チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

母の日

2021年05月10日 10時02分32秒 | 日記
日本でも独自に母の日が始まったのは「昭和6年」1931年3月6日
昭和の皇后陛下「香淳皇后」の誕生日に始まった。その名も「地久節」
成程「天長節」天皇陛下は天長きにあるように「地久節」皇后陛下は地久しく
日本人って言葉を作るのうまい

しかしこれは一般的に母親をたたえるということにならず
昭和12年(1937年)5月8日豊島園で「森永母の日大会」というのが始まったのが「母の日」の始まりのよう
1931年に大日本婦人連合婦人会という組織が全国的に広がり
婦人たちも表で力を発揮するようになったし、女たちの教育に目を向け始めた(いいか悪いかは別にして)

この婦人会は権限を持ち、路上での女子供の取り締まりもするようになった
あねがお稽古に行くのに華やかなローズ色の着物を着て歩いていたら、婦人会のおばさんに「派手すぎる」と注意を受けたと帰ってきて着替えていた姿を覚えている

まその話はまたゆっくりするとして

日本はその後戦争に負けなんでもアメリカという風潮になってからは、母の日もアメリカと同じように五月の第二日曜日になった
もともと日本では端午の節句は
「子供の成長を祝い喜ぶと同時に、母に感謝の日」
ということで始まったのだが、「母の日」が別枠で出来たら、端午の節句から母に感謝は消えたよう

母の日はアメリカに生まれた祝日
19世紀の南北戦争が終わった後、もう夫や子供を戦場に送りたくない、戦争を拒否する母の日宣言から生まれた
その時代の母たちが亡くなったとき、アンナ・ジャービスという女性が母親が好んだ白いカーネーションをに捧げてから母の日を祝う行事が決定したという

ちなみに「父の日」も1910年6月3日にアメリカから始まった
日本ではついでに出来たような祝日だが、アメリカでは、やはり南北戦争で逆に母親を失って戦場から帰ってきたお父さんが「クレーマークレーマー」で子育てをする姿に感謝してできた祝日なんだそうな

戦争は勝っても負けても人の日常を壊すものだ
母の日、父の日には「愛」を深く感じたい
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密会

2021年05月09日 10時15分22秒 | 日記
海が見たい
という強い欲求が時々起きる
海辺で育ったわけではないが、海を見ているだけで気分が上昇する
羊水の中に帰る気持ちなのだろうか

そういう強い思いが在ったら熱海に行くことになり勇躍、ただただ海を見たいだけに小躍りして熱海駅に降りるとなんと豪雨!
ひえっ!
銀ねず色の海を見ながら「明日は絶対晴れる」と言い聞かせてベットへ
ぱっちりと目を開けるとカーテンが明るい
やったあーー
青い空に溶け込んだ熱海の海、どこまでも青く波風もたたず、ただただ水面がキラキラ輝いている

此処のホテルは朝湯が最高!
スキップ踏んで露天風呂へ、湯には太陽が燦燦と降り注ぎ、昨夜の雨で洗われた木々の緑が光り輝いている。そしてどこまでも続く海
極楽極楽
昨夜仕事が終わっているので「なーーんにもない」思い煩うことは何一つない
こういう時間が人にとって一番の宝なのだと思う
このホテルの前身は明治時代のさる貴族のお屋敷だった
そのお屋敷をそのまま利用したホテルで、佇まいが重厚なのに明るくよく着物の撮影に使わせていただいていた
当然連泊しながらの仕事だったが

ある日
「あれっ!」知人が(かなり親しい)奥様でない妙齢な婦人と連れだって車寄せに止めた自家用車から降り立った
車にも見覚えがある
此処にはレストランもあるので、そちらの利用かな?と思う間もなく男はフロントに行って鍵を受け取った
「わーい見ちゃった!」人事なのにドキドキする

謹厳実直を絵にかいたような男と言われていたのにーーーふーーん男ってわかんないものだなあ

翌朝
「朝食は部屋でとる」
「どうした?具合でも悪いの?」
「大丈夫撮影現場にはちゃんと行くから」

此れって友情だよ、朝件の男と顔を合わせたらまずいでしょうがね

そんな思い出のあるホテルだったが
年輪を積んだ楠は残っているが、全く新しい底抜けに明るいホテルに生まれ変わっている

あの男も奥様に先立たれ今は施設に入ってしまった
あえたらあの日の密会の話をして元気付けてあげようかな





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着物が繋ぐもの 422

2021年05月06日 07時51分51秒 | 日記
立夏に入った
夏が来た、さあ単衣の出番
連休中に衣替えの準備をするつもりだったが、原稿書きに追われていた
安藤孝子さんと着物東西というタイトルの共著を出す予定なのだが、此処のところ東西の顕著な違いが薄まって、何か楽しくない
構成をひねくり回しているうちに連休も最後の日となり
あわてて第二章までは書いた

チャ子ちゃん先生が着物の仕事を始めたときは、東西の着物の違いが顕著で、孝子はんとはよく対談をして、論争しあった
京都弁ってかなりきついということもその時分かった

東京の中央で着物雑誌が出版され、多くの着物好きの方たちがその情報を見ているうち、東西の微妙な差が埋まっていったように思う。つまりどっちつかずになっている.。または両方のいい所をとって自分流にアレンジしている方もいるだろう
テレビや雑誌の影響で、また気軽に旅行が出来る、飛行機や新幹線の発達で、地方色というのは薄れていきつつある
みんな同じ方向をむくような生活の仕方になっていて、その地の文化というものが無くなるのは残念だ

