一年間稼動したための、浮遊塵を静かに大地に戻した結果からかと思ったりしている。
即ち、随時、随所で、このような催しを設けたら、温暖化や環境汚染を解決することの一つではないかと、初夢として思ったりもしている。
・・・誰でも子供の頃 必ず手にしているお年玉・・・
貰ったときの喜びとあの感触、もう半世紀前のことで記憶も薄れているが、今の子供と比べると、その感激は格段に高かったように思う。
昭和20年代の当時、子供がお金を手に入れる手段といえば、正月にお年玉を貰うことが一番確実性があった。
現在と異なり、親から毎月小遣いが貰えるとは限らず、どうしても欲しいなときは、周辺のガラクタを整理し、金目の物をくず屋に持ち込み、お金にしたものである。
今では、生活も豊かになり、親からの小遣いは滞ることもないだろうし、お年玉も少子化により、額も数も多くなったことなどにより、その感激の差もあって当たり前な気がする。
今でも覚えているが、お年玉で貰った数少ない紙幣を、少しでも多く見せたいため、折りたたみに工夫し、財布に収め ほくそ笑んだものである。
作品は、お年玉袋をガーゼ効果を用い写画にしたもの
昭和43年といえば、もう、今から38年前にもなるが、東京からこの地、横浜市港南区日野に引越しして来た年である。
当時は正月ともなれば、各家ごとに獅子舞が訪れ、東京では経験していないだけに驚いたものである。そんな光景も数年でいつの間にか消えてしまったが、聞くところによると、横浜でも地域によっては、まだ、この伝統が続いているところがあるという。
一概に言えば、地域の発展とともに、この種の伝統である、獅子舞・凧揚げ・羽根つき・独楽回しなどは薄れていくようである。
今は日本の伝統を継承していくとして、神社の祭礼行事で見る機会があるが、そんな中からネットで抽出し、作品にしてみたが、写真の画像を消すのに苦労した。
半月ほど、ずれ込んでしまったが、新春行事の一つである「出初式」である。
これの起源は、今から約 340 年前の江戸時代に於ける、明暦の大火を契機に、時の老中 稲葉伊予守正則が定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で「出初」を行い、当時焦土の中にあって苦しい復興作業にあった、江戸市民に大きな希望と信頼を与えたのが始まりという。
最近は、消防自動車をはじめ、消防艇、消防ヘリコプターなど、最新機能を装備したもののデモンストレーションが目立ち、発祥当時からの「はしごの曲乗り」は、年々少なくなって行くようである。
作品は、そんな希少価値となりつつある「はしごの曲乗り」をネット上から選択し、写画にしたものだが、切手のデザインにしても充分にイケル画像に仕上がっていると思う。
凧揚げ・羽根つき・独楽回し・歌留多・双六・福笑い、日本古来からのお正月の遊び。この正月、何割の日本人が触れ楽しんだだろうか。
年の初めの月、前週の作品「初詣」の流れに沿い、1月はお正月を題材にしたものをと・・・デジカメ片手に、公園、駅前、デパートとぶらついてみたが、既述したお正月の遊びはおろか、晴着姿もお目に鰍ゥれず、日本の伝統が、年々薄れて行くようで寂しい限りである。
結局のところ、ネットで選択しそれを題材に写画にしてみた。
今も残っているが、正月に3才の息子と和服姿で、空き地で凧揚げしている写真。少なくとも、その頃はそんな光景が随所に見られたものである。