チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

お腹が冷えた

2013年12月19日 09時31分33秒 | 日記
二日間洋服を着ていたらお腹が痛み出した
お昼に食べた生牡蠣にあたったのかと思ったら
セキドが
「当たるとしたら3時間後ではないですか?ソレより冷えたのではないですか」
そうかもしれない

さっそく真綿をお腹に当てたら1時間したらしくしくと痛んでいたお腹が治った
きものってなんて暖かいのだろうと今更ながら感心する
昨日は雪も降るかもと云うくらい冷えていたのだから
ワンピースなど着ている場合ではなかった
無防備だ

しかも風邪気味にもなり
洋服を着るときはきものと同じくらいに暖かくしなければいけないと思った

そのあと川邉サチコさんの所に行ったら
「冬はパンツよ気取ってワンピースなんて着るトシではないのよ」
とどやされる

ワタシをご覧
と購入したばかりのムートンの毛皮付ブーツを誇らしげに見せつける
「ここまでやってきものの暖かさと同じかな?」

たしかにいくらニットとはいえワンピースは失敗であった
たまに洋服を着ると気温調節が出来無いときがある
今後は気を付けよう

「パーテイがすぐでしょう?気を付けないとね」
と忠告もされる
カラーリングをしてもらい忠告も頂き更にお手製のスパゲッテイーもご馳走になり
持つべき者は友

「お客様の予約があってお祝いパーテイにいけないけど」
と良い物もいただいた
ありがとう
お腹の痛さもスッキリ!
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骨肉の争い

2013年12月18日 10時04分11秒 | 日記
ここのところしつこいけど
「着肉」つまりきものの補整が気になっている
たかだか30年くらい前まではきものを着るのに「着肉」をつける人は少なかった
芸者さんは腰布団を使っていたが
それは「柳」という帯結びや丸帯を使って大ぶりの二重太鼓を締めるので
ヒップラインが強調されるので
そこに丸みをつけるために着けていた

胸の肉布団は半衿をたっぷり出して
胸を大きく開けて着るので
胸を膨らませないと形が付かない

丸帯の重い帯を胴にまくのでそこにタオルを巻かないと安定しない
このような着付けは特殊で
歌舞伎俳優や人形衣装にも見られる着装だ

ソレをどうして普通の女性が真似をしなければならないのか
ソレが美しい着方だと信じている人のあまりの多さに驚く

鎖骨や肩甲骨、肋骨や骨盤、更には大腰筋などの筋肉
かれらはきものを着て動くときに
色んな助けをしようと手ぐすね引いて待っているのに
開店休業
余分な肉を付けられて本当にガッカリしていると思う

自分自身の骨を磨いてほしい
最後まで人を支えているのも骨であることを
私たちは忘れてはいけないと思う

骨は其の用途をしっかりとわきまえている
骨肉の争いから脱却して美しいあならたしい着方を習得してほしいナ

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愚痴の始末

2013年12月17日 09時22分35秒 | 日記
外出をしたくない
ぬるま湯の中にじっとしていたい
そんな寒さが続いている

しかし
外を歩いてみると意外に外気が気持ちいい
想像だけでじっとしていないで行動だ

このことはあらゆる場面で言えるように思う
「こうしたら?ああしたら?」
とアドバイスを受けるけど
其のアドバイスをしている人が全く動かない

そう言うケースが一杯ある
アドバイスをする以上は自分も一緒になって汗を流す
そこまで来て本当のアドバイスだな

ソレがナカナカできない
アドバイスを受けたら
自分はこの人と共に汗を流せるかと言うことを自問自答する
ソレが出来ないと思うときは真剣になれない

愚痴を聞くというのもコツがいる
おおきな穴を掘って相手の愚痴をぼんぼんその中に入れて埋めてしまう
自分のところに埋めないようにする

愚痴には意見は不必要
愚痴を聞いていて意見を言って大げんかになった若いときの苦い思い出がある
ソレも一緒に汗を流そうと思っているからこそ
云われたくない聞きたくないことをいってしまう

愚痴をこぼせる相手がいることは
幸せか?

愚痴とアドバイスを求めるのとは似て非なるものがある
愚痴を言い合うことで友達つきあいがうまくいくこともあるが
ソレは決して真の友とは言えない
アドバイスをきちんとしてくれる友は有り難い



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きもの教室

2013年12月16日 11時12分42秒 | 日記
戦後に出来たものが「きもの教室」
この時代になるまで
きものを着るのに月謝を払って着付けを習うと云うことがあったであろうか

