秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

彼岸に寄せて(笹の道)

2009年09月22日 | Weblog
山の家に着くと、知らない大人達が、大勢集まっていた。
記憶は、断片的に、残っている。母はあの時、どこにいたんだろう。私は、誰といたんだろう。
晩御飯の時に、
『〇〇さん、あんまり食べんのう?調子悪いんかえ…』
と誰かが、私の父に言った。
父は、お腹を摩りながら、
『腹が張って、食べれん…』と答えた。


地区の消防団の集が、全員、捜索にでた。
池〇町の、病院に入院していた、友人を訪ねて、道に迷ったのか?母の家に向かって、途中でどこかに転落したのか?
何の、足取りも掴めないままに、二日が過ぎた。
その日の夜、誰かが、私と父を、家まで送ってくれた。あくる日、私は学校に行かなければならなかった。
運転していた、男の人が、ライトが照らす、真っ暗な道の途中で、『〇〇さんくへ、オヤッサン、歩いてイッキョッて、どこぞで、まくれとんじゃあ、ないかのう~』
と父に話した。
〇〇さんとは、母の名前だ。

36年前の村には、外灯の数等、殆どなかった。行き交う、車の数も限られていた。山の真っ暗な道の、茂みの中から、爺やんがスーと現れそうで、必死で、目を凝らして前を見た。私は、爺やんは、母に会いに、家をでたのだと、子供心に、感じていた。
爺やんが、姿を消してから、大人の女の人は、隣の家にきらした醤油一本を借りに行くことさえ、嫌がった。毎日、捜索にでている男衆に、三度三度の御飯の支度があった。
何かしら、足らないものがでてくる。
百メートル位の、小道は真っ暗で、誰もが、嫌がった。
「さみしいて、いけんわ!」
さみしいとは、恐ろしいという、意味を持つ。
それを聞いた私は、
「わたし、取りにいく!」
と手をあげた。
「なんで?、おとろしいないんか?」
と近所のおばさんが、目をキョロキョロ、させた。

真っ暗な小道を、一人で歩いた。やっぱり、爺やんを、探しながら歩いた。
他人には、恐ろしくても、わたしには、爺やんだ。大事にしてくれた、囲炉裏の仲間だ。怖いなんていう、感情はなかったが、出てくるんなら、血だらけは、勘弁してよ!
そんな事ばかり、想像していた。
従姉妹の、トイレにも、ついて行かされた。
当時、行方不明者の捜索なんて、滅多になかった。
大体、歩くことさえ、不自由だった、爺やんが、そんなに遠くまで、行ける筈がなかった。

数回、捜索したある場所があった。
家のすぐ下の、杉林と竹林に覆われた、小道。落ちた笹の葉が、びっしりと敷き詰められた傾斜のきつい道。昼間でもあまり、光りはなく、薄暗い道。
その道の先に、淵があった。


三日後の午後、
消防団の一人の男性の手に依って、爺やんは、発見された。
私が、12才の秋だった。