定期購読している朝刊にエッセイが載っていました。[最後まで無駄 楽しむ余裕]が表題でした。その中で「働かざる者、食うべからず」と は誤訳である。じつは「新約聖書」に由来するが真実は(働きたくな い者は、食べてはならない)とありこれが真実である。この言葉は伝 道者パウロが言った。その時代、人々はキリストの再臨の日が近い と信じ、その時に裁きが行われ、キリスト教徒を迫害する者は苦しみ で報われ、逆に迫害や苦難に耐えている人々は休息でもつて報わ れると信じていた。当時のキリスト教徒たちは、じっと迫害に耐え、 裁きの日に備えて愛と信仰の日々を送っていた。ところが、一方に は、裁きの日が近いのであれば、コッコッまじめに働いても何にもな らないと考えて、怠惰な生活を送る人々もいた。一週間後、一ヵ月後 に大地震が起きるのであれば・・・と考える心境に似ています。そん なふうに怠惰な日々を送る人々に向けて、パウロは、「そうであれば、 あなたがたは食べずに飢え死にすべきである」と云ったのです。 だから働きたくても職のない人や病人らに「食うべからず」と言った のではない、そのような勘違いはしないようにとのことです。世の中 には、どうせすぐに開けるのだからという理由で、いちいちドアを閉め るのを面倒がる人がいます。(補足斎藤一人さんはトイレのふたを閉 め忘れると運が逃げますよ??と言ってます) あるいは、すぐに外出着 に着替えるのだからと、寝間着のまま朝食をする人がいます。それな ら、われわれはどうせすぐ死ぬのだから、毎朝起きる必要はないわけ です。生きているということは、余計な手数をかけることだと考えるべ きだ。
戦国の武将にあることがあって、切腹する直前に、彼は小姓に、「灸 をせよ」と命じた。彼は中風のため、毎日灸をしていた。しかし、いま から死のうとする者が中風のための灸をするなんて無駄なことだ、と 思う人がいれば、その人には戦国武将の美学がわかっていない。 いや、人生の美学がわからないのだ。人生の美学とは、最後の最後 までゆったりと無駄なこと、余計なことをやつてのける余裕だと思い ます。「浜までは海女も蓑(みの)きる時雨かな」 といつた句がある。 海女は浜に着けば裸になります。だから、雨が降っていても蓑なんて 着ずに濡れて歩けばよい。そう考える人は、人生の美学がわかって いないのです。・・・・心に残る一文です。再読のため記載しました。
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