これも戦後一気にきものを捨て洋服に走ってしまったが
冠婚葬祭ではやはりきもので出席というのが常識であったので
急遽着物の着付けを教える教室や学院が誕生した

其の校長のほとんどは
「戦争未亡人」であった
このうちの何人かを取材したことがあるが

きもの研究家の方々と違うのは
着付け教室を開いた女性達は生活が逼迫していた
そしてほとんどの方が中流階級の出身であった

ソレが良かった
なぜなら彼女たちは普段着のきものの着方を教えることが出来たから
そこには今はやりの「着肉」である補整など一切無かった

中に
さる公爵の姫君が理事に名を連ねていた学院があったが
この姫君はご自分できものを着ることはなく
手入れも女中任せ帯結びなど全くおできにならない
戦後の女性に教えることは出来ないが
優雅な作法は教えることが出来た

昭和30年代は日本の文化的な伝え方が混沌としていたのでは無いかと思う
みんなが一線上に平民になり民主主義のきものの着方は
誰かが統一しなければならなかった

そこにきものの着付け教室や学院が誕生した

しかしトップに戦前のどの階級の方がいたかで着付け方も微妙に違った
更に男がトップに立つとどういうわけか「着肉」が王道となっていく

もう一度女の着方に戻らなければきものを愛する人は広がらないと思う
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きもの評論家・研究家 4

2013年12月15日 09時38分21秒 | 日記
きものの素材の知識
きものの冠婚葬祭のきまり
日本の女が培ったきものの作法

大正、昭和の初期に生まれた生まれた女達は
終戦後いきなり社会の放り出され
中には身分を全部剥奪された方方
家の没落
世の中がひっくり返ったので今まで身につけたもので生活を立てなければいけない
そう言う方も多かった

戦前の上流・中流家庭は女の子には財産分与がないので
いつどういう生活環境になっても好いように
親はお稽古事を身につけさせていた
特に茶道は必修

お琴・お花・三味線・仕舞・裁縫・料理など徹底的に身に着けていた
当面はその稽古ごとを生かして生活を守る方も現れた

だから詳しい手八丁口八丁

今考えると昔の日本の上流社会の教育は筋が通っていたと思う
そういう方の知識は半端ではないので
どこでも役立ったものだ

着物の研究家という仕事をなさっている方は
小さいときから上等のきものを着て育った方々が多く
至れり尽くせりのアドバイスをしていらした
もちろんご自分のきもののほとんどは
ご自分で色を決めデザインをするという姿勢だった

いまいろんな着物の本があるが
基本はこの方々の大いなる知識が伝わっていると思う

みんな美しい方だった
立ち居振る舞いもしなやかで優雅であった
今のきもの文化もこの方々の指導によるものであることを
チャコちゃん先生は忘れない
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きもの評論家・研究家 3

2013年12月14日 09時17分35秒 | 日記
チャコちゃん先生がこの「きものーーー」を整理したいと思ったのは
いま巷で人気のあるきもの研究家達と
チャコちゃん先生より世代が上のきもの評論家または研究家の方々の
ちょうど狭間にいるのがチャコちゃん先生は
双方のきもの感について思うところがある


その思いを整理しておきたいなと思ったわけ

チャコちゃん先生にはきものに対してトラウマがある
家族や周りはきものを着るのが当たり前の環境で育ちながら
一生きものは着ないと思っていた
アメリカやフランスから一気に入って来て大流行している洋服を
早く着こなしたいと子供心に思っていた

映画も洋ものにしか興味が無かった
そこに現れる室内装飾や洋服にうつつを抜かしていたのだ

長じてきもののことにはまっていくと
遙かにワタシより詳しい方々が大勢いらして
しかも天敵母は
「そんな知識で社会で通用するなんて甘いもんだわね」
等と軽蔑されていたり

チャコちゃん先生のきもののコウデイネーとに
やや冷たい目を注がれたり
雑誌に文章書いても何か足りないものがあるような肩身の狭い思いをしていた

でもマスコミはいつの世も同じように
ちょっと面白い事を書く若手を登庸しようとやっきっだ
それでもいつも肩をすくめて仕事をしていた

経験やお育ちの全く違う方達の知識に脱帽しかなく
当時のきもの評論家の方々をまぶしく見ていた

つづく



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きもの評論家 2

2013年12月13日 09時14分46秒 | 日記
また戦後の建築は
日本家屋が少なくなりモノトーンのビル群となっていった
そうなると町の景色の中で
色あでやかなきものはドウモ景色に合わない

女性達が外で活躍するとなると
殿方と一緒に活動をする
ますます柄と柄をきものは合わせるようなきもののコウデイネーとははじかれていく

そこできものを着ることにかけては造詣の深い
もと令嬢もと姫君達の知恵が必要となってくる
姫君というのは
戦後廃止された侯爵、公爵、男爵、子爵などのもと大名や公家の方々の姫君
令嬢は江戸から昭和初期にかけての豪商の娘達

