大祖堂とは、開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿で、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及ぶという。
貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされている。
訪れたとき、正面の入り口が開いており中を覗いてみたが、百人前後のお坊さんが一斉にお経を唱えおり厳粛な感を受けた。
本来なら、始めに記述すべきであったが、総持寺の開創について簡単に触れておく。
今から650年前に能登半島の一角、櫛比庄に諸嶽観音堂という霊験あらたかな観音大士を祀った御堂があり、そこの住職に招かれた瑩山禅師が、現在の「総持寺」の基礎を創られたという。その後、能登に於いて570余年の歩みを進めてきたが、明治31年4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失することになる。
明治38年5月、本山貫主となった石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、寺基を現在の地(鶴見)に移されたとか。
作品は、いずれもペイント・フレスコ効果を用いたもの。上の作品は、正面の入り口の位置から左側を覗いたもの。
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