゛まるかん人゛プラトーク

元気とキレイを追求すると、人生は楽しく過ごすことと・・・!?

130年の時空を検証 !?

2008-11-20 15:40:00 | 日記・エッセイ・コラム

10歳の頃、50年先の21世紀を生きて見ることが出来るだろうか、                             ぜひそれまで元気でいたいものと、願望した記憶があります。                                 そんな忘却のかなたによみがえる、記憶の原点は4歳の不確実                               ではあるが、6月頃のことです。日本海に面した片田舎、望来の                               小高い海岸線から南西方向の地平線上で、飛行機での空爆を見                              ていました。それは映画の一コマではなく、紛れもなく実写でその                              光景は、60年経った今も脳裏に鮮明に焼きついています。その次                              に表れる画像は、家族でラジオから流れる玉音放送を聴いている                              風景です。そう記憶の原点のスタ-トは終戦の年、1945年8月か                               ら半年前ぐらいのようです。父や母の生きていた年代と、その時代                               の背景とを照らし合わせたとき、近代史は父母の深い愛と重なって、                             近代国家創設に関わった人達とは違う、一般庶民の喜びと悲哀を                               認識できそうです。130年と言う歴史認識を現実的と捕らえるか、                              ここで最も長生きしたと伝えられている人の、経歴を再認識してみ                              ましょう。その方は「ト-マス・パ-:西暦1483年~1635年11月                              15日、享年152歳」オ-ルドパ-という有名な洋酒のラベルに画か                             れている老人です。実在したと言われる時代の日本での背景は、                                武田信玄、織田信長、豊臣、徳川などの活躍した戦国時代で豊臣                              家滅亡の後、島原の乱が起った頃に当たります。では今から152                              年前とはどんな時代だったのか・・・。過去に生き抜いた方が現実                               として、存在したと言う認識で振り返るとき、あながち遠い過去の、                              忘却の出来事とは思えなくなる気がします。

父の誕生した明治30年代半ば、札幌は人口約4万5千人位とのこ                              とです。当時の地域は、現在の中央区相当のようです。それから更                             にさかのぼる、明治5年(1872年)、今から約136年前にそれまで                             の大陰暦と太陽暦との混合された暦を、太陽暦に統一されたとのこ                             とです。1872・12・03を1873・01・01(明治6年元旦)に制定。                             月を基準にしていると1年間の日数が太陽との誤差を生じ、修正し                              ながら併用していたのを太陽暦に統一したようです。それにしても、                             突然1ヵ月位がなくなったとのことです。現在、何の疑問もなく日常                              使われている、日々の生活の規範になっている暦も、旧暦の行事な                             どの明記によって伝承されています。たが、一般的には深い知識で                             行事を理解しているのは、一部の人たちだけでしょう。だが、こんな                              身近なことからでも、探求しまた父母や祖父母、祖祖父母らの育ち、                             生きた時代を省みた時、現実に百歳を生きてきた人たちが珍しくなく                             なりつつある昨今、それよりも少し前えまで二本差しでチョンマゲを                              結んで闊歩していた人たちが巷に存在していたことに驚愕します。                              130年前、1878(明治11)年札幌時計台が創建された年です。そ                             の時計台は3大がっかり観光施設と言われていますが、建設当時か                             らの場所に現存していることに価値を見い出して欲しいものです。当                             時このあたりが北大農園で、多分この建物はあたりとの調和が図ら                             れていたものと思われます。北大の敷地内に第二農場が文化財施                              設として残っています。初期の場所からは少し移転したようですが、                              米国流の風情が感じられ時計台とリンクスした時、その後の130年                             の中心街の変遷に、時代の重さを感じとることが出来そうです。                                      幕末から現在を、西暦と和暦でさかのぼって見ると近代史が身近な                              ものとして認識でき、そこに新たな感情が芽ばえるのは私だけでしょ                             うか?                                                                  平成20年(2008)、昭和64年(1989)、大正15年(1926)、                               明治45年(1912)、慶応4年(1868)、元治2年(1865)、                                 文久4年(1864)、万延2年(1861)、安政7年(1860)、                                  嘉永7年(1854)、弘化5年(1848)、天保15年(1844)~                                  

●和暦年度は初めと最終年は同じ年の中で入れ替わっています。                              ●明治の初めごろに西暦年表が採用されています。そのために旧暦                              とは月日が一致しませんが古文書に記載されている月日をそのまま                             採用し頭に西暦を冠している資料を見かけますが、当時の実月日と                              今日とは違うことを認識して理解することが必要なようです。

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