最近『猟師の肉は腐らない』という本を読みました。
山に生きる猟師の生活を、大学教授の著者の視点で描いています。
電気もガスもない土地で昔からの知恵を受け継ぎ暮らしている様が克明に記されていて、実際に接したことのない猟師の生活を垣間見るような内容でした。
この本を読んでいて思い出したのは、3年前に亡くなった、大好きだった祖父のこと。
祖父は私のことを小さい頃からとても可愛がってくれました。私が高校生の頃に祖父が入院生活をするようになってからは、毎日のようにお見舞いと称して会いに行き、いろんな話をしました。そんな祖父は私にとっておじいちゃんでありながら、親友のような存在でもありました。
もう会えないけれど、思い出す度に優しい気持ちになって、今でも勇気づけてくれるたくさんの素敵な思い出があります。
祖父は愛媛の山村で生まれ、晩年入院生活になるまではずっとその地域で生活していました。
本人から詳しい話を聞いたことはありませんが、祖父は農作業の傍ら炭焼きなど様々な仕事をしており、時折猟師が仕留めた猪や鹿などの解体を手伝っていたこともあったようです。
炭焼きの技術はかなりのもので、茶席でも使えるほど上質な炭だったと聞いています。
祖父自身が焼いた炭は今も伯母が大切に保管してくれています。
母たちは猪などの解体を見たことがあるようですが、私は見たことがありません。
(『猟師の肉は腐らない』の中でも書かれていますが、何一つ無駄にすることなく貴重な生命を頂いていたそうです。)
けれど、一つだけ私が実際に見て驚いた出来事があります。
それは祖父が生まれ過ごした村で、一緒に筍を掘りに行った時のこと。
「筍は地中から先端が少しでも出るとえぐみが強くなる。土に埋まった状態で掘りだすのが一番おいしい。それは土を踏んだ時の足裏の感触で分かるんだ。」と言いながら、竹藪に向かって歩いていきました。
「でも、もしかしたら猪が先に食べているかもしれん。猪は鼻が利くし賢いから。」
竹藪の中をしばらく歩いていたら、「やっぱり先を越された!」と祖父が言いました。
私は気付かなかったのですが、よく見るとあちこちに柔らかく掘り返された土があります。(猪は鼻で器用に筍を掘るそうです。)
まだ残っている可能性もあるということで引き続き竹藪を歩き、祖父の足裏センサーが感知したところを掘ってみると、筍のあたまが!
本当にあった!と私が言ったら、祖父はそりゃそうだと呆れ顔でした。
「なんで分かるの?」と訪ねても、「言葉で言えるようなものではない、今の若い人たちには分からんだろうなあ」とだけ返ってきました。
先人の知恵、という言葉をよく耳にします。
24時間いつでも物を買ったり食べたりできる、たくさんのもので溢れている現代ですが、物がなかった時代も人は最小限のもの、最小限の生命を頂くことで、逞しく生き続けてきました。
そこには私達が思いもしないような知恵の数々が生かされていたのだと思います。そして生命を頂くということに対する謙虚さがあったのだと思います。
祖父が電気もガスもない山奥で炭を焼きながらどのように生活していたのか、動物の解体はどのようにするのか、今となっては見ることも祖父から聞くこともできませんが、その事実を知っている人はまだいます。私が出来るのは、その当時の話を聞くこと、その中から、現代にも生かせることを少しでも実践すること。
日々謙虚に、必要最小限の生命を余すことなく頂くことで生命を繋いできた先人たち。
この本を読み、祖父の生きた時代に想いを馳せ、先人たちとそこから生み出された知恵に強く尊敬の念を抱きました。
東洋医学もそんな先人たちの残した知恵で出来上がっています。
純粋な形のまま、少しでも継承していきたいと思いました。
山に生きる猟師の生活を、大学教授の著者の視点で描いています。
電気もガスもない土地で昔からの知恵を受け継ぎ暮らしている様が克明に記されていて、実際に接したことのない猟師の生活を垣間見るような内容でした。
この本を読んでいて思い出したのは、3年前に亡くなった、大好きだった祖父のこと。
祖父は私のことを小さい頃からとても可愛がってくれました。私が高校生の頃に祖父が入院生活をするようになってからは、毎日のようにお見舞いと称して会いに行き、いろんな話をしました。そんな祖父は私にとっておじいちゃんでありながら、親友のような存在でもありました。
もう会えないけれど、思い出す度に優しい気持ちになって、今でも勇気づけてくれるたくさんの素敵な思い出があります。
祖父は愛媛の山村で生まれ、晩年入院生活になるまではずっとその地域で生活していました。
本人から詳しい話を聞いたことはありませんが、祖父は農作業の傍ら炭焼きなど様々な仕事をしており、時折猟師が仕留めた猪や鹿などの解体を手伝っていたこともあったようです。
炭焼きの技術はかなりのもので、茶席でも使えるほど上質な炭だったと聞いています。
祖父自身が焼いた炭は今も伯母が大切に保管してくれています。
母たちは猪などの解体を見たことがあるようですが、私は見たことがありません。
(『猟師の肉は腐らない』の中でも書かれていますが、何一つ無駄にすることなく貴重な生命を頂いていたそうです。)
けれど、一つだけ私が実際に見て驚いた出来事があります。
それは祖父が生まれ過ごした村で、一緒に筍を掘りに行った時のこと。
「筍は地中から先端が少しでも出るとえぐみが強くなる。土に埋まった状態で掘りだすのが一番おいしい。それは土を踏んだ時の足裏の感触で分かるんだ。」と言いながら、竹藪に向かって歩いていきました。
「でも、もしかしたら猪が先に食べているかもしれん。猪は鼻が利くし賢いから。」
竹藪の中をしばらく歩いていたら、「やっぱり先を越された!」と祖父が言いました。
私は気付かなかったのですが、よく見るとあちこちに柔らかく掘り返された土があります。(猪は鼻で器用に筍を掘るそうです。)
まだ残っている可能性もあるということで引き続き竹藪を歩き、祖父の足裏センサーが感知したところを掘ってみると、筍のあたまが!
本当にあった!と私が言ったら、祖父はそりゃそうだと呆れ顔でした。
「なんで分かるの?」と訪ねても、「言葉で言えるようなものではない、今の若い人たちには分からんだろうなあ」とだけ返ってきました。
先人の知恵、という言葉をよく耳にします。
24時間いつでも物を買ったり食べたりできる、たくさんのもので溢れている現代ですが、物がなかった時代も人は最小限のもの、最小限の生命を頂くことで、逞しく生き続けてきました。
そこには私達が思いもしないような知恵の数々が生かされていたのだと思います。そして生命を頂くということに対する謙虚さがあったのだと思います。
祖父が電気もガスもない山奥で炭を焼きながらどのように生活していたのか、動物の解体はどのようにするのか、今となっては見ることも祖父から聞くこともできませんが、その事実を知っている人はまだいます。私が出来るのは、その当時の話を聞くこと、その中から、現代にも生かせることを少しでも実践すること。
日々謙虚に、必要最小限の生命を余すことなく頂くことで生命を繋いできた先人たち。
この本を読み、祖父の生きた時代に想いを馳せ、先人たちとそこから生み出された知恵に強く尊敬の念を抱きました。
東洋医学もそんな先人たちの残した知恵で出来上がっています。
純粋な形のまま、少しでも継承していきたいと思いました。