祖谷地方の、葬送の古い風習のひとつに、
『オオジョウイシ』と『オガミイシ』がある。
オオジョウイシは、六角の棺桶を、埋めた後から、土を被せて、その上に置く、厚さが10~20センチ位の、平らな石。
オガミイシは、その平たい石の真ん中に、据わらせるように置く、両手で軽く持てる位の、小さな二等返三角形をした石だ。
爺やんのお葬式の朝、叔父が、私を河原に連れて行った。
「川へ石探しにいくか?」
と聞かれて、訳が解らないまま、山を下りて、付いて行った。
叔父は、私の母親の弟で、私とは27才の年齢差。大の酒好き。私も、従姉妹達も、この叔父さんには、『さん』という敬語を付けないで、なぜか呼び捨てにしていた。
今、考えると、全く失礼な話だ。
『おじよお!』
と呼んでいた。
30分かけて、河原に着いた。
叔父は、石を抱えては、置き、ウロウロと同じ動作を、繰り返していた。私は、少し後から、叔父に付いて歩き、聞いた。
『何しよん?』
叔父は、三角形の小さな石を、私に見せながら、
『爺やんの石の上に、乗せないかんのぞ』
と答えた。
暫くすると、叔父は、『これでええわ…、中々丁度のはないのう…』と言いながら、大事そうに、石を抱えた。
私は、私で、三角形の石を見つけて、叔父に見せた。
「どうせ、ダメなんだろうな」
それ位の軽い気持ちで、見せた。
叔父は、一言、
『お~、この石、ええのー、よう見つけたのー』と声を上げて、すぐに私の手から、受け取った。嬉しかった。
爺やんのお墓に、墓石が出来るまで、置かれた、そのオガミイシは、叔父との、貴重な想い出だ。
私は本来、同情と言う言葉は、余り好きではない。
しかし、叔父の人生を顧みる時、心から胸が締め付けられる。
叔父は、28才の時、婿養子として、17才年上の奥さんと結婚をした。奥さんの実家は、酒屋兼、雑貨屋。
奥さんに、ひたすら、惚れられたという、私からみれば、
「色男、金と力は……」のパターン。
元々、酒好きなのに、酒屋に婿養子に入れば、もう誰も止められない。歌が上手で、ギターが上手いとなれば、鬼に金棒!
結婚して、すぐに女の子を授かった。しかし、幸福の調べは、いつまでも、続かなかった。突然に、ギターの糸が、切れるように、突然の不幸が、叔父夫婦を襲った。
酒屋は、道路に面していた。家の前は、バス停。
女の子は、愛らしく、二歳のヨチヨチ歩き。近所の人からも、可愛がられた。
いつもの夕方の時間。定期バスが、止まった。乗客が下りる。運転手は、顔なじみ。軽い世間話をして、
発車と同時に、
悲鳴が起こった。
即死だった。
誰かが、抱いているだろうと、油断していた、悲劇の結末だった。
それから後、妻が亡くなるまでの九年間。
叔父は、酒びたりになった。
私と河原に行ったのは、死別した翌年だ。
爺やんの死を境として、叔父は、故郷を捨てた。徳島市内で、ひっそりと晩年を過ごした。
内縁の女性に、口癖のように漏らしたという、
「無縁仏には、なりたくない…」
の言葉。
叔父は、一度だけ祖谷に、ひっそりと帰った事があった。徳島市内の、知人のつてで、祖谷に入る行商の人の車で、家族で暮らした、家を見て、帰ったらしい。
「祖谷を見れたら、充分だ」と言ったらしい。行商の人が、後で、近所の人に、話したと言う。
叔父の瞳には、何が映ったんだろう。悲劇が、起きなければ、永遠に続いただろう。幸福な家庭生活。
もし、生きていれば、私よりひとつ年下だった。
叔父は、61才で、ひっそりとこの世を去った。
葬儀は、親類で、密葬とし、葬儀費用にお墓代、すべて姉妹で割り勘。
叔父の懐に残っていた、僅かな現金は、内縁の女性に、渡した。
「世話をかけました」
頭を下げた、姉妹達。中々、カッコよかった!
叔父、爺やん、従姉妹酒好きが、一列に並ぶお墓のスペシャル席!
拝啓、叔父さま。
私も割り勘、母の代わりに、出しました。
覚えておいてね!
