くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

アヴィニョン フランス・プロヴァンス地方

2012-08-06 10:33:09 | 




1309年にローマ法皇5世がローマでの派閥争いが嫌でアヴィニョンに移り法王庁を置き、
 70年間カソリックの中心地として教会・礼拝堂・修道院ができた
 フランス第2の都市

★法王庁は、内外ともすばらしい建造物で、彫刻もいたるところにおかれている



★教会内部の天井を見上げ、そして祭壇に黙とうをささげていると、すっとドアが開き一人の
 牧師様がはいってこられた
 彼は静かに私の前を横切る時、「ボンジュール マダム」と小声で言われ頭を少し下げた
 そして、少し離れたところにいた男性にも「ボンジュール ムッシュ」と声を掛けて通り
 過ぎ、一瞬の出来事とはいえ、深く心に響く言葉を聞いた



★「アヴィニョンの橋の上で」の歌で知られるアヴィニョン橋、ローヌ川はアルプスからの
 水が流れ水量豊富、橋をかけるのは困難を極めた。ある時羊飼いに「アヴィニョンに橋を
 かけなさい」と天使のお告げがあり、人々に伝えるが誰も信じない。そこで人々の前で
 祈りを込めて大きな石を持ちあげ、この言葉を信じた人々により1774年に橋がかかる
 青年はサン・べネゼ聖人と呼ばれている



★旅でであった同年のお二人様、その節はお世話になりました。旅を楽しまれましたね~
 すこし遠景で小さい写真になりましたが、UPしておきます

 

カシス・セザンヌの道  フランス・エクス・プロバンス

2012-08-01 10:25:46 | 



小さな港町
旅人は海風に吹かれたり、夕日を見たり



セザンヌの像


セザンヌの好んで60数回も描いた岩山・サント・ヴィクトワール山





セザンヌの散歩道の広場



エクスって湯のことだって。
 ぬるい湯が街のあちこちで出ている街
 紀元前から湧水が多いこの地方は120ケ所以上の噴水がある

★1486年にはフランス王領になり、16世紀には金持ちが集まるようになる

★セザンヌは帽子屋の子で、私生児として生まれる(父親は銀行家)
 5歳で籍はいれてもらえるが、街の人たちにはなじまずに生涯を終える

★他に昆虫学者のファーブルも生まれている
 44歳で仕事をやめ、昆虫の世界に入り99歳まで虫の研究をしたそうです

シャガール美術館 フランス・ニース

2012-07-30 14:21:52 | 




美術館入口のアプローチ



★半日の自由行動があり、ニース市内のシャガール美術館に行く
 バスで中心から15分ほど。バス停から美術館はすぐそば。
 バス代 1ユーロ
 入館料 4ユーロで無料音声ガイドがあり感激する。
 (パスポートと交換で少し驚くが)



★ロシア生まれ(現在ベラルーシ)でユダヤ人、
1947年にパリへ戻ったシャガールは、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得。
 1952年、当時60歳台のシャガールはユダヤ人女性再婚し、1960年、エラスムス賞受賞。
 当時のフランス共和国文化大臣でシャガールとも親交のあったアンドレ・マルローはオペラ座の天井画をシャガールに依頼。
 これは1964年に完成。
 1966年、シャガールは17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈した。
 マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、
 ニース市が土地を提供する形で、1973年画家の86歳の誕生日に、ニース市に
 「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」が開館した。
 1966年から20年近く暮らし生涯を終える

 毒舌家としても知られ、同時代の画家や芸術運動にはなかかな手厳しかったといわれている
 特にピカソに対しては極めて辛辣な評価を下しているが、ピカソと仲が悪かったわけではなく、
 むしろ、ピカソにしては珍しく、けんかをしないほど仲がよかったともいわれる

ニース フランス・コートダジュール

2012-07-29 16:39:52 | 



イギリス海岸では、リゾート客が楽しんでいる


さすが農業国 見慣れた野菜も揃っている


果物もおいしい!!


ステンドグラスのマリアさま



★地中海性気候で、夏季の長期休暇(バカンス)を過ごすフランス人や他の国の観光客が多数訪れる。
 主な都市にはニース、アンティーブ、カンヌ、モナコなどがある。とりわけ、国際空港のコート・ダジュール空港を
 持つニースは、コート・ダジュールの中心的な都市。

アルル  フランス・プロバンス地方

2012-07-27 22:09:12 | 





1世紀末ごろに作られた円形闘技場

ここでは、ローマ帝国時代、奴隷と動物の戦いや、奴隷同士の生死を分けた戦いがありました
現在は修復中で世界遺産登録されています





旧市街の中に古代ローマ時代の劇場があります。
 現在残っているのは階段状の座席と一部柱だけです。

★収容人員は2万5千人 イタリアの闘技場の半分の大きさ


 
古代劇場も修復中



子どもたちが舞台を使ってダンスのレッスン中


教会の内部






★ローマ帝国時代の遺跡を残す街で、紀元前にカエサルが小ローマを築き植民都市となった


フランスの各地では、こんな可愛いチューチュートレインに乗って、観光地をめぐる



ラベンダーの花も真っ盛り


原発大国のフランスで風力発電が並んでいた
















アルル  フランス・プロヴァンス地方

2012-07-23 22:02:12 | 




アルルと言えばゴッホ
風土・気候が気に入り、1年2ヶ月ほど住む
弟に「日本のようなところ」と手紙を送る(日本の憧れ)

そして
芸術家村を作ろうと友人たちに手紙を送るが、ゴーギャンのみ
アルルにきてくれたそうだ

理由の一つに温暖で明るいところ、美人が多いこと 民族衣装もかわいい

しかし
ゴーギャンと大喧嘩をし左耳を切り精神病院に入院



精神病院の中庭


花がきれい


明るい光の中に緑の大木






ローヌ川にかかる跳ね橋(ゴッホの絵により再建された)


周辺の景色




夜のカフェテラス









この路地もゴッホは散歩していたのか





アルルの市民に奇行が元で追放されアルル郊外の精神病院で死亡














カルカッソンヌ  フランス・シテ コムタル城

2012-07-19 22:41:58 | 






カルカッソンヌ (Carcassonne) は、フランス南部の都市、太西洋と地中海の交通の要所。
 古代ローマ時代に要塞都市が建設された。

★ピレネー山脈を望む川沿いの豊かな土地には紀元前6世紀にガリア人が住み始め、オード側の
 土手の頂に最初の要塞が作られたのは紀元前3世紀のこと。
 支配者は次々と代わったが、フランスとスペイン間の交通の要塞であったため、1659年にピレ
 ネー条約が締結されるまで、要塞として重要な役割を果たしてきた。
 条約締結後は要塞としての役割がなくなり、次第に廃墟となる。

★カルカッソンヌの丘の上の旧市街が「シテ」。
 二重の城壁は総延長3キロメートル。古いものは6世紀に西ゴート族が、新しいものは
 13世紀にフランス国王が造ったもの




★規則的に石が積まれている部分が13世紀のもの。ガリア・ローマ時代のものは石が小さく、
 レンガが混じっていることもある
 争いがあるごとに増築され、シテは難攻不落の要塞となる
 11~12世紀には領主がカタリ派に友好的だったために十字軍に攻撃され水路を断たれて
 屈強な要塞も15日間で落城。フランス国王に献上された

★サン・ナゼール大聖堂。
 外廊はロマネスク様式、中はゴシック様式でステンドグラスも美しい












★1659年にスペインとの国境問題が解決すると、シテは要塞としての役目を終えて放置さ
 れる。 再びシテの建築・芸術的な価値が再認識されたのは19世紀のことだ。

★19世紀になってそのシテに注目したのは作家で歴史記念物視察官をつとめていたメリメ。
 (カルメンの作者)建築家ヴィオレ・ル・デュックの手により復元作業がされた。
 現在では城壁内に1000人ほどの住人が住んでいる

★街の名前カルカッソンヌは、カール大帝がこの都市の攻略をあきらめ退散するときに、当時街を
 治めていた女が勝利の鐘を鳴らした ことに由来する



★1997年にカルカッソンヌは世界遺産登録されました


★カルカッソンヌは夜間ライトアップされているので、この時間でもまだ明るい城塞を見学







★見学している途中から暗くなり初め、ライトアップ、内部の見学は翌日に





★そしてデイナー







★翌朝カルカッソンヌ駅まで散歩

カルカッソンヌ駅


駅前の川(オード川かな?)


駅に列車が・・・・・)


下車して来た人たち


駅前の風景















ロカマドール → フランス・トゥール

2012-07-16 01:01:21 | 
神聖な雰囲気に包まれるロカマドールへ
そこには、ノートルダム礼拝堂があった


1166年に村の聖堂近くで白い遺骸が発見された。ユダヤ教から新たな宗教的な考え方を唱えたイエスがエルサレムの裁判で死刑を言い渡され十字架を背負いゴルゴダの丘に向かう道で、嘆き悲しむ(聖)ベロニカが手渡した布でイエスの汗をふくとイエスの顔の陰影が布に残りその後「聖顔布」として知れ渡りました。
ロカマドールで発見された遺骸は、その(聖)ベロニカの夫である陰徳の聖人アマドールの遺骸だったそうです

この遺骸発見後、この地もモン・サン・ミッシェル修道院やブルゴニュー地方のヴェズレー修道院などと同様に「聖地巡礼地」となったそうです








12世紀のロマネスク様式の大聖堂。聖堂内には伝説の「黒いマリア像」があり、
現在も多くの人が訪れている






オイル蝋燭に火をともして旅の無事を祈りました




巡礼者がつけるホタテ貝の壁飾り




★トゥールはロワールの中心都市 城域が少し残っていて13~4世紀にできたゴシック建築の
  教会がある巡礼の地で聖マルタン(守護聖人)の墓があり、墓に手を触れると病が治ると
  いわれている

★マルタン=ローマ軍の騎士、ある寒い夜「こじき」にあいマントを半分に切り分け与える。
  その夜マントを着たキリストが現れる。
  マルタンはその時からキリスト教徒になり布教に励み守護聖人とあがめられる

★フランスからスペインのサンチャゴへの巡礼の折は、ホタテ貝を持ち巡礼するのが
  習わしとなっている

★途中で「リモージュ」の街を通過、ここはルノアールの生まれた土地、焼き物の街、
  芸術の街です

★映画「ダビンチコード」に出た「黒いマリア」はノートルダム大聖堂のマリア様です

★ワインは』南へ行くとロゼが多くなる

★フランスパンは水と塩と小麦が重要で、フランスはこの3つのバランスがいいそうです

★フランスでは共働きが主体で男女同権は当たり前

★コーヒーカップが大きいのは、硬くなったパンを飲み物に浸して食べるから、
  もちろんさらに残っているソースにつけても食べますが 




     



アンボワーズ → フランス・ロワール地方

2012-07-15 22:08:52 | 
青々とした放牧場を眺めたり



ロワール地方の古城を巡り
ローマ時代にはロワールの川に橋をかけるのはとても難しかった
そして流通のための通行税を徴収するための城塞がたくさん必要だった。後に城に変わる




ひょいと出てくる町角のカフェーと出会ったりしながら



ロワール川を見下ろす高台にそびえるアンボワーズ城(世界遺産)に到着
この城ではシャルル8世が生まれ育った城で、とても愛着を持ちイタリア建築を取り入れて作られた




今は立派な橋もかかっている





レオナルド・ダ・ビンチがアンボワーズ城を眺めながら構想を練る像が対岸にあり
その対岸からアンボワーズ城を展望する



レオナルド・ダ・ビンチはこの土地に3年間住み、城の設計をしそして死亡。墓はこの土地にある




ロワール川には鴨の親子がのんびりと・・・・・




曇り空に気球がすーっと上がり、明日は晴れるかな~



言い伝えでは、美人がこの城に来ると幽霊が出て「頭に気をつけてください」というらしい
 ただし あくまでも美人であること・・・・・

★温暖な気候での土地で、赤ワインが有名(おいしかった)
 
★1階から3階までは窓はなく、城塞の面影を残している
 通気性が悪く石造りのため、冬は寒い。そして暗いのを改築して城として使われた

ブータン・ウォンディ・フォダン・ゾンが全焼

2012-07-10 10:24:38 | 
6月24日 ブータンの遺産ウォンディ・フォダン・ゾンが全焼

私がフランスへ行っている間の出来事でした
帰国後も、暫く知らなくてYさんからの情報で知った

修復中のゾンで374年前の板葺屋根のゾン
板葺屋根はここしか残っていなかったそうです

現在は、神聖な仏具・遺産はかろうじて持ち出されたそうですが、大事な経典や国勢調査の書類などはすべて灰になったそうです

原因は、電気系統のショート・漏電らしいのですが・・・・・



3月20日撮影の全景





工事現場
















ゾンへ行く途中の学生さん



ゾンの周りには棚田がありました




「形あるものは、いつかは無くなる」

わかっているけれど残念です・・・・・