秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

回想 机の落書き

2009年09月08日 | Weblog
小学校の運動会、
私は、両親と揃って、お弁当を食べた記憶がない。
六年生の時、母親が一度だけ見に来てくれた。きっと『小学生最後の運動会』と両親が、娘に、気を遣ったんだろう。
運動会の朝は、父も母も、注文を受けた、お弁当の準備に追われていた。
小さな食堂の、古びたテーブルの上には、薄い折り箱が、並べられ、小さなアルミハクのカップ、バラン、輪ゴムが、お盆の上に、のせられていた。
『行けたら見に行く』と父が私に背中越しに声をかけたが、
『どーでもええー』
私は、いつも、そう返事をしていた。
行けたら行くと言って、来てくれた事はなかった。私のお弁当は、学校の先生の分と、一緒に届けられた。
父は、自転車で往復ニキロの山道を、とんぼ返りしていた。
小学校から、1キロしか離れていなかった食堂は、お昼になると、運動会に遊びに来た、お客さん達で、いつも、込み合っていた。

カウンターがひとつ。テーブルが、ひとつ。オンボロの狭い食堂。何か、行事があるたびに、いつも以上に、大盛況だった。


運動会の午前中の、プログラムが終わると、お昼の休憩を告げる、アナウンスが、校庭に流れる。
さっきまで、となりに座っていた、クラスメイト達は、一斉に散らばって行く。
応援に来ていた、親達が呼びにきたり、
親の座る場所に、駆け出していく子。
私も、なぜか同時に散らばった。
石段を登ると、校舎があった。
教室に向かった。お弁当を食べる場所だ。
何時だったか、教室に入ると、クラスメイトの一人が、家族で机を四つ合わせて、その上に、重箱を並べていた。
『あっ…』
私の小さな声に、その子の母親が気付いた。『あー、机ゴメンよー、この机、〇〇ちゃんのだったんじゃー』
私は、大丈夫というそぶりをして、近くにあった、机の上にお弁当を置いた。

回りにも、三組程の家族連れがいた。愉しそうに、話しながら、母親の握った箸が、重箱の上に、円を描いていた。

まっすぐに、黒板を見ながら、私はお弁当を口の中に、詰め込んだ。
すぐに教室をでて、運動場に駆け降りた。
運動場の端、テントの中、石垣のフェンスの場所も、色とりどりのインクを散らしたような、小さな集団で、埋め尽くされていた。
私は、入場門の隅っこで、その小さな集団が、少しずつクズレテいくのを、待っていた。
生徒達に、集合のアナウンスが、流れる。
午後のプログラムは、鼓笛隊の演奏だった。

甘えない
頼らない
群れない


今の私は、あの頃の等身大…

借りた机の上の、見慣れない、消せない落書きと同じように、お弁当の苦い味も、消せない愛しい想い出と、変わっていった。
コメント
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