秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

秋カラス

2009年09月02日 | Weblog
九月一日、今日は祖谷の風習の一つ、
『燈籠あげ』
八月の一日から新仏さまのお位牌の側に飾っていた、燈籠を片付ける日。集落ごとに少しだけ違っていて、昨日片付けたお家もあった。今は一年、または二年飾った燈籠を、お墓の側で燃やしたり、川で燃やしたりしているが、昔は川に流していたらしい。人口の減少と共に、やがては、数々の美しい風習も消滅してしまうんだろう。『白黒写真』のような昭和初期の祖谷の姿が、少しずつ色を変えていく。


私は学生時代から、病弱の母の代理でよくお葬式、お悔やみに行かされた。
父を亡くしてからの母は、外出を極力嫌った。
「〇〇集落の、〇〇さんの家に行って、お悔やみ言うて…仏さん拝んで来て」
母は、そう言いながら、黒のしの袋を私に渡す。
私は開口一番、決まって最初に聞く。
『〇〇の家ってどこ?仏さんって、誰?誰が死んどん?』
母は、短く一言、行けばわかるからと言うだけだった。中学を卒業した頃だったか、初めてお通夜に行かされた時、無駄だと判っていながら、母に必死になって断った時があった。挨拶の仕方も解らなかった。
「…みんなのするように、真似したらわかる…。後ろにおって、前に座った人が言うように、真似して挨拶したらええわ」
母は、物静かにただそう言うだけだった。今になって感じるが、きっと、母は煩わしく思う事から逃げていたんだ。
私は、集落の大人に交ざって、人生最初のお悔やみに行った。
一種異様な風景だった。話した記憶さえない、死んだ人。そばを囲む、家族か親戚?線香の湿った臭い。前に座った近所のおばさんの肩ごしに、見え隠れした、初めての異様な光景。
お悔やみの終わった人から、自然に席が入れ代わる。黙ったまま、入れ代わる。
前に座る、近所のおばさんにしっかりとくっついて、私は無言の移動を真似していた。
さあー、問題はこれからだ。
しっかりと聞いて、真似をして、お悔やみを言わなければ、帰れない。
お辞儀の仕方?何回なんだ?誰と誰に、お悔やみを言うの?
頭の中は、灰色に近い白!私は、神経を集中しながら、前のおばちゃんの〔口元〕を見た。聞いた!人生初の、お悔やみの言葉!祖谷地方のお悔やみの言葉。小声で連ねる、お悔やみの言葉




「まあ…、こんばんは…今日はこちらの……………………がようなかったんじゃって………」


………は、お辞儀をしていたあいだで、耳に聞こえたのは、それだけだった。
まるで、クチパクそのもの。

いざっ、私の番!



見事に



言えなかった。
最初のこんばんは までは言えたのだけど、あとが全く全く、言えなかった。むかーし、むかーし、流行った『水のみ鳥』コップの水を吸ってお辞儀だけを繰り返す、あの鳥の置物のように、
ひたすら、お辞儀だけを繰り返した。
しかも、達の悪い事に、家族の方々の、目を見ながらのお辞儀!首の関節だけが、前後していた。



あれから30年ーー
今ではすっかり上手になった、塩加減ならぬ、『お辞儀加減』
『声加減』

加減を知らずに鳴いている、秋のカラスの鳴き声が、何故か祖谷弁に聞こえながら、祖谷の山々に、今日もこだましていた。