くに楽

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思い出すこと

2013-08-25 15:04:01 | はらだおさむ氏コーナー
 『毛沢東 その詩と人生』はわたしの長年の愛読書であったが、著者(武田泰淳との共著になっているが、かれは序文のみの由)の竹内 実先生の謦咳に接したのはまだ十数年前のことである。
 日中関係学会の設立発起人のひとりであった高橋正毅弁護士が若くして病魔に倒れたあと、かれの事務所にあった関西日中関係学会の連絡先がわたしの大阪府日中経済交流協会に移り、当時関西の会長を務めておられていた竹内先生とお目にかかる機会がふえた。ほどなく先生から次期会長就任の要請があり、お引き受けしたものの病気がちでかえって先生のご負担を多くしていたと思う。京都はもちろんのこと、大阪や神戸での会合にもよくご参加いただき、姫路獨協大学で開催した全国総会のあとの記念セミナーには全面的にご協力を賜った。
閉会後、姫路日航ホテルで一夜をともにしたが、その節いまは絶版になっている前掲書の再版はむずかしいので、新しい漢詩辞典を書いているとのことであった。後日先生の署名入り『岩波漢詩紀行辞典』をいただくことになった。

 先生は単なる中国文学者ではなく、エッセイストであり、文芸・映画の評論家でもあった。
 わたくしごとであるが、国慶節60周年のとき、上海のある日本語雑誌から寄稿を求められ、最終的には当局の検閲で不掲載になったことがある。あとから思えば、その内容にふたつの課題があったと思う。そのひとつは、90年の「浦東開発宣言」以後の改革開放が「6.4」を起点としているという指摘であり、もうひとつは上海証券市場に上場の60%以上の銘柄が国有企業関連の
ものであるから、市場操作はあるだろうがかれらが火傷をする相場展開はないだろうという見解であった。わたしは稿料はいらないからと原稿の返還を求め、後日メールで友人・知人に「ボツになった原稿」と題して発信した。竹内先生にも事情を説明して郵送でお届けした。後日先生にお目にかかったとき、つぎのようなアドバイスをいただいた。読者にいろんな情報を提供するとき、その材料だけでいい、結論は自分で述べる必要はない、読み手がいろいろ考え、自分で結論を導き出すようにすればいい、と。以後わたしは先生の含味をかみしめ、そうありたいと努めているが、まだ若いのか?つい感情にまかせて大上段に結論を出そうとしてしまうことがある。まだまだ修行が足りないと恥じ入る。

 『竹内実[中国論]自選集』三部作(桜美林大学北東アジア総合研修所)は先生最後の集大成の作品である。わたしは特にその[三]<映像と文学>に惹かれ、座右の書としている。
 まだまだ先生に教えを賜りたいが、先生はすでに「死すとも朽ちず」の途にある。謹んでご冥福をお祈りする次第である。  合掌