佐久間氏 コトバンクより
戦国時代から安土(あづち)桃山時代の武将。出羽介(でわのすけ)、右衛門尉(うえもんのじょう)。織田信長の老臣。
佐久間氏は安房(あわ)佐久間(千葉県安房郡鋸南(きょなん)町上・中・下の佐久間)から尾張(おわり)(愛知県)に移る。
のちその家は山崎城(名古屋市南区)と五器所(ごきそ)城(同昭和区)との2家に分かれた。信盛は山崎城主。1572年(元亀3)徳川家康の援軍として、遠江(とおとうみ)三方ヶ原(みかたがはら)(浜松市)で武田信玄(しんげん)と戦い惨敗。76年(天正4)以来、石山本願寺の攻囲に参戦したが、80年開城後、戦功のないことなどを問責され、高野山(こうやさん)に追放された。茶道にも造詣(ぞうけい)がある。[奥野高広]
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安房の人であったとは、意外である。
信長の家臣のイメージが強く、尾張の人だとばかり思っていた。
千葉氏のHPの原氏にも佐久間氏が出てくる。佐久間九郎入道である。(原胤高の記事中)
http://chibasi.net/hara1.htm#tanetika1
佐久間氏と佐々氏もどこかしらつながりがあるそうである。
佐久間盛政「佐久間盛次の長男。母は柴田勝家の姉だが、異説もある。 弟に 柴田勝政(※勝安>柴田勝安)、保田安政、佐々勝之がいる。 」
そして、年代はまだ確かめていないが「佐々盛政(成宗)」がいる。