無言の表現というのが日本文化の根底にある
やかましく説明をしない
戦後の教育は細かな説明をすることを良しとした
つまり左脳の働きを活発にしたのだと思う
そのため
今は態度や目線でわかってもらおうと思っても無理、全く無理
例えばきもののコート(コートというのも西欧文化が入ってきてからだが)に同じようなデザインの「道行コート」と「被布」というのがある
どう違うかというと
道行コートはまさしく道行くときに着る外出用のコートだ
被布は部屋の中でも着ていられる
どこが違うか
脇に布が足されているかいないかの違い
仕立て方で見せている、そして道行には襟がないが,被布にはある
もう一つ羽織も脇に布が足されている
そうすると部屋の中でも着ていいものとなる
暗黙でわかる仕立ての違いなのだが、部屋着のちゃんちゃんこですら、わきに布が足されている(動きを楽にする)
着物や帯の柄には季節の先取りという文化があり、その柄を見て「もすぐ桜が咲くなあ」とか「菖蒲の季節か」など季節を偲ぶ
それはきものだけに限らず
家の中のしつらえや什器などにも暗黙の季節の移ろいを愛で合う心がある
こういう文化の中にあると
自分の主張を声高々に言い募るということはなく
お互いの言い分を静かに聞き落としどころを考えて着地する
それができる人を
「肚が据わっている」と称えるのが日本の文化なのだが
今は言い負かした方が「勝ち」の風潮
しかしきものは黙って自分を表現する道を歩んでいる
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