この方達の階級は日本文化の粋を身につけていたので
「美」に関しての感性は半端ではない
しかもお金もふんだんに使い職人達を啓蒙していた

自分が着たいきものは日本画を見たり(実物を見る階級)
其の感性を職人にぶっつけていたので
職人達も勉強を怠らなかった

しかも季節によってはこう言う素材、柄、色
と言うことも幼少の頃からたたき込まれているので其の知識も披露できる
衣替えのあとの手入れも怠りない

戦前の上流社会では
娘がどんなに落ちぶれた生活者になっても
毅然として誇りを持って生きていける知恵を授けていた
其の教育担当は女中頭ガ受け持った

中流家庭の子女はそう言う家庭に行儀奉公をして
女としての教養を身につけていたのだ

さてまた続きをーー明日
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きもの評論家 1

2013年12月12日 09時36分21秒 | 日記
一世代前のきもの評論家が出現したのは戦後
戦前はみんなきものを着ていたので
評論家という仕事は必要なかったし
それぞれの呉服屋にきものの知識が深い番頭さんがいて
その番頭さんに何でも相談できていた

戦後食べるものがなくなり「きものとお米を交換する」という時代があり
お姫様のようどこかの令嬢のようなきものが手元にきた農家の女達は
其の着方がよく分からない

ソレと同時にアメリカ文化が一気に押し寄せて
女達は着物より洋服に走ってしまった
まだたかだか70年前の話だ

そうしている間にきものもたまには着たいし
親のものもあるし
などなどできものの選び方やコウデイネーとを教える人が必要になった
番頭さん達も戦争にかり出され戦死したり
空襲でなくなったり
またきものの仕事どころではなくきちんとした給料を得るために勤めにでたり

そこで現れたのが昔令嬢や姫君達の「きもの評論家」
各デパートにそう言う方が花形アドバイザーとして君臨していた

戦前の青春時代上等なきものに手を通したかたがたなので
美的センスがすばらしいし
若い職人対への助言も完璧

しかし洋服世代のチャコちゃん先生などは
其の色の氾濫の組み合わせに首をかしげるばかり
「洋服のコウデイネーとは三色でまとめる」と言われて育ったのだから
柄に柄を合わせるきもののコウデイネーとにはついて行けなかった
(つづく)

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bokuはきもののフアッションリーダーになります

2013年12月11日 09時38分04秒 | 日記
勇ましいし力強い
Yさんが昨日初めてオーダーしたきものと羽織が出来上がり
其れを試着して顔が緩みっぱなしで
「きもののフアッションリーダーになります」
と宣言なさった

能州紬の繻子織りの無地
「アルマーニ-色よ」
「洋服では着こなせないけどきものだと何か安心」
と仰る

アルマーニ-がよく使うわさび色グリーンに黄土色グリーン
確かにこの色の組み合わせのスーツは
人生の酸いも甘いもかみしめた殿方しか着こなせないかもしれない
残念ながら年端もいかない若い人にはむりかもーーー

しかしきものにしてしまうと一気に若々しくステキになる
能州紬の織り元の社長や会長はヨーロッパのデザイナーブランドを良く研究していらしたので
こう言う色目が日本人独特の繻子という織物として出来上がったのかもしれない

日本のきものの形を洋服に移し替えるヨーロッパのデザイナーもいらっしゃるが
形ではなく色の組み合わせを研究し
日本の織物芸術に表現することは日本人ならではと思う

「これぞおオーダーですね」
「そう良き者は全てオーダー、自分だけのきもの」
「人生の目的が出来ましたボクはきものフアッションリーダーになります!」
「いよっ」
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絹布は痛みを取る

2013年12月10日 09時50分40秒 | 日記
右手中指を突き指してまだ完治しない
骨折に近い突き指だったらしく一時は帯も結べなかった
昨日は雨が降る前を察知して
どういうわけか関節は低気圧を予告する天才
痛いところはより痛くなる

治療としては紅絹の布を巻いているだけ
たぶん外科に行けば薬とか違った治療法もあるのだろうが
自然の治癒力を信頼し医者にはいっていない

ちょっと痛みも薄らいだので
紅絹を外してやすんだら低気圧接近を知らせるためか
あまりの痛さに飛び起きた
慌てて紅絹を指に巻いたら暫くして痛みが薄らいだ


絹の力恐るべし

昨日癌の手術が無事終わり退院なさった矢沢学園の校長にお目にかかった
お顔に透明感が出て
「なんて美しい!」
と思わず感嘆詞

手術の後お腹にな二重を巻いているので
痛みもあまりなく手術の傷跡も日々薄くなっている
と仰っていた

経験者しか分からないが
絹は活性酸素を消すので痛みを和らげるのは当たり前らしい
セリシンの付いた布は更に働きが強烈かもしれない

蚕が人間に黙ってわたしているものを
私たちはもっと有効に使わなくてはならないとつくづく思う
この突き指は
「絹の力をもっと広めなさい」
と言うことかもしれない
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