土地の記憶というのがあり、その土地に立つと土地が持っている個性が浮かび上がってくる。またその土地の匂いや色があり音もある
そういう中で衣食住の土地の個性があった
その為その土地で育った人はその土地の雰囲気を持ち、着物の好みも着姿もその土地の特徴があった
駅の形も全国区、公民館や図書館などの公の建物は全国一緒、家の作りも一戸建てが少なくなり、同じ箱の中で暮らす。着物の着方も老若一緒。型押しのケーキみたいな日本になっている

最近は表に出ても着物姿の方にはお目にかからない
こういう時だからこそ着物を着て絹の浄化作用を方々にまき散らしてほしいと思う

きもので見る東西の文化の違い
という名目なのっだが「みーーないっしょ」となっている昨今、どこまで東西の違いが出せるのか楽しみではある
それを解き明かすことで、日本をもっと深く知ることになるかもしれないと勝手に期待している

お知らせ
「中谷比佐子のきものひすとりー」を新しい


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周波数を上げよう

2021年05月03日 10時39分08秒 | 日記
地球は完全に五次元に上昇をしたらしい
この地球は今まで三次元の物質世界だったので、金、モノ持ちが大きな顔をしていた
物の価値も、金の価値も下がってきている
次元上昇をすると自分の想いがそのまま現象界に現れるという

こういう研究はドイツの物理学者が長年にわたって研究されてきた
それは意識と物質を繋ぐ究極の科学だという。量子物理学の分野だ
神の存在というとそれが宗教になってしまうが
神そのものが量子ということになると話が違ってくる
「お天道様が見ているよ」
という日本人の魂を揺さぶる言葉こそ量子物理学の基本なのかもしれない

宇宙は高次元になるが
その高次元の存在は「人の個人的欲」の成就は無視する
しかし人の願望が自分自身をみたし、周囲を幸せにし、地球を美しく、そして宇宙に対しての尊厳を忘れなければ、人の願望はことごとく叶う
これがここの周波数を上げようということになるようだ

昔からどんなものにも波動があるといわれていた
だから身の回りには波動のいいものを置いて周波数を上げようとーー
母たちの世代が「安物買いの銭失い」という言葉をよく使っていた
儲けるために作る大量生産の物
奴隷のように人をこき使い人件費を安くしてモノづくりをする


奴隷になった人の悲しい周波数はきっと物に移っている
そういうものを身に付けたり、食したりすることが周波数を下げるということだろうか
だからと言って高いものがいいとは限らない
喜びの中でモノ作りがされる環境を私達は目指さないと、5次元の地球から振り落とされる

まずあなた自身を大切にして、あなた自身の周波数を上げてほしい
それは喜び、幸せを感じる感性の中にある。とチャ子ちゃん先生委は思うね








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コロナにかかった知人の話

2021年05月02日 10時18分37秒 | 日記
用があり一年ぶりに知人に電話をしたのが年明けだった
「今入院しているんですよ」
「あらすみません容態はよろしいの?」
「コロナですよ」
「ーーーーお大事に」

4月の末にお会いした
興味津々のチャ子ちゃん先生、事務的な用はそっちのけで
「コロナってどんな感じなの?苦しい?」
「インフルエンザにかかったことある?」
「ただの一度もないわ、風邪は引くけど」
「インフルエンザの強いもの、つまり全く味がないの、もちろん食欲はない、水を飲んでも味ががない、熱も一気に高くなるので苦しいよね」
「亡くなる人もいらっしゃるんでしょう?」
「大体糖尿病とか血圧が高いとか持病のある人は危険だね」
「お部屋は個室?」
「いや、大部屋だよ」
「それじゃあ閉じ込められてかえって病原菌が増殖しない?」
「だよね」

後から入院してきた人と病状がまるっきり違うので、コロナは一種類ではないと思ったそうだ
治療法も確たるものはなく
点滴で栄養が付き、ゆっくり休養をした感じで徐々に元の体に戻っていく
「これみて、シミが取れたし、手の老人斑点がきれいになくなった。退院して3か月だけど肌もつやつやしてるでしよ?」
「本当ね、肌に艶が出てきてる、どんな薬飲んだのかしら」
「知らんね」

どうしてコロナにかかったのかと経路を聞く
「行きたくない行きたくないと重い足を引きずって飲み会に出たのね、気持ちが沈んでいるから楽しくない。そうすると楽しくなさそうなお仲間と逆に話をするようになる。その人がコロナ菌を持っていたらしく、その人が箸をつけたものを食べたり、お酌し合ったり、ひそひそと顔をくっつけて仲間の悪口を言う、そしてら夜中に熱が出て咳が止まらず、救急車で病院に担ぎ込まれたらコロナと診断」
「そのお相手は?」
「勿論彼のことを話したよ、でも検査したら彼は陰性だった」
「おかしくない?通常はマスクしていたの?」
「そうマスクは意味ないと思っちゃった」
「しーーー」

「ところで費用もたいへんでしょう?保険が効くの?」
「無料だよ、国が払ってくれるんだ」
「えええー全員?」
「そうだよ、だから1銭もかからない、いい休養だった」
「不埒な奴だ、今日はランチご馳走しなさい、私税金払っているんだから(笑)」
「わかった!勿論、ところで仕事の話?」
「食事しながらね」
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