秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

過去と未来の放物線    SA-NE著

2009年09月29日 | Weblog
誰の人生にも、幾つかの、分岐点がある。
二十歳の頃、一度だけ、荷物をまとめて、「祖谷脱出」を決意した時が、あった。
父を亡くした日から、自分の中で諦めた「夢と未来」
堪えながら、積み重ねた様々な現実。
何処かで、やり直したかった。
もう、「村」は、懲り懲りだった。
心が、悲鳴をあげていた。

「母さん!ワタシ、祖谷から出ていくけん」
「何を言よんな?」
「もう、絶対に決めたけん!」
「出て行って、何の仕事するんな?」
「スナック!若いけん、いけるわ!」
問答を繰り返した、その晩から、母は二、三日、寝込んだ。
そして、電話をかけた。いつもの、母の愚痴のはけどころは、実の姉さんだった。
天地がひっくり返ったような、強烈な口調で、私を説得に掛かった。
折れた形で、私は断念した。
叔母さんは、自慢げに喜んでいたが、私は母が寝込んだ時点で、脱出は、諦めていた。

あの時、私の分岐点で、腕を引っ張った叔母さんも、最近、病気になり、達者な頃の、面影もない。壊れかけてはいるが、声の勢いだけは、昔と同じだ。

脱出を決意した要因のひとつ。初めての強烈な挫折があった。


四年制の分校の、三年間を終了する年の冬。担任が、私を職員室に呼んだ。
「あのなあ、ちょっと聞いた情報なんだけど、村の方で今度、公務員の試験があるらしいわ!18才以上の条件もクリアしとるけん、これからのお母さんとの生活とか、考えたら絶対に固い話しだと思うよ―」

私は、突然の降って湧いた話しの内容が、全く理解出来ないで、一気に話す、担当の顔をじーと、見ていた。

「先生、公務員って、何ですか?」
そんな質問をしたのは、覚えている。

担任は、事細かく、色々と説明してくれた。早い話しが、理解出来たのは、母娘の暮らしが安定するという、私なりの解釈だった。

私は、願書をきっちりとだし、
ひたすら、勉強した。「初級公務員」の問題集の厚い本が、手垢で倍近く膨らむ位、勉強した。
過去の人生に於いて、あれ程勉強した記憶がない位、夜の時間、没頭した。
全て、記憶した。応用問題、苦手な英語も、絶対の自信を持って、クリアーした。

時々、担当が声をかけてくれた。
「やっとるかあ~」
私は、なんか照れて、恥ずかしかった。

数週間すると、
役場に勤める方から、電話がかかった。
願書の受け付けは、終了し、男子若干名、女子1名の採用枠。女子で願書を出したのは、私一人なので、合格したようなものだから、安心してとの、気遣いだった。
そして、余りヒドイ点数だと、採用されないので、そこそこの点数は、取るようにとの、優しい助言だった。

『脱、貧乏生活!公務員って、なんかカッコイイ!』
夢見る少女ではないけれど、自分の就職先は、近場の縫製工場と、諦めていたので、未来が少し開けた感じで、嬉しかった。

あの時、担任も、私も村の事情等、全く知らなかった。


90パーセントの正解率の自信を持ち、終えた試験。
結果の通知が届いた。

『不』の文字に、全身が凍りついた。
『不』の文字が、紛れも無く、印刷されていた。


合格したのは、
私の中学時代の同級生。
私が、受験した事も知らずに、数ヶ月後、彼女が立ち話で言った。

「村に帰る気、なかったのよ~、母親から電話がかかって、役場に入れるようになっとるけん、帰って来いって~!うちの母親、偉いわあ~」

あの時の試験で、合格したのは、選挙がらみの世話役さんの子供達。誰が、見ても、明確な顔ぶれだった。

その日の夜、母はぽつりと言った。
「やっぱり…」

担任は、私に謝った。
「村の事情、知らんかった、悪い事したなあ~」


最近、酒の場で、
役場を退職したある人が、私に酒を注ぎながら、ぽつりと話した。

「昔の話しになるけど~あの時は、気の毒な事したのう~まあ、選挙があったけん、しよなかったんじゃ、まあ、気の毒だったのは、覚えとるんじゃ~」


合否に関わった者達は、退職後も、悠々自適に、暮らしている。


私が得られなかった枠を、得た彼女も、いつでも、退職金が用意されている年齢になった。


全ての事実が、
過去の事と、片付けられても、
私は、その過去の延長線で、生きている。

あれから、
『村』が嫌いになった。『組織』が嫌いになった。『一生懸命働かない一部の公務員』が、大嫌いになった。


過去から延びた、放物線の時間の中で、私は生きている。
私は、やっぱり
『一生懸命』な人間で在りたい。
新たな放物線を、自分のチカラで、放つ為に。



コメント (2)
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