私は、ガメツイのよ。拝啓、叔父さま。
なぜか、私もギターが大好きです。
合掌
『オオジョウイシ』と『オガミイシ』がある。
オオジョウイシは、六角の棺桶を、埋めた後から、土を被せて、その上に置く、厚さが10~20センチ位の、平らな石。
オガミイシは、その平たい石の真ん中に、据わらせるように置く、両手で軽く持てる位の、小さな二等返三角形をした石だ。
爺やんのお葬式の朝、叔父が、私を河原に連れて行った。
「川へ石探しにいくか?」
と聞かれて、訳が解らないまま、山を下りて、付いて行った。
叔父は、私の母親の弟で、私とは27才の年齢差。大の酒好き。私も、従姉妹達も、この叔父さんには、『さん』という敬語を付けないで、なぜか呼び捨てにしていた。
今、考えると、全く失礼な話だ。
『おじよお!』
と呼んでいた。
30分かけて、河原に着いた。
叔父は、石を抱えては、置き、ウロウロと同じ動作を、繰り返していた。私は、少し後から、叔父に付いて歩き、聞いた。
『何しよん?』
叔父は、三角形の小さな石を、私に見せながら、
『爺やんの石の上に、乗せないかんのぞ』
と答えた。
暫くすると、叔父は、『これでええわ…、中々丁度のはないのう…』と言いながら、大事そうに、石を抱えた。
私は、私で、三角形の石を見つけて、叔父に見せた。
「どうせ、ダメなんだろうな」
それ位の軽い気持ちで、見せた。
叔父は、一言、
『お~、この石、ええのー、よう見つけたのー』と声を上げて、すぐに私の手から、受け取った。嬉しかった。
爺やんのお墓に、墓石が出来るまで、置かれた、そのオガミイシは、叔父との、貴重な想い出だ。
私は本来、同情と言う言葉は、余り好きではない。
しかし、叔父の人生を顧みる時、心から胸が締め付けられる。
叔父は、28才の時、婿養子として、17才年上の奥さんと結婚をした。奥さんの実家は、酒屋兼、雑貨屋。
奥さんに、ひたすら、惚れられたという、私からみれば、
「色男、金と力は……」のパターン。
元々、酒好きなのに、酒屋に婿養子に入れば、もう誰も止められない。歌が上手で、ギターが上手いとなれば、鬼に金棒!
結婚して、すぐに女の子を授かった。しかし、幸福の調べは、いつまでも、続かなかった。突然に、ギターの糸が、切れるように、突然の不幸が、叔父夫婦を襲った。
酒屋は、道路に面していた。家の前は、バス停。
女の子は、愛らしく、二歳のヨチヨチ歩き。近所の人からも、可愛がられた。
いつもの夕方の時間。定期バスが、止まった。乗客が下りる。運転手は、顔なじみ。軽い世間話をして、
発車と同時に、
悲鳴が起こった。
即死だった。
誰かが、抱いているだろうと、油断していた、悲劇の結末だった。
それから後、妻が亡くなるまでの九年間。
叔父は、酒びたりになった。
私と河原に行ったのは、死別した翌年だ。
爺やんの死を境として、叔父は、故郷を捨てた。徳島市内で、ひっそりと晩年を過ごした。
内縁の女性に、口癖のように漏らしたという、
「無縁仏には、なりたくない…」
の言葉。
叔父は、一度だけ祖谷に、ひっそりと帰った事があった。徳島市内の、知人のつてで、祖谷に入る行商の人の車で、家族で暮らした、家を見て、帰ったらしい。
「祖谷を見れたら、充分だ」と言ったらしい。行商の人が、後で、近所の人に、話したと言う。
叔父の瞳には、何が映ったんだろう。悲劇が、起きなければ、永遠に続いただろう。幸福な家庭生活。
もし、生きていれば、私よりひとつ年下だった。
叔父は、61才で、ひっそりとこの世を去った。
葬儀は、親類で、密葬とし、葬儀費用にお墓代、すべて姉妹で割り勘。
叔父の懐に残っていた、僅かな現金は、内縁の女性に、渡した。
「世話をかけました」
頭を下げた、姉妹達。中々、カッコよかった!
叔父、爺やん、従姉妹酒好きが、一列に並ぶお墓のスペシャル席!
拝啓、叔父さま。
私も割り勘、母の代わりに、出しました。
覚えておいてね!
私は、ガメツイのよ。拝啓、叔父さま。
なぜか、私もギターが大好きです。
合掌