くに楽

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徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之五拾四

2012-08-20 22:36:23 | はらだおさむ氏コーナー

                 
なんであったのか、この四十年      


  わたしはいま、加古隆のCDを聴きながらこの小文を書きはじめている。

  わたしがはじめて加古隆に会ったのは、上海音楽庁(コンサートホール)の楽屋であった。96年の秋のこと、上海の友人が日本の有名な音楽家と紹介してくれたが、わたしはそのときまでかれがNHKスペシャル「映像の世紀」の作曲家であるとは知らなかった。
  満員の会場の一番前に友人と座り、はじめてそのピアノが奏でる調べに引き込まれた。
  帰国後、わたしは知人たちのフアングループに加わって、京阪神で開催のかれのコンサートを数年追っかけた。サイン入りもふくめ、いまも手元に十数枚のかれのCDがある。
  96年の中国公演は、国際交流基金の主催によるものであった。このときは、中国公演(北京、上海)のあとスリランカ・インドなどへの公演旅行が続いたはずである。
  
  それから十余年後の、上海万博のとき。
  在上海日系コンサル会社の創業者・菫事長であるわたしの知友が、玉三郎主演、上海昆劇団・蘇州昆劇連合公演の昆劇「牡丹亭」の開催に深くかかわり、これを成功させた。なによりもすごいのが「人間国宝」玉三郎が、昆劇のセリフをすべて原語で語り、演じたことである。日中の文化交流もここまで深化したかと思わせるできごとであった。
  そして昨年の5月、日中韓三国首脳会議で来日中の温家宝総理が、会議の合間を縫ってSMAPのメンバーに会ったこと。上海万博会場での公演が「あの事件」で流れ、そしてこの年の秋、北京公演が確定していたSMAPは温家宝総理に♪世界にひとつだけの花♪を中国語バージョンで披露したのであった。

  七月末に白内障(両眼)手術で数日入院したとき、わたしは加古隆のCDをベッドで聴きながら、過ぎし日々を思い出していた。
目がすこしはっきりと見えるようになった。
今年は9月に日中国交正常化四十周年を迎える記念すべき年でありながら、日中双方の世論調査ではお互いに好感情を持たない比率が過去最高、つまり両国民、とりわけ日本人の対中感情は悪化の一途をたどっている。
  四十年前のあのとき、百貨店の「大中国展」会場で正常化実現のクス球が割れた時、手を取り合って涙したのはなんであったのか。

  いま加古隆の「パリは燃えているか」を聴きながら、考えている。
これは前述NHK「映像の世紀」のオリジナルサウンドトラックである。
  独仏国境の街ザールは、普仏戦争のむかしから互いに領有権を主張して二度の大戦の発火点となり、戦場となった。そして、いまは不戦の誓いも新たに緑したたる独仏公園になっている。

  尖閣問題は、来年三月地権者と国との使用契約期限が満了したとき、新たな局面をむかえる。
  このとき、日本の対応いかんで中国の“憤青”たちが日本大使館や企業を襲撃する事件がおこらないとはいえない。東京の中国大使館などを取り囲むひとたちの動きも出るかもしれない。両国の交流は、民間ベースも含め一頓挫するのは目に見えている。それを承知で、拱手傍観していていいのか。
  不測の、偶発事件を避けるために両国首脳間にホットラインはあるのか。
  この島を、平和と友好のシンボルの島にするための話し合いはどの程度進められているのか。犬の遠吠えでは、困るのである。

  ビジネスと政治の世界は異なるだろうが、交渉ごとの基本は同じではないだろうか。
  わたしの経験から、交渉では大いに論争し、喧嘩をすべし、といいたい。
  そのなかで、お互いの本音と妥結点が探り合える。そのときの鉄則は、ケンカをしても憎しみあってはならない、ということである。
  80年代初めの、まだ合弁企業実施細則もないころのこと。
  上海での日系製造業合弁契約第一号交渉のとき、あまりにも高飛車な、無理難題な相手の要求に、ホトケの原田さんもついにキレてテーブルをたたき、
 声を荒げた。先方の責任者は席を立ち、姿を消した。交渉決裂かと腹をくくったとき、相手はヒルメシにしようと誘ってきた。無言の、まずい食卓であったが、ふと見ると隣席で先ほどまで大声で遣り合っていた海外華僑と公司の担当者が談笑しながら箸をつついている。交渉(ネゴ)術を教わった気がした。そして、たとえまずい食卓であれ、席をともにしたことは交渉継続のサインを出したことになると思った。

  アモイの目と鼻の先に台湾領の小金門島がある。
  朝鮮戦争休戦後の58年、アモイから台湾の前線基地兼司令本部のある金門本島に数十万発の砲弾が打ち込まれ、小金門島は「大陸反攻」の前哨基地であった。わたしがはじめてアモイを訪れた86年9月では、午前中は小金門島からジャズが流れてきて、アモイからは午後京劇の唱(チャン)が拡声器で伝えられる音楽の応酬になっていた。二回目の訪問の92年にはそれもなくなり、沖合いには中台の軍艦が双方の漁民の密貿易(辺境貿易?)を見守っていた。いまはアモイから金門島へフェリーがひっきりなしに行き交い、小金門島には「大陸反攻」に代って「三民主義 統一中国」のスローガンが岸壁に書かれている。軍事対立から、今日の状況まで数十年の時間がかかっている。

  来年の三月、地権者から尖閣諸島のいくつかの所有権が東京都経由で国に移転するであろうそのとき、日本政府は中国と対立を激化させるだけでいいのか。わたしはこの島を平和と友好のシンボルにするため、中国と積極的に交渉すべきではなかろうかと思う。
  まず周辺航行の船舶の安全のため灯台を設置する。そして、緊急時のためのヘリポートの建設と台風など悪天候時の緊急避難港をつくり、国籍を問わずあらゆる船舶の受け入れを認める。この費用と管理は日本が行うが、その運用などは適宜関係諸国と話し合っていけばいいのではないだろうか。
  日中両国にとっての「核心的利益」とはなにか、大局的な見地からみれば08年5月に胡錦涛主席と福田康夫首相が署名した「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」の誠実な履行こそが求められるのではないだろうか。これが一番最近の、国としての約束ごとになる。
  そのために政府は当然、企業家も学者も、各界各層の団体・市民も、40年前のあのときのように熱意を持って問題点を整理し、話し合いを進めるべきではないだろうか。いまは40年前と違っていろんなパイプが存在しているはずである。日中間の危機的状況は、話し合いのなかで解決されなければならない。

  加古隆のアルバム「静かな時間」に収録の数曲は、上海生まれの世界的二胡奏者・姜建華(ジャン・ジェンホア)とのコラボレーションである。ピアノと二胡の合奏によるその調べは、「パリは燃えているか」よりこころを慰めてくれる。日中関係のあすもそうであってほしいとおもう。
                 (2012年8月15日 記)
   「パリは燃えているか」http://www.youtube.com/watch?v=Iv-FTxisEpM

パリ ルーブル美術館

2012-08-20 08:54:37 | 




ちょうど日曜日で入館料は無料
その分 来館者は多い
音声ガイドも無料
日本語の配置図も手に入れ
お目当ての展示物を先ずは見ようと頑張った!!

残りの時間は
彫刻と彫像の部屋から離れることはできなかった

勝利の女神 ニケ




ミロのビーナス







いい時間でした!!