昔は「都府楼跡」と言ってたのに、40年ぶりに福岡に戻ると「太宰府政庁跡」と名称が変わっていた。
確かに「都府楼跡」では分かりにくいかもしれない。
なお、西鉄の最寄り駅は今も「都府楼前」という駅名のままだ。
「都府楼」は太宰府の唐名である「都督府」からきているらしい。
太宰府は、九州を管轄し、大陸に対する防衛・外交を司る行政機関だった。
朝鮮半島での白村江の戦いで大敗を喫したため、唐・新羅連合軍の侵攻に備え、太宰府を守るための「水城」を築き、「防人」を招集・配備した。
その後、遣唐使派遣の拠点にもなった。
右大臣であった菅原道真が太宰府に左遷され、その死後、菅原道真を祀る太宰府天満宮が創設された。
鎌倉幕府の成立により律令制度下の太宰府政庁はなくなり、他方、太宰府天満宮への信仰が高まり門前町が栄えたことから、今は「太宰府に行く」といえば、太宰府天満宮に行くことを指している。
坂本八幡宮
地元の少数の人だけが訪れる目立たない神社だったが、元号「令和」ゆかりの神社ということで一躍有名になり、今は多くの人が訪れる。
「令和」は、万葉集に収められた、大伴旅人が自邸で開催した「梅花の宴」という歌会の序文が典拠とされ、坂本八幡宮は大伴旅人の邸宅跡とされている。
水城
日本書紀「・・・。また、筑紫国に大堤を築き水を貯へしむ、名づけて水城と曰